キモオタク地方公務員(県庁職員)のブログ

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典型的な役所批判の一つに、具体的な成果指標が無い」というものがあります。

実際のところ、成果指標が無いことは少ないです。対外的に公表していないだけです。
具体的な指標がないとそもそも事業の進捗管理ができません。

公表しない(というよりもできない)理由は様々ですが、現状の役所の立ち位置を考えるに、役所が成果指標を設定すること、特に対外的に公表して住民とも共通して抱けるような指標を設定するのは大変困難だと思っています。

役所が成果指標を決めるなんて傲慢すぎる

まず、そもそも役所が施策の成果指標を決めてもいいのかという疑問があります。

成果指標は、施策の結果、つまるところ自治体の将来像に直結します。
民主主義という仕組みをとっている以上、自治体の将来像を決めるのは、住民なのではないでしょうか?

教科書的な考え方だと
  • 大局的な成果指標は住民が決める
  • 細分化された小目標は実務を担う役所が決める
という区分けになるのでしょうが、どこまでを大局的(住民が決める部分)とするか、という議論の前提を整えるのがまず困難です。

住民の中には、細かい成果指標まで参画していきたい人と、大局的な成果指標すらどうでもいい人がいます。
さらに、何を大局的とみなすかも、人によって大きく異なります。
もし役所主導で「大局的な成果指標」にあたるものを設定しようものなら、前者のタイプの方から猛攻撃を受けるでしょう。

実際、どんな細かい成果指標であっても、役所主導で決めると「いまだに『お上意識』が残っている」「民主主義をないがしろにしている」「お前らは公僕であり為政者ではないだろう」というお叱りが飛んできます。
そのまま住民運動につながることも多々ありますし、訴訟まで発展することもあります。

「首長がリーダーシップを発揮して成果指標を決めるべき」という意見がマスコミ報道なんかで流れることもありますが、一方で役所の現場では、「成果指標は住民が決めるべきであって、役所が勝手に設定するのは許されざる蛮行だ」という意見も強く受けています。

つまるところ、「成果指標の決め方」を決めるプロセス、本題に入るための準備段階で大いに揉めるのです。

成果指標のせいで分断が広がる

もし具体的な成果指標を設定したとしても、それが住民に広く受け入れられることはあり得ません。
成果指標が具体的であればあるほど、住民としては、自分に利益があるのか、反対に害があるのか、はっきり理解できます。

はっきりと示されるほど、感情的な反応を招きやすいものです。
利益を受けられる人は賛同し、一方で負担や害を被る人は反発します。
特にマイナス影響のある方の反応が激しく、役所には批判が殺到しますし、マスコミもネタにしやすいのでガンガン煽ります。
「官製格差」と言ってみたり、施策の背後に癒着関係があると推測してみたり……

こうして施策はスタート前から躓き、後に残るのは役所への不信感だけです。
本来得をするはずだった人も、周囲からの強烈な監視のために施策に乗りづらくなります。
こうして施策は失敗に終わります。

さらには、得する側と損する側で、住民間に分断が生じます。
目標が具体的であればあるほど、得する人と損する人が、客観的にも明らかになります。
こうなると妬みが生じ、住民間のトラブルに発展してきます。

こうしたトラブルが予見されるために、たとえ成果指標を決めていたとしても、積極的な提示は躊躇してしまいます。

検証させてもらえない

成果指標を策定して、なんとか施策を終えたとしても、さらなる関門が存在します。
本当に成果指標を達成したのかどうかの検証・効果測定が難しいのです。

成果指標を達成したのか否かの検証をやったところで、住民には直接の利得はありません。
「役所にしっかり説明責任を果たさせた」という達成感があるだけで、懐も温まらないし、お腹も膨れません。実利が無いのです。
そのため、役所が検証に予算や人員を投じようとすると、大概「無駄だ」という批判に遭います。

「イベントの来場者数」のような単純な成果指標なら特段の予算も労力も不要であり検証可能ですが、調査や分析が必要な指標の場合は、兵糧不足で検証ができません。
このような前提、つまり具体的な成果指標を設定しても検証できない可能性が高いという制約条件があることも、役所が具体的成果目標の設定に後ろ向きな理由だと思われます。



役所主導で具体的な成果目標を設定すること自体は、不可能ではありません。
ただし、実際にやってしまうと、「独裁」「民主主義の崩壊」などの批判が相次ぎます。
さらには住民間のトラブルも招きます。

成果目標の設定に対して、従来はとにかく住民参加を求める声が強かったところですが、最近は「住民に決定責任を丸投げするな、役所が責任を持って決めろ」という声も多数聞こえてきます。

結局のところどんな方法を取ってもトラブルに発展するので、覚悟を決めて色々試してみる時期なんでしょうか……

役所が提供するオンラインサービスがことごとく叩かれています。
雇用調整助成金のオンライン申請システムだったり、コロナ感染者追跡アプリだったり……そして何より特別定額給付金のオンライン申請。
僕自身、ここ数ヶ月で大量にお叱りの声をいただきました。どれも県庁は直接関係ないし、怒鳴られてもどうしようもなんですけどね……

マスコミも、僕が直接対応した住民の方々も、オンラインサービスの不出来さを叱責するついでに、役所仕事の非効率さも一緒に詰ってきます。
ハンコ文化だとか、テレワークできてないとか、電話に頼りすぎとか、ペーパーレスを進めるべきとか、職員のパソコンスキルが低いとか……
「とにかく役所は電子化が進んでいない」と言う結論で締めくくるのが定番のパターンです。

実際のところ、役所が提供するオンラインサービスはだいたいお粗末だし、役所内部の設備も業務プロセスも前時代的なままで非効率なのは間違いありません。叩かれても仕方ありません。

しかし、前者(住民向けのサービス)と、後者(役所内部)の問題を、ひとまとめにして叩くのは危険だと思っています。
この二つは大元の原因が異なります。
 
両者をひとまとめにして叩くだけでは根本的な問題解決にはなりませんし、間違った方向にすら進みかねないと思っています。
特に前者を叩きすぎると、役所の本来の役割である「市場の失敗の補完」を見失いかねません。

【2020/9/25追記】
「デジタル庁」というキャッチーなキーワードが世に産み落とされたので、記事タイトルを変えました。
省庁横断でデジタル化を進めること自体は大賛成ですが、やはり「住民向けサービス」と「役所内の業務面」を分けて考えるべきだと思います。

オンラインサービス拡充よりもデジタル弱者救済の方が優先

過去の記事で、世の中のデジタル化についていけてない方々(以下「デジタル弱者」)の支援が今後の役所の課題になると書きました。


デジタル化が進むにつれて、従来のアナログなサービスがどんどん削減されています。
アナログからデジタルへの移行についてこられていないデジタル弱者にとっては、ここ十数年で生活が不便になってきました。

アナログサービスの削減により困っている人が発生しているという現状は、市場の失敗の一例です。
市場の失敗の補完は、役所の基幹業務です。
つまり、デジタル弱者の救済は、役所の本業なのです。

インターネット上に現れてこないだけで実はものすごく多い

デジタル弱者はものすごく多いです。今回のコロナウイルス感染症騒動で痛感しました。
僕自身が対応した住民の方々からも、
  • 持続化給付金にしろ自治体独自の給付にしろ、インターネットが使えないとろくに補助制度のルールすら調べられないのは差別だ、全員平等に郵送せよ!
  • 特別定額給付金を真に必要としている貧困者はインターネットが使えないんだから、オンライン申請者を先に始めるのは本末転倒だ!
という声をたくさんいただきました。
人数でいえば、役所のアナログ具合を糾弾する方よりも多かったです。
しかもアナログ批判の声よりも真剣味があり、本当に困窮している様が伝わってきました。

さらに言えば、怒りのレベルも高かったです。
アナログサービス削減に対する憤懣、社会全体への鬱憤が普段から溜まっているのでしょう。
インターネットでしか情報配信しない姿勢に対して、何回も「殺人鬼」呼ばわりされました。

デジタル弱者が地方政治の王道派

デジタル弱者の大半は高齢者で、中には政治力のある方もいます。
地元の名士で膨大な票数を動かせたり、議員OBだったり……

6月議会の議事録を見てみれば一目瞭然でしょう。
田舎の自治体だと、デジタル化推進よりもデジタル弱者救済を求める質疑のほうが多いはずです。

現役世代にもデジタル弱者はたくさんいます。
最近流行りの「GIGAスクール構想」関係で、家にネット回線がある家庭の割合がたびたび報道されていますが、どこの自治体も7割前後止まりです。
誰もがインターネットにアクセスできる時代は未だ到来していません。


まとめると、
  • デジタル弱者の救済(=市場の失敗の補完)は役所の本来の役割
  • デジタル弱者は数が多くて真に困っており、救済施策のニーズがある
  • デジタル弱者は政治力を持っている

以上3つの理由から、地方政治ではデジタル弱者側が優先されがちです。

現状、地方財政にゆとりは無く、オンラインサービス拡充とデジタル弱者救済を両立させるのは困難です。
政治力による駆け引きの結果、オンラインサービス充実は劣後して、デジタル弱者のほうに予算と労力を振り向けています。

もし役所が現状の世論に与してオンラインサービスを拡充するのであれば、デジタル弱者の救済策も同時にもっと強化しなければいけません。
そうしないと、役所は福祉という本来の役割を放棄して、格差拡大に加担するという本末転倒になってしまうのです。

どんなデジタル弱者でも使えるやさしいオンラインサービスを整備することが理想なのですが……利用者(住民)のデジタルリテラシー格差があまりにもすさまじく、正直想像できません。

世論が認めてくれたらいくらでも設備投資できる(はず)

一方、役所内のデジタル化が進んでいなくて業務が非効率なのは、設備投資をする予算が無い(認められない)からです。
ボトルネックは世論です。

職場環境に設備投資しようとすると「職場環境への投資は職員のためにしかならない。住民に還元されない。だから認められない」というロジックが席巻しているために、設備投資したくてもできないのです。

コロナウイルス感染症騒動をきっかけに、業務継続計画(BCP)を真剣に考え直している自治体も多いと思います。 
今であれば、「第二波に備えた業務体制の整備」 みたいな名目で、設備投資予算が通るはず。
個人的には千載一遇のチャンスだと思っています。 



役所内のデジタル化の遅れは、世間が叩けばきっと是正されます。
来年度当初予算に堂々と計上できるよう、来年の2月くらいまで叩き続けて欲しいくらいです。

一方、住民向けのオンラインサービス整備の遅れは、ただ叩くだけでは解決しません。
デジタル弱者の救済という優先課題の存在を忘れないでほしいです。

もし面接でオンラインサービスのことを聞かれたら、デジタル弱者救済のことにも触れてみるといいかもしれません。

中央省庁や都庁志望の優秀な若者を田舎役所に引きずり込みたいという邪念を抱きながら日々更新している本ブログ。
このブログがきっかけで地方公務員に興味を持ってくれたらこの上ない喜びです。

ただし、万人に対して地方公務員就職を勧めたいとは思っていません。
役所という組織も公務員の仕事も合わない人にはとことん合いませんし、何より辞めた後の選択肢が限定されます。
特に民間企業への転職は難しく、公務員並みの待遇と求めるとなると相当困難でしょう。

そのため、一旦地方公務員に就いたなら、なるべく辞めてほしくありません。
入庁前に情報収拾して、自分の適性を考え抜いてほしいです。

役所組織や実務への適性は、インターネット上にたくさんの情報が既にありますし、このブログでも何度か取り上げています。











 
今回は役所から離れて、地方都市生活への適性について考えてみます。

大都会(特に東京)からUターン・Jターン就職してきた方の中には、政令市レベルの都市でも満足できずに結局東京に戻ってしまう方が一定数います。
政令市のどういうところに満足ができなかったのか、何が不足しているのか。
僕がこれまで見聞きしたケースを紹介します。

文化資源が全然足りない

美術館や博物館巡りの魅力に目覚めてしまった方は、地方都市に満足できなくなってしまいがちです。
これら文化施設のコンテンツ力は、東京の一人勝ちです。

常設展示もさることながら、企画展や特別展示の回数・質は、地方都市とは比べものになりません。東京の圧勝です。
海外の美術館からの借り物をはじめ、東京でしか開催されない企画展も多数あります。

地方の施設にも魅力的なコンテンツはありますが、数が少なく、入れ替わりもほとんどありません。
そのため一度行けば十分で、新鮮味がありません。
東京の刺激を一度知ってしまったら到底満足できません。

休みをとって上京して巡回するという方法もありますが、なかなか難しいようです。
こういった文化施設はたいてい行列ができ、入場までに時間がかかります。
そのため地方から上京していては時間が全然足りないのです。

地方都市には存在しない業種・職種に就きたい

とりあえず就職してみたものの、本当にやりたい仕事とのミスマッチに耐えかねて、東京に戻って行くパターンもよく聞きます。
仕事の幅では、東京には到底敵いません。
特に学識を活かすタイプの仕事は、政令市には無い職種がたくさんあります。

わかりやすいのは理系の研究職・開発職です。
地元大手企業に就職するも、大学時代と比べて研究・開発水準があまりに低くつまらなさすぎたというパターンを頻繁に聞きます。
僕の友人の中には「高校物理のほうがレベルが高い」と言い残して東京に戻っていった連中もいます。

加えて地方企業だと、研究や開発に専念させてもらえないことも多いようです。
研究職で採用されたのに、人手不足を理由に経理も兼務しているとか。


文系は一層深刻です。
地方都市の文系職は、たいてい何でも屋です。
役所並みにジェネラリスト志向のところが多く、たとえ大学で高度な学識を身につけていようとも考慮されません。
つまり、文系学問の知見を活かせる仕事が地方都市にはそもそも存在しないのです。

東京本社の大都市と比べて組織が小さいために、文系専門職を雇うだけのキャパシティが無いのでしょう。
都庁と県庁を比較しても、この傾向がはっきり見て取れます。
専門家を採用・育成しようとする都庁と、ひたすらジェネラリスト(笑)志向の地方県庁。
組織のスケール的にどうしようもないのだろうと思われます。

東京で築いた人間関係がものすごく大切

UIJターン就職すると、東京で築いた人間関係からは疎遠になります。
いくら遠隔通信手段が発達した時代とはいえ、東京在住時代と同程度の緊密さをキープするのは至極困難です。
僕自身、大学時代の友人とどんどん疎遠になって行くのを感じています。
結婚式なんかで久々に再会すると特に実感します。

会話は続かないし、愛想笑いの頻度の多いこと。
共通の話題といえば大学生当時の思い出話ばかりなのですが、これすら評価が割れます。
僕にとっては「楽しいエピソード」なのに、周囲にとっては「どうでもいいこと」だったり。逆も然り。

かつての友人とどんどん疎遠になっていくことを、僕は仕方ないものと思っています。
人間は日々変化していくものです。
そしてこの変化には、周囲の環境が大きく影響します。
地方都市と東京という異なる環境下で暮らしていれば、それぞれ異なる方向へ変化していって当然です。

僕は人間関係全般に対して関心が薄いので、こういうふうに割り切っていますが、そうでない方のほうが多数派だと思います。

そのため、東京で築いた人間関係を重視する方は、自然と東京に戻っていきます。
大学時代がものすごく楽しかったリア充にありがちなパターンです。

よく言われるように、一度生活のレベルを上げてしまうと、元のレベルに落とすのが非常に苦痛に感じられます。
人間関係も同様で、一度ハイレベルな環境を経験してしまうと、通常の環境では満足できなくなるのです。

「楽しくない」「つまらない」という不満感だけでなく、劣等感を覚える人もいるでしょう。
地方都市にいる自分が相対的に停滞しているように感じられるのです。

結局はメリデメの比較

東京生活にはデメリットもたくさんあります。
通勤のストレスだったり、物価の高さだったり、人口密度だったり、自然の少なさだったり……
 
こういったデメリットを打ち負かすほどの強烈なメリットとして人を動かしたのが、今回紹介した3事例になります。

今回挙げた3事例は、いずれも2013年〜2019年という限られた期間に観測されたケースです。
これからどうなるかはわかりません。
ただ個人的には、変わらないどころか、もっと顕著になると思います。

結局のところ、自分が本当に地方都市で満足できるのかどうかは、自分にしかわかりません。
今まさに東京にいるのであれば、まずは考えうるデメリットを全て経験してみてください。
貴重なヒントになるはずです。

田舎だと県庁はかなり大きな(人数の多い)組織です。
しかも構成員(職員)は県内全域から集まってきます。
さらに学歴も高卒から院卒まで様々で、偏差値的に見てもばらつきがあります。
 
田舎社会の中では、ただ巨大なだけでなく、多様性に富んだ組織と言えるでしょう。
あくまでも田舎では、です。都会とは勝負になりません。

この県内限定の多様性とでもいうべき性質こそ、市役所にも国家本省にも無い、県庁組織特有の強みだと思っています。

出身高校ネットワーク

県庁組織の持つ多様性の中でも、職員の出身高校の多様性、つまり県内の主要な高校のOB・OGを一通り職員として抱えていることが、最大の強みだと思っています。
特に進学校だと、ほぼ全卒業年次を網羅しています。

このため、職員の出身高校つながりをたどっていけば、正規ルートでは近寄れない要人への接触を試みたり、特定個人の情報を裏から探ることが可能になるのです。
 

個人的経験 〜政治的クレーマーの対処〜

自分の経験を紹介します。

とある業務に携わっていたとき、ものすごく執拗なクレームを特定個人から受けたことがありました。
その人に実害があるわけではないのに、正義や人権を持ち出してきて、一般論で責め立ててきます。
趣味レベルとは到底思えない執念に加え、明らかにお金のかかった資料を準備して挑んでくるので、バックに誰かいることまでは推測できていましたが、実態は見えませんでした。

そこで雑談のふりをして、出身高校を聞き出しました。
外見から年齢を推測して、高校時代の同級生の可能性がある職員に片っ端から問合せたところ、あっさり同級生を発見。
その職員に深くヒアリングして、クレーム主がとある政治団体要人の高校時代からの友人であることを突き止めました。

結局のところ、そのクレーム主は政治団体の手先で、政治団体の名前を隠しつつ行政に圧力をかけるため、資金援助を受けて活動していたのです。

次の来訪時にさりげなく政治団体の名前を出したら、ぱったりと顔を出さなくなりました。

出身高校ネットワークを使わなかったら、もっと泥沼化していたと思います。
 

田舎ならでは?

こういうアプローチを「汚い」とか「ダサい」と思うなら、田舎役所勤務は苦痛かもしれません。

僕もそろそろ30歳。かつての同級生が家業を継いで社長になったり、市町村議会に出馬したりと、社会で活躍するようになってきました。
同時に、職場で「同級生の○○さんって知ってる?」という問合せを受ける機会が増えてきました。

顔が広い職員だと、僕なんかとは比べものにならないくらい、同種の問合せを受けているでしょう。
もしかしたら顔つなぎまで頼まれているかもしれません。

プライベートの人間関係を職場にかき乱される恐れも否定できません。
 
もちろん協力するかどうかは各自の自由です。強制ではありません。
ただ、そもそもこういう質問自体が苦痛という方もいるでしょう。

出身高校情報は非常に便利ですが、「使う」側であるだけでなく「使われる」立場でもあることを理解しておくべきでしょう。

インターネット上では「自家用車は情報弱者の象徴」という説が根付いています。
従来からお馴染みの「自家用車保有にかかるコスト」だけでなく、「車を運転している時間が無駄、運転を外注して時間をより生産的に使うべし」という時間管理面からの否定も最近よく見かけます。

ガチ田舎在住者としては、車無しの生活は考えられません。
今後はさらに厳しくなるでしょう。公共交通機関はどんどん衰退しますし、商業施設も潰れていって歯抜け状態になり、日常的な買い周りにも遠出が必要になるでしょう。

ただ、田舎生活に車が必要という話と、マイカーが必須かという議論は別問題です。
家族と共有するとか、マイカーを買わずとも日常的に車を使う方法は他にもあります。

マイカーを買うべきか否かは、居住地にかかわらず、個々人の生活パターン次第だと思います。
実際にマイカー無しの生活を送ってみて、不便を感じるなら購入を検討すればよいでしょう。
就職前にマイカーを準備しておく必要までは無いと思います。

以下、マイカーを買うか否かで迷っている方向けに、マイカーの必要性を考えていきます。

コスト面の整理

初期費用:ピンキリ

初期費用の大部分は自動車本体の購入費です。
このほか、オプションパーツ(カーナビや冬用タイヤ等)購入費などがあります。

自動車の値段は、新車も中古車もピンキリです。
同じ車種でも、コンディション次第で値段が全然違います。

最初に買うとしたら中古の軽自動車で十分です。
1台目の車はどうせこすって傷物になりますし、結婚したら高確率で買い替えられる運命です。高いお金を払う必要は薄いと思います。


豪雪地域は別です。軽自動車だと対応しきれないかもしれません。

自分の場合は中古のコンパクトカー(普通車)を買いました。
オプションパーツ等々込みで60万円です。かなり安い価格帯ではありますが、今まで全く問題なく動いてくれています。

ランニングコスト:駐車場代の有無がでかい

購入後の維持経費は、大きく固定費と変動費に分けられます。
変動費は、車の利用量(走行距離)によって変動する経費です。

主な固定費
  1. 車検費(自賠責保険料含む)
  2. 自動車保険(任意保険)
  3. 自動車税
  4. 部品等のメンテナンス費用
  5. 駐車場代
1〜4までは絶対に発生しますが、工夫次第で削減は可能です。
5の駐車場代がポイントです。
これが発生するかどうかでランニングコストが大きく変わります。

住居に車が置ける等、無料で使える駐車スペースがあるなら問題ありませんが、そうでない場合は自分で確保しなければいけません。

通勤にマイカーを使う場合は、必ず駐車場代が発生するものと想定しておいたほうが無難です。
多くの役所は職員向けの駐車場を持っていません。あったとしても年長者優先で若手は使えません。
そのため大半の職員は自分で駐車場を借りなければいけません。
しかも通勤手当の対象外なので自腹です。


主な変動費
  1. ガソリン代
  2. 洗車代
1は当然として、使い方次第では2も意外とかかります。
僕みたいな万年恋人無しぼっちドライバーなら話は別ですが、頻繁に他人を車に乗せる人にとっては、定期的な洗車は義務らしいです。

ちなみに自分の場合、変動費トータルで年間33万円(2.75万円/月)くらいかかっています。
  • 車検費(自賠責保険料含む) 6万円(2年ごとに12万円)
  • 自動車保険(任意保険) 4万円
  • 自動車税 4万円
  • 部品等のメンテナンス費用 5万円
  • 駐車場代(職場近辺) 8万円 ※自宅敷地内に駐車スペースあり
  • ガソリン代 6万円
  • 洗車代 0円

自家用車を持つメリット

田舎は公共交通機関が貧弱です。
とにかく本数が少ないし、網羅性に欠けます。目的地のそばに駅や停留所があるとは限らず、公共交通機関から下車した後に徒歩で延々と移動する場合が多いです。
 
公共交通機関に頼って生活するなら、行動範囲を相当狭めたうえ、移動時間(特に待ち時間と徒歩移動時間)に人生を捧げる覚悟が必要です。
一方、車があれば、行動範囲を拡大でき時間が有効に使えます。

誰もが享受できるメリットはこのくらいでしょう。
大人数で出かけやすいとか、サーフィンやスキー、釣りのような大荷物を運ぶ趣味がやりやすいとか、生活スタイル次第では他にも色々メリットがあります。
 
ただし、自分のようなインドア独身者にとってのメリットは、行動範囲と圧倒的時短のみです。

マイカー保有の検討

マイカーを持つかどうかは、費用とメリットを天秤にかけて判断することになります。
僕の場合だと、時短面だけを見ても十分費用対効果が得られると判断しています。

現状の僕の生活では、自家用車を持つことで毎月48時間を節約できています。
(通勤2時間×出勤22日、図書館への往復2時間×月2回)
節約される48時間の大半は、自宅から最寄り駅までの徒歩移動時間です。
読書等、他の活動を並行することはできません。ただ歩くだけの時間で、僕としては価値の低い時間です。

一方、前述のとおり、毎月の車の維持費は毎月2.75万円。
初期経費を10年で按分した分(0.5万円)を加算すれば3.25万円です。

以上より、毎月48時間の自由時間を生み出すために、3.25万円を費やしていることになります。
1時間あたりだと約680円です。
僕はこれをお得な買い物だと思ったため、自家用車を保有する決断を下しました。

この判断はあくまでも現時点での判断です。
今以上にガチで蓄財しようと思えば、真っ先に見直すべき費目でしょう。
車を手放す、つまり自由時間48時間を手放せば、毎月2.75万円が手元に残ることになります。

節約される48時間の価値が高まることもあり得ます。
歩くことと並行して実行可能な趣味を持つようになったら、48時間の価値が飛躍的に高まります。
極端な話、自由な48時間と徒歩移動48時間の価値が一緒であれば、後者を選ばない理由はありません。後者を選べば、2.75万円/月もついてくるのです。
 

焦らず冷静に考えるのがベスト

マイカーを持つことの費用(デメリット)もメリットも人それぞれです。
本稿で示した内容が全てではありません。たくさんの遺漏があるでしょう。
一人の知見では網羅的に整理しきれないくらい、マイカー保有を左右する決定因は多数存在します。

マイカーを急いで買う必要はありません。 
社畜生活に慣れてきて、生活パターンがある程度固まってきてから、冷静に考えればいいでしょう。

僕も今後、両親が定年退職して車の使用頻度が激減したら、自分の車を手放して、親と共用するようになるかもしれません。

自家用車の保有にこだわらずとも、使いたいときに自動車を使う方法は色々あります。
  • タクシーを使う
  • 家族と共用する
  • カーシェアサービスやレンタカーを使う
などなど、いろいろ比較検討してみればよいでしょう。

マイカーを買いたい方向けの参考記事です。

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