キモオタク地方公務員(県庁職員)のブログ

地方公務員の人生満足度アップを目指しています。地方公務員志望者向けの記事は、カテゴリ「公務員になるまで」にまとめています。

カテゴリ: 公務員の仕事術

新型コロナウイルス感染症のせいで
  • 公務員は苦情対応から逃れられない
  • 役所という立場上、ハードな案件が集まってくる
ということを改めて理解しました。
 
言葉にするとたった2行なのですが、ここに込められた意味の奥深さは計り知れません。
僕も多分、まだ表層しか理解できていないと思います。

これまでは「人と人の接触を極力減らさなければいけない」というコンセンサスがあったため、役所に届く苦情の声もやや抑えられてきたのではないかと思っています。

ただし、これから本格化するワクチン接種では、どうしても人どうしが接触しなければいけません。
接種に来る方の中には、行政への怒りを煮えたぎらせている方も大勢いるでしょう。
こういう方々にとってワクチン接種は、行政に対して直接文句を言うまたとない機会です。

ワクチン接種に直接携わらない職員でも、これから苦情対応の機会が増えていくと予想します。
ワクチン接種が始まれば、去年の特別定額給付金のように、またマスコミによって自治体間比較が始まるでしょう。
もちろん「〇〇市は近隣より遅い」とか「□□町の接種会場は職員数が少なくて不親切だ」みたいな批判的ムードで。

マスコミにネタにされれば、それだけ世間の関心も高まり、苦情の量も増えます。
去年の春夏(全国的に緊急事態宣言が出ていた頃)も、毎日のように自治体の首長の発言が(半ば揚げ足取りのように)中央マスコミにネタにされていました。
そのせいか行政そのものに対しての反感が強まり、僕自身、連日苦情対応に追われました。

ワクチン接種が本格開始したら、このときと同じような状況が繰り返されるような気がしてなりません。

自分の担当業務で苦情を言われるのはまだしも、「そもそも公務員はさぁ……」とか「行政のあるべき姿は……」みたいな一般論で延々と叱責されると、結構堪えます。
あまりにもどうしようもありません。

来るべき日に備え、心の準備を考えてみました。

批判されているのは「自分」ではなく「組織」

苦情を申し立てる方は、わざわざ「公務員個人」と「組織」を区別したりはしません。
二人称でいえば「お前ら」「あんたたち」を使います。組織がおかしいとは言いません。

そのため、苦情主と対面していると、どんどん自分自身という個人がミスしたかのような感覚に陥ります。

しかし実際は、苦情を受けているのは役所という組織です。
今まさに苦情対応している公務員個人ではありません。

苦情申立人に流されて「自分が悪い」と少しでも思ってしまうと、ものすごく辛くなります。
これは本来、不必要な罪悪感です。

後述しますが、フロント対応職員の最重要任務は、「組織として意思決定するにあたり必要な情報を得る」といことです。
職員が罪悪感を感じるべきケースは、相手方の感情に流されて、意思決定に必要な情報を入手し損ねた場合です。

意思決定の結果、申立人の要望を断らざるを得ないケースもあります。
その時は「人でなし」だの「殺人鬼」だのと散々言われるでしょうが、職員個人に責任があるわけではありません。

苦情主の主張を断ることで、結果的に住民のためになるというケースも多々あります。
苦情主だけに特別に便益を与える、つまりゴネ得を認めるような事態になると、ほかの住民に不利益を被らせていることになりかねないのです。
あくまでも公務員は公僕です。目の前にいる苦情主の専属下僕ではありません。
 

苦情主からすると、職員個人の人格にダメージを与えて罪悪感を抱かせたほうが、苦情の通りがいいのでしょう。
僕の経験でも、玄人ほど、「組織も悪いがお前も悪い」と個人責任を問うてきたり、こちらの言動の機微を捉えて「今の発言は傲慢に過ぎる、侮辱だ」などと人格否定を繰り出してきます。

しかし流されてはいけません。苦情をぶつけられているのは、自分自身ではなく「組織」。
苦情に対面しているのも、自分の全人格ではなく、「地方公務員」という自分の一面にすぎません。
むしろ執拗に人格否定してくる場合は、相手の打算を疑うべきです。


「正確に聞き取る」という目的をしっかり持つ

苦情に対してどう応じるかを決断するのは、あくまでも責任者である管理職です。
苦情主と直接対面するフロント対応職員ではありません。

フロント対応職員に求められる役割は、相手方の主張と客観的事実を正確に聞き取ることです。
相手の感情をケアすることも勿論重要ですが、それよりも「組織が正確に意思決定するために必要な情報を収集すること」のほうがずっと重要です。

ただ延々と苦情を聞かされるよりも、「正確な情報収拾」という目的意識をもって聞いたほうが、相手の感情に過度に流されず、自分のペースを保てるでしょう。

苦情対応業務そのものの主観的価値を高める

苦情対応業務に価値を見出す方策も模索しています。
「クレームはニーズの宝庫」「改善へのヒント」みたいなキラキラした観点ではなく、あくまでも自分の精神を保護するための利己的な方法です。

今のところ、心理学(特に社会心理学)で提唱されている様々な概念を身を以て理解する機会だという路線を考えています。
知的好奇心が満たされるという無形の報酬があることで、苦情対応業務の負担感が幾分か和らぐことを期待します。

苦情対応は、人間のネガティブな感情・思考をぶつけられる仕事です。
しかも役所の場合は、老若男女問わず、社会的地位の高低や収入の多寡に関係なく、幅広い層がやってきます。
天然の観察フィールドとでも言うべき貴重な環境に身を置いているのです。

呼吸・姿勢を整える

あとはやはり呼吸と姿勢です。
特に呼吸をコントロールできれば、精神状態もコントロールできます。

「鬼滅の刃」のおかげで呼吸に関心を持つ人が増えていますが、一過性のブームで終わらせるのは勿体ないです。
初任者研修でしっかり教えてもいいとすら思っています。

 

古のインターネットでは、PDFファイルはブラクラ扱いを受けていました。
しかし今では超便利ツールとして活躍しています。時代の変化を感じますね。
特に役所のホームページでは「とりあえずPDF化しておけば大丈夫」という感覚で、色々な情報がPDF化されて掲載されています。

PDFに限らず、どんなファイルにも「メタデータ」というものがあります。
ざっくりいうと「プロパティの中にあるデータ」であり、作成日・更新日や作成者などの情報のことを指します。

メタデータの中でも特に有名なのが、画像データのexif情報です。
弊ブログでも過去に取り上げたことがありますが、最近はきちんと公表前に削除するのが常識として定着しつつあるようで安心しています。 




PDFファイルを公表するということは、必然的にPDFファイルに含まれるメタデータも公表されてしまいます。
この「PDFファイルのメタデータ」が意外と厄介で、下手をすると炎上案件を引き起こしかねません。

右クリックするだけでは閲覧できない

PDFファイルのメタデータはプロパティの中に潜んでいます。
ファイルを右クリックして見られるプロパティではなく、Adobe Acrobat Reader DC(閲覧機能だけの無償版)のようなPDF閲覧ソフトの中で見られる、より詳しいほうのプロパティです。

ここには、PDF化する前の元データ(ワードやパワーポイントのファイル)のプロパティが一部残存しています。


otoshi01

otoshi02

実例を見てみます。左が元データ(ワードファイル)のプロパティ、右がPDFのプロパティです。
「タイトル」と「作成者」がそのまま残っています。
これらの情報が残っていて、役所外部に知れ渡ってしまうと、非常に面倒です。

タイトルのせいで不要なトラブルを招く

まずはタイトルから見ていきます。
メタデータにおける「タイトル」は、ファイル名とは別物です。
PDFファイルの名称をいくら変更しても、「タイトル」は変わりません。
PDF化する前の元ファイルの名称がそのまま残るようです。

伝えたい情報はファイルの中身とファイル名に記載しておけばいいのであり、メタデータに記載する必要はありません。
メタデータの「タイトル」は、「file01」のような無機質な名称か、ブランクで十分です。 

メタデータの「タイトル」欄は、そこに使われている単語のニュアンスをめぐり、トラブルの引き金になりかねません。

画像で示した例でいうと、タイトルに含まれる「講演」「資料」という2語は、人によって定義が異なる可能性が高い単語です。
各人がバラバラな定義を持っているせいで、以下のような抗議が想定されます。

  • 「講演」は目上の人間が目下の人間に対して行うものだ、公僕である役所職員が「講演」するなんて思い上がりも甚だしい、謝罪しろ
  • 「資料」と称するからには講演内容の出典や根拠資料を網羅的に示すべきだ、学会ではこれが常識だ
  • 「講演資料」と題するなら講演そのものを追体験できるデータ、つまり音声と動画を掲載すべきだ、テキストだけで済ませるのは怠慢だ
いずれの抗議にしても、メタデータがブランクであれば起こりえないものです。
まさにメタデータが余計な一言になって、住民感情を逆撫でしてしまうのです。


さらに、資料の中身とは直接関係のない情報がタイトルに書かれていると、あらぬ疑念をかきたててしまいます。

画像で示した例でいうと、「案B」「修正4」の部分が問題です。
これらの情報は講演内容そのものとは関係ない「講演に至るまでの検討過程」であり、本来は役所外部に披露する必要のない情報、これも余計な一言です。

「案B」「修正4」という文言を見ても、大抵の人は関心を示さないでしょう。
しかし、役所と戦いたい人にとっては、この情報が攻めの糸口になります。

  • 案Aはどんなものだったのか?なぜ案Bにしたのか?もしや案CやDもあるのか?
  • どうして修正が生じたのか?そもそも4回も修正する必要があったのか?修正に要したコストは?コストに見合う成果はあるのか?

こういう攻撃を誘発してしまうのです。

個人情報漏洩になりかねない「作成者」情報

「作成者」情報のほうがより深刻です。
個人情報の漏洩というマジモノの不祥事に直結するからです。

公文書公開のルール(情報公開法・自治体の情報公開条例)では、公文書に含まれる個人の氏名は非公開情報であり、黒塗りしなければいけません。
誤って公開してしまうと、個人情報の漏洩になります。
※ただし個人の氏名であっても「公務員の氏名」は例外で、黒塗りは不要です。

データの場合も同様に、個人の氏名は公開してはいけません。

データの場合はさらに注意が必要です。
ファイルの中身(本文)だけではなく、プロパティ内にも情報(メタデータ)が潜んでいるからです。

メタデータの中に個人情報がある場合も、消去するなり記号に置き換えるなりして個人情報を守らなければいけません。
ここが結構見落としがちなポイントで、誤って公開してしまい不祥事として大々的に報道された事案もあります。

画像の例でいうと、「作成者=久川凪」という情報は、まさにメタデータの中の個人情報です。
原則、公開してはいけません。
(ただし、久川凪さんが公務員であれば全く問題ありません。)

役所が自前で作った資料であれば、「作成者」欄は作成した職員=公務員の名前になるので、問題は生じないでしょう。
しかし、外注して作成した資料だと、外注先の社員さんの氏名がそのまま残っているケースがよくあります。チラシとかパース図とか図面とか……
バレたら即、不祥事です。

元データのプロパティを消す

不祥事ハンター達はメタデータをよく見ています。
そもそもこの記事自体、ネット上でアンチ役所活動を展開している方の発言から着想を得ました。
その方いわく、「いつどこが不祥事を起こすかわからないんだから、日々あらゆる行政機関のサイトを巡回してメタデータに個人情報が残っているファイルを収集している」とのこと。

どういうふうに悪用されるかわからないし、役所としては(今のところ)公開する義務もないので、可能な限り消しておくのが無難です。

しかし困ったことに、PDFのプロパティ内のデータは、一旦PDF化してしまうと削除できないようです。
Adobe Acrobat(PDFの加工ができる有償版)があれば消せるようですが、無償版のAdobe Acrobat Reader DCでは対応していません。
Adobe Acrobatは高価なため、役所で保有しているところはごく少数でしょう。

そのため、PDFファイルを作成する前に、元ファイルのメタデータを消すしかありません。

otoshi03

赤丸で囲んだところをクリックしてプロパティを消してからPDF化すれば、PDFのプロパティも綺麗になります。
できれば作成日とか更新日も消したいところなのですが、こちらは消せないようです。


農林水産省の調査によると、20代・30代のうち「朝食をほとんど毎日食べる」のは過半数程度とのこと。

 

朝食を摂らない理由はいろいろあると思います。
遠距離通勤のために出発時刻がべらぼうに早かったり、家族のために自分の食事時間を犠牲にしていたり、睡眠不足を補うべく限界まで朝寝していたり……
単に自堕落だから朝食を摂らないわけではなく、「摂りたくても摂れない」人も相当数いるでしょう。

朝食を取るのが難しい昨今であっても、地方公務員は必ず朝食を摂るほうがいいと思います。
いったん役所に着いてしまうと、次いつ食事を摂れるかわからないからです。

出勤後の食事時間は確保できない

役所には昼休みの時間が設けられていて、職員はその時間内に揃って昼食を摂ります。
しかし実際のところ、昼休み時間は頻繁に潰れ、昼食を食べそびれます。

以前にも記事にしましたが、役所という立場上、役所が開いている間は、どんなときも外部(住民、マスコミ、議員など)からのアクションには応じなければいけません。
たとえ昼休み時間であっても、これはあくまでも「個々の公務員の昼休み」であり、役所という組織が「昼休み」として一時的閉庁するわけではありません。
地方公務員の昼食時間は、電話一本で儚く霧消してしまうのです。
 



外部からのアクションだけでなく、庁内他部署から仕事を振られて潰れる場合も多々あります。
財政や企画部署からの急な資料作成なんかが典型です。
もちろん仕事を振る側の昼休みも潰れているわけで、こういった部署の職員は昼食を食べそびれるのに慣れているようです。

残業には回せない

何より多いのが、作業が立て込んで休んでいる暇がないケースです。
重大案件を抱えていると、役所内からも役所外からも、ひっきりなしに仕事が飛んできます。
特に役所内からの作業依頼には、締切までの猶予がほぼなく、残業時間に回すと間に合わないものも多くあります。
そのため昼休みを潰してでも日中に作業するしかないのです。

さらには夕食もいつ摂れるかもわかりません。
役所には「待機」という文化があります。
たとえ自分の作業が終わっていたとしても、案件そのものが一段楽するまで解放されないのです。

閑職ルートを歩み続けている僕ですら、年間5回は昼食を摂り損ねています。
普通の職員であれば、もっと頻繁に食べそびれていると思われます。

間食はもっと難しい

きちんとした食事が摂れないのであれば間食で補うのがセオリーですが、役所では通用しません。
職員の間食を監視する動きが絶えないからです。



以前「県庁はわりと間食できる」という趣旨の記事を書きましたが、新型コロナウイルス感染症の流行以降、監視の目が厳しくなってしまいました。もう無理です。 

出先機関であろうと本庁であろうと、状況は変わりません。
本庁の窓口業務が無い部署であっても、わざわざ監視しにくる人が一定数います。
会議室や倉庫のような職員しか入れないスペースを持っている部署ならまだしも、大半の部署だと間食は難しいです。

 

現役官僚の知人たちは、口を揃えて「睡眠よりカロリー」と語ります。
現在進行形で文字通りの死線に退治しているわけであり、説得力があります。

しかし本記事で紹介してきたとおり、地方役所はカロリーを摂取しづらい環境です。
住民からの監視が弱い分、中央省庁のほうがカロリー摂取しやすいかもしれません。

朝食は、地方公務員が確実にエネルギーを補給できる貴重な機会です。
特に忙しい職員ほど、昼食・夕食が不確実になるために、朝食の重要性が増します。
出世を志す人ほど朝食を大事にしたほうがいいとも言えるでしょう。

押印ルール見直しの機運が高まっています。
僕自身これまで非合理的な押印ルールのせいで散々苦しめられてきたので、この機にやり過ぎなくらいに簡素化すればいいと思っています。

現在生き残っているルールは、これのおかげで誰かが得をしているからこそ存続しているのだと思っています。
このため、ルールを変えようとすると、その誰かがきっと反発してきます。

現行のめんどくさい押印ルールも同様です。
世間の大多数が手を煩わせることで、誰かがきっと利益を享受しているはずです。
これから押印廃止が現実味を帯びてきたら、既得権益を死守すべく、その誰かが反旗を翻してくるでしょう。

これから押印廃止反対派との論争のネタになりそうだと思っているポイントをまとめておきます。

「押印廃止」と「行政のデジタル化」は密接に関係しているけど根本的には別問題

同じようなタイミングに話題になったためなのか、「押印廃止」と「行政のデジタル化」を混同している方がけっこういるように思います。

押印を廃止すれば、確かに紙の使用量は確実に減少するでしょう。
ただし、紙の使用量が減れば行政のデジタル化が進むかといえば、そう簡単な話ではありません。

行政のデジタル化を進めためには、押印ルール以外にも、色々な規則や慣習を見直さなければいけません。
押印廃止よりもずっと難しく、気の長い道のりになるでしょう。


一方、押印廃止の効果は、紙資源の節約(=ペーパーレス)だけにとどまりません
紙資源以外にもインクなどの節約になりますし、資材だけでなく時間や労力もカットできます。

そもそも、押印ルールの不合理・非効率は、役所に限った話ではありません。
押印問題は、少し前までは「押印作業のせいで出社せざるを得ない」というテレワーク阻害の文脈で語られていました。

たとえ押印廃止が行政のデジタル化に繋がらなかったとしても、他にもたくさんメリットがあります。
むしろ行政のデジタル化は、たくさんあるメリットのひとつに過ぎません。
とりわけ紐付けて議論する必要は無いと思います。


「行政のデジタル化」という困難な課題の一手段として「押印廃止」が位置付けられてしまう、いわば「行政のデジタル化」と「押印廃止」の間に主従関係を設けられてしまうと、押印廃止反対派にとって都合が良くなります。
「行政のデジタル化という目標のためであれば、押印廃止はあまり効果がない。コスト的に無駄だ。もっと他のところを見直すべきだ」という反論が有効になってしまうのです。

前述のとおり、押印廃止の効果は、行政のデジタル化を差っ引いてもたくさんあります。
行政のデジタル化と無理に結びつけず、ガンガン進めていいと思います。


押印をひとくくりにせず内実ごとに分けて考えたほうがいい

役所絡みの押印手続きは、ざっくり分けて以下3通りがあると思います。

①凛議文書に押印する(押印決裁)
②公文書に公印を押印する
③役所外(住民や民間事業者)から提出してもらう文書(申請書や請求書など)に押印させる

これらはそれぞれ、押印する人も違いますし、文書の宛先も異なります。
押印している背景・理由も別物です。
このため、押印廃止にあたっての検討事項も、廃止するためのアプローチも異なります。

①は、既に電子決裁システムを導入している自治体であれば、一瞬で解消します。
それを使えばいいだけです。
未導入の自治体だと時間がかかりますし、補正予算を組んで議決を経るというプロセスも発生するため、時間がかかるでしょう。

あとは公文書管理の問題も関係してきます。
「説明責任」を重視する方々にとって、決裁過程は文書で残しておかなければいけないものです。
「電子決裁を隠れ蓑にして意思決定プロセスを隠すつもりだ、許せない」と息巻いている方も既にいらっしゃいます。
こういう外圧といかに調和するか、整理が必要です。

さらにはパソコン周りの設備も更新が必要でしょう。というかやるならぜひ更新してほしい。
たとえば僕のパソコンだと、ワードファイルひとつ開くのに数十秒かかりますし、PDFファイルを開こうとすると2割ほどの確率でフリーズします。
こんな環境で電子決裁しようとすれば、データを開くための待機だけで膨大な時間を消費します。


②は、内規を見直す作業がメインになるでしょう。
あとは法律の専門家にヒアリングして、押韻を廃止しても支障無いかを確認する必要があります。
①③と比べて一番簡単だと思います。


③が多分一番難しいです。
役所の内規を見直すだけでなく、民間の商慣習・法律や会計の専門家の見解・会計検査院の動き(押印なし請求書でも適正と認められるか?)など、考慮すべき事項がたくさんあります。
自治体レベルではなかなか改革できず、まずは国の会計手続き変更を真似ることになるでしょう。


①〜③を十把一絡げにして、全ての押印手続きに対して同一のアプローチだけを講じれば、そもそもの背景・理由の違いのために、トラブルが生じるでしょう。
押印廃止反対派は、押印廃止によって発生したトラブルを目ざとく見つけて、あげつらってくると予想されます。

押印の性質をきちんと見て分類し、それぞれに個別のアプローチをとって、極力トラブルを未然に防ぎたいところです。

体験談

本記事をご覧の方には、特に学生の方だと、「どうして世間が押印を目の敵にしているのか」いまいちわからないかもしれません。
というわけで、僕の個人的経験を最後に書き記しておきます。


とある外資系企業の日本支社(以下X社)に業務を発注したときの出来事です。
僕が仕事を発注した日本法人は「Xグループの東アジア支社」という扱いでした。
日本事業の責任者は、「Xグループ東アジア支社長」です。

このような組織形態のため、X社から図領した書類には、文書の発出者として「Xグループ東アジア支社長」の氏名が記載されて、東アジア支社長の印鑑が押されていました。

僕の勤める県庁には、「民間企業から図領する支払い関係書類は全て『代表取締役社長』の押印が必要」という会計ルールがあります。
外資系企業であっても同様です。
「支社長」の押印では支払いできず、「代表取締役社長」の押印が必要です。

ダメもとで会計課に提出してみましたが、「代表取締役社長の押印を貰うこと」というメモ書きとともに即座に突き返されてしまいました。

当然のことながら、東アジア支社の独断では、代表取締役社長の印鑑(=海外にある本社の印鑑)なんて使えるわけがありません。
そのため、東アジア支社から本社に対して、押印してもいいかの稟議を回してもらいました。
X社の担当者からは「数百万円オーダーの契約で本社まで稟議を回すのは初めてです、普通は百億超えたら回すんですけど……」と苦笑されました。
僕も苦笑するしかありません。

苦笑だけで済めばよかったものの、事態はどんどんヒートアップしていきます。
稟議を回したところ、Xグループ本社法務担当から「たかが数百万円規模のくせに代表取締役社長の押印を求めるなんて、一体どんな案件なんだ?ひょっとしたらこれを皮切りに超大型プロジェクトが始まるのかい?東アジア支社には期待していいんだね?」という強烈なプレッシャーを掛けられてしまったらしく、東アジア支社は事態の沈静化に奔走する羽目になりました。

弊庁に対しても、「あくまでも事務手続き上、代表取締役社長の押印が必要なだけです、深い意味はありません」という一筆が欲しいと、わざわざ支社長から連絡がありました。

結局、2ヶ月くらいかかってなんとか代表取締役社長印を押してもらえたのですが、X社からは後々苦言を呈されました。
代表取締役社長印を押すための人件費だけで、今回の業務の利益がほとんど吹き飛んだとのこと。
「もう二度と自治体とは仕事したくない」とまで言われてしまいました。
 

僕のケースは極端かもしれませんが、役所の押印ルールのせいで誰かに迷惑をかけた経験は、公務員であれば誰でも持っていると思います。
だからこそ押印廃止の流れにときめいているのです。



どんな部署にいようとも、住民やマスコミからの「公表資料の意味がわからない、わかりやすく説明してくれ」という質問は常につきまといます。

こういう質問を受けたとときは、まずは公表資料に書いてあることを朗読するところから始めて、質問者の出方を伺うのがセオリーです。

役所的には、公表資料以外の情報は一切明かしたくないのが本心です。
資料中の言葉も図表もレイアウトも、諸々の利害関係や政治的事情を織り込んで推敲を重ねた末の成果物であり、この資料が火種になってトラブルが生じないよう予防線を張り巡らせています。
 
役所の事情を知っている人は、公表資料の裏に隠された真相を読み解こうを試みます。
「わかりやすく説明してくれ」と要求して、職員にラフな言葉遣いでしゃべらせることで失言を引き出そうとする、悪意を持った手合いなんかは日常茶飯事です。


というわけでまずは朗読するのですが、すると面白いことに、書いてある文面を読み上げただけですんなり理解してくれる方がかなりいます。

どうやらまったく同じ内容であっても、視覚では理解できないけど、聴覚経由なら理解できるのです。

認知特性を紐解いてみる

「視覚優位」や「聴覚優位」という言葉を見聞きしたことのある方は、きっと多いと思います。
宮城県ホームページにあった資料から引用します。

miyagi
情報の認知(整理・記憶・理解)にはざっくり以下の3通りがあり、人によって得意不得意があります。
  • 「視覚優位」…情報を「見て記憶する」のが得意
  • 「言語優位」…情報を「読んで記憶する」のが得意
  • 「聴覚優位」…情報を「聞いて記憶する」のが得意




資料を読んでも理解できないが、読み上げられれば(音声で説明されれば)理解できるという方は、きっと聴覚優位にあたるのでしょう。

ちなみに僕は言語優位にかなり偏っていて聴覚の認知機能はひどく脆弱です。
例えば、相手から「〇〇県庁××課の△△です。~~さんいますか?」という電話を受けたとします。
よほど調子が良いときを除き、記憶できるのは「〇〇県庁」「~~さんいますか?」の2要素だけです。ほかの部分はすぐ抜け落ちます。

あとは歌詞やセリフを聞き取るのも苦手です。
真剣にアニメ考察するときは、まずセリフの文字起こしから始めます。そうしないと頭に留めておけないのです。


言語機能の牙城

3つの認知機能のうち、役所は完全に言語機能に支配されています。
公務員の仕事では「言語機能」ばかり使い、言語機能の優劣が仕事の出来不出来、組織内での評価に直結します。
そもそも公務員試験という選抜プロセスも、言語優位者に有利なものです。
 つまり、公務員には言語優位な人間が多く、入庁後もさらに言語優位方向へと磨かれていくと考えて良いでしょう。

しかし、役所の外の世界は異なります。
言語優位者だけではなく、視覚優位・聴覚優位の方も大勢います。

最近は誰でも手軽に動画メディアを扱えるようになってきて、視覚優位・聴覚優位の方へも的確に情報を伝えられるよう日々進歩しているところです。
いまだに言語機能に頼り切りなのは、役所くらいなのかもしれません。

何よりまずは、役所は言語機能という認知の一機能に特化している異質な集団であるという自己認識を持つ必要があると思います。
「これくらい読めばわかるでしょw」みたいな高慢な態度は厳に慎むべきです。


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