キモオタク地方公務員(県庁職員)のブログ

地方公務員の人生満足度アップを目指しています。地方公務員志望者向けの記事は、カテゴリ「公務員になるまで」にまとめています。

カテゴリ: 公務員の生き様

「地方自治体の出世コースといえば人事・財政・企画」という言説がインターネット上ではすっかり根付いています。
書き手によって順位付けは異なるものの、この3部局が突出している点ではだいたい共通しています。

これら3部局に配属されることが出世への近道、つまり出世コースであることは僕も完全に同意します。
ただし、配属後の業務の性質でみると、企画部局だけは毛色が違うと思います。

人事と財政は、仕事の中身がおおかた決まっています。
ものすごく重要かつ面倒だけど手順・作法が決まっている仕事を確実にこなすことが求められる、いわば急勾配で空気が薄いけど舗装された登山道で頂上を目指すようなものだと思います。

一方の企画部局は、どんな仕事が飛び込んでくるか、誰も予想できません。
未舗装かつ測量すらしていない斜面をひたすら手探りで登っていくようなものです。

俗にいう「長期構想」「基本計画」のような、全庁横断的(総合的)で長期的な計画のことを、本稿ではまとめてウィキペディアに倣い「総合計画」と表現します。

そもそも企画部局の仕事とは?

企画部局は、自治体によって名称がバラバラです。


都道府県だと、ここに掲載されている部局が「企画部局」にあたるものと思われます。
(山形県と新潟県は違うかな?)
「企画」「戦略」「総合」「政策」あたりの文言が特徴です。

自治体ごとに名称が異なるとおり、企画部局の所管業務は自治体ごとに異なります。
インターネット上では「企画部局=総合計画」というシンプルな整理をされている情報が目立ちますが、実際は他にもたくさんの業務を抱えています。

企画部局の業務をおおまかに分類すると、以下の3つに分類できます。
  1. 総合計画の策定、実績評価
  2. 全庁的な意見のとりまとめ
  3. 外部から突発的に降ってきた新規案件をとりあえず引き受ける

1は言わずもがな、企画部局の代表的業務です。
ただし、同じ総合戦略関係の業務でも、そのプロセスは自治体ごとにまちまちであり、特に企画部局が内容に口出しできるかどうかという点には注意が必要です。

強い企画部局であれば、実際に事業を行う課が作った原案にどんどん口を挟んで、目標値を上乗せしたり、事業期間を前倒したり、そもそもの目標を変えたり……等々、暴虐の限りを尽くします。まるで政治家です。

しかし弱い企画部局には、各課が提出してきた原案を日本語的に読みやすく整える程度の権限しかありません。


2の業務は、自治体としての総意をまとめるものです。
具体的には、首長どうしの懇談会や国会議員への要望が挙げられます。
こういった機会では、庁内各部局の案件をまとめてパッケージ化する必要があります。
業務プロセスは総合計画と似ていて、まずは各部局から原案を集め、それらを組み直し、縦割り感を消して統一感を持たせます。


3の業務は、事業内容がはっきりしなかったり、あまりに斬新な案件であったりするために、すぐには担当部局を決められない場合に、しぶしぶ企画部局が引き受けるものです。
最近だと中央省庁の地方移転やSDGsあたりでしょうか。

一旦は企画部局が引き受けるものの、あくまでも暫定的な対応です。
いずれ別部局に引き継ぎます。
引き継いだ後もちゃんと業務を回るよう「先鞭をつける」「前例をつくる」のが企画部局の役目と表現しても差し支えないと思います。

2と3の役割は、自治体によっては企画部局以外(財政、秘書、総務あたり)が担っているかもしれません。

とにかく精神がすり減っていく

前述の1〜3のいずれにしても大変な仕事です。
業務量はそれほどではないかもしれませんが、精神的負担は非常に大きいです。

「ゼロから全て組み立てる」という公務員らしからぬ仕事

まず、企画部局の仕事にはルールもマニュアルもありません。
達成すべき目標も、目標に向かう作業工程も、作業に必要なツールも、すべて自ら準備しなければいけません。
上司や同僚に相談しても有益な答えは返ってこないでしょう。彼ら彼女らもわからないからです。

ゼロベースで仕事を組み立てていくのが好きな方もいるでしょうが、大抵の地方公務員にとっては苦行です。
過去の業務経験がほとんど活きず、ひたすらもがき続ける日々が続くでしょう。


「忖度に次ぐ忖度」に陥りがち

「ゼロから仕事を組み立てていく」とは言うものの、担当職員に決定権限があるわけではありません。
むしろ担当職員の裁量は小さく、首長はじめ幹部職員、議員、地域住民の声、経済界の有力者といった方々の意見を収集し、ちょうどよい「落とし所」を探るのが担当職員の役割でしょう。

偉い人たちが意思決定するための準備(資料作成、事例収集など)をして、決まったことを機械のように実行していくだけです。
職員自身の意に反する流れになろうとも、口を挟む権限は全くありません。
むしろ「自分の意思」なるものを極力排し、偉い人たちの意向が正確に実現されるよう心を砕くべきです。いわば高度な忖度です。

どんな部局であれ、地方公務員の仕事には「偉い人への忖度」が含まれるものですが、企画部局の仕事は特にこの要素が強いと思います。
忖度は巧拙はっきり分かれます。誰でもできるわけではありません。
苦手な人にとっては苦痛でしかありません。



他部署に仕事を押し付けざるを得ない

企画部局の仕事は役所全体に影響します。
他部局に仕事を振って、平常業務の手を止めて作業させるくらいは日常茶飯事で、時には過去の意思決定を撤回してもらうことすらあります。
他部局からするとたまったものではありません。いい迷惑です。

そのため、企画部局はよく他部局と揉めます。
人事や財政とは異なり、企画部局には権限がありません。
他部局からすると、企画部局に従うメリットも無ければ、従わない場合のデメリットもありません。
企画課側から何か指示したところで大人しく従ってくれるケースは稀で、たいていは自らの主張をぶつけ返してきます。

いかに他部局を従わせるか、企画部局の職員は日々頭を悩ませていることでしょう。
「最初から敵意全開の相手を説得する」という他部局とは比にならない高度な調整能力が求められますし、相当な精神的負担があることは想像に難くありません。

僕自身、企画部局からの作業依頼を素直に引き受けたせいで上司から怒られた経験があります。
「君がその作業に手をつけてしまったら、それが前例になって、議会の質問も住民訴訟も全部うちが引き受けなきゃなんないんだぞ?しかも企画部局案件だから人員も予算も増えないんだぞ!?」と。
完全に厄介者扱いです。

配属されてからが真の競争

企画部局の仕事は、頑張ってどうにかなるものではありません。明らかに向き不向きがあります。
他の出世コース(財政・人事)の仕事よりも体系化されておらず、きちんとこなせる職員は少ないでしょうし、年度による当たり外れも大きいでしょう。
そのため、人事や財政と比べ、適応できずに脱落する職員の割合が大きいと思われます。


その反面、企画部局でしっかり仕事をこなせれば、役所内でも希少な人材となり得るとも言えるでしょう。
企画部局で経験する「ゼロからの業務組立」「対外的な忖度」「高度な庁内調整」は、いずれも間違いなく役所運営に欠かせない要素であり、どんな部署でも、どんな地位まで上り詰めようとも活きてくると思います。


「世の中はどんどん変わっていくんだから、役所の事業もスクラップ&ビルドで新陳代謝していくべきだ」
「ただでさえ財政事情が厳しいんだから、無駄な事業は早々に止めるべきだ」

住民だけでなく公務員も頻繁に口にする意見です。

しかし現実はそううまく運びません。
政治的事情などの外圧を受け、事業のスクラップは往々にして頓挫します。
外圧に遭う前に日和ってしまうケースもあるでしょう。
実際に事業を潰した(畳んだ)経験のある職員は、案外少ないのでは?

僕は1度だけですが、それなりの規模(予算でいうと数千万円規模)の事業を畳んだことがあります。
※地元ではけっこう話題になったネタなので、詳細はぼかします。



僕は看取り役


僕が畳んだ事業(以下X事業)は、とある民間団体(以下Y法人)に補助金を流していろいろやってもらい施策目標達成を目指すスタイルの事業でした。
取り繕った言い方をすれば「民間のノウハウとネットワークを活かした」事業であり、乱暴な言い方をすれば「お金と口は出すけど実務は丸投げ」な事業です。

Y法人の中では総勢10人ほどがX事業に携わっていました。
県とのやりとりを主に担当するのは、Y法人の正規職員であるマネージャー(以下M氏)です。
他のスタッフはM氏の部下という位置づけで、みな非正規職員でした。

元々僕はコミュ障で、かつ後述する事情のために意図的にコミュニケーションを控えていたこともあり、Y法人スタッフ達の詳細なプロフィールはわかりません。
ただし皆さん、いきなり異動してきてやってきた僕に対し、すごく親切に接してくれました。
電話越しに談笑の声が聞こえてきたりもして、居心地の良さが伝わってくる環境でした。



それなりに歴史のあったX事業でしたが、僕が担当者として着任する前の年度のうちに、次年度(つまり僕が着任した年度)で終了することが決まっていました。
終了に至るまでの詳細はよくわかりません。
僕の前任者も直接は関わっていなかったようで、どうやら県幹部とY法人幹部による「上どうし」の会談によって、トップダウンで決まったようです。

今年度でX事業が終わることを知っていたのは、現場スタッフの中ではM氏だけでした。
年度の初めに、M氏からは「現場スタッフへは私から伝えるから、県からは絶対言わないで、察されないように気をつけて」と強く念押しされました。
このため、僕をはじめ県職員は、M氏以外のスタッフとの接触を控えました。


担当者である僕の仕事は、今年度事業の進捗をウォッチしつつ、過去資料の整理をしたり、県から貸与した物品を紛失していないかチェックしたり、補助金の使途を改めて確認したり……という事業クローズに向けた諸準備です。
仕事自体は淡々と進みました。

事業の終了=事業部の取り潰し


Xデーは突然やってきました。
 
「資料作成に手間取っているので、20時まで職場で待ってくれないか。できればすぐ確認してほしいから、課長にも残っていてほしい」
M氏から意味深な電話。我々は察しました。

そして20時、再びM氏からの架電。
虫の声が聞こえてきます。オフィスを離れ、どこか野外で電話しているのでしょう。

「○○月▲▲日、スタッフに事業廃止の旨を告知する。当面は混乱すると思うので、私がOKを出すまでは、県職員はY法人オフィスに顔を出さないでほしい。電話は私の携帯に。もしスタッフから県に電話があっても、『Mさんに聞いてくれ』で通してほしい」



この電話から2か月ほど経過して、ようやくM氏から「県職員来訪OK」の連絡がありました。
今年度の事業は既に完了しており、補助金も精算済。
最後に残った作業である「県からの貸与物品回収」のため、Y法人オフィスへ向かいました。

X事業の事務室だった部屋には、段ボールが山積み。
机も椅子もありません。リース物品だったので返却したのでしょう。
タイルカーペットは所々剥がれていました。床下に這わせてあった電話回線を撤去したようです。

スタッフは誰もいませんでした。
M氏によると、全員退職したとのこと。
Y法人の別事業への転属を打診したのですが、どうしても待遇が落ち、しかも遠距離転居を伴うため、全員折り合わず退職してしまったとのこと。

このとき、役所は一体何をやったのか、ようやく自覚しました。
ひとつのホワイト職場を破壊し、十人弱の雇用を奪ったのです。

M氏がわざわざ人目を忍んで「県職員来訪NG」とアナウンスしてくれた理由がよくわかりました。
スタッフからすれば県のせいで職を失うわけです。
文句を言いたいのは当然でしょうし、口だけでは気が済まないかもしれません。
それに何より、合わせる顔がありません。

スタッフのうち何人かは、顔も名前もはっきり覚えています。
彼ら彼女らに似た風貌の人を見かけると、今でも反射的に身構えてしまいます。


M氏が使った「事業廃止」という表現も印象に残っています。

役所にしてみれば、X事業の終了は良いことです。
(実態はどうであれ)役所の事業が終わるときには、とにかく前向きな理由を用意します。
X事業終了のケースでは「役目を果たし切った」という理由付けがなされました。

しかし一方で、M氏をはじめY法人のスタッフにしてみれば、X事業は終わるわけではありません。
役所というスポンサーがいなくなったので、取り潰されるのです。
役目を果たそうが果たしていなかろうが、どちらも言葉遊びにすぎません。
組織としての売上がなくなり、食い扶持が減る。ただそれだけのことなのです。



「全体の奉仕者」は個人を救うわけではない


X事業の廃止は、マクロで見れば良いことだったと思います。
最初にも触れましたが、X事業の廃止は地元メディアでも取り上げられました。
役所仕事では珍しく「良い意味で」です。
X事業は「マンネリ化が進んで最早時代遅れな事業」と位置付けられ、これを止めて新たな施策を検討するという県の姿勢は、珍しく称賛されました。

しかしミクロでみれば、雇用機会の簒奪にほかなりません。

役所がお金を使えば、それは民間に流れます。
その収入のおかげで生計を立てている人がいるのです。
たとえそれが「無駄だ無駄だ」と叩かれている案件であっても。 
この当たり前の事実を思い知らされました。

さらにはY法人スタッフ達の自尊心も傷つけたと思います。
彼ら彼女らが日々取り組んできたことは、結局「時代遅れ」の一言でまとめられてしまったのです。

僕は民間就職活動に失敗した身であり、失職への恐怖をリアルに経験しています。
そのせいもあり自分自身が失職に加担してしまったという事実が半ばトラウマになり、今でもたまに眠れなくなります。

公務員として働く以上、「全体」「公益」のようなふわふわした存在のために、眼前で困窮している生身の人間を切り捨てざるを得ないケースからは逃れられません。
これがストレスで離職する若手職員もけっこういると聞きますし、入庁後のミスマッチを減らすために弊ブログでも発信していきたい重点事項の一つでもあります。

既存事業をスクラップするときは、くれぐれも気をつけて下さい。
マクロで見れば「良い」スクラップであっても、従事している個々人にとっては雇用の収奪であったり尊厳の破壊かもしれないのです。


漫然と作業的にスクラップしたら、終わった後で自責に襲われて、そのままトラウマになりかねません。僕のように。

「自分はこれから、公益のために個を潰すぞ」という心の準備を忘れないでください。

今の世の中、職業人生において、いずれは独立を考えている方は多いと思います。
このブログでも資格取得関係の記事がけっこう人気で、公務員の中にも資格を取って士業で独立を考えている方がそこそこいるのかな?と推測します。

まず数年間は公務員として働いて、開業資金を貯めつつ試験勉強して資格取得、あわよくば役所での勤務経験を強みに……というプランを思い描いている方もいるかもしれません。

こういうストーリーは不可能ではありません。実現している方もいます。
ただしなかなかの狭き門、険しい道のりだと思います。
士業で独立したいのであれば、別の方法も冷静に考えてみたほうが無難です。

独立開業までに必要になる
  • 開業資金を貯める
  • 資格取得
  • 勤務経験
の3段階について、それぞれ考えていきます。


開業資金:かなり厳しい

若手公務員の給与は高くありません。
大卒1年目だと、時間外手当・地域手当抜きのベース月収(手取額)が、だいたい14万円くらいです。
定期昇給によって、そこから1年ごとに5千円くらい手取り額が増えていきます。

もし試験勉強のために予備校に通うのであれば、さらに厳しくなります。
ホワイト民間企業にある「資格取得補助」のような福利制度は、役所にはありません。
受験費用は全額給与から賄うしかありません。

独学にしろ予備校通いにしろ、
  • 実家住まいで家賃がかからない
  • マイカーを持たない
  • 休日はずっと引きこもって勉強しているので交際費も服飾費もかからない
という苦学生活を送らない限り、開業に必要な資金は貯まらないでしょう。
それくらい若手の給与は少ないです。
 
節約のような貯蓄努力だけではどうしようもない次元だと思われるので、目標となる開業資金を貯めるには何歳まで働く必要があるのか、まず冷静に試算してみることをお勧めします。


資格取得:特段有利ではない

仕事と試験勉強は完全に別物です。
役所の仕事が資格試験に役立つことは基本的にありません。

 
資格試験で問われる法令(民法など)を仕事で紐解くことはよくありますが、資格試験に必要な知識とはずれていますし、試験並みの深さまで掘り下げることもありません。
業務外の時間に、しっかりと勉強時間を確保しなければいけません。

配属先次第で勤務環境が一変することに定評のある役所ですが、平日2時間くらいであれば、大抵の部署で勉強時間を確保できると思います。

しかし中には平日も休日も関係なく労働を強いられる職場もあります。
体感だと10分の1くらいの割合でしょうか。
こういう部署に配属されてしまったら、試験勉強どころではありません。 

試験勉強をしているからといって、配属先は考慮されません。
むしろ「自分の裁量で使える時間が豊富」とみなされて、繁忙部署に放り込まれるかもしれません。

持病や親の介護など、自分の裁量ではどうしようもない事情で時間的制約を負っている人がたくさんいます。
こういう事情と比べれば、試験勉強は趣味に近いものです。人事課が配慮するとは思えません。

試験勉強を確保できる部署への配属を勝ち得たとしても、突発的に深夜残業や休日出勤を余儀なくされるケースは多々あります。
役所という立場上、住民や議員、マスコミを無視できません。正当な要請があれば、職員のプライベートは関係なく仕事をしなければいけません。
そのため、ダブルスクールに遅刻したり欠席したりは日常茶飯事でしょうし、模試すら受けられないこともあるでしょう。

つまるところ、「公務員だから試験勉強に有利」とは言えないと思います。
他の仕事と変わりありません。


勤務経験:あくまでも周辺知識

士業と役所の関わりは結構深く、どんな部署でもそれなりにお付き合いがあります。
日常的な書類のやり取りのみならず、役所主催の講演会の講師として登壇したり、外部専門家として意見を求められたり、仕事を外注されたり。
役所と敵対する仕事も多数あります。

いずれにしても、意思決定プロセスや現状認識、予算執行の考え方のような役所の内部事情を知っていれば、実務に役立つでしょう。

ただし、役所関係の知識は、本業の実務とは関係がありません。
役所絡みの仕事をするときにだけ役立つのであり、役所が関係しないときは活きません。
あくまでもプラスアルファの知識です。

「諦めたときの保証」という強みかつ弱み

働きながら士業独立を目指すのであれば、役所よりも、資格補助がしっかり出るホワイト民間企業で働くほうが無難です。
それか、都会限定ではありますが、大手士業事務所の正社員事務員になるのも良いでしょう。
役所で働くよりも、独立後の実務に直結する経験を得られると思います。 

公務員ならではの強みは、独立を諦めたとしても、それなりの待遇が保証されているところです。
民間企業であれば、自分が資格勉強をしている間に、他の社員は別の方法で着々とスキルアップしていきます。
もし資格取得に失敗したら、試験勉強に費やした時間分だけ周囲と差が開いてしまいます。
この差に応じて、業務上の評価にも差が出て、ひいては待遇が悪化する危険があります。

役所であれば、民間企業とは異なり、干されたところで待遇に大差ありません。
それなりの給与が保証されています。
資格取得に失敗することがリスクにならないのです
しかし逆に言えば、「失敗しても人生なんとかなる」という甘えの原因にもなり得ます。



資格補助が出るようなホワイト企業って、多分役所以上に居心地が良いと思います。
そんな環境を捨ててまで士業独立するなんて、自分からすれば勿体無いです。
「士業独立を断念する」誘引が、役所以上に強いともいえるでしょう。

挑戦に対するスタンスは人それぞれです。
ある程度の余裕がないと頑張れない(プレッシャーで潰れる)人もいれば、追い詰められていないと頑張れない(現状に甘えてしまう)人もいるでしょう。
前者であれば、ホワイト民間企業や役所で安定収入を得ながら試験勉強するほうが合っているでしょう。
後者なら、あえて正社員にならず、勉強に専念したほうがいいのかもしれません。



民間企業だと、「営業職」「経理職」「法務職」のように担当業務の種類ごとに社員を分類します。
対して地方公務員は、所属する部局ごとに分類するのが一般的です。
業務の種類では、「事務職」「技術職」のような採用区分よりも細かく分けることはほとんどありません。

役所では、事務職であれ技術職であれ、一人が何役も兼務しています。
そのため業務内容別に職員を括るのが困難です。

例えば今年度の僕の場合、経理(支払い事務)・法務・ホームページ管理・雑用担当を兼ねています。
それぞれの業務に費やす時間も労力も凡そ均等で、どれがメインとも割り切れません。

とはいえ、自分のポストがどういう種類の業務から成り立っているのか分析して客観的に眺めてみれば、新たな発見が得られのではないでしょうか?

とりあえず事務職の県庁職員バージョンの分類法を考えてみました。

県庁職員の5大業種


まず、県庁職員(事務職)の業務を、
  • 内部調整
  • 庶務・経理
  • 法規・制度
  • 住民対応
  • 非法定事業

という5つの類型に整理します。
これらの項目は完全に僕のフィーリングです。もっと適切な分類方法もあるでしょうが、今回はこれで進めます。


先にも触れましたが、地方公務員は複数の担当業務を兼任している場合がほとんどです。
そのため、ある職員を5類型のうちのどれか1つに当てはめようとすると無理が生じ、正確な把握ができません。

そこで、業務全体に占める5要素それぞれの内訳(割合)という形式を用います。
10ポイントを各要素に配分して、「内部調整3、庶務・経理4、法規・制度3」のような形で、担当業務を定量的に表現します。
さらに配点をレーダーチャート化することで、業務の特徴が可視化されて、よりわかりやすくなります。
 

01_チャート概説


具体的な事例も掲載しておきます。

02_典型例



定量的に表現することで、これまでの担当業務の比較が容易になります。

例えば、楽しかった年度(または辛かった年度)の間に、共通する特徴を見つけられるかもしれません。
僕の場合、「非法定業務」がある年度は、残業が多かったものの楽しかったです。

一方、「内部調整」と「法規・制度」の両方にポイントが計上された年度は、いずれも非常に辛かった。
法令的に不可能な処理を別部署から無理強いされるケースが多発し、精神的に磨耗したせいだと思われます。

応用編 〜業務経歴の可視化〜

過去の担当業務のスコアを足し上げていけば、これまでの自分の経歴を可視化することも可能です。

経験豊富な業務ほどスコアが高くなります。

地方公務員の業務経歴に触れる場合、たいていは所属していた部局を語ります。
ある部局の所属年数が長いことを以って「〇〇畑だ」と表現するのが、その典型です。

しかし地方公務員は部局をまたいで異動するのが普通であり、「〇〇畑」を自称できるほど特定部局に特化できるケースはむしろ稀です。
このために「自分には専門分野が無い」「公務員は専門性が身につかない」と嘆く人も多いです。

所属部署という要素を除外して、業務の種類という観点で経歴を見てみると、全く別の特徴が見えてきます。
役所がよく標榜している「ジェネラリスト育成」という題目では、5要素どれもを均等に経験させることを理想としていると想定されますが、実際は結構偏っていると思います。
この偏りから、自分のキャリアの特徴、つまり専門性が浮かんできます。

出世コースの謎が解ける?

業務経歴を定量化することで、出世コースへと選抜される職員の特徴を特定できるかもしれません。
試しに僕の同期職員のケースで算定してみました。比較対象として僕のケースも掲載しておきます。
 
03_経歴比較

出世コースに進んだ職員と僕とでは、チャートの形が明らかに異なります。


出世コースへと選抜された職員は、部局が変われども「内部調整」「非法定事業」スコアの高い業務を担当し続けていました。
俗にいう新規施策や目玉施策は、これらのスコアが高くなります。
こういった目立つ事業を担当しているうちに幹部の目に留まって、出世コースへと抜擢されるのでしょうか?

事例を収集していけば、役所の神秘「出世コースに選ばれるまでの過程」を検証できるかもしれません。

誰か改良してみて(他力本願)

この方法の肝は、数多くある役所の仕事をいかに分類・集約するかだと思います。

僕は前掲のとおり5要素にまとめてみましたが、もっと良い方法があると思います。

まず、5要素のほかに「役所間調整」を別要素として設けるべきか否かで未だ迷っています。
特に県庁の場合、国や市町村とのやりとりが業務内に大きな割合を占めていますし、庁内調整とも住民対応とも異なる独特のコミュニケーション力を必要とする業務でもあるからです。

他にも
  • 「定型作業」を別要素として設けるか
  • 外部団体への出向をどうスコア化するか
  • 係長級以上はこの5要素だと通用しなさそう(あくまで担当レベルの分析ツールにとどまる)

あたりは、現状認識している課題です。



役所には毎日、窮状を訴えにくる方々が押し寄せます。
その中身は様々で、「事実は小説よりも奇なり」という諺を実感させられます。

感情の赴くままに語られる窮状を一通り聞いて、役に立ちそうな制度や施策を紹介することになりますが、解決に至るケースは極々稀です。
そもそも既存の仕組みで解決できるのであれば、わざわざ役所に来る必要はありません。
現状の行政サービスでは救われないからこそ、役所まで足を運んで、窮状を訴えるのです。

特に県庁の本課だと、この傾向が強いです。
通常の手続きを行う窓口部署(市町村役場や県出先事務所)では解決できなかったために、藁をもすがる思いでやって来る方がとても多いです。

通常の手続きではどうしようもないということは、ルール上どうしようもありません。
結果として、窮状解消は叶わず、時には門前払いに近い形で退けることになります。

対応にあたる職員は、気まずい思いをしつつもお断りすることになります。
どんなに感情をぶつけられようとも、心変わりしたり、結論を変えてはいけません。
 
情に流されてルールを歪めたら、目の前の一人は得をしますが、そのほかの全住民が相対的に損をします。
極端な言い方をすれば、目の前の一人のためにほか全員を犠牲にする、独裁を許すことになります。
これは不正行為です。規定違反にとどまらず、住民全員に対する裏切りであり、背反行為です。

・・・というロジックを頭では理解していても、実施に悲哀や憤懣をぶつけられると、揺さぶられてしまうのが人間の宿命です。
感情に押されて「本来役所は住民のためにある存在なのに、どうして目の前の一人を見捨てなければいけないのか」と思い悩む方も多数いることでしょう。
このジレンマに悩まされた結果、公務員を辞する方もいます。

公務員として働き続けるには、なんらかの形で割り切るしかありません。
そうしないとメンタルが持ちません。
今回紹介する『反共感論』は、そんな割り切りのヒントになる一冊です。


<p.11>
本書で私は、共感と呼ぼうが呼ぶまいが、他者が感じていると思しきことを自分でも感じる行為が、思いやりがあること、親切であること、そしてとりわけ善き人であることとは異なるという見方を極めていく。道徳的観点からすれば、共感はないに越したことはない。

<p.17>
共感とは、スポットライトのごとく今ここにいる特定の人々に焦点を絞る。だから私たちは身内を優先して気づかうのだ。その一方、共感は私たちを、自己の行動の長期的な影響に無関心になるよう誘導し、共感の対象にならない人々、なり得ない人々の苦痛に対して盲目にする。つまり共感は偏向しており、郷党性や人種差別をもたらす。また近視眼的で、短期的には状況を改善したとしても、将来悲劇的な結果を招く場合がある。さらに言えば数的感覚を欠き、多数より一人を優先する。隠して暴力の引き金になる。身内に対する共感は、戦争の肯定、他者に向けられた残虐性の触発などの強力な誘因になる。人間関係を損ない、人間関係を損ない、心を消耗させ、親切心や愛情を減退させる。

反共感論 社会はいかに判断を誤るか
ポール・ブルーム著 高橋洋訳 2018年2月 白揚社

世間的には、「もっと共感が必要だ」と言う論調が主流です。
本書はこの流れに真っ向から反対します。
むしろ共感のせいで、トータルでは不利益が生じていると主張し、その根拠を説明していきます。

それなりに年次を経た公務員であれば、首肯できる内容では?
そして、上記のように考えれば、住民対応時のジレンマが和らぐのではないでしょうか?


公務員志望者の方にも一読をお勧めします。
国家であれ地方であれ、姿の見えない「多数者」の福利向上のため、目の前にいる個人を見捨てざるをえない場面が必ずあります。

本書は、極めて冷静に、このような判断を正当化します。
本書を読んでも納得できない、「困っている人がいるのであれば助けなければいけない」と思うのであれば、残念ながら公務員は向いていません。

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