大抵の地方公務員試験で課される「社会科学」。
社会科学の目的の一つは、向かうべき社会の理想像を考えることであり、誰かが掲げた理想像の良し悪しを考えるための分析ツールでもあります。
しかし、現実には、地方公務員は理想像なんて考える必要ありません。
政治家が用意した理想像を「絶対正しい」と盲信して手を動かすだけの存在に過ぎません。
地方公務員になるために社会科学を勉強しなきゃいけないという現状は、かなり皮肉だなと思います。
大前提として、意思決定は政治の仕事で、行政は政治の意思決定を実行する立場にあります。
政治家が決めた「こうあるべき」という姿を実現するために全力を尽くす。
これが地方公務員の使命です。
※法律も「こうあるべき」のひとつです。作成者はまぎれもなく立法府=政治家だからです。
時には、「政治家はきっとこう考えているだろう」という推測で動くこともあります。
俗にいう「忖度」ですね。
どれだけ出世したとしても、この生き様に変わりはありません。
むしろ出世するほど、政治家の意図を解釈する仕事が増えていき、自分の意思を挟む余地がなくなっていくでしょう。
政治家が棋士だとすると、地方公務員は駒です。
どれだけ出世したとしても、王将止まりです。棋士にはなれません。
地方公務員が考える理想論は、鉄道オタクが勝手に作ったダイヤと同レベルの「戯れ」です。
もちろん、日本には思想・良心の自由が憲法で保証されています。
理想論を考えたり、個人的に主張する分には自由です。
しかし、役所内では全く顧みられません。
役所内でべき論を唱えること自体、越権行為です。
理想論を考えずに生きていられたら楽なんでしょうが、そうはいきません。
政治家が掲げる「こうあるべき」に同意できるなら、安心して思考停止できます。
しかし、現実には、心酔させてくれるどころか、呆れてしまう「こうあるべき」ばかり見せられます。
そもそも、週に40時間くらい触れているジャンルに対して、理想論を抱くなという方が無理な話。
こういった理由から、必要無いにもかかわらず、理想論をついつい考えてしまいます。
そして、職務上従わなければいけない理想論と、自分の本心から生まれた理想論の葛藤に悩まされます。
これは地方公務員の宿命なのでしょう。
行き場のない私的理想論発散のツールとして、ブログはぴったりだと思います。
公私ともに役立つ文章スキルもおまけで身につきますし。
社会科学の目的の一つは、向かうべき社会の理想像を考えることであり、誰かが掲げた理想像の良し悪しを考えるための分析ツールでもあります。
しかし、現実には、地方公務員は理想像なんて考える必要ありません。
政治家が用意した理想像を「絶対正しい」と盲信して手を動かすだけの存在に過ぎません。
地方公務員になるために社会科学を勉強しなきゃいけないという現状は、かなり皮肉だなと思います。
地方公務員の仕事は忖度と遵守
大前提として、意思決定は政治の仕事で、行政は政治の意思決定を実行する立場にあります。政治家が決めた「こうあるべき」という姿を実現するために全力を尽くす。
これが地方公務員の使命です。
※法律も「こうあるべき」のひとつです。作成者はまぎれもなく立法府=政治家だからです。
時には、「政治家はきっとこう考えているだろう」という推測で動くこともあります。
俗にいう「忖度」ですね。
どれだけ出世したとしても、この生き様に変わりはありません。
むしろ出世するほど、政治家の意図を解釈する仕事が増えていき、自分の意思を挟む余地がなくなっていくでしょう。
政治家が棋士だとすると、地方公務員は駒です。
どれだけ出世したとしても、王将止まりです。棋士にはなれません。
地方公務員が考える理想論は、鉄道オタクが勝手に作ったダイヤと同レベルの「戯れ」です。
もちろん、日本には思想・良心の自由が憲法で保証されています。
理想論を考えたり、個人的に主張する分には自由です。
しかし、役所内では全く顧みられません。
役所内でべき論を唱えること自体、越権行為です。
理想論どうしの葛藤
理想論を考えずに生きていられたら楽なんでしょうが、そうはいきません。政治家が掲げる「こうあるべき」に同意できるなら、安心して思考停止できます。
しかし、現実には、心酔させてくれるどころか、呆れてしまう「こうあるべき」ばかり見せられます。
そもそも、週に40時間くらい触れているジャンルに対して、理想論を抱くなという方が無理な話。
こういった理由から、必要無いにもかかわらず、理想論をついつい考えてしまいます。
そして、職務上従わなければいけない理想論と、自分の本心から生まれた理想論の葛藤に悩まされます。
これは地方公務員の宿命なのでしょう。
行き場のない私的理想論発散のツールとして、ブログはぴったりだと思います。
公私ともに役立つ文章スキルもおまけで身につきますし。
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