キモオタク地方公務員(県庁職員)のブログ

地方公務員の人生満足度アップを目指しています。地方公務員志望者向けの記事は、カテゴリ「公務員になるまで」にまとめています。

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地方公務員=転職弱者という図式に関しては、もはや議論すら生じず、常識として定着しつつあります。

このブログでも「地方公務員経験を通じて確実に鍛えられる能力は『庁内調整能力』だけ」という趣旨の記事を書いています。

庁内調整能力以外も伸ばしたいのであれば、地腹を切って、プライベートの時間を割いて、自発的に努力するしかないと思います。

・・・というのが僕個人の感覚なのですが、転職市場における地方公務員経験の価値に関しては、実際のところ、僕含め正体不明の人間が書いたインターネット上の記事くらいしか情報源が無く、信憑性に欠けます。

ところが先日、地方公務員の転職市場における「強み」について真っ向から触れている本を発見しました。




本書は、定年を目前に控えた中高年地方公務員向けの就職指南本です。
定年退職後もなんらかの形で労働し続けることが求められる現在、安易に再任用を選ぶのではなく、民間企業への再就職という選択肢も含めて、定年退職後という「第二の人生」について考えることを推奨しています。

履歴書や面接で使える「アピールポイント」を検討していく中で、地方公務員ならではの「強み」として、6つの要素に触れています。(同書73ページより)

本書の題材は「中高年地方公務員の再就職」であり、よく話題に上る「若手地方公務員の転職」とは、共通点もあれば相違点もあると思います。

本書で取り上げられているそれぞれの要素について、僕のコメント入りで紹介していきます。

法令や通知に慣れている

まず最初に挙げられているのが、法令や通知のような行政発出文書に慣れている点です。
正確に理解できるかどうかは別にして、「我慢して読む」ことができる時点で、民間サラリーマンよりも優位に立てる、とのこと。

加えて、過去に行政文書を作っていた経験のおかげで、文中に使われている細かい単語や表現から、発出側が考える「ニュアンス」を読み取ることも可能です。

確かに強みだが「地方公務員ならでは」と言えるのか?

やたらとお硬い行政文書を読解する能力は、地方公務員の強みといえるでしょう。
(公務員試験を通して読解能力を測っているのかもしれません)

ただ、地方公務員と同レベルの学力水準(出身大学のレベルなど)の方であれば、公務員であれ民間勤務であれ自営業であれ、読解力には大差ないと思います。
というより、読解されていなかったら、制度が回りません。

転職でいえば、大卒者がほとんどいないような小規模組織であれば「強み」になるのでしょうが、大卒者が普通に入社してくる大企業であれば、足切り回避にはなれども加点要素にはならないと思います。


助成金、補助金等役所関係の手続きに慣れている 

ついで挙げられているのが、役所相手の手続きに慣れている点です。
これは僕も確実に地方公務員特有の強みだと思います。

民家企業にとって、役所関係の手続きは無駄でしかありません。
どれだけ頑張っても利益を生まないからです。
必要最小限の時間と労力しか投入したくありません。
そのため、手続きをサクッとこなせる人材は、それなりにニーズがあるといえるでしょう。

実際、私の知っている範囲でも、中小企業診断士と行政書士と社労士の資格を取得してから独立して、補助金に強いコンサルタントとしてバリバリ仕事をしている方がいます。


関係者との調整能力がある

地方公務員稼業では役所内外の関係者と常に調整が生じることから調整能力が培われる、という点も、強みとして挙げられています。

民間企業勤務でも同様の調整業務はつきものであり、「地方公務員だから調整能力が高い」とは必ずしもいえないでしょう。
しかし、地方公務員の場合は、民間企業と比べ、調整すべき相手の属性が幅広いと思います。
地域住民、PTA、NPO、慈善団体……のような、利益・損得だけが判断基準ではない相手との調整は、民間企業ではなかなか発生しないのでは?

さらに最近は、こういう集団がどんどん存在感を増してきているところであり、民間企業も無視できなくなると思います。


文章力がある

役所仕事では文章をよく書くので、文章力が備わっているという点も、強みとされています。

これは正直微妙なところだと思います。
確かに地方公務員は、普段から仕事で文章を書きますが、あくまでも我流で書き続けているだけです。
添削やフィードバックを受けられるわけではなく、上達するとは限りません。
「慣れている」のは確実ですが、「文章力がある」とまでは言えないと思います。

民間企業の場合、文章を書く専門のスタッフがいます。
きちんと基礎教育を受けた上で、日々フィードバックを受けながら成長を続けているような存在です。

こういう専門スタッフと比べると、地方公務員の文章能力は駄目駄目です。
少なくとも「強み」として堂々と語れるレベルには遠く及んでいないでしょう。


新しい職場への適応能力がある

民間企業と比べ地方公務員は異動回数が多く、しかも畑違いの分野を転々とするため、新しい職場への柔軟性・適応能力が備わっている、という点も挙げられています。

これも正直微妙なところだと思います。
役所は「頻繁に人が入れ替わる」という前提で成り立っている組織であり、経験の浅い職員でもそれなりに仕事を回せるよう、ある程度は業務がマニュアル化されています。

そのため、民間企業よりも「畑違いの異動」のハードルがかなり低く、役所の人事異動を乗り越えられたからといって、柔軟性があることの証左にはならないでしょう。


信用力がある

最後に、役所という「堅い職場」に長年勤務していたことから、ある程度は信用がおける人物だとみなしてもらえる、という点が挙げられています。

これはその通りだと思います。
人間的にも金銭的にも、それなりに信用してもらえることでしょう。

一朝一夕では何もに身につかない

6つの「強み」を見てきましたが、いずれにしてもすぐに身につくものではありません。
あくまで定年退職間際まで勤め上げたから身につく「強み」であって、30歳前後で転職しようとする際には到底使えないネタばかりだと思います。

やはり、若いうちに地方公務員から民間企業に転職したいのであれば、地方公務員経験を活かすという方向性は諦めて、それ以外の強みをアピールするしかないのでしょうか……?
「元地方公務員だから〜〜できます!」ではなく「元地方公務員だけど〜〜できます!」、地方公務員として働いていたというディスアドバンテージがありますが問題ありません!というふうに……


大変ありがたいことに弊ブログにも固定読者様がいらっしゃって、この方々のおかげで新規投稿した記事はどんなものでも大体1週間で200PVは読んでいただけています。
その後も読まれ続けるかどうかは記事次第ですが、とにかく初速ではそれなりに読んでいただけています。

例外は書評記事です。
記事タイトルの頭に【読書メモ】をつけて投稿している、僕が読んだおすすめ本の紹介記事は、50PVに届けばいいほうです。
ニーズに乏しいのでしょうね……

ただし、今回の書評記事はそれなりにPVを集めるのではないかと内心期待しています。
タイトルがあまりに衝撃的だからです。


「クソ野郎」とは?






あなたは同じチームの嫌なやつに悩まされていないだろうか?
「消えてほしい」くらい厄介で面倒なやつは世界じゅうどこの組織にもいる。
本書では、人間関係の悩みを抱えるチームリーダー、運悪くいじめの“標的”になってしまった被害者、職場や組織の居心地の悪さにウンザリしている人のための解決策を紹介する。
スタンフォード大学のロバート・サットン教授が、嫌がらせ行為のメカニズムを徹底検証。
実データをもとに、最低の人間を遠ざける方法や、身勝手な連中を変える方法、手強いクズどもを追放する方法、やつらがもたらす被害を最小限にとどめる方法を伝授する。




威圧的な態度を振りまいて他人を傷つけたり組織内人間関係を損なう人のことを「クソ野郎」と称して、そういう人から自分の身を守る術を説いたのが本書です。

本書における「クソ野郎」は、第1章できっちり定義されています。



基準その1ーーその人物と話したあと、標的になった側が萎縮し、侮辱されたと感じ、やる気を吸い取られるか、あるいは見くびられたように感じるか。とくに、標的自身が自分のことをダメ人間だと思い込んでしまったかどうか。

基準その2ーーその人物が自分より立場が上の人間にではなく、下の人間に狙いを定めているかどうか。

 ロバート・I・サットン著 片桐恵理子訳
『チーム内の低劣人間をデリートせよ』 パンローリング株式会社 2018年11月3日
p.17より



他者に対する反感・嫌悪感は、たいてい主観的なものです。
ある人からは「こいつは酷い」と思われている人であっても、別の人からすれば「良い人」かもしれません。

ただし、上述した2つの基準を同時に満たすような人は、大抵の方が「クソ野郎」だと感じるでしょう。
本書ではターゲットを限定することで、具体的かつ効果的な対策を打ち出します。

タイトルだけ見れば乱暴な本に思われるかもしれませんが、全方位に攻撃するスタンスではなく、組織の癌になりうる「真のクソ野郎」だけがターゲットなのです。

タイトルにある「低劣人間」という単語は、本文中には出てきません。
「低劣人間」という表現からは「仕事ができない」「能力に乏しい」「スペックが低い」という無能人間を想起するかもしれませんが、あくまで本書でターゲットにしているのは攻撃的態度で人間関係を乱す人です。


「組織内の他人」だけではない

「チーム内」という言葉がタイトルの先頭にくることから、本書の射程は職場の同僚・上司・部下に限定されていると思われるかもしれませんが、実際はもっと幅広く論じらています。

最も多く触れられているのは「職場の上司」ですが、ついで多いのが「顧客」です。
サービスを提供する側とされる側という疑似的な上下関係が生じるからなのでしょうか、レストラン、空港、そして行政関係まで、様々な「クソ顧客」の事例が取り上げられます。

弊ブログで本書を取り上げる理由がまさにここです。
地方公務員は常々クレームに悩まされており、苦情主を「クソ野郎」認定したくなることもしばしばあります。

僕の経験上、役所にしつこく絡んでくる方々の多くは、本書の定義に合致する「クソ野郎」です。
しかし、ちょっとした思い違いのせいで一時的に激昂しただけだったり、むしろ役所側に非があったりするケースもあります。




「クソ野郎」の言いなりになるのは勿論駄目ですが、無辜の住民を悪者に仕立て上げるようなことも絶対あってはいけません。
排除すべき「クソ顧客」とはどんな存在なのかを考える際に、本書は大いに参考になると思います。


また本書では、「『内なるクソ野郎』を押しとどめる方法」という章を設けています。
丸々1章を割いて、自制を促しているのです。
現状の人間関係に一切不満がない方にも、きっと役立つと思います。



つい先日、現役官僚(総合職採用)の友人から転職相談を受けました。
(転職したいと思った背景とか、僕みたいな就職弱者に相談してきた理由とか、後日別記事にまとめます。)

友人の話を聞きながら、僕はデジャヴを覚えていました。
どこかで聞いたことがある……というか、見たことがあるのです。

正体はこの本です。

ブラック霞が関(新潮新書)
千正康裕
新潮社
2020-11-18

 

実は本書、発刊当初に読んでいたのですが、このブログではあえて取り上げていませんでした。
内容が大変に素晴らしく、かつ僕の思いと重なる部分が多くて、本ブログの存在価値が無くなってしまうからです。
むしろ本書を読んだ後にこのブログの過去記事を漁ったら「パクリか?」と思われそうです。

今回、今まさに霞が関から離れるかもしれないリアル官僚からの話を聞いて、本書の記述が現実にしっかり裏打ちされていることを改めて痛感しました。
このブログの存在価値は最早どうでもいいです。
本書をわずかでも広めることのほうが有意義だと思い直しました。

そもそも本ブログを読んでいる方は、プライベートの時間にわざわざ公務員のことを考えている方であり、行政や公務員への関心が強い方でしょう。
本書のこともご存知であり、既読という方も大勢いるでしょう。

もし未読の方がいれば、このブログを読んでいる場合ではありません。
ぜひ本書を読んでみてください。


現状&提言


朝七時、仕事開始。二七時二〇分、退庁。ブラック労働は今や霞が関の標準だ。相次ぐ休職や退職、採用難が官僚たちをさらに追いつめる。国会対応のための不毛な残業、乱立する会議、煩雑な手続き、旧態依然の「紙文化」……この負のスパイラルを止めなければ、最終的に被害を受けるのは国家、国民だ。官僚が本当に能力を発揮できるようにするにはどうすればいいのか。元厚生労働省キャリアが具体策を提言する。(出版社ページより)



本書のことを暴露本だと思っている方もいるかもしれません。
あまりにも勿体無い勘違いです。
本書は現状解説にとどまらず、具体的解決策の提言まで踏み込みます。

本書の内容は、現役公務員からすれば、目新しさは無いかもしれません。
どこかで見聞きしたり、自ら経験したことのある内容も多いでしょう。

ただ逆にいえば、本書の内容は、現役公務員にとって非常に身近なものです。
今まさに感じている不安や課題が、自分の周りだけの局地的事象ではなく、誰もが抱えている「行政全般に共通する」んだと気づくだけで、幾分か元気付けられると思います。

「役所で働く喜び」のリアルなあり方

本書には「キャリア官僚として働くことの楽しさ」が随所に盛り込まれています。
使い古された陳腐な表現ですが、まさに「書き手が目の前で語っているかのような」リアル感と情熱をもって、胸に迫ってきます。
採用パンフレットや説明会よりもわかりやすく、官僚の仕事の魅力が記されているかもしれません。


かつて僕が学生だった頃、官僚志望の東大生集団と交流したときのことを思い出しました。
(以下記事の中ほどで紹介したエピソードです)


本書を読んで、むしろ「官僚になりたい」と思う方もいるかもしれません。
反対に、本書にある「官僚の役割」に違和感を覚えるのであれば、明らかに向いていないと思います。


「国民の声」で行政が変わる……とは期待できない

本書の記述の中で、個人的に同意できない部分が一箇所だけあります。
「政府も国会議員も、国民の声を無視できなくなった」という部分です。

ここ最近の「国民の声」なるものは、実際にはメディア(あるいはメディアを動かす「黒幕」)の声だと思っています。
「国民の思い」の総体が「国民の声」になるわけではなく、メディアが喧伝する「国民の声」を、国民が「マジョリティはそう考えているのか…」と受容しているだけです。

自治体で勤務している身からすれば、こう感じざるを得ません。
住民から寄せられるリアルな意見や苦情、要望は、メディアが報じる「国民の声」とは異なります。

本書には国民の意識改革を促す意図もあるため、あえて「国民が主役」であるかのようにぼかしているのかもしれませんが……


地方公務員という仕事は、暴力とは切っても切れない関係にあります。
(法という根拠があるとはいえ)様々な形で暴力を行使する加害者でもありますし、住民からの物理的・精神的暴力に常時晒されている被害者でもあります。

そのため、地方公務員が暴力についてしっかり考えることは、非常に有益だと思います。
自らの振る舞いの暴力性を意識する必要がありますし、何より心身共に健康に生きるために暴力からの自衛を考えなければいけません。

というわけで、去年夏ごろから「暴力」と名のつく本を手当たり次第読んでいるのですが、最近読んだ『民衆暴力 一揆・暴動・虐殺の日本近代』という本が非常に面白かったです。


ひとたび民衆の暴力行使が始まると、日常ではなし得なかった行動が呼び起こされもする。暴力をふるうプロセスで、民衆にとって「可能な幅」が広がっていくのである。権力への対抗として現れた暴力が、途中から被差別者に向けられたり、反対に被差別者への暴力のなかに権力への対抗の要素が含まれたりもする。
本書を通読すると、権力に対する民衆の暴力と、被差別者に向けられた民衆の暴力とが、それほど簡単に切り分けられないことがわかるだろう。誰が/誰に向けてふるったかによって、暴力の意味合いが異なってくるのはもちろんだが、両者を「民衆暴力」として同時に扱うことで、従来とは異なる領域に思考をめぐらせることができるはずだ。

藤野裕子 著『民衆暴力 一揆・暴動・虐殺の日本近代』 
中公新書 2020年8月 「はしがき」より


地方公務員稼業における暴力考察のポイントを以下紹介していきます。

アンチ行政活動が弱者叩きにもなりうる

先の引用にも書かれているとおり、権力への反抗としてスタートした暴力行使であっても、途中で弱者にも矛先が向けられてしまうケースがままあります。
 
行政に対する抗議活動でも、こういうパターンがよくあります。
行政にダメージを与えるための「戦略」として弱者を攻撃するのです。
あまり具体的なことは書けませんが、現に発生しています。

抗議側としては外堀を埋めるくらいの感覚なのかもしれませんが、やられる側からすれば堪ったものではありません。

民衆による不当な暴力から弱者を守るのは、今の行政の役目です。
そのため、もし今から民衆暴力が始まった場合、被害に遭いそうな相対的弱者は一体誰なのかをシミュレーションするだけでも、きっとためになると思います。

加えて、行政の言動が「民衆暴力のお墨付き」にならないよう、細心の注意が必要だと思います。
マスク着用をめぐって他人に難癖をつけて暴力を振るう「マスク自警団」達は、行政による「感染防止を徹底してくれ」というメッセージを拡大解釈して、自らの暴力を正当化しているのだと思われます。
こういうケースを極力起こさないよう、隙のないメッセージづくりが求められるでしょう。

武装蜂起されたら(軽武装であっても)マジで死ぬ 

そもそも公務員は「権力側」の存在であり、民衆暴力の典型的なターゲットです。

これまでもたびたび、役所内での暴力沙汰や公務員に対する暴行事件が報じられているところですが、報道されているのはごくごくごくごくごくごく一部です。
 
実際に発生している事案数は、報じられた件数の十倍はあるでしょう。
公務員に対する暴力行使の心理的ハードルが低いのだろうと思わざるを得ません。

しかも昔の官憲とは異なり、今の公務員は全く武装していません。
役所内にも武器はおろか防具もありません。刺股(さすまた)くらいならどこかにあるのかもしれませんが、一般の職員は手にできません。

正直、河原で手頃な石を拾ってきて放り投げる程度の原始的暴力にすら勝てる気がしません。

集団に襲撃されたらなすすべもなくやられることを改めて痛感しました。


コロナ収束後が怖すぎる

「コロナによって世界は不可逆的に変わる、行政にも変化が求められる」というお題目の下、行政のデジタル化を進めなければいけない等と主張する方が結構います。
僕もその通りだと思いますが、「コロナによる不可逆的な変化」についていけない方々の救済も、同じく行政の重要な役目だと思っています。

そして、「民衆暴力」という視点で整理してみると
  • 「ついていけない方々」が民衆暴力の主役になる(現代のラッダイト運動)
  • 「ついていけない方々」が相対的弱者となって民衆暴力の対象になる
いずれかの展開になりそうな気がしてなりません。

どちらにせよ行政・公務員は確実に槍玉に挙げられるのでしょうね……

今の時代、物理的暴力は随分下火ですが、精神的暴力のほうは人類史上最盛期を迎えていると思っています。
 
インターネットのおかげで、お手軽かつ殺傷力の高い手段がよりどりみどり。
しかも素性を明かさずに攻撃できるので、加害側のリスクも相当抑えられています。
 
本当に何が起こるのか予想できません。僕も自衛の術を真剣に考えていきます。

役所には毎日、窮状を訴えにくる方々が押し寄せます。
その中身は様々で、「事実は小説よりも奇なり」という諺を実感させられます。

感情の赴くままに語られる窮状を一通り聞いて、役に立ちそうな制度や施策を紹介することになりますが、解決に至るケースは極々稀です。
そもそも既存の仕組みで解決できるのであれば、わざわざ役所に来る必要はありません。
現状の行政サービスでは救われないからこそ、役所まで足を運んで、窮状を訴えるのです。

特に県庁の本課だと、この傾向が強いです。
通常の手続きを行う窓口部署(市町村役場や県出先事務所)では解決できなかったために、藁をもすがる思いでやって来る方がとても多いです。

通常の手続きではどうしようもないということは、ルール上どうしようもありません。
結果として、窮状解消は叶わず、時には門前払いに近い形で退けることになります。

対応にあたる職員は、気まずい思いをしつつもお断りすることになります。
どんなに感情をぶつけられようとも、心変わりしたり、結論を変えてはいけません。
 
情に流されてルールを歪めたら、目の前の一人は得をしますが、そのほかの全住民が相対的に損をします。
極端な言い方をすれば、目の前の一人のためにほか全員を犠牲にする、独裁を許すことになります。
これは不正行為です。規定違反にとどまらず、住民全員に対する裏切りであり、背反行為です。

・・・というロジックを頭では理解していても、実施に悲哀や憤懣をぶつけられると、揺さぶられてしまうのが人間の宿命です。
感情に押されて「本来役所は住民のためにある存在なのに、どうして目の前の一人を見捨てなければいけないのか」と思い悩む方も多数いることでしょう。
このジレンマに悩まされた結果、公務員を辞する方もいます。

公務員として働き続けるには、なんらかの形で割り切るしかありません。
そうしないとメンタルが持ちません。
今回紹介する『反共感論』は、そんな割り切りのヒントになる一冊です。


<p.11>
本書で私は、共感と呼ぼうが呼ぶまいが、他者が感じていると思しきことを自分でも感じる行為が、思いやりがあること、親切であること、そしてとりわけ善き人であることとは異なるという見方を極めていく。道徳的観点からすれば、共感はないに越したことはない。

<p.17>
共感とは、スポットライトのごとく今ここにいる特定の人々に焦点を絞る。だから私たちは身内を優先して気づかうのだ。その一方、共感は私たちを、自己の行動の長期的な影響に無関心になるよう誘導し、共感の対象にならない人々、なり得ない人々の苦痛に対して盲目にする。つまり共感は偏向しており、郷党性や人種差別をもたらす。また近視眼的で、短期的には状況を改善したとしても、将来悲劇的な結果を招く場合がある。さらに言えば数的感覚を欠き、多数より一人を優先する。隠して暴力の引き金になる。身内に対する共感は、戦争の肯定、他者に向けられた残虐性の触発などの強力な誘因になる。人間関係を損ない、人間関係を損ない、心を消耗させ、親切心や愛情を減退させる。

反共感論 社会はいかに判断を誤るか
ポール・ブルーム著 高橋洋訳 2018年2月 白揚社

世間的には、「もっと共感が必要だ」と言う論調が主流です。
本書はこの流れに真っ向から反対します。
むしろ共感のせいで、トータルでは不利益が生じていると主張し、その根拠を説明していきます。

それなりに年次を経た公務員であれば、首肯できる内容では?
そして、上記のように考えれば、住民対応時のジレンマが和らぐのではないでしょうか?


公務員志望者の方にも一読をお勧めします。
国家であれ地方であれ、姿の見えない「多数者」の福利向上のため、目の前にいる個人を見捨てざるをえない場面が必ずあります。

本書は、極めて冷静に、このような判断を正当化します。
本書を読んでも納得できない、「困っている人がいるのであれば助けなければいけない」と思うのであれば、残念ながら公務員は向いていません。

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