キモオタク地方公務員(県庁職員)のブログ

地方公務員の人生満足度アップを目指しています。地方公務員志望者向けの記事は、カテゴリ「公務員になるまで」にまとめています。

カテゴリ: 公務員の仕事術

どれだけ成果を上げようとも、どれだけしくじろうとも、待遇にはさほど反映されないのが地方公務員という仕事です。
より正確に言うと、業務実績に応じて人事評価が上がったり下がったりはするものの、人事評価と待遇があまり連動していません。せいぜいボーナス(勤勉手当)の支給額が数万円増減する程度です。
自分みたいな無能閑職にとっては非常にありがたい仕組みなのですが、優秀な職員の皆様はさぞかし憤っていることでしょう……
 
ただし、役所の中には、人事評価とは別に「評判」という評価軸も存在します。
大いに実害をもたらすのは「評判」の方です。
「評判」が低下すると、庁内の協力者が減ってしまって業務の手間が増えますし、職場でのストレスも激増します。


「人事評価」と「評判」を別物として考えたほうがすっきりする

我々は普段から、他の職員に対して評価を下しています。
  • 部下のみならず上司のフォローにも奔走している苦労人だ
  • 事務作業は得意だけどコミュニケーションが下手
  • 若いのにパワハラの気がある
  • いい歳して気配りが全然できていない……などなど。
こういう他者評価の集合体が「評判」です。
人事課が決めた基準に沿って行われる統制的な評価(=人事評価)とは全く別物の、自生的・民主的・多面的な職員評価といえるでしょう。

ここでいう「評判」は、あくまでも仕事面を評価しているもので、人間的な「好き/嫌い」とは関係ありません。
「業務能力の評価だって主観的な好き嫌いに影響されるだろ……」と思うかもしれませんが、実際我々は普段から
  • 仕事はできるけど嫌いな人
  • 仕事はできないけど人間的に好きで憎めない人
という評価を、他者に対して下しているはずです。
こういうカテゴリーが存在する以上、主観的な好みと業務能力をある程度分離して思考できていると考えて問題ないと思います。

評判は絶対評価ですが、人事評価は相対評価です。
そのため、評判と人事評価は相関していると思われますが、実態はよくわかりません。
(後述しますが、評判が良いほど、高い人事評価を獲得しやすいはずです)

評判が良いけど人事評価は高くない……という職員は少なくないでしょうし、反対に評判が悪いのに人事評価が高い職員も存在します。
「パワハラで後輩を潰しまくっているのに出世コースに突入する職員」なんかは、まさに「評判は悪いが人事評価は高い」というケースなのでしょう。

評判次第で役所生活が激変する

役所生活に影響してくるのは、人事評価よりも評判のほうです。

評判が良い職員には、役所組織が味方をしてくれます。
組織内の人望が厚く協力者がたくさんいますし、初対面の相手からも好意的に接してもらえます。

別部署の全然知らない人からいきなり電話がかかってきて、「資料ください」と依頼された場面を想像してみてください。
相手方の評判次第で、多少なりとも対応が変わるのではないでしょうか?

役所の仕事のほとんどは、一人では完結しません。他の職員とのコミュニケーションを伴います。
評判の良い職員は、組織内のコミュニケーションが円滑に進められますし、一度のコミュニケーションから得られるものも多いです。
ゆえに仕事を進めやすく、成果も出しやすいと言えるでしょう。
ひいては人事評価も高めやすいはずです。

何より、役所組織内に味方がたくさんいる、つまり職場の人間関係が良好であれば、仕事のストレスがかなり軽減されるはずです。
総務省資料によると、メンタルヘルス不調による休職に至った理由のうち最多なのが「職場の対人関係」です。
人間関係によるストレスの影響がいかに大きいかを物語っています。



何より評判は、部署異動してもリセットされません。
一度築きあげてしまえば、どこの部署に異動しようとも有用な資産になります。

逆に言えば、一度落ちた評判もずっと引き継がれていきます。
人事異動によって人間関係自体はリセットされようとも、評判が悪い職員は色眼鏡をかけた状態で見られてしまい、マイナスからのスタートになります。

果たして僕の評判はどこまで落ちるのか?

評判を高めるにはどうすればいいのか、いろいろ考えてみましたがよくわかりません。
生来のコミュニケーション能力によってほぼ決まるような気もしつつ、「口下手だけど評判の良い職員」も少なくないことを思うと、その他の要素も少なからずありそうです。

「人事評価は高くないが評判は悪くない」というポジションを確立できれば、役所生活はかなり楽になると思います。
評判のおかげで仕事しやすく、人事評価が高くないおかげでハードな部署には配属されません。
仕事がさほど忙しないおかげで精神的なゆとりを保てて、いつも朗らかでいられるので、「あの人はいつも接しやすいね」とさらに評判を高めていけます。

民間企業であれば、こういう社員は年齢問わずリストラの対象なのでしょう。
しかし役所はこういう職員を切れません。少なくとも勧奨退職年齢までは安泰です。
地方公務員の特権を活かせる生き方だと思います。

僕もこの路線を目指していたのですが、あまりに庶務の仕事が不出来すぎて、日々「評判」が落ちていくのを実感しています……
本当、僕に対する表情とか口調がどんどん冷たくなってきてるんですよ。
このままいけば、忘年会スルーしても全くお咎めねさそうです。

僕の勤務先県庁には「主任」という職位があります。
ヒラの主事と係長の中間に位置する職位です。
試験は無く、だいたい30歳前後でみんな横並びで昇進します。

一般的に「主任」といえば、ヒラ係員たちをまとめる役割だったり、係員業務の中でも比較的ヘビーな仕事を任せられたりするポジションにあたると思われますが、僕の勤務先県庁ではヒラとほぼ同じ扱いです。
「主任しか就かない席」はほとんどありませんし、主任と主事が入れ替わる(主任の後任が主事だったり、主事の後任が主任だったり)ことも日常茶飯事です。

入庁以来いわば「名ばかり」の主任たちを眺めてきて、「主任って何のためにいるんだろう?」と常々思ってきました。
そして今、僕自身が主任になり数年が経ち、ようやく主任の役割が見えてきました。

主任の役割、それは「疑う」ことだと思います。
ヒラの主事と比べて役所生活が長くて仕事に慣れている分、心にゆとりが生まれているはずです。
そのゆとりを活かして、目の前の現実に疑問を呈するのです。

「後輩」を疑う

まず真っ先に疑うべき相手は、職場の後輩です。
後輩の仕事ぶりを常に疑いの目で眺めて、腑に落ちない点があればどんどん指摘していけばいいと思います。

ただし、あくまでも「口を出す」だけです。
後輩を疑うところまでは主任にも許されていますが、後輩が間違っていると結論づけたり、後輩の言動を抑止する権限は、主任にはありません。ここまでくると上司の権能です。

後輩に対して疑義を提示して、少し足踏みさせて考えを深めさせる。
こうすることで、後輩の仕事が少なからずブラッシュアップされて組織に迷惑かけずに済むでしょうし、(迷惑に思うかもしれませんが)後後輩自身の成長にもつながるでしょう。

「上司」を疑う

上司の役割はいろいろありますが、主要な役割として「判断を下す」ことが挙げられます。
判断を下す瞬間、上司は完全なる「正しい存在」でなければいけません。

入庁当時と比べると、主任になる頃には上司との心理的距離が随分近づいて、上司の気持ちがわかるようになってきているはずです。
「正しい判断を下さねば」というプレッシャーの重さにも、少なからず勘付いていることと思います。

上司が下した判断を部下がすんなり受け入れる場合、判断が正しいか否かの責任は、全面的に上司にあります。
一方、上司の判断に対して部下がやんわりと疑問を挟み、わずかでも議論をした瞬間、部下に対しても責任が共有されます。
正しいか否かの判断過程に、部下も関わることになるからです。

このようにして部下と責任を共有できることで、気分が楽になる上司も少なくないでしょう。
上司の心理的プレッシャーを緩和するのも、ヒラ主事と比べて上司との距離が近い主任の役割だと思います。

もちろん、部下からの異論を忌避するタイプや、自分一人で判断を下すことに快感を覚えるタイプの上司もいるので、相手を見ながら必要に応じてやればいいでしょう。

「組織」を疑う

次に疑うべき相手は組織です。
常々「おかしい」「間違ってる」と感じている事柄のみならず、これまで盲目的に信用してきたことも含めて、幅広に疑ってかかればいいと思います。

重要なのは、愚痴や批判に終始するのではなく、きちんと疑問を抱くことです。
何かが「嫌だ」とか「ダメだ」とか喚くだけではなく、「なぜそうなっているのか」を徹底的に問い詰めていくのです。

主任にもなると、役所在籍年数が長くなり、過去の因縁や陰の権力者といった裏要素が見えてくるものです。
主任には、既存のルールに違和感を覚えるだけのフレッシュさと、既存のルールの一層深掘りするための基礎知識が備わっています。
これらを両立できるのは主任のうちだけでしょう。
 
奇しくも今はDXの時代です。ルールを変えることのハードルが下がっています。
「組織を疑う」ことの価値も高まっているはずです。

「住民」を疑う

正直なところ、主事と主任の間には大して能力差は無いと思います。
職位の差よりも個人差のほうが顕著でしょう。
例えば、出世コース候補の3年目主事と、主任3年目の僕を比べれば、前者のほうが圧倒的に優秀です。

ヒラ主事と主任との間で差が開くスキル、つまり役所生活が長ければ長いほど身につくスキルといえば、住民対応くらいでしょう。
より正確に言えば、攻撃的な言動を浴びせられても一定の冷静さを保てる(むしろ罵倒されればされるほど冷静に思考を回せる)技能です。

単に苦境を申し立ててくるのみならず、執拗に役所組織や職員個人を攻撃してくる住民の方々には、何らかの目的があるものです。
一方的に怒鳴ったり机を叩いたり椅子を蹴ったりしてくる住民に対して、ヒラ主事であれば、その場を収束させるだけで精一杯かもしれません。
しかし主任であるからには、住民の主張を鵜呑みにせず(もちろん話は聞きつつ)、その背後にあるカネや権力構造を探るくらいの付加価値をつけたいところです。



現状に対する不平不満を垂れ流すだけなら、ヒラ主事はもちろんのこと、非常勤職員の方々や外注先・出入りの業者さんにだって可能です。
不平不満を単に発散させるのではなく抱えたままにして、「なぜ」という方向に思考を深めてこそ、主任なのだと思います。

この4月から庶務担当になり、毎日のように課内からすごい数の見積書や請求書が集まってきています。

中でも最近印象に残ったのが「記念誌」です。
式典や公共事業が完了した際などに作る、分厚くてツルツルの上質紙にカラーで写真をたくさん印刷して、布張り表紙と外箱までつけて仕上げる、やたら豪華で分厚い冊子です。
実際に発行に関わることは少ないかもしれませんが、大昔の記念誌が埃をかぶって倉庫に眠っている姿であれば、誰もが一度は目にしたことがあるでしょう。

僕は昔から「こんなの作って何の意味があるんだろう」と疑問に思っていました。
誰が読むのかわからない(少なくとも現役職員は使わない)のに、やたらと手間暇(写真撮影や校閲)とお金を投じていますし、しかも今やペーパーレスの時代です。
せめてPDFで作成して、ホームページにでもアップしておけば十分だと思っていました。

こんなふうに記念誌の存在に以前から疑問を持っていたこともあり、今回請求書が回ってきたとき、ついつい上司に「記念誌って無駄じゃないですか?」と軽口を叩いてしまいました。
すると上司はニヤリと笑い、「記念誌はねぇ……作ることに意味があるんだよ」と一言。 

上司いわく、
  • どんな事業にも反対はつきものだが、反対派は短期的利益目的か、一時的なマイナス感情(怒り、憎しみ等)で動いているから、事業終了後も反対を続けることは少ない。ゆえにどんなに盛り上がった反対運動でも事業が終われば沈静化して、数年後には忘れられている。
  • 反対派は「反対すること」のライブ感を楽しんでおり、反対運動の全体像には関心が薄い。そのため反対運動の終了後に「総括」したりはしない(楽しくないから)。ゆえに反対運動の痕跡は、ホームページと新聞記事くらいしか残らない。前者は情報としての信用度が低く、後者は探すのが手間。そのため、後世の人間は反対運動の詳細に触れづらい。
  • 一方、事業推進側の情報は、記念誌として綺麗にまとめ上げられ、図書館などで誰でも閲覧できる。結果的に、後世の人間にからすれば、その公共事業に関する肯定的な情報のほうが圧倒的に多く見える。情報量の差のため、事業推進派が多数、反対派が少数という「見え方」になる。
とのこと。
この説には賛否あるでしょうが、僕はすんなり腑に落ちました。

僕自身これまでたくさんの反対運動を見てきましたが、確かに「反対運動の総括」までなされることは滅多になく、反対運動の痕跡も時が経つにつれてどんどん消えていきます。

特にインターネット上の情報って、メンテナンスしないと意外と簡単に消えるんですよね。
無料サイト作成サービスが終了したり、サーバーを放置して契約期間が切れたりしてネット上から消滅してしまうに加え、ネット上には残っているものの情報が古くなりすぎて検索してもヒットしなくなる、いわば実質的に消えているケースもあります。

コロナの場合は「反対派の見解」しか残らない?

この話を聞いて、ふと思いました。
新型コロナウイルス感染症対応に関しては、通常の事業とは真逆に、「反対派の情報」しか残らないのではないでしょうか?

コロナが5類に移行されて、(感染状況はどうであれ)政策的にはひと段落ついています。
そろそろ行政のコロナ対応施策について「総括」が始まる頃でしょう。 

この「総括」は、基本的には「行政はコロナ対応に失敗した、コロナは人災だ」という路線、つまり役所叩きになると思っています。

現在の民主主義社会では、施策の定量的成果とは関係なく、「国民を不安・不快にさせた」という時点でいかなる施策も失敗扱いされます。
コロナ対応に関しては、現時点で既に国民感情が役所ヘイト方向に固まっており、今更覆すのは不可能でしょう。

さらに政治家や経営者としては、「行政に非がある」という風潮が固まれば「補償」やら「救済」やらという名目で行政側に更なる支出を要求できて都合が良いでしょう。

「役所はコロナ対応に失敗した」という前提で、これからいろいろな書籍やレポートが発表されていくでしょう。
一方、この潮流に逆らって、役所側がわざわざ「コロナ対応における成果」みたいな文書を作るとは思えません。
このような文書は国民感情の否定にほかならず民主主義の原則に反しますし、何より確実に炎上するからです。

つまり、新型コロナ関係の総括記録として作成されるのは、「役所は失敗した」という内容ばかりになるでしょう。
将来的には、「新型コロナという病気が流行しましたが、行政の無策により国民は大変な混乱と不便を強いられました、これは人災に他なりません」という見解しかアクセスできなくなるのです。

まさに「勝てば官軍」の世界。
負けた側の姿は、勝者の視点から見た姿、つまり「愚かで弱い」姿しか見ることができなくなるのです。


「苦労談」を残しませんか?

「コロナは人災、犯人は公務員連中」という現状の通説が正しいのかどうか、僕にはわかりません。
感情に流されず、冷静かつ公平な分析によって決めるべき事案でしょう。

しかし、「反論」することは必要だと思っています。
後世の研究者が分析する際の材料として、行政側の意見を残すべきだと思うのです。

行政全体としては失敗したのかもしれませんが、個々の地方公務員が心身を犠牲にして働いたのは間違いありません。
保健師の方々の激務ぶりは何度か報道されていましたが、他の職員も長時間労働やハードクレーム対応を強いられましたし、私生活でも「公務員だから」という理由で迫害を受けてきました。

僕が知る限りでも、以下のような事案が発生しています。
  • 実働部隊だったアラサー職員が多数潰れたり、慢性疾患を発症
  • 職員駐車場でタイヤがパンクさせられる事件が頻発
  • 電話での応答を録音されて、実名入りでYoutubeにアップされる
  • ホテル療養担当を務めたことで近隣住民からひどく迫害を受け、せっかくのマイホームを手放して市外に引っ越し
僕自身もいろいろ食らいましたが、一番印象に残っているのは「お前の息子を刺し殺す」という脅迫です。
本当に息子がいる職員が受けていれば一発アウトな発言なのですが……僕は独身ゆえに実害が無く、通報もしませんでした。(下ネタ的な隠語として捉えるならとんでもなく恐ろしいですが……)

あとは近隣住民からもたくさん嫌味を頂戴しました。


今回のコロナ対応のように、全国の地方公務員が同時多発的に苦しめられた事案は、史上初めてだと思います。
しかしこのままだと、こういう現実が記録に残りません。
地方公務員の苦労と苦悩は「無かったこと」にされて、一方的に「無能な罪人」という烙印を押されてしまいます。

僕はこれが悔しくてたまりません。
せめてこのブログには、僕が見聞きした事案をなるべく残していきたいです。

かつて「#教師のバトン」というプロジェクト(元々は文科省が「現役教員の前向きな声」を集めるために始めたが、結果的に不満ばかり集まった)がありましたが、同じような感じで、多くの地方公務員が自分の苦労話を吐き出すムーブメントが巻き起こればいいのにな、とも思います。

さらに理想を言えば、書籍として出版されてほしいです。
出版社的には確実に炎上ものですし、あまり売れなさそうですが、それでも情報としての価値は大いにあると思います。

この記事のタイトル、最初は「四月病の若手地方公務員向けブックリスト」にしようと思っていたのですが、最近は「四月病」というと環境の変化で体調を崩すことを指すんですね。

僕が就職したての頃は、四月病といえば「新生活のワクワク感のあまりやたらと意識が高くなり新しいことを始め出す」という意味でした。
難しい本を大量に買い揃えたり、通信講座を始めてみたり、楽器を買ってみたり。
今やこういう傾向は無くなってしまったのでしょうか……?

とはいえ、新生活デビューがうまくいってモチベーションが高まっている人もきっといるはず。
そういう人向けに、おすすめ書籍を紹介していきます。

俗にいう「公務員本」はあえて取り上げません。
若いうちこそ、役所内でしか役立たない実践的知識よりも、仕事のみならずプライベートでも役立つであろう基礎的・普遍的知識を得てほしいからです。


※Amazonのリンクを貼っておきますが、広告ではありません。

文章に対するスタンスを切り替える






学生時代と社畜時代では、文章に対する責任分担が激変します。

学生時代だと、文章を理解できないのは完全に読み手側の責任です。
「理解できないのは、読み手の頭が悪いから」と一蹴されます。

しかし社畜になると、今後は完全に書き手側に責任が課されます。
「理解できないのは、書き手側の配慮が足りないから」なのです。


地方公務員という仕事は、本当に幅広い層の方々と接します。
中には著しく読解力の低い人もいて、そういう方々でも理解できる文章を書かなければいけません。

そのためにはまず、「読み書き」という行為を徹底的に見直す必要があります。
文章術を身につけるのも重要なのですが、テクニックを磨く前に基礎からみっちりやり直すほうがいいと思います。

『14歳からの読解力教室』のほうは、地方公務員にとっては無意識レベルで実践できている内容で、新たな学びは少ないと思います。
ただ、無意識で余裕でこなせていることを意識化して、「できない人は何ができないのか」を理解することに意味があります。

『大人のための国語ゼミ』のほうは、地方公務員試験を突破したレベルの人にぴったりの難易度だと思います。ぜひチャレンジしてみてください。

自己責任論への有力反論を知っておく

実力も運のうち 能力主義は正義か?
マイケル サンデル
早川書房
2021-04-14



一年半ほど前に、自己責任論に関する記事を書きました。
あくまで肌感覚ですが、当時よりも今のほうが、自己責任論が幅を利かせている気がしています。

行政が担っている再分配機能は、自己責任論からすれば勝者からの強制的収奪&敗者への不当利益供与であり、到底許されません。
このような視点で行政批判を展開する人も多いです。 

逆にいえば、地方公務員は、(少なくとも仕事中は)アンチ自己責任論の立場でいる必要があります。
そのため、自己責任論に対する反論を知っておかないと、自己責任論者からの攻撃に耐えられませんし、行政や地方公務員の存在に疑問を覚えてしまい、仕事に対し余計なストレスを感じてしまうでしょう。

特に地方公務員になったばかりの頃は、「自分は公務員試験を突破した人間なんだ」という優位感を抱きやすく、自己責任論に偏りがちです。
自分を戒めるためにも一読を勧めます。

誰しもに染み付いている「差別感情」を紐解く


被差別部落認識の歴史: 異化と同化の間 (岩波現代文庫 学術 430)
黒川 みどり
岩波書店
2021-02-18


本書を推す理由は二つあります。

ひとつは、部落差別(同和問題)に関する正しい知識が、地方公務員家業には欠かせないからです。

地方公務員という職業は、どんな部署であれ何らかの形で同和問題と関わります。
具体例を挙げるのは避けますが、本当に思いもかけないところで関係してきます。

今となっては、普段の生活で同和問題を認識する機会もかなり少なくなってきていると思います。
しかし、地方公務員になってしまったからには、現在進行形の問題として認識しなければいけませんし、それなりの予備知識が必要です。
「昔と比べて今は随分改善された」で済ませるのではなく、酷かった時代をしっかり学び、問題の全容を把握してくことが重要です。

もうひとつの理由は、本書で説明されている「日本人の差別感情の実態」が、部落差別以外の差別問題にも通じているからです。

日本では今も差別感情が渦巻いています。
インターネットをちょっと見れば差別的発言がそこらじゅうに散乱していますし、地方公務員の仕事でも多くの差別的言動に接します。

差別を受けて困っている方々の救済も役所の仕事です。
事象として生じている差別的言動に細心の注意を払うのみならず、その大元に煮えたぎっている「差別感情」を紐解いていくことも、地方公務員稼業に必要です。

本書では、民衆がいかに部落差別を堅持したがり、メディアや政治がいかに民衆の差別感情を利用してきたかを、豊富な事例をもとに説明していきます。
事例の多くは戦前の話なのですが、不思議なことにどことなく見覚えのある話ばかりなんですよね。
今も昔も、差別感情のあり方は多分ほぼ変わっていないのでしょう。

つまるところ、部落差別における差別感情のあり方を学ぶことで、他の差別における差別感情の様相を窺い知る手がかりになると思うのです。


典型的な行政批判ロジックを予習しておく

失敗の本質
野中 郁次郎
ダイヤモンド社
2013-08-02


旧日本軍を分析した超有名な一冊。数多のビジネス書のネタ本でもあります。
誰もが一読すべき一冊だと思いますが、地方公務員の場合は読んでいないと実務に支障が出かねません。
役所叩きの論拠として頻繁に引用されており、普段の住民対応業務でも同書の内容がよく引用されるからです。

特に、具体的な苦情を訴えるわけではなく一般論として役所批判・公務員批判をしてくる方々は、約7割(筆者体感)が同書を引用してきます。
こういった方々にとっては、「役所≒旧日本軍」であり、旧日本軍の欠点がそのまま現在の行政組織にも残存していると考えています。
そのため、「公務員は同書を読んでいて当たり前」という感覚の方が多く、「戦力の逐次投入」や「自己革新」のような本書のキーワードに対して職員が反応してこなかったら、それだけで「公務員なのに読んでいないのか!また旧日本軍の過ちを繰り返す気か!」と怒られます。

実際のところ、同書で取り上げられている旧日本軍の実態は、現在の役所とかなり似通っています。
彼ら彼女らの批判内容も的外れではありません。
外部から指摘されて気づく前にちゃんと読み込んで、自戒しておきましょう

「出世する人」特有の所作を身につける




一見真逆のように思われるコンサルタントと公務員ですが、実際やっている作業は「調べて資料作成して説明する」ことがベースであり、案外似ています。
似ているからこそ中央省庁はどんどん仕事をコンサルに外注し、官僚の転職先にもコンサルが多いのでしょう。
地方公務員の場合も、本庁勤務であれば「調べて資料作成して説明」の日々を過ごしている人が多いです。

コンサルタントの仕事術を紹介する本は他にも多数出版されておりますが、その中でも本書を推すのは、「仕事ができる」と評されている地方公務員の多くが、本書で紹介されている「思考」と「作法」をかなり実践しているからです。

役所には、俗にいう「スーパー公務員」のような輝かしい実績を持っていなくとも、周囲から「仕事ができる」「頼りになる」などの高評価を得ている職員が存在します。

こういった方々と他の凡百の職員のどこが違うのか、周囲は(もしかしたら本人も)よく理解していませんが、それでも「違う」のは間違いありません。
本書では、高評価を得ている職員が持つ「違い」がどういう要素で生じているのか、かなり広範にカバーしているように思います。

これから出世したい人はもちろん、成果を上げるためなら多少の苦労は厭わないというモチベーションのある方は、一読を勧めます。


弊ブログ読者の中には、ひょっとしたらブログ執筆に興味のある方がいるかもしれません。
そういう方に向けて、地方公務員ネタ中心で約5年間ブログを書いてみた率直な感想をお届けします。

ブログ執筆を趣味とするメリットは?

僕の場合、1記事書くのに大体3時間くらいかかります。
累計だと1500時間程度、20代後半から30代前半にかけての貴重な時間をこのブログに費やしているわけです。
地方公務員法抵触リスクを恐れて広告は貼っていないので、いくら書いても収入はゼロです。
金銭的に見れば時間の浪費にほかなりません。

しかしこの時間は、僕の成長に間違いなく寄与しています。無駄だったとは思いません。

文章力の向上

ブログを書き続けたおかげで、堅めの文章を書くスキルは確実に向上しました。
1文1文の表現力はまだまだ未熟ですが、文章全体の構成力や論理展開のほうは随分マシになったと思います。詳しくは後述します。

正確な知識の定着

ブログを書くために制度要項や統計データを調べていると、意外な発見がたくさんあります。
初めて知る事実だったり、勘違いだったり……いずれにしても「ググればわかる」ことを案外知らないものだと、日々痛感させられています。
職場で恥をかくまえに誤解を正せて良かったと思います。

日常が面白く見える

普段から「ネタ探し」という観点で役所内を眺めるようになり、役所内で過ごす時間が少し楽しくなりました。
別部署との衝突とか問題職員とのやりとりみたいな面倒な仕事も、「格好のネタ」と捉えられるようになり、以前ほど億劫には感じられません。

自律性の回復

ここまでブログを書き続けてこられたのは、ひとえに楽しいからです。
特に、調べて考えて文章化する……という一連のプロセスの達成感に取り憑かれています。
ひたすら他律的であることを強いられる仕事とは違い、ブログが好き放題書けるおかげで、平日ゴリゴリ削られた自律性を回復できている実感もあります。

 



ブログ執筆のデメリットは?

ブログ執筆のプラス面は上述のとおりで、手軽かつローコストで始められる手段としてはかなりリターンが大きいと思います。
ただし、地方公務員をネタにしてブログを書こうとすると、特有のデメリットが生じてきます。

オフの時間も仕事のことを考える羽目になり気分転換できない

地方公務員をネタにブログを書くということは、仕事について休日にも真剣に考えることにほかなりません。ある意味セルフ休日勤務です。
「せっかくの休日を潰して仕事のことを考えなければいけない、しかも無賃」と捉えると、地方公務員ブログは苦行そのものです。
僕自身、「どうして休日なのに役所のことを考えなきゃいけないんだろう?」と虚しくなってきて、執筆を中断することも時々あります。

正直、僕がこの虚しさに耐えられているのは、
  • 田舎なので娯楽が少ない
  • 他の娯楽を楽しむだけのお金が無い
  • 独身ゆえに時間に余裕があり休日を持て余しがち
という条件が重なっているおかげだと思います。
もし僕が都会に住んでいたら、このブログよりも別の娯楽に流れていることでしょう。

ネガティブな情報を収集せざるを得ず鬱々としてくる

地方公務員をネタにするなら、どうしても社会のダークサイドに触れざるを得ません。
役所の仕事の多くはマイナスをゼロに近づける仕事であり、今現在どのような惨状が存在するのかをまずは情報収集して理解しないと、記事は書けません。
まちづくりや地域振興のような前向きな話題であっても、必ずダークサイドは存在します。 

地方公務員に向けられる軽蔑や嫌悪感も、役所の意思決定や地方公務員の価値観に大きな影響を及ぼしており、無視できません。
ブログを書くためには、地方公務員がどのように叩かれているのかを詳細に把握する必要があります。
せっかくの休日にわざわざ社会のダークサイドを調べたり、ネット上の公務員叩きを眺めたりしていると、どんどん気分が悪くなってきます。
ブログをやらなければ知らずに済んだはずのネガティブ情報を知ってしまい、余計にストレスを抱えているわけです。
精神的自傷と言っても過言ではないでしょう。

もちろん、ネガティブな情報を一切省いて、ひたすら明るく仕上げることも可能ではあります。
しかし、地方公務員界隈はネガティブなファクトがてんこ盛りであり、これらを無視して地方公務員ネタの記事を書こうとすると、相当工夫しない限り薄っぺらくなるでしょう。
素材が全然足りないのです。

文書力を向上させるにはどうすればいいのか?

趣味でブログを書くことの効用として、「文章力の向上」がよく挙げられます。
文章力が身につくことで、本業のみならず副業にも役立つ……という文脈が多いでしょうか。

地方公務員の場合、普段から仕事でそれなりに文章を読み書きしています。
そのためわざわざブログを書かずとも相当程度の文章力が備わっているものです。
そこからさらに文章力を高めていくためには、ただひたすら記事を量産していくのみならず、文章力とは何なのかを改めて考えて、意識的に練習する必要があると思います。

文章力=語彙力×構成力

俗にいう文章力は、語彙力構成力の2つに大別されると思っています。
 
語彙力は、適切な単語と表現を扱えることです。
構成力は、文章全体の流れを整えることです。

文章力の構成要素には他にもいろいろあるのでしょうが、この二つを高めることで、正確でわかりやすく、読者の心に残る文章が書けるようになるはずです。

語彙力:たくさん読む

語彙力のほうは、よく言われるように、たくさん読んで、使える単語や表現のストックを増やしていくしかないと思います。
特に、自分が書きたいテーマに関する単語や表現を中心に、網羅的に収集していけばいいでしょう。

さらに語彙力は、物事をより深く理解し考察する助けにもなります。
単語は概念であり、思考や分析のツールでもあります。
ある物事に属する固有名詞をたくさん知っていれば、それだけその物事を細かく分類・分析できるわけですし、ある物事を描写する形容詞をたくさん知っていれば、それだけその物事を多角的に観察できるわけです。

例えば、雨についての単語をたくさん知っていれば、それだけ雨を細かく分類できる、つまり雨について深く考察できます。
より身近な例だと、「公務員」という単語しか知らない人と、「会計年度任用職員」「臨時的任用職員」「任期の定めのない職員」「フルタイム再任用職員」「短時間再任用職員」などの公務員の細目を知っている人とでは、同じく公務員批判をするにしてもレベルが段違いのはずです。

語彙力が伸びれば、文章力向上につながるのみならず、思考力もどんどん増していき、文章の中身自体がより面白くなります。

構成力:参考書を読みながら練習する

ブログ執筆により磨かれるのは、語彙力よりも構成力のほうだと思います。

文章の構成といえば「起承転結」や「序破離」あたりが有名ですが、これらが万能というわけではありません。
文章のフォーマット次第で、求められる構成力は異なります。

地方公務員の日常業務でも、メール、通知文、議事録、挨拶文、議会答弁……などなど、いろいろなフォーマットの文章を書きます。
我々はこれらを同じ方法論で書いているわけではなく、それぞれの書き方のコツを無意識に使い分けています。

話の舞台を役所実務から文章全般に敷衍しても、状況は同様です。
世の中にはたくさんのフォーマットがあり、フォーマットに応じた作文のコツ、つまり構成力が存在します。
つまるところ、自分が書きたい文章のフォーマット次第で、習得すべき構成力も変わってくるわけです。

とはいえ、多数のフォーマットで適用できる汎用的な構成力も存在します。
こういう構成力を身につければ、文章力が飛躍的に向上します。

僕の経験では、
  • ロジカルな文章
  • 脚本(ストーリー)
  • エッセイ
この三種類はかなり応用が効きます。

おすすめ参考書

構成力の養成方法自体は単純です。
定評のある参考書を入手して、それに従って練習するのみです。

ロジカルな文書だと『考える技術・書く技術』が一押しです。



超有名な本なので、すでに読んだことのある方も多いでしょう。
僕が学生の頃は「就活中にマスターすべき一冊」とも言われていました。
Amazonのレビューだと「読みにくい」という声が多数ですが、地方公務員なら難なく読めると思います。
ちなみにこのブログも、2019年2月頃から本書のメソッドに従って書いています。


脚本(ストーリー)だと、このあたりでしょうか。
ストーリー
ロバート・マッキー
フィルムアート社
2019-05-24


SAVE THE CATの法則 SAVE THE CATの法則
ブレイク・スナイダー
フィルムアート社
2018-08-03


「感情」から書く脚本術
カール・イグレシアス
フィルムアート社
2018-08-03



ストーリーの力を借りると、事実をわかりやすく印象的に伝えることができます。
「創作趣味も無いのにストーリーを書く技術がどうして必要なのか?」と思う方もいるかもしれませんが、ちょっと齧ってみるだけでも案外役に立つものです。

エッセイはいまだにピンとくる参考書に出会えておらず、どう書けばいいのかよくわかりません。
自分が経験した事実と感情を淡々と描写しつつ、さりげなく自分の主義主張を織り交ぜて読者の思想を誘導するのがエッセイの極意だと思っているのですが、その塩梅が難しいです。

地方公務員ネタでブログを書く際のコツとは?

インターネット上では、日々いろんなメディアが地方公務員について論じていますし、当事者(現役・元職の地方公務員)が運営しているブログもたくさんあります。
そんな中でこれからブログを開始し、価値ある情報を発信していくには、地方公務員として得た知識や経験を用いて、市井の人々よりもう一段階深掘りすることが重要だと思っています。

一般的なブログ運営手法とは真逆だと思われますが、地方公務員ネタのブログに限っては、僕はむしろ著者をブランディングせずに「凡百の一地方公務員」という立場で書くほうが面白くなるとも思っています。
大多数の地方公務員が感じたり考えたりしそうな事柄を、普通の人よりもう一段階深掘りするだけで、十分読み応えが出ますし、オリジナリティも宿るからです。
さらに「物事を深掘りする」という行為自体が、自分自身の成長につながります。

「地方公務員的には常識だけど世間には知られていない」情報だけで十分差別化できる

「役所の常識は世間の非常識」という定型句があります。
公務員の人格を非難する文脈で頻出の表現ですね。

実際、役所の常識と世間の常識は大きく乖離しています。
ただ、常識が乖離している理由は、一般的に言われるような人格的問題よりも情報の非対称性が大きいと思っています。
お互いに保有している情報が違うせいで「当たり前」も食い違うのです。
  • 制度の仕組み
  • 施策の背景や経緯
  • 公的統計情報
あたりは、今やググればすぐにわかるとはいえ、世間一般には案外知られていないものです。
そもそも「ググったら誰でもわかる」という認識すら無いかもしれません。
こういう「地方公務員以外にはあまり知られていない行政関係情報」をきちんと押さえたうえで世の中を眺めてみると、インターネット上の多数説とは異なる発想が見えてきます。
これが地方公務員ならではの付加価値であり、地方公務員ブログを面白くする要素になると思います。

たとえば、今年話題になった「マイナンバーカード取得率の普通交付税算定への反映」だと、
  • 自治体間の競争を無駄に煽る
  • 国の責任を自治体に押しつけるな
  • マイナンバーカード取得の事実上の強制だ
みたいな主張が盛んになされていますが、地方公務員ならではの強み、例えば地方交付税制度の知識を踏まえると、新しい視点が見つかります。

以下、ネットで見つけた某自治体の研修資料を見ながら書いてみました。

地方交付税の目的は、地方交付税法第1条で規定しているとおり「財源の均衡化」と「財源の保障」です。
要するに、税収の少ない自治体でもきちんと行政機能を維持できるように、国が「地方交付税」という財源を配分するのが、地方交付税という仕組みです。

ただし、何でもかんでも財源保障するわけではありません。
地方財政計画に計上されている「標準的な歳出」、つまり
    • 法令に定められている事業(生活保護、ごみ収集など)
    • どんな自治体でも実施している事業(道路の維持補修など)
あたりを中心に財源保障しており、
    • 自治体公式Youtubeチャンネルの運営経費
    • 地域のお祭りへの補助金
みたいな、一部自治体しか実施していなかったり、義務づけ度の低い事業に対しては財源保障していません。

また、地方交付税は国税の一部(消費税の33.1%など)を原資としており、税収に応じて毎年度総額が決まっています。
総額をいかに配分するかを決めるのが総務省の仕事で、今回「マイナンバーカードの取得率を反映させる」と決めたわけです。

このような地方交付税の性質を踏まえると、
    • 現時点ではマイナンバーカードを活用した施策なんて一部先進自治体でしか実施されていないのに、地方交付税で財源保障すべき「標準的な歳出」と言えるのか?
    • もっと優先して財源保障すべき経費がたくさんあるのでは?保健所職員の時間外勤務手当とか……
    • 「一般財源同水準ルール」が適用されている現状では、地方交付税の総額を増やすのは困難であり、マイナンバーカード事業分を新たに財源保障する分だけ、他の事業の財源保障をカットして財源捻出することになるのでは?
あたりの批判が可能でしょう。
 

行政関係のファクトをきちんと押さえておけば、スーパー公務員の方々のような個性的卓見を持たなくとも、それなりにユニークな内容に仕上げられるものです。
いちいち調べるのは面倒ですし時間もかかりますが、その分だけ自分の血肉になりますし、無駄ではないでしょう。


深掘りの練習方法

物事を深掘りしていく手法は、コンサルタントやシンクタンク向けの書籍が参考になります。
一般的な分析・思考のフレームワークをちょっと使ってみるだけでも、新しい視点が得られます。
僕はこのあたりの書籍をよく参照しています。

ロジカル・シンキング Best solution
岡田 恵子
東洋経済新報社
2013-05-02



新版 問題解決プロフェッショナル
齋藤 嘉則
ダイヤモンド社
2015-01-19




地方公務員ならではの「行政実務にまつわる知識と経験」を使って、世間一般とは異なる切り口で物事を眺めたり、世間一般よりも深掘りすることで、新規性のある中身に仕上がるはずです。

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