キモオタク地方公務員(県庁職員)のブログ

地方公務員の人生満足度アップを目指しています。地方公務員志望者向けの記事は、カテゴリ「公務員になるまで」にまとめています。

2020年08月

来年度の公務員試験に向けて動き出している方も、そろそろ増えてきている頃だと思います。

今年は新型コロナウイルス感染症のせいで人と人との接触を控える風潮が強いため、役所主催の説明会に参加したり、OB訪問したり、予備校仲間と歓談したり……という従来通りの情報収集方法が使えず、情報収集に苦労していることと思います。

代替手段として、インターネット経由の情報収集が重要になってきます。
役所の公式サイトは勿論、ブログやSNS、掲示板のような個人発の情報を参照する方もいるでしょう。

ただ、こういった個人発の情報は、鵜呑みにはできません。
発信元の偏りを認識し、解釈する必要があります。

インターネット上にいる公務員はマイノリティ

インターネット上で情報発信している公務員は、公務員の中でもレアな存在です。
 
総務省によると、地方公務員(一般行政職)は、全国で約92万人います。

一方、地方公務員を名乗るTwitterアカウント、しかも鍵垢ではなくオープンにツイートを発信しているアカウントは、地方公務員総数に対してどれくらいでしょうか?
多くて0.5%くらいでは?圧倒的少数です。

インターネット上で情報発信している公務員(元職含め)を、典型的な公務員だと思ってはいけません。
彼ら彼女らは少数派であり、こういう人間が職場にたくさんいるわけではありません。

加えて、インターネット上の公務員情報は「少数派職員フィルターを経由した情報」であり、必ずしも公務員の総意ではないことを認識したほうが安全です。

たとえば、公務員が書いたブログやSNS投稿を真に受けて
  • 公務員って陰気で愚痴っぽい人間ばかりだな
  • 組織に対する不満が常に充満しているんだな
などと理解するのは早計です。

大多数の公務員は、余暇時間までわざわざ仕事のことを考えません。
仕事はあくまでも生活要素の一部であり、家庭のような、より重要な生活要素を持っています。
たとえ職場で嫌なことがあっても、業務終了後にTwitterで愚痴ツイートを作文したりはしません。
むしろそんなこと(広義の仕事)に時間と労力を割くことのほうが勿体無く感じられます。


インターネット上で情報発信しているのは公務員の中でも圧倒的少数派であり、概して「余暇時間まで仕事のことを考えている真面目な人」、あるいは「暇人」なのだと思われます。

一般論は書きようがない

書き手の層の偏りという要素を除いても、そもそも一個人に普遍的真理を書くだけの知見はありません。
公務員の仕事は法令で定められている要素が大きく、他の職業よりも普遍的な部分が多いとは思います。
しかしそれでも、地域ごと・自治体ごとに、仕事内容も待遇も異なります。

インターネット上にある個人の投稿は、あくまでも書き手が経験した範囲での結論であり、局地的・部分的真理であることを認識する必要があります。

ブログにしてもSNSにしても、公務員関係の文章は「公務員は〜」「役所は〜」のように主語が大きくなりがちです。

主語の巨大化は、そもそもインターネット上の言論にありがちな傾向です。
公務員界隈の場合は更に、書き手側に「勤務先自治体の特定を避けたい」という心理があり、こういう「ぼかし表記」を使いたがるという特殊事情も加わります。
弊ブログもまさにこの呪縛に囚われています。

体感的に、一般論として書かれたインターネット上の言説のうち、僕も同じく一般論だと肯けるのは3割程度です。
5割は部分的真理としては賛同できるもの(自分の経験からもそう思うが一般論とまではいえない)、残り2割は賛同できません。

経験業務によっても変わってくる

さらに公務員は、たとえ同じ役所に同じ年次で入庁したとしても、配属先・異動ルート次第で経験する業務が全く異なります。
インプットが異なれば、醸成される価値観や思考回路も異なります。
つまり、同じ年次に採用された同じ自治体の職員であっても、過去に経験した業務次第で、考え方が大きく異なるのです。

弊ブログの過去記事を読んでいただいている方なら、住民との協力関係に対して僕が相当悲観的であることをご存知だと思います。
この思想はあくまでも、僕が住民と対立しがちな部署ばかり経験してきたから形成されたものであって、住民協働に前向きな職員はたくさんいます。

役所といえど徐々に変化している

インターネット上には古い情報も残っています。
時代遅れと揶揄されがちな役所ではありますが、それでも少しずつ変化しています。
 僕が入庁してからの約7年間でも随分変わりました。

たとえ自分の疑問に対してドンピシャで書かれている内容であっても、書かれた時点が古い情報は、鵜呑みしてはいけません。
特に更新が止まっているブログの場合、追記やリライトされている可能性がほぼゼロのため、一層注意が必要です。

「※個人の見解です」を脳内で補完する

個人発の公務員情報は、先述のとおり、普遍的真理ではなく局地的・部分的真理です。

  • どういう経歴・性質の人間が発している情報なのか
  • 書き手の属性からして、どういうバイアスがかかりうるのか
を意識して読み解いていくのが、無難な使い方だと思います。

弊ブログも同じです。本記事の内容全てがブーメランと化して脳天に突き刺さります。

極力バイアスを排しようと頑張っているつもりですが、一人きりで書いている以上、バイアスまみれになっていると思います。
独身アラサーオタク(出世コース脱落)という書き手像、役所内ヒエラルキー下位の人間が書いているという前提をお忘れなきよう……

自治体広報には「全員にもれなく理解させなければならない」という原則があります。
これを達成するためにはアナログな手法をベースにせざるを得ません。
デジタルな方法だと、ツールをうまく使えない人に対して、情報を伝達できないためです。

とはいえSNSアカウントの運用のような、今時のデジタルな広報も、間違いなく重要です。
手間もコストも、発信に至るまでの時間も大幅に削減できます。
使える手段も増えて、内容も充実させられます。

デジタルな広報業務を担う職員は、地方公務員の中でも圧倒的少数です。
多分、1000人に1人くらいでは?
担当者は一から独力で勉強し、誰にも相談できず、孤軍奮闘する羽目に陥りがちです。

僕も観光の仕事をしていたとき、公式SNSを運用していた時期がありました。
幸いにも僕の場合、2ちゃんねるに始まり、ふたば、爆サイ、mixi、facebook、twitter、instagram、マストドンなどなど、それなりにインターネットでのコミュニケーションに触れてきた経験があったおかげで、ネット上の作法には自信がありましたし、すぐに「それっぽい」運用ができました。
最近のギスギス具合を見ていると、「リナカフェなう、誰か氏〜」とか言ってた頃のTwitterが本当に懐かしくなります。

しかし、こういう予備知識がない人間がいきなりSNSを任されたら、かなり大変だと思います。
前述のとおり圧倒的少数派であり、庁内にも仲間がいないので、疑問があっても誰にも相談できないのです。
自分の力でなんとかするか、自治体をまたいだ横のつながりを作るしかありません。

そんな悩める広報担当職員にぜひお勧めしたいのが、先月発刊された『まちのファンをつくる 自治体ウェブ発信テキスト』です。


今年読んだ役所本の中でも暫定ナンバーワンです。
若手よりも、ある程度役所の常識が染み付いてきた職員のほうが、心に響くと思います。

ひたすら具体的でわかりやすい

よくあるビジネス書だと、抽象的な概念図や数式を用いて、広報のコツを紹介しています。
民間企業のサラリーマンであれば、普段から身近にマーケティングのことを考えているために、概念を説明されるだけで自らの経験とリンクできて腹落ちするのかもしれません。
 
しかし公務員の場合、そんな素地がありません。
抽象的な一般論を説明されても、字面を追うのに必死で、理解できるとは限りません。

本書はひたすら事例ベースで具体的です。抽象概念や専門用語が無く、すっと理解できます。
読んだらすぐに実践できる事柄も多数取り上げています。

これからの予算要求にぴったり

本書で取り上げているのは、全国の自治体が実施している先進事例・成功事例です。
まさにこれからの来年度予算要求にも大いに役立つと思います。
新規施策のヒントにしたり、予算折衝の材料に使ったり……全部で100事例も掲載されているので、きっと参考になるものが見つかるでしょう。
発刊のタイミングが絶妙です。


職員が疑問に思うポイントを的確に押さえている

僕がSNS運用に関わったのは半年弱でした。
2ちゃんねる(大学受験サロン)でコテハンやっていた頃と同じ感覚で、何より炎上しないように節度を保ちつつ、応援したくなるような誠実さ・好感度を演出するように投稿していたのですが、本当にこれでいいのか迷う場面も多数ありました。

本書を読んで僕が何より感激したのは、当時疑問に思っていたポイントの多くが、本書で触れられていたことです。
著者の方は本当に自治体のことをよく見ていると思います。
自治体職員が悩みそうなポイントを把握していて、答えを提示しているのです。


例えば、SNSアカウントに寄せられたリプライへの反応。
僕の場合、炎上回避のため、以下のルールで運用していました。
  • 基本的に反応しない(プロフィールにあらかじめ明記しておく)
  • 投稿内容のミスを指摘するリプライのみ、感謝の意を返信する(「黙って修正した」と後から叩かれないように)

当時この本があったら、このような対応には止まらなかったと思います。


攻めに転じる手がかりとして

インターネット上には意図的に炎上案件を発生させて楽しむ悪い人がたくさんいます。
そんな方にとって、自治体は格好のターゲットです。
幸い、自治体には炎上を回避するノウハウが豊富に蓄積されています。
公平性と網羅性の徹底なんかは、その最たるものでしょう。

まずは行政ならではの守備優先の運用方法を習得してから、本書にあるような「攻めの運用」を考えていけばいいのではないかと思います。

広報のレベルは、自治体ごとに相当格差があります。
あえて力を入れていない(広報より内実に注力する)という考え方の自治体もあるのでしょうが、そうであったとしても、全国的な成功事例・先進事例を知っておくことは重要だと思います。
手軽に全国の事例を総ざらいできるという意味でも、本書は大変有用です。

就職するとオタク趣味から遠ざかっていくという言説を最近痛感しています。
知己のオタクたちとの会話では、話題の中心は大体2010年〜2014年頃のアニメです。ちょうどみんな大学生だった頃の作品ですね。
悲しいことに最近の作品はほとんど話題に上りません。
オタクから足を洗ったわけではないのですが、各自の視聴本数が激減しているせいで、全員が見ている=共通の話題になる作品が無いのです。

社畜がどんどんオタク趣味から離れていく理由は、いろいろと考察されています。
直接的な原因は人それぞれなのでしょうが、その原因に共通する一般的な要因は何らか存在すると思います。 
最近読んだ本の中に一つヒントを見つけました。


 

方向性の違い ー記憶、観察力、想像力ー

登場人物は作家の空想の産物であり、読者の空想の産物でもある。文学上の登場人物は、この二つの強い原動力によって造られている。作家が記憶や観察力、想像力を使ってある人物を発明し、読者がーー集合としての読者ではなく、本を読むここの読者のことだーー自分自身の記憶、観察力、想像力を使って再発明するわけだ。

トーマス・C・フォスター『大学教授のように小説を読む方法 増補新版』白水社 2019年

作品の登場人物は、作者の記述した文章を、読者が自らの知見を使って再発明、つまり解釈して成立するわけです。
ということは、読者の知見が衰えれば、登場人物をうまく解釈できなくなり、作品への魅力を感じられなくなるのです。

僕は、オタク作品の鑑賞に役立っていた知見が労働によって上書きされ失われていくせいで、どんどんオタク作品が楽しめなくなると考えています。

労働を通して得られる知見、つまり労働者として適応するために必要な知見は、大半のオタク作品とは無関係です。
特に恋愛もの、青春もの、女の子がたくさん出てくるような作品とは無縁です。
※福本伸行先生の作品のような人間の暗部を描いた作品は例外です。

労働すればするほど、労働者としての知見を刷り込まれ、元々持っていた知見を忘れていきます。
労働者の世界ではそれを「成長」と呼んで持て囃します。
しかしそれは同時に、オタクとしての「衰退」に他ならないのです。

独身よりも所帯持ちの方がオタクを続けやすい?

僕の周辺だけかもしれませんが、僕のような独身者よりも、家族持ちの方がオタク活動に今も熱心です。

家庭持ちの方が、人生に占める労働の割合が小さいです。
労働者的な知見に塗りつぶされることなく、代わりに親としての知見が得られます。
こっちの方がずっとオタク先品と親和性があります。
そのため、オタク作品を楽しむ能力が損なわれないのだろうと思います。

アラサーからのオタクの心構え

同書の記述を読んで、僕は光明を授かりました。
これまでずっと、オタク趣味から遠ざかってしまうのは華麗による体力の衰えが主要因で、対策しようのない宿命だと思っていたからです。

これからもオタク趣味を楽しみ続けていくには、読者としての記憶、観察力、想像力を意図的に養っていけばいいのです。

従来のように漫然と摂取しているだけでは衰えていく一方ですが、これからは頭を使っていくのです。
まずは量よりも質を重視して、成長につながる摂取方法を確立していきたいと思います。

労働者として成長していく一方で、趣味が楽しめなくなる現象は、オタク趣味に限った話ではありません。
そのとき、疑問を抱きながらも趣味をだらだら続けるのではなく、一度棚卸しをしてみるのも良いのかもしれません。 


趣味が楽しめなくなってきたのなら、ある意味労働への適応が進んでいるとも考えられます。
(強いストレスのために精神が変調をきたしている可能性もあり、一概には言えませんが)
ひたすら労働に人生を捧げるという人生も、本人が幸せなら僕はありだと思います。
無理に趣味を続けるより、自分のことを改めて考えてみるべきでしょう。


「フェルミ推定」という単語を見かけるたびに学生時代を思い出します。
「外資系企業のインターンシップで試されるから」という理由で、同級生たちが挙って参考書を開いて、山手線の一日の乗降者数や、東京都内のビルの総フロア数のような課題に取り組んでいました。
「フェルミ推定」という単語を知っていることが一種のステータスでもあったので、ことあるごとにドヤ顔でフェルミフェルミと口にする人もたくさんいました。

大学生当時の印象が強いせいか、フェルミ推定といえばキラキラ民間企業のものであり、田舎の役所とは無縁だという認識で、これまでずっと凝り固まっていました。

しかし改めて考えてみると、フェルミ推定は地方公務員でも有用な思考法です。
特に財政課ルートで出世するためには必須のスキルだと思います。




財政課に欠かせない

財政課の仕事、特に予算編成において、フェルミ推定は必須です。
「フェルミ推定」という単語・概念を意識しているかどうかは別にして、誰もが自然と利用している思考パターンでしょう。
 
県の当初予算は数千億円に上ります。
この金額を設計するためには、事業ごと・部署ごとに積み上げていくボトムアップのアプローチだけでは、時間もマンパワーも全然足りません。
あらかじめざっくりと「あたり」をつけて、個別の事業・部署ごとの予算要求額を見ながら、「あたり」を修正・具体化していくという漸進的なアプローチが必要です。

精度の高い「あたり」をつける技術は、フェルミ推定とかなり重複します。
つまり、フェルミ推定のスキルを身につけることで、財政課における予算編成業務という役所組織運営の根幹的業務をスムーズに進められるのです。

このことは同時に、財政課で高い人事評価を獲得することに直結し、さらなる出世につながるのです。

財政課にたどり着くまでも欠かせない

フェルミ思考は、財政課にたどり着くまでの過程、俗にいう「プレ財政課部局」でも役立ちます。
中でも特に産業振興部局で成果を上げるためには欠かせないでしょう。

産業振興部局では、民間企業の方と協力して仕事をする機会が多いです。
民間企業にとって、フェルミ推定は当たり前の思考法です。
役所職員側もフェルミ推定を理解していなければ、ついていけません。

新しいプロジェクトを始める前の準備段階で、スケジュールや予算感を大づかみに検討する際なん
かには、厳密にリサーチしてから決める部分もあるでしょうが、フェルミ推定を使う部分も多いでしょう。

役所という組織は、推定を元に動くことがなかなかできません。
とにかく根拠を求めます。
民間企業からすれば非効率でトロいと思われるのでしょうが、民主主義の下で動いているという役所組織の特性を思うと、仕方のないことと思います。

とはいえ民主主義を理由に推定を全て排除していては、民間企業との協働は実現しません。
ある程度は推定を受け入れなければいけません。

このため、役所(ひいては議会・住民)でも許容できる程度に「確度」「推定プロセスの透明さ・妥当性」を備えた推定を作るという役割が、産業振興部局の職員に課されます。
これにはフェルミ推定に対する深い理解が必要です。

希少性も高い

さらにフェルミ推定は、役所内においては稀少性の高い技能でもあります。

大半の地方公務員は、1円単位を正確に合わせることに心血を注いでいます。
フェルミ推定を用いる業務は限られていて、先述したような出世コースにあたる職員しか普段は担当しません。
実務を通した推定は、いわば帝王学のようなもの。見込まれた職員しか経験できないのです。

普通に仕事をしているだけでは、フェルミ推定のような大枠を掴む思考法は身につきません。
実務に使えるだけでなく、希少価値もあるスキルであり、他の職員から抜きん出るための差別化要因にもなるのです。


先述のとおり、役所におけるフェルミ推定は、世間一般よりも「確度」や「推定プロセスの透明さ・妥当性」が求められます。
そのため、市販のワークブックをなぞるだけでは不足すると思われます。
普段の業務でフェルミ推定を使ってみて、概念的に理解するだけでなく、役所内でも通用するようにアレンジしていく必要があるでしょう。

某アニメの録画を見ていたら結構なグロシーンがいきなり挿入されて眠れなくなってしまったので、久々にリアルタイムでブログを書いています……


ひきこもりの葛藤

  • 仕事以外では基本的に外出しない
  • 日用品の買い物は近所のスーパー・ドラッグストアまで、これらで買えないものはネットで買う
  • 外食は月1回まで
をモットーに、4月からずっとひきこもり生活を続けています。

経済を回さなければいけない(特に飲食店)とは思いつつも、もし僕のせいで店で新型コロナウイルス感染症(以下「新コロ」)が発生したら取り返しがつかなくなる……という懸念を払拭できず、大事な店舗ほど行けないというジレンマに悩まされています。


やることはたくさんある

もともとインドアな人間なので引きこもり生活そのものは全く苦にならないのですが、書籍・漫画代が大変なことになっています。
図書館のありがたみを痛感しています。

最近の個人的どハマり作品は『好きな子がめがねを忘れた』です。
ソーシャルディスタンスが定着したせいで破壊力が激増しています。




ソーシャルゲームの過去シナリオ読み直しもアツいです。
特に「アイドルマスターシャイニーカラーズ」、ボイスありでゆっくり読み返すとなんとも味わい深い。
無料で楽しませてもらうのが申し訳ないくらいです。

久々に二次創作も再開しようかと思っています。
他人に見せるかどうかは置いといて、書くこと自体が癒しになるんです。


あえて牧歌的な記事ばかり書いています

弊ブログですが、最近はあえて新コロ関係の記事を避けています。

思うところは多々あります。
最近は疲労よりも苛立ちのほうを強く感じます。

よく言われているとおり、新コロのせいで新たな社会問題が発生したというよりは、これまでも存在していたけど後回しにされていた諸課題の一部が新コロのせいで表面化・深刻化しているように感じます。
そのため、もし感染症が一段落しても、役所が今直面している諸課題は解消せず、末長く付き合っていくことになるでしょう。

それゆえ、「つらたん」「ぴえん🥺」で済ませずに、苛立ちポイントを起点にもっと調べたり考えたりして、論点を一般化することに意義を感じているところです。
書くのに時間がかかってしまい、タイムリーさは逃してしまいますが、その分長生きする記事にして行きたいです。 

あと、最近のネット上のテキストは読んでいて苦しくなるものばかりなので、少しくらいは暢気なものを投稿したほうが、読者ニーズに応えられるのではとも思っています。


例年なら今週はお盆休みで開店休業状態なのですが、今年はそうもいきません。
「お盆」という年中行事を実施する雰囲気でもありませんし、何より仕事が盛り沢山です。
いつもは4〜6月にやっていた仕事が後ろ倒しになった分のしわ寄せを挽回するべく、明日(というか今日)からまた一週間、勤務してきます。

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