公務員の自分語りブログの定番記事(私見)である受験記録。そういえば書いていませんでした。
もう5年以上経つこともありますが、民間企業の就職活動と途中まで並行していたこともあって、受験自体に思い出があんまりありません。
戦略的に計画を組んで勉強したわけではなく、本気で公務員になりたい人には全然参考にならないでしょう。
ただ、民間企業の採用数が増えて公務員の倍率が下がっている最近の状況では、民間企業と併願する人も増えていそうで、自分の経験も役立つかもしれないので、書き起こしてみようと思います。
大学3年の9月:公務員試験の勉強開始
8月に所属サークルの一大イベントがあり、これを終えたタイミングで勉強を始めました。
10月:民間就職活動スタート
説明会解禁の少し前から、就職活動もスタート。
大手情報サイトの解禁は12月だったのですが、前年までは10月解禁だったことから、小規模な説明会は10月から続々と開かれていました。
ちなみに民間一本の友人たちは、大学3年の6月頃から動き始めていました。外資系企業の説明会やインターン、日系企業のOB訪問の足繁く通っていたようです。
11月~2月:試験勉強・民間企業の個別説明会・エントリーシート提出
2月に入ると、大手日系企業の内々定を貰える友人が出てきます。本当は4月に面接解禁なのですが、「面接に来てくれたら絶対通すよ」という形で、事実上の内々定を貰えていたようです。
東日本大震災の翌年だったこともあり、採用数自体は激減していました。企業側としても「採用数を絞るからこそ優秀な人間を採らなきゃ」というプレッシャーがあったのでしょう。経団連の取決めは機能していませんでしたね。
自分はどこからも声がかかりませんでした。
3月:リクルーター面接
民間企業の選考が本格化してきて、公務員試験の勉強がおろそかになっていた時期です。エントリーシートを提出した企業から非通知の電話がようやくかかってくるようになり、社員との懇親と言う名の足切り大会が始まります。
「面接の日程は後日連絡するね」と言われたきり二度と連絡が無かった企業がいくつあることか。精神的に一番きつい時期でした。
後からわかったことですが、この時期までリクルーターから声がかからなかった時点で、補欠扱いです。本当に採用したい人材は、前述のとおり2月中に内々定が出ています。辞退されたとき用にキープされてたんですね……
5月上旬:民間全滅
4月から面接スタート。前述のとおり3月までに補欠含めて内々定者を囲っている企業が多く、形式的な面接が続きます。
そのためか、面接の合否連絡がものすごく遅かったです。結局合否を連絡してこなかった会社も多数あります。
5月に入った直後、公務員より志望度の高かった民間企業すべてに落ちたことがはっきりしました。
【2018.2.25追記】
「落ちたことがはっきりした」という表現について追記します。
当時、面接結果の連絡は、通過した場合のみ即日電話連絡、落ちた場合は月末に一斉にメールで届くのが一般的でした。
僕が強く志望していた企業はどこも、4月上旬に一時面接がありました。
面接後、どの企業からも電話がかかってこなかったので、落ちたのだろうと思わざるをえませんでしたが、正式な落選通知が来ないため、「もしかしたら通っているかもしれない」という期待がわずかながらありました。
結局、5月上旬までで全社から落選通知が届き、「落ちたことがはっきりした」わけです。
この時点でかなり精神的に参ってしまい、このまま就職活動を続けても内定出る予感がしなかったし、このままだと公務員試験も落ちそうだったので、就職活動をやめて公務員一本に絞ることにしました。
5月~:猛勉強
あとは必死に公務員試験の勉強をしていました。
5月下旬に国家一般職と特別区一次試験、6月下旬に県庁一次試験を受験。国家一般職・特別区は落ち、県庁は通過。
国家一般職・特別区は単純に勉強が足りませんでした。県庁のほうも不安でしたが、なんとか滑り込めたようです。
僕が受けた県庁は二次試験の倍率がものすごく低いところだったので、一次試験が最大の関門。一安心です。
8月に県庁二次試験を受け、当月中に最終合格の連絡を貰いました。
民間企業と併願していたために、勉強時間が足りなくて国家一般職・特別区に落ちてしまったわけですが、民間企業の就職活動をして良かったと思っています。
大手企業から地銀まで幅広く落とされたということは、僕はとことん民間企業に向いていないということなのでしょう。
これがわかっただけでも大きな成果です。