これまでずっと「学力的に合格する見込みが立たないので国家一種は断念した」と書いてきましたが、これは半分嘘です。すみません。

実はその前にもっと決定的な出来事がありました。

あまりに恥ずかしいのでこれまで隠してきましたが、公務員試験日程が乱れているこの機に公開します。

以下、国家総合職(当時は国家一種)採用の国家公務員のことを「官僚」と表記します。
 

官僚になれば新しい自分になれるはず

僕が官僚に憧れ始めたのは、大学2年生の初め頃でした。
希望する省庁は特にありません。とにかく官僚になって大きな仕事がしたいと思っていました。

僕が大学生だった頃はmixiの全盛期でした。
誰もがサンシャイン牧場に熱を上げ、読者範囲を巧妙に調整した日記を投稿し、足跡を残さずに気になる異性の個人ページを覗くことに全力を注いでいました。
当時のmixiは招待制で、mixiのアカウントを持っていること自体が一種のステータスでした。
プラチナカードを見せびらかすが如く、アカウントを手にした日には、それを誇示するかのように頻繁に日記を更新したものです。

そんなわけで、今でもmixiアカウントにログインすれば、大学生当時の生々しい日記が続々出てくるのです。
この記事を書くために一通り読み返してきましたが、本当に恥ずかしいです。 

当時の僕のmixi日記には、頻繁に「変わりたい」という言葉が登場します。
中学受験に失敗したせいなのか、僕は昔から自己評価が低い人間でした。
当時はさらに、内心期待していた大学デビューにもつまずいて、いっそう鬱々とした日々を過ごしていました。

陰キャで小物で負け癖が染み付いている、これまでの自分と決別して、新しい自分に生まれ変わりたい。

しかし、都会の大学に進学したくらいでは変われなかった。
それならさらなる高みに到達するしかない。

いつしか僕は、就職のタイミングでさらにグレードの高い世界に進みたいと思うようになりました。
そして、目指すべき「グレードの高い世界」として、なぜか官僚の世界を志すようになりました。

官僚の仕事そのものに興味があったわけではありません。
国家を動かすという唯一無二のステータスへの憧れと、「筆記試験のウェイトが大きい公務員試験のほうが、コミュ力一本勝負の民間就活より勝率が高そうだ」という打算的期待のためです。


官僚への就職は、僕にとっては「自己実現の手段」でした。
官僚になることが変化のの証、生まれ変わった自分を象徴するステータスだと捉えていたのです。

官僚になれば、負け組ではありませんし、小物でもありません。
周囲からの評価も変わるでしょうし、何より自己評価が変わるはず。
そう信じていました。

当時は自覚できていませんでしたが、官僚として働きたいというよりも、「官僚になれば変われる、幸せになれる」と思っていたのです。

この認識が一変したのが、大学3年の夏休み開始直後。
高校時代の友人に誘われて、首都圏のいろんな大学から官僚志望の学生たちが集う交流会に参加したときのことです。

ガチになれない自分がいた

「交流会」という名称からして、これから本格化する公務員試験勉強のモチベーションを高めるべく勉強仲間をつくるのが目的の、お気楽な会だと思っていました。オフ会みたいなものだと。
 
実態は全然違いました。
試験の話題なんてほとんど出ず、まるで自分がすでに官僚の一員であるかのように、制度や法令を語っているのです。
 
知識の深さとか論理性とか、話している内容自体は大したレベルではなかったかもしれません。
しかし、評論家のような外野から文句をつけるようなスタンスではなく、為政者として、当事者として、とにかく真剣に語っていました。

彼らの姿は、僕には眩しすぎました。
崇敬の念を抱きつつも、埋めようのない差を理解しました。
知識の厚み、行政に関わった経験の量、そして何より情熱の源泉の尽きないこと。
 
彼ら各自がどうして官僚を志したのかは知りません。
ただ確実に、僕の志望動機である「新しい自分になりたい」なんか足元にも及ばないほど、明確で前向きで強烈だったと思います。

そして同時に、官僚の仕事に対してさほど興味を持てていない自分に気がつきました。
交流会の他の参加者たちに心から敬意を抱きつつも、彼らのようになりたいとは不思議と思いませんでした。
もし官僚になれていたとしても、彼らのようなパフォーマンスは決して発揮できなかったでしょうし、違和感を抱えたまま漫然と仕事をしていたことと思います。

その後、とある出来事を経て官僚の激務っぷりを思い知り、官僚を完全に諦めました。
 
ここから僕の迷走が始まります。
「変わりたい」という漠然とした欲求だけそのままに、これまで最有力だった官僚という選択肢が消えてしまったのです。

エントリーシートすらほとんど通過せずに民間就活全滅、唯一合格した地方上級(県庁)にすがりつくも再受験しようかと思い悩み……結局、ラブライブ!によって救済されるまでずっとモヤモヤしていました。


3つのギャップ

交流会に参加して、僕は3つのギャップを感じました。
  1. 他の受験生との能力のギャップ
  2. 他の受験生との情熱のギャップ
  3. 官僚と「なりたい自分」とのギャップ
もっとも重要なのは3つ目です。
それまでは官僚こそ「なりたい自分」なのだと盲信していましたが、将来の官僚候補たちのリアルな姿を知ったことで、「なりたい自分」と官僚とは別物だと気がつきました。
つまり、これまで漠然としていた「なりたい自分」のイメージが少しだけ明確になったのです。

本当ならもっと早い段階で明確に「なりたい自分像」を持っておくべきなのですが、当時の自分はとにかく「変わりたい」という思いが先行していて、冷静に自己分析ができずにいました。
大学3年生の夏になって、ようやく自己分析の口火を切れたのです。

ちなみに、交流会に参加した方々の中から、実際に多くの官僚が生まれています。
官庁訪問でも熱意が伝わったのでしょう。

自己実現の手段としての官僚就職はあんまり勧めない

「すごい自分になりたい」「大きな仕事をしたい」という漠然とした思いが先にあって、それを実現するための手段、いわば自己実現の手段として官僚への就職を考えている方もいることと思います。
当時の僕のように。

もし心当たりがあるなら、僕は再考を勧めます。
「なりたい自分」「やりたい仕事」を、まずはもう一段階具体的に考えてみてください。
それらを実現するためのルートとして、官僚は本当に最適なのでしょうか?

国(省庁)という組織の一員として、または組織を使って何事かを成したいのであれば、官僚になるしかありません。
ただし、国組織に依る必要がないのであれば、別の選択肢のほうがベターかもしれません。
 
官僚就職という選択肢には超絶激務という代償が伴いますが、自己実現の手段は他にもたくさんあります。
大抵の選択肢は官僚よりも時間的・体力的に余裕があり、自己実現に投じられる資源の総量が多いです。
とりあえず感覚で官僚になってしまったがために、本当にやりたいことを見つけられず、見つかっても追いかけられず、年月を過ごしてしまうことだけは、なんとしてでも避けてほしいです。