キモオタク地方公務員(県庁職員)のブログ

地方公務員の人生満足度アップを目指しています。地方公務員志望者向けの記事は、カテゴリ「公務員になるまで」にまとめています。

タグ:公務員という立場

先日コメントを頂戴して初めて気づいたのですが、これまで労働組合関係の記事をひとつも投稿していませんでした。
ネタ集めの最中だったり、うまくまとまらずにボツにしたわけではありません。
「組合関係の記事」という着想がそもそもありませんでした。

僕にとって労働組合は「朝からビラ配りしてて大変だなあ」程度の認識しかありません。
一応加入はしているものの、行事にはほぼ参加していません。

そのため、組合の内実はよくわかりません。
こんなライトユーザー視点での組合評です。

組合加入のメリット

まずはメリットとデメリットを整理していきます。

そこそこコスパの良い共済(≒保険)を利用できる

組合員になると、組合が提供している各種共済サービスが利用できます。
共済は保険のようなもので、生命保険や医療保険、自動車保険など、地方公務員が利用しそうなメニューがひととおり用意されています。

保険会社が提供する保険サービスと比べると、共済のコスパは悪くありません。
あくまでも僕の感覚ですが、基本料金が格段に安いというよりも、オプションが安いです。
そのため、それなりに保障内容を充実させるのであれば、保険会社の保険よりも共済のほうが安価になりそうです。

ただし、共済は組合員向けのサービスです。
組合費を払い、組合員の地位を得ている間でないと、利用できません。
共済そのものの費用だけでなく、組合費を含めたトータルコストで比較すれば、それほど安くないかもしれません。

  • 生命保険は死亡保障だけで十分、保険金も最低限でいい
  • 自動車保険は対人対物保障だけで十分、車両保険は不要、レッカーサービスとか示談代行も不要
のように、「保険は必要最低限の内容のみで十分、とにかく安くしたい」という方であれば、共済はかえって割高になるでしょう。もっと安価な保険を探したほうが良さそうです。

人間関係が広がる

組合では、宴会やスポーツ大会のような組合員向けの交友イベントをよく開催しています。
役所内での人間関係を広げたいのであれば、こういうイベントは絶好のチャンスです。
部署・年齢に関係なく職員が集まってくるため、普段の仕事では出会えないような人と巡り会うチャンスです。

実際、職員どうしで結婚した方々から、組合主催のイベントで出会ったという話をよく聞きます。

組合経由での出会いの強みは、似た者どうしが集まりやすいという点です。
交友イベントに参加するのは「人間関係を広げたい」というタイプであり、僕みたいな内向的陰キャはいません。
お互いの目的意識が一致するので、有意義なコミュニケーションが生まれるはずです。

さらに、組合の役職に就けば、他自治体の職員(組合役職者)とも交流できます。
役所内だけでなく全国へと人間関係を拡大できるのです。
詳しくはよくわかりませんが、組合費を使って県外出張もできるとか……


政治家の道に挑戦できる

地方公務員はいつも政治的圧力に晒されています。
中には圧力を受け続けるあまり、「圧を加える側」、つまり政治家に転身したくなる職員もいるでしょう。

地方公務員にとって、組合は最も身近かつフレンドリーな政治団体です。
専従職員になって、政治活動っぽいこともやらせてほしいと名乗り出れば、いくらでもやらせてもらえると思われます。
実際にやってみて肌に合わなければ、地方公務員に戻れます。
退路をキープしたまま政治へチャレンジできるのです。こんな好待遇はなかなか無いでしょう。


組合加入のデメリット

次にデメリットを整理していきます。
デメリットというよりはコストと言ったほうが正確かもしれません。

組合費がかかる

組合員でいるためには組合費を払わなければいけません。
僕の場合、だいたい基本給の1.5%強、月4,500円くらいです。

けっこう面倒な「部署の組合担当」

どんな部署にも最低一人は「組合担当」がいます。
組合本部と部署内組合員との連絡中継役であり、ビラを各組合員に配ったり、勉強会のような行事を周知したりします。
行事によっては動員人数のノルマが課されていて、参加を渋る人を説得したりもします。

この仕事がなかなか厄介です。
僕も1年だけ経験しましたが、普通の業務よりもストレスを感じました。
動員のお願いが本当に辛い。


総評:金銭的には損だけど……

短期的な金銭面で考えれば、組合に加入するのは損でしょう。
とはいえ組合が弱体化したり消滅したらもっと損をしそうなので、金銭的に困窮していないのであれば、お布施感覚で組合費を払っていてもいいのでは?と思っています。

公務員の味方になってくれる唯一の団体

公務員の労働環境改善を堂々と主張できるのは、現状、組合だけです。

このブログでも何度か触れていますが、世間は「公務員の労働環境改善」に断固反対します。
「公務員にしかメリットのない予算執行は許されない」「そんなことに予算と労力を割くのなら住民に還元しろ」というロジックです。

最近だと、もし予算案の中で「庁内執務スペースの新型コロナウイルス感染症対策」をはっきり明記したら、マスコミや議会からコテンパンに叩かれるでしょう。

「公務員の労働環境改善」を実現するには、世間の大多数と戦わなければいけません。
もちろん役所は世間に逆らえないので、役所以外の誰かに戦ってもらうしかありません。

世間の潮流に真っ向から反抗するこんな危険な主張ができるのは、現状、労働組合だけです。
実現できるかどうかは別にして、組合以外は主張すらできません。
もちろん組合だって「公務員の労働環境改善」を主張すれば叩かれますが、組合という政治団体だから耐えられますし、他の政治要素と絡めることで環境改善を実現できるかもしれません。

組合がどれだけ頑張ったところで、賃上げは期待できません。
人事院勧告にはどうあがいても逆らえないからです。

しかし、「労働環境改善」のために、役所に支出させることは可能です。
これだけでも労働組合の必要性は十分あると思います。


闘争から守ってくれる唯一の団体

過去の記事でも少し触れたのですが、自治体では今後もどんどん非正規職員(会計年度任用職員)が増えていくと思っています。


 
正規職員と非正規職員では待遇が大きく異なります。
言うまでもなく非正規職員のほうが不安定であり、組合のような組織が必要です、
そのため、非正規職員が増えていけば、いずれ非正規職員だけの組合が登場して、力を伸ばしていくと思います。

非正規職員にとってみれば、正規職員は労働者ではなく使用者であり、闘争の相手です。
つまり、正規職員個人に対して非正規職員の組合が争議をふっかけてくるケースも十分想定されます。
(事務職員個人vs技能労働職組合という構図であれば、これまでも実際に発生しているかもしれません)

このような事態が生じたら、個人vs集団ではあまりに部が悪すぎます。
正規職員側も個人ではなく集団、つまり組合として応じないと、押し負けます。

争議するためではなく、争議から身を守るためにも、組合の必要性があると思います。


この記事を書いて改めて考えてみると、僕にとって組合は、無くなったら困るけど関わるのは面倒という存在です。
住民から見た役所と同じようなポジションかもしれません。


本記事を読む前に、これまでの人生を振り返ってみてください。
仕事以外の用事、つまりプライベートの用事で都道府県庁に行ったことって、どれくらいありますか?

僕の場合、
  • マンション管理士試験の申込書を貰うために公営住宅担当課に行った
  • 県立の体育館を借りるために申込書を提出しに行った

この程度です。
多分ほとんどの方が、プライベートの用事では滅多に県庁に行かないのでは?

一方、市役所や町村役場のほうは、たびたび足を運んでいるでしょう。
僕の場合も、マイナンバーカードを作ったり、転入・転出届を出したり、戸籍謄本などの証明書類を取得したり……なんだかんだ用事があって毎年1回は行っています。

この違い、つまりプライベートの用事で訪れる頻度の違いが、市町村職員と県庁職員の業務の違いにも大きく影響していると思います。


市役所・町村役場はプライベートモードの人、つまり「オフの人」を主に相手にしています。

一方、県庁は仕事モードの人、つまり「オンの人」を主に相手にします。


「オン」相手の仕事、「オフ」相手の仕事

もちろん県庁にも「オフの人」を相手にする仕事があります。
自動車税や都道府県民税、公営住宅関係の仕事がその典型でしょう。
ただし、県庁の業務全体からみれば、こういった業務の割合は小さく、従事している職員の数も少ないです。

県庁での対外的な仕事といえば、法人相手の手続き対応がメインです。
職員が対面する相手は「一個人」ではなく「組織の一員」であり、典型的な「オンの人」であります。

何より県庁は、国や市町村とのやりとり、つまり公務員相手の仕事がものすごく多いです。
公務員もまさに「オンの人」です。



一方、市町村の仕事は、住民票関係や各種手当(児童手当など)、生活保護、介護保険、国民健康保険など、住民のプライベートに関わる仕事がたくさんあり、多くの職員がこういった仕事に関わっています。
これらの制度を利用する住民は「オフの人」です。
仕事のためではなく自分自身の私生活のために利用しているからです。

「オンの人」相手の仕事もあるのでしょうが、県庁よりはずっと少なく、役所の仕事全体に占める割合も小さいと思います。

「オン」の人、「オフ」の人

どんな人も「オン」と「オフ」とで異なる顔を持ちます。
 
オンオフの差は人それぞれですが、一般的に「オン」のときのほうが感情の起伏に乏しく打算的だと言えるでしょう。
よく言えば冷静で落ち着いている、悪く言えば無味乾燥でつまらない人間です。
 
人間関係においては、自分の本心を曝け出すわけではなく、表層的な段階を超えません。
まさに「仕事上の関係」です。

「オンの人」と「オフの人」、いずれを相手にするかによって、業務の雰囲気が大きく変わります。

「オンの人」相手の仕事=腹の探り合い

まず、「オンの人」は属性が限られます。
年齢は20代〜60代で、日本語が使えて、健康かつ認知機能のしっかりした方ばかりです。
社会的なステータスもそれなりに高く、常識をわきまえている方がほとんどです。

「オンの人」はたいてい親切です。好感を持たれるよう愛想よく振る舞います。
怒るときも、感情を爆発させるわけではなく、理路整然と詰めてくるほうが多いです。

ただし、親切なのはあくまでも自分の目的を達成するための手段です。
嫌われるよりも好かれていたほうが何事もスムーズに進むから親切なだけで、役所が好きなわけでもなければ、担当職員に個人的な好印象を持っているわけでもありません。
基本的なビジネスマナーを実践しているだけです。

そのため、ある程度までは容易に信頼関係を築けるものの、心の底から打ち解けるような状態までは滅多に至りません。
裏切ったほうが目的に適うと判断すれば、あっさり裏切られます。
なんともドライな関係です。

「オンの人」相手の実際の仕事では、相手の言動は打算であるという前提で動きます。
相手から感謝されても、怒られても、悲しまれても、あくまでも打算だと考え、これらのアクションの裏を読もうとします。
相手の言葉をそのまま鵜呑みになんて絶対しません。発言の経緯や真意を探ります。
相手と協調路線で物事を進めているような状況でも、裏切られた場合を常に想定しています。
ニコニコ笑顔を取り繕いつつも腹の探り合いをしているようなものです。

「オフの人」相手の仕事=生身の人間との対面

一方、役所が関わる「オフの人」は、たいてい苛立っています。
特に役所の窓口に来る方は、来たくて来ているわけではなく、来させらているという認識であり、「貴重なプライベートが潰された!」と言わんがばかりのイライラが表れています。
ただし、うまくスムーズに対応できれば、笑顔で帰ってくれることも多いです。
このときの笑顔は打算ではなく本心でしょう。


属性も幅広く、相手に合わせた対応が必要になります。
認知症のために話が通じなかったり、心身に深い傷を負っていたり、カタギでなかったり……
「読み書きができない」という方も結構いらっしゃいます。

「オフの人」相手の仕事では、文字通り「生身の人間」を相手にしているという感覚があります。
僕の思い違いかもしれませんが、打算ではない「本心」を感じます。
感謝されたら嬉しいですし、力になれなかったら凹みます。


比率の違い

県庁も市役所・町役場も、「オンの人」「オフの人」両方を相手にします。
ただし、その割合は大きく異なります。
県庁であれば「オンの人」、市役所・町役場では「オフの人」相手の仕事が多いでしょう。

どちらの仕事が向いているかは、完全に人それぞれです。
「どちらが楽か」「どちらがやりがいがあるか」とも一概には言えません。

インターネット上には「県庁の仕事は住民のためになっている実感が無く、やりがいが感じられない」という意見が多数ありますが、これは「オンの人」対応が多いという県庁の性質の帰結なのかもしれません。

僕は圧倒的に「オンの人」相手のドライな仕事のほうが性に合っていて、県庁を選んで正解だったと思っています。

「あなたの仕事のやりがいは何ですか?」というクエスチョンは、どんな職業においてもインタビューの定番です。

「やりがい」はあくまでも主観的なものです。
たとえ同じ仕事であっても、自分と他者ではやりがいを感じるポイントが異なるかもしれませんし、同じポイントに対して正反対のやりがいを感じるかもしれません。
そのため「公務員のやりがいは●●だ」という一般論を示すことは不可能だと思います。

とはいえ、多数のケースを収集すれば、「公務員の中には●●をやりがいと感じる人が多い」という傾向を察する程度なら可能でしょう。
あくまでも一例、河原に無数に転がっている小石の一つくらいの感覚で拾い読みしてください。

公益に貢献できる

公務員稼業のやりがいといえば、真っ先に「公益に携われる」という一文が思い浮かびます。
ただ冷静に考えてみると、「公益に携われる」職業は公務員以外にもたくさんあります。
むしろ公益に資さない仕事のほうが圧倒的に少数派でしょう。

例えばデイトレーダーのような、一見すれば自分のお金のことしか考えていない人であっても、儲けた分だけ納税しています。
もし年収1億円だったら、ざっくり2000万円(20%)くらいを所得税として納めているはずで、僕なんかよりもはるかに公益に貢献していると言えます。

仕事のやりがいとして「公益への貢献」を挙げるなら、なるべく深掘りして具体的に表現する必要があると思います。
特に他の職業との違いを強調したいのなら尚更です。

僕の場合、公務員稼業は主に2つの意味で公益に資する仕事だと思っています。

相対的に困っている人へ→生活水準の底上げ

1つ目は生活水準の底上げです。
 
役所が提供する行政サービスによって恩恵を受けるのは、主に「相対的に弱い立場にいる方々」です。
勿論サービスそのものは住民全員に対して開かれてはいますが、強い立場にいる方々(高所得者など)は、行政サービスを使わずとも生活が成り立つので、必ずしも恩恵を受けているとは限りません。

教育あたりが典型でしょう。
お金のある方は公教育の世話になることなくずっと私立に通わせられますが、普通の方々は公教育を利用します。

電力や通信サービスであれば、立場の強弱に関係なく、使った分だけ支払いが生じます。
こちらは万人の公益に資するサービスです。
一方で行政サービスは、相対的に弱い立場にいる方々を特にケアするものです。
そのため「底上げ」という表現がしっくりくると思っています。

相対的に強い人へ→秩序の維持

2つ目は秩序の維持です。どちらかというとこっちが本命です。
行政がルールを運用したり、各種サービスを提供することによって、社会の秩序が保たれています。
(先述した「生活水準の底上げ」の結果でもあるでしょう)

社会の秩序が保たれていれば、身体的・精神的・財産的な安全が確保され、安心して生活を営めます。
この意味での恩恵は、住民誰もが享受しているはずです。
ネットニュースで「高所得者は行政サービスを受けられない、年収〇〇万円以上だと税金払い損」のような煽り記事がよく掲載されていますが、「秩序の維持」という観点ではむしろ高所得者ほどメリットが大きいと思います。

普段から「行政のおかげで秩序が保たれている」と意識している方はごく少数だと思います。
むしろ「そんなの当たり前だろ」と思う人が大多数でしょう。

ただ自分は、行政による秩序の維持をありがたく感じる人が全然いない現状を、むしろ嬉しく思います。
「当たり前」になっていることを「当たり前」のまま運用していく、これこそが秩序を維持する最大のポイントだと思います。


つまるところ、「生活水準の底上げ」と「秩序の維持」という2点で公益に貢献できるのが公務員であり、これらが僕にとっての「やりがい」です。


知的好奇心を満たせる

僕にとって役所稼業は、個人的な知的好奇心を満たすプロセスでもあります。

無秩序な部局横断的な人事異動のおかげで色々な分野の仕事を経験できるので、幅広い知識が身につく」という意味では断じてありません。

配属部署・担当業務に関係なく、地方公務員稼業を続けていればいつでもどこでも探求できるトピックが、僕は少なくとも2つあると考えています。

現状の不条理分析→真の黒幕は誰なのか? 

ひとつは現状の不条理分析です。

役所の仕事の多くは、現に発生している問題を解消しようとするもので、いわばマイナスをプラスに転じようとする試みです。
そのため、何事もまずはマイナスな事態が発生している現状の分析から始めます。

現状を深掘りしていくと、結構な頻度で既得権益を発見します。
大多数の目には「問題」として映る事態であっても、特定の個人・団体には「利益の源泉」として機能している。こういうケースが散見されるのです。
既得権益といえば金銭的なものがメジャーですが、権威・メンツも立派な既得権益です。

迷惑を被っている人が大勢いることを知っていながらも、私利私欲のために問題解決を意図的に妨害している「真の黒幕」も意外といらっしゃいます。

僕は心根が中二病なので、こういう「黒幕の構造」を探求していくのが楽しいのです。


普通の人のダークサイド分析→常人のキレポイントは?

もうひとつは普通の人のダークサイド分析です。

先にも触れましたが、行政サービスをありがたく思う人はごくごく少数です。
何をやっても感謝されず、むしろ不満や怒りをぶつけられてばかりです。

行政に対して敵意を向けてくる方のほとんどは、戦いの素人です。
戦闘が生活の糧というわけでなく、普段は平穏に暮らしています。
(もちろん戦闘のプロも少なからずいます。役所はじめいろんな相手に戦いを仕掛け、戦果をあげることで収入を得ている方々です。)

こういう方々にとって、敵意を顕にして怒声を上げ罵詈雑言を撒き散らす機会なんて、人生全体で見ても滅多に無いでしょう。

幸か不幸か、役所という場、公務員という相手は、こういうごく普通の方々が秘めたる敵意を発露させやすいシチュエーションだと思います。
つまり公務員は、「普通の人の心のダークサイド」という(ある意味貴重な)事例を垣間見れるのです。

人間の心理に興味のある僕としては、これもまた「やりがい」のひとつです。
……というふうに自分に言い聞かせることで、敵意を浴びるストレスを軽減しようと企てているところです。


やりがいとの付き合い方

僕はなぜか頻繁に異動していて、ほぼ毎年のように担当業務が変わっています。
そのため、どんな部署でも共通するような抽象的な「やりがい」しか思い当たりません。
特定の部局で長く勤め上げているような職員であれば、もっと具体的なやりがいがあるのかもしれません。

逆にいえば、公務員稼業全体に通用するような「やりがい」が見出せず、現在の担当業務と直結した個別具体的な「やりがい」しか見出せないのであれば、人事異動のたびに苦しむのかもしれません。
例えば「観光客の笑顔がやりがい」というだけでは、観光部局から異動した途端に振り出しに戻ってしまいます。

やりがいはあくまでも主観的なもので、口外するものでもありません。
正直、何を抱いていても構いません。
役所勤務の充実感を少しでも高めるための「おまじない」みたいなものでしょう。
自分の納得いくお題目を設定した者勝ちだと思います。 


最近エゴサーチしてますか?
僕は四半期に一回くらいのペースでエゴサーチしています。

自意識過剰と思われるかもしれませんが、公務員(内定者含む)であれば、誰もが一度はしっかりエゴサーチして、インターネット上に転がっているオープンアクセスな情報だけでどの程度まで自分の身辺を洗えるのか、把握しておいたほうがいいと思います。

多くの地方自治体では、何らかの形で、職員の氏名を公表しています。
最もオープンな自治体ではインターネット上で人事録を公開していて、平職員のフルネームまで容易に調べられます。
紙媒体の人事録であれば、情報公開窓口に行けば、ほとんどの自治体で閲覧できるでしょう。

人事録を作っていない小さな自治体でも、部署ごとの座席表であれば庁舎内に掲示されているでしょう。それを見れば氏名がわかります。

つまり、地方公務員であれば、誰もが氏名を検索窓に打ち込まれ、個人情報を漁られる可能性があるのです。
そして実際、役所外部の人間にガンガン検索されています。

地方公務員の個人情報は(いろんな意味で)おもしろい

自治体職員とのコネクションを求める団体や個人は案外います。
 
営利目的で営業を仕掛けるため、許認可や補助関係で便宜を図ってもらうため、内部情報を入手するため、職員首長や議員へのパイプ作りのため、民間どうしの係争で役所を味方につけるため……等々、目的は様々です。

目的は何にせよ、いきなり見ず知らずの相手にアプローチを仕掛けるより、何らかのバックグラウンドを共有している相手から攻め崩していったほうが勝率は高まります。
役所側から民間に仕掛けるときにも頻繁に使う手法です。

特に便利で汎用性があるのが、以下の情報です。
  • 出身地
  • 学歴
  • 職歴
  • プライベートで所属している団体(地域のスポーツクラブなど)

氏名でググってみてこのあたりの情報がヒットすれば儲け物。
「共通の知人」くらいの間柄の人なら簡単に探し出せるでしょう。
せっかく公表されているのですから、検索しなければもったいないです。
何もヒットしなくても損失はありません。ゼロコストローリターンです。


役所を叩きたい方々にとっても、公務員の個人情報は重要です。
プライベートでの不祥事を発見できれば即席の批判ネタとして使えますし、職員個々人の詳細なプロフィールがわかれば、新たな火種を見つけられるかもしれません。

新規採用職員は特に狙い目です。
公務員が置かれている立場をよく理解していないためにガードが甘く、氏名でググるだけで色々な情報がまさに芋づる式に掘り起こせます。



良い意味でも悪い意味でも、公務員の個人情報は注目されています。
面倒ごとを引き起こさないためには公開情報のコントロールが必須です。
コントロールの第一歩となるのが現状把握であり、すなわちエゴサーチなのです。

ディフェンシブが基本

最近は「セルフブランディングが重要」と叫ばれていて、プライベートの一部をインターネット上に公表するメリットも説かれているところですが、地方公務員の場合はあまりにリスクが高すぎると思います。
(実名で活動している公務員の方々は想像を絶する苦労をされているところを思います。本当に尊敬します。)

特段の目的が無いのであれば、プライベートの情報は極力公開しないほうが無難です。

SNSは鍵かけて意味不明なアカウント名にする

今の時代、何が原因で炎上するかわかりません。
本来燃えるはずがないものすら悪意をもって燃やされる時代といったほうが正確かもしれません。

特にSNSのアカウントは原則非公開にして、リアルな友人知人との交流目的だけに止めたほうが安全でしょう。
かつ、アカウント名は、本名とはかけ離れたものにすることを勧めます。
アカウントを非公開設定にしたところで、アカウント自体が見つかってしまえば、そこからプライベートを掘られてしまうからです。

僕の本名が「久川颯」で「hayate_hisakawa」というツイッターアカウントを持っていると仮定します。
炎上が怖いのでアカウントに鍵をかけています
(俗にいう「非公開設定」であり、僕が許可したユーザーしかツイート内容を読めません)。
 
そこそこ珍しい氏名なので、ググれば簡単にツイッターアカウント自体は特定できます。
ただし鍵がかかっているのでツイート内容は一切読めませんし、フォロー/フォロワー関係もわかりません。

しかし、ツイッター内の検索機能を使って、hayate_hisakawaあてのリプライを検索してみれば、他者から僕に宛てられたリプライを探せます。
僕がいくら鍵アカウントであっても、リプライ発言者(発信元)が鍵をかけていなければ、僕あてのリプライ内容が読めてしまうのです。

リプライの内容次第では、僕とリプライ発信者の関係性を推測できます。
「同窓会行くの?」だったら同窓生ですし、「明日昼飯一緒に行こうぜ」だったら職場の同僚、「尊い…」だったらオタク趣味仲間の可能性が高い、とか。
関係性が見えてくれば、あとはリプライ発信者のプロフィールを特定できれば、僕のことも芋づる式にわかります。

一人のリプライ発信者からわかる情報は限定的かもしれません。
しかし何人分も同じ作業を続けていけば、恐ろしいことにそれなりに見えてきます。

リプライ内容自体が問題になるケースもありえます。
「また大麻売ってくれよ」みたいな反社会的内容はもちろんのこと、「最近儲かってんだろ?ゴチになるわ」みたいな些細な会話から副業を疑われるケースも考えられます。
 


とにかくアカウント自体を発見されないようにしたほうが安全です。

もし不特定多数の人と交流したいのであれば、絶対に氏名と結びつかないよう(氏名を検索しても絶対にヒットしないよう)注意するか、特定されても一切問題がないよう聖人君子のように振る舞う必要があるでしょう。

「勝手にアップされている個人情報」を把握する

インターネット上には、自分がアップしたわけではない個人情報も転がっています。
  • 大学時代の研究室やゼミのホームページ
  • バイト先・サークルのブログ
  • 予備校の合格体験記
  • スポーツの大会記録

ざっと思いつくのがこのあたりでしょうか。

こういった情報は自分では消せません。放置しておくしかありません。
とはいえ、どういう情報がインターネット上に掲載されているのか、リスクとして把握しておく必要があります。

まずはエゴサーチしてみよう

よほど珍しい名前でない限り、同姓同名の人間が存在します。
そのため氏名だけでエゴサーチしてみても、同姓同名の方々の中に埋もれてしまい、自分の情報が見つからないかもしれません。

エゴサーチするときは、単に自分の氏名を検索するだけでなく、自分がヒットしやすくなるよう絞り込めるような要素を付け加えて検索してみてください。
 
具体的には
  • 居住している都道府県名・市区町村名
  • 勤務先自治体
  • 在籍した学校(小学校〜大学まで全部)

あたりの要素は必須級で、ほかにも自分と関係のある要素を試してみればよいでしょう。

苗字だけとフルネームの両方を検索することも重要です。
フルネームの表記は無くても、苗字だけ記載されているドキュメントも多数あります。
フルネームだけ検索していては、こういう情報を見落としてしまいがちです。


役所には毎日、窮状を訴えにくる方々が押し寄せます。
その中身は様々で、「事実は小説よりも奇なり」という諺を実感させられます。

感情の赴くままに語られる窮状を一通り聞いて、役に立ちそうな制度や施策を紹介することになりますが、解決に至るケースは極々稀です。
そもそも既存の仕組みで解決できるのであれば、わざわざ役所に来る必要はありません。
現状の行政サービスでは救われないからこそ、役所まで足を運んで、窮状を訴えるのです。

特に県庁の本課だと、この傾向が強いです。
通常の手続きを行う窓口部署(市町村役場や県出先事務所)では解決できなかったために、藁をもすがる思いでやって来る方がとても多いです。

通常の手続きではどうしようもないということは、ルール上どうしようもありません。
結果として、窮状解消は叶わず、時には門前払いに近い形で退けることになります。

対応にあたる職員は、気まずい思いをしつつもお断りすることになります。
どんなに感情をぶつけられようとも、心変わりしたり、結論を変えてはいけません。
 
情に流されてルールを歪めたら、目の前の一人は得をしますが、そのほかの全住民が相対的に損をします。
極端な言い方をすれば、目の前の一人のためにほか全員を犠牲にする、独裁を許すことになります。
これは不正行為です。規定違反にとどまらず、住民全員に対する裏切りであり、背反行為です。

・・・というロジックを頭では理解していても、実施に悲哀や憤懣をぶつけられると、揺さぶられてしまうのが人間の宿命です。
感情に押されて「本来役所は住民のためにある存在なのに、どうして目の前の一人を見捨てなければいけないのか」と思い悩む方も多数いることでしょう。
このジレンマに悩まされた結果、公務員を辞する方もいます。

公務員として働き続けるには、なんらかの形で割り切るしかありません。
そうしないとメンタルが持ちません。
今回紹介する『反共感論』は、そんな割り切りのヒントになる一冊です。


<p.11>
本書で私は、共感と呼ぼうが呼ぶまいが、他者が感じていると思しきことを自分でも感じる行為が、思いやりがあること、親切であること、そしてとりわけ善き人であることとは異なるという見方を極めていく。道徳的観点からすれば、共感はないに越したことはない。

<p.17>
共感とは、スポットライトのごとく今ここにいる特定の人々に焦点を絞る。だから私たちは身内を優先して気づかうのだ。その一方、共感は私たちを、自己の行動の長期的な影響に無関心になるよう誘導し、共感の対象にならない人々、なり得ない人々の苦痛に対して盲目にする。つまり共感は偏向しており、郷党性や人種差別をもたらす。また近視眼的で、短期的には状況を改善したとしても、将来悲劇的な結果を招く場合がある。さらに言えば数的感覚を欠き、多数より一人を優先する。隠して暴力の引き金になる。身内に対する共感は、戦争の肯定、他者に向けられた残虐性の触発などの強力な誘因になる。人間関係を損ない、人間関係を損ない、心を消耗させ、親切心や愛情を減退させる。

反共感論 社会はいかに判断を誤るか
ポール・ブルーム著 高橋洋訳 2018年2月 白揚社

世間的には、「もっと共感が必要だ」と言う論調が主流です。
本書はこの流れに真っ向から反対します。
むしろ共感のせいで、トータルでは不利益が生じていると主張し、その根拠を説明していきます。

それなりに年次を経た公務員であれば、首肯できる内容では?
そして、上記のように考えれば、住民対応時のジレンマが和らぐのではないでしょうか?


公務員志望者の方にも一読をお勧めします。
国家であれ地方であれ、姿の見えない「多数者」の福利向上のため、目の前にいる個人を見捨てざるをえない場面が必ずあります。

本書は、極めて冷静に、このような判断を正当化します。
本書を読んでも納得できない、「困っている人がいるのであれば助けなければいけない」と思うのであれば、残念ながら公務員は向いていません。

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