キモオタク地方公務員(県庁職員)のブログ

地方公務員の人生満足度アップを目指しています。地方公務員志望者向けの記事は、カテゴリ「公務員になるまで」にまとめています。

2020年09月

地方公務員として生きるためには、住民からのバッシングと折り合いをつける必要があります。
 
食らうたびにストレス発散する、スルーする、貴重なご意見として受け入れる……

どんなやり方であれ自己流の対処方法を見つけておかないと、いずれやられてしまうでしょう。

僕はこれまでスルー派だったのですが、最近はバッシングの質も量もどんどんひどくなってきてスルーしきれなくなり、今年の5〜7月頃はけっこうダメージを蓄積してしまいました。
これをきっかけに、そもそもどうしてバッシングされるとダメージを受けストレスを感じるのか、細かく考えてみました。

以下、施策に対する真っ当なクレームから「税金で飯を食いやがって」みたいな難癖まで幅広く「行政バッシング」という言葉で括ります。

真に安心できる時間も場所もない

行政バッシングは遍在します。
いつどこで遭遇するか、全く予見できません。
つまり公務員は、24時間365日、どこにいようとも、自分たちの悪口を聞かされる可能性があります。
人間から隔絶された状況にでも隠れない限り、安心できる時間・場が持てないのです。
 
行政バッシングは、普遍的な話題として、すっかり定着しています。
行政に関心のある方は持論を以て真剣に叩きますし、無関心な方もマスコミ発言をそのまま繰り返すようにして気楽に叩きます。
もはや天気の話題に次いで無難な話題なんじゃないかと思うくらい。

いつどこかで見かけたのかは失念してしまったのですが、「もはや公務員は『パブリック・サーバント』ではなく『パブリック・エネミー(敵)』と化した」という記述がありました。
まさにこのとおりだと思います。


「私だけでなく住民が誰もがそう思っている」という苦情の常套句があります。
自説に箔をつけるための簡便な方法であり、普段はスルーを決め込むところなのですが、今回の新型コロナウイルス感染症騒動はそう単純に処理できませんでした。
苦情の件数も多いし、苦情主の属性も段違いに幅広いのです。

老若男女あらゆる層から毎日毎日、何回も「私だけでなく住民誰もが公務員に対して怒っている」と聞かされたら、本当に住民全員が怒っているように思えてきて、次第にこの台詞が苦痛になりました。
 
 

批判的言説に対しては、「嫌なら見るな・聞くな・近づくな」が基本です。
しかし行政バッシングは、世間の至るところに溢れかえっているために、近づかないようにしても回避しきれません。

一般的ないじめだと、いじめが発生している場所(職場など)から離れることで、一旦は避難できます。
しかし行政バッシングの場合は、海外逃亡しない限り、安住の地はありません。
日本国内にいる限り、どこでも降りかかってきます。 
 
一発あたりの被害はいじめの比ではなく微弱なものですが、いつどこで遭遇するかわからないという行政バッシングの性質上、本当に安心できるシェルター的な避難場所が存在し得ないのです。

つまるところ、役所バッシングは、公務員の人生から「安心感」を根こそぎ奪うのです。
聞こえてくるバッシングの多くは、自分に向けられたものではありません。
発話者としては、近くに公務員がいるとは思いもしていないでしょうし、「公務員に聞かせてやりたい」とも思っていないでしょう。

しかしそれでも、聞こえてしまった以上、いい気分にはならないものです。
「自分とは関係無い」と割り切れるだけの冷静さを身につけるしかないのでしょう。

人格否定までしちゃいます?

行政バッシングには、「公務員の人格批判」がつきものです。
公務員というステータスを理由に、相手の人間性を否定する形の罵倒です。
  • 公務員は無能だ
  • そもそも公務員しか職を選べなかった負け組だ
  • なのに自分を有能だと勘違いしている、傲慢だ
  • 人間性がおかしい、感情が無い
  • 自分可愛さに溺れている自己中だ

などなど。パッと思いついた典型的なフレーズだけでもこのくらいあります。
人格だけならまだしも、外見や過去、家族までひっくるめてバカにされるケースも多いです。
 
ちなみに僕は顔面偏差値42くらいのブサメンなのですが、住民の方からこれまで何度も「公務員顔」と評されています。
こんなふうに、「公務員」という単語を侮蔑のニュアンスで使う方も大勢います。

「公務員はクズ」だと思うこと、そう発言すること自体は自由です。
ただ、罵倒されて喜べるほど僕は大人じゃありません。バカにされたら普通に腹が立ちます。
 

「堂々と他人をディスることが許容される」ことがハイクラスの常識らしい

それに何より、「『公務員を公共の場で堂々と罵倒すること』が平然とまかり通っている」という環境、「公務員=公共の場で堂々と罵倒してよい存在」という認識が世の中に浸透していることが、恐ろしくて仕方ありません。

こう思う根底には、「公共の場で堂々と罵倒してもよい存在がこの世の中には存在する」という意識、つまり特定のセクターへの差別や私刑が正当化されるという意識が存在するのでしょう。

「公務員はサンドバック」という例えがありますが、僕は秀逸な表現だと思っています。
サンドバックは殴られるために生まれた存在ではありますが、いくら殴ってもそう簡単には壊れません。
実際この例えのとおり、公務員は、人格や外見を多少否定されたところで、生活が即座に崩壊するわけではありません。少なくとも今のところはそれなりに待遇が保証されているからです。

しかし、もし今の公務員叩きのエネルギーが、別のセクターに向けられたら、いったいどうなるでしょうか?
特に、公務員よりも弱い存在に向けられたら。
結果は明らかです。悲劇しか起こり得ません。

叩く理由なんて、後付けでいくらでも整理できます。
「叩きたい」という感情がまず先行し、ついで「堂々と叩くことが許される」環境、「罵倒を正当化する理由・根拠」が成立するという順序です。

公務員を罵倒して悦に浸っている方々の多くは、今は公務員をターゲットにするもっともらしい理由があるから公務員を叩いているだけなのでは?
心の底から公務員が嫌いな方も結構いるでしょうが、とにかく誰かを攻撃したい、嗜虐欲を発散したいから、世間公認サンドバックである公務員を叩くという方も、相当数いるのでは?

公務員の人格否定をしている方々は、自分は公務員より優秀だと認識しているはずです。
その優秀な方々が、「公共の場で特定のセクター所属者の人格を否定すること」の危険性を理解していない、あるいは理解したうえで嗜虐性を満足させるために人格否定を繰り返している。
公務員罵倒ネタで盛り上がっている集団に出くわすたびに、このディストピア的な現実を思い知らされ恐怖を感じます。
 

都道府県にしても市区町村にしても、日々運用している制度の多くは法令に基づいています。
国会で成立した法令をベースに、国が具体的な運用方法を決めて、各自治体に対して「運用要綱」「マニュアル」「質疑応答」のような形で周知することで、全国統一的な運用がなされるよう図られています。
(以下、これらをひっくるめて「運用要綱」で統一)

ものによっては数百ページにもわたる運用要綱ですが、ここに制度の全てが書いてあるわけではありません。
住民からの問合せ、上司からの素朴な質問、社会情勢の変化などをきっかけに、頻繁に疑義が生じます。
疑義が生じるたびに、まずは運用要綱を読み直し、過去事例や他自治体での取扱いを調べて、それでも解決しない場合は国に問合せます。

国への問合せは極力避けたいところです。
真剣に取り合ってくれる場合もありますが、大抵は塩対応だからです。
嘲笑混じりで対応されるのが普通で、「その程度は自分で調べりゃわかるでしょ!?」と怒られることもしばしばあります。

塩対応に対して、腹を立てている地方公務員も多数います。
  • 調べりゃわかるとは言うものの、実際どこに書いてあるんだよ
  • すぐ回答できるなら初めから要綱に書いておけよ
このあたりの悪態は日常茶飯事です。

このようなギャップが生じる原因は、地方公務員側の法令知識の欠如にあると思っています。

運用要綱が全てではない

そもそものところ、地方公務員は運用要綱を過信していると思います。

運用要綱はあくまでも法令を補完するものです。
守るべきルールは法令であって、運用要綱は補足説明です。

運用要綱は、条文の解釈に疑義が生じそうな部分をあらかじめ補足するために作成されるものであって、これに全てを盛り込む必要はそもそもありません。
つまり、法令にはっきり書かれている内容の繰り返しであったり、あえて明記しなくてもわかるであろう内容まで、運用要綱に盛り込む必要は無いのです。

問題の原因がここにあります。
運用要綱を作成する本省国家公務員にとっては「法令にはっきり書かれている」「あえて明記しなくてもわかるであろう」内容であっても、地方公務員の法令知識が不足しているために「書かれていない」「明記されないとわからない」と感じられてしまうのです。

法令知識が足りてない

法令知識の欠如には、大別して2種類あります。

一般法

一つは、民法や行政手続法、行政不服審査法のような一般法の知識です。

社会を構成するルールは、だいたいこういった一般法で定められています。
しかし、一般法の内容を熟知している人はごくわずかで、大抵の人は把握しきれていません。
ルールを執行する側である公務員も同様で、特に国家公務員(キャリア)とその他の間には相当な格差があると思われます。

公務員試験の難易度格差からして、そもそも高度な一般法知識を備えた人間でないとキャリア採用には通過できません。

この入庁時の格差は、勤務年数を経るにつれてどんどん拡大して行きます。
国家公務員は、法令や制度を作る仕事を多く担当します。
この仕事には一般法の知識が欠かせません。
つまり、入庁時の高い知識が、実務によりさらに磨かれていくのです。

一方の地方公務員は、試験でもさほど法令知識を求められませんし、実務でも一般法に触れる機会はあまりありません。
採用当初がピークで、勤務年数を経るにつれてどんどん劣化していくでしょう。
ちなみに僕は民法無勉で公務員試験に挑みました。こんな奴でも合格してしまうんです。

一般法で定められている内容は、あえて運用要綱に転記する必要はありません。
運用要綱に書かなければいけないのは、一般法では規定されていない内容や、一般法とは異なる取り扱いだけです。
 
本省職員にとっては一般法の全条文が常識です。
条文の文言だけでなく、その条文にまつわる学説や運用事例、判例もまた常識でしょう。

しかし、こういった事柄は、地方公務員にとっては常識ではありません。
たいていの地方自治体は一般法の基本書や判例集なんて贅沢品は持ち合わせておらず、調べることもできません。
「もしかしたら一般法に規定があるのかも」という発想すらない職員もいるでしょう。

法令用語・解釈技法

もう一つは、法令用語や解釈技法の知識です。
 
日常的に使われている用語でも、法令だとより厳密な定義が存在するものがいくつもあります。
「速やかに」「遅滞なく」「直ちに」や、「その他」「その他の」の意味の違いあたりが有名です。
僕の場合、「署名」と「記名」の違いをつい先日初めて知りました。恥ずかしながら。

また法令には、類推解釈や反対解釈など、定番の読み方(解釈技法)があります。

一見あやふやに見える条文であっても、こういった知識と照合して読めば、一義的に意味が定まる場合がよくあります。
法令中にはっきり一義的に書かれている事柄を、あえて運用要綱で繰り返す必要はありません。
そのため、よほど重要な箇所でない限りは省略されがちです。
 
しかし、知識のない人間が読むと、運用要綱の記載漏れだと思われたり、運用側に解釈が委ねられているかのように誤読したりしかねません。


地方自治体vs住民の関係にも影を落とす

運用要綱を作成する本省職員にとって、こういった法令知識は常識です。
常識でわかる事柄に対して、わざわざ解説は不要だと判断するでしょう。
判断するというより、最初から必要だとは感じないと思います。

一方、地方公務員の法令知識には個人差があります。
本省職員並みに知っている職員もいれば、全然知らない職員もいます。
後者の職員にとっては運用要綱が全てです。運用要綱に書かれていなければ何もわからないのです。

そのため頻繁に疑義が生じ、本省に質問することになります。
そして本省職員から「どうして書いてあるのに理解できないのだろう」「いや常識でしょ」と一笑に付されてしまいます。

知識ギャップによるトラブルは、地方自治体と住民の間にも頻繁に生じます。
役所側としては「ちゃんと書いてある」「あえて書かなくてもわかるはず」と思っていた事柄に対して、住民から「説明が無い」「ちゃんと書けよ」とお叱りを受ける事案です。

地方公務員という立場上、住民を叱責したり冷笑するわけにはいきません。
わかるように書けなかった役所側が常に悪者です。
トラブルの未然防止のため、対外的な文章を作成する場合は、常に「知識のギャップ」を意識したいところです。


地方公務員がたどるキャリアは人それぞれです。
僕のように頻繁かつ無秩序に異動する人もいれば、何年も同じ業務を担当し続ける人もいます。

後者のパターンだと、担当業務に飽きてしまうこともあると思います。
役所は基本的に民主主義プロセスによって決められた事項を実施する手足であり、意思決定機関ではありません。
下っ端の職員には尚更、権限も裁量もなく、その役割は作業が中心にならざるを得ません。
ひととおり業務のルールを覚えてルーチンワークをこなせるようになり、ボトムアップでも実行できる程度のマイナーな業務改善を終えてしまえば、あとは同じような日々が続くことになります。

こういう淡々とした日々を送って給料がもらえるという環境は、実際かなり幸せなことだと思います。
しかし人間はわがままなもので、新鮮味や刺激が欲しくなるものです。

そんなときは、役所以外の関係者の目線を調べてみれば、眼前の作業が再び新鮮に映ると思います。

「役所だけの案件」ではない

庁内調整業務を除き、役所が携わる仕事には、役所外にもたくさんの関係者がいます。
むしろ役所は関係者の一角でしかありません。
それぞれの関係者ごとに役割が異なり、実行する作業内容も異なります。
そしてそれ以上に、その仕事に対する目線(認識、スタンス)が異なります。

地方公務員として働いているだけでは、普通は「役所の担当者」という一関係者の目線からしか、仕事を捉えません。
関係者それぞれの考え方を知り、「役所の担当者」以外の視線から仕事を眺めてみれば、きっと新しい発見があるでしょうし、よりよい結果につながるかもしれません。

典型的な「関係者」

仕事によって登場する関係者は様々です。
ここではどんな業務でも関係者として存在しそうなものを挙げていきます。

住民

公務員なら誰しも「住民目線を持て」という訓示を受けたことがあるでしょう。

僕も何度も聞かされてきましたが、自治体内に暮らす全住民を合算したようなマクロな意味での「住民」を想定すべきなのか、一人一人の個々人の感情や損得を重んじるミクロな意味での「住民」を想定すべきなのか、その中間のどこかで落とし所を見つけるべきなのか……いずれの方法を採るのか次第で、獲得すべき「住民目線」は全く異なってきます。

今回の場合は、「受益者」「負担者」「賛同者」「アンチ」「無関心層」のような特徴的なスタンス別に、住民目線を想定すればいいと思っています。

議員

議員の最大のモチベーションは再選です。
どうすれば得票につながるかを考えれば、議員さんの思考も見えてくるでしょう。

議員さんの背後には、財界や地域の有力者が控えています。議員目線を知ることは、こういう影の実力者の利害関心という、別の目線を知ることにも繋がります。

マスコミ

マスコミの目的は視聴者・読者の関心を集めることです。
そのために、事実を組み合わせてストーリー化したり、要素を削ぎ落として単純化することが多いです。

まずは「自分の担当業務をスキャンダルに仕立て上げるにはどうすればいいか」を考えてみたら、いい練習になると思います。

一見地味な業務でも、別の事業と組み合わせたり、過去事業の延長線上に位置付けてみたりしたら、ものすごいインパクトを生むかもしれません。
マスコミはこういう潜在的爆弾を探し求めています。

アカデミック

役所の仕事は学術的な研究対象でもあります。
研究成果をまとめた書籍もたくさんありますし、ciniiで論文を調べても多数ヒットします。

本省も絡む業務であれば、国が設置した有識者会議のような組織でも、学術的観点からの考察がなされているかもしれません。

役所現場がウィズコロナを考えるには時期尚早な気もしますが、備忘録も兼ねて、現時点で想定される展開を書き残しておきます。

長期化する不信感・感情的反発

今年4月〜5月にかけての、全国的流行から経済活動停止までの流れでは、都道府県知事の責任を訴える声が非常に強かったです。


  • 感染者が出るたびに知事が会見していたということは、知事が責任者だ
  • 経済活動の自粛要請の呼びかけ役だった
  • 結果的に抑え込めずに感染拡大を許し、経済活動が停滞した

僕が直接対応した苦情電話では、このあたりの主張がよく登場しました。

いずれにせよ、「感染拡大・経済停滞は行政による人災だ」「行政のミスを住民が自粛という形で尻拭いさせられている」という確固たる認識の下、知事を叩いていました。

この時期は本当にしんどかった。
庁内どこも外部からの電話に忙殺されていて、電話回線が常時パンク状態で、役所機能が停止しかけていました。
物理的にF5アタックを食らっていた気分です。

電話の内容のほとんどは、具体的な救済を求めるものではなく、感情的な反感でした。
論理もへったくれもありません。要約すれば「お前らムカつく」に収束する内容です。
具体例は伏せさせてください。思い出すだけで気分が沈んでしまいます。

平日は批判電話への対応で仕事が進まないので、休日出勤を余儀無くされていました。
休日であれば、設定上「営業していない=職員は誰もいない」ため、電話に出る必要が無いからです。
鳴り響く電話を無視して、事務作業に勤しんでいました。

知事叩きも役所への電話攻撃も、今では随分落ち着きました。
しかし、世間の不満感情そのものが解消されたわけではありません。
インターネットを少し散策してみると、当時となんら変わりのない憎悪を燃やしている方が大勢います。

この憎悪の根本には、「感染拡大・経済停滞は行政による人災だ」「行政のミスを住民が自粛という形で尻拭いさせられた」という認識があります。
この認識は、もはや変えようがありません。「今年4月〜5月の一連の出来事」という歴史的事実が、この認識の根拠だからです。

失望は広範にみられる

感情的な反発までは至らなくとも、役所に失望した方は非常に多いと思います。

今回の騒動では、首長の言動だけでなく、役所組織や木っ端公務員の仕事っぷりも激しく叩かれました。
「いまだにアナログ」とか、「意思決定が遅い」とか、「言い訳ばかり」とか、「住民感情に寄り添っていない」とか……

中でも「いまだにFAXが現役」「結局人海戦術」「オンライン申請の相次ぐ不備」あたりは、強く印象に残ったのではないかと思います。

さらに今回は、特別定額給付金事業を通して、国民のほぼ全員が役所と関わりを持ちました。
連日流れる「給付が遅い」「ルールがおかしい」という批判報道を、自分ごととして受け止め、強い関心をもって眺めていたと思います。
つまり、「いつ10万円が手に入るのか」という個人的利害のために役所の存在が普段より身近に感じられていたところに、どんどん公務員&役所批判報道が流れてきたのです。

この結果、「公務員&役所は無能」という認識が、相当数の方に深く刷り込まれたと思います。
特にこれまで役所に対して中立・無関心だった層を、一気に潜在的アンチへと転化させたといえるでしょう。

実務への影響

燃えたぎる憎悪が拡散してしまったために、官民協働・住民参加型のような施策は、今後難しくなるんじゃないかと危惧しています。

さらには住民訴訟も避けられないと思います。
「新型コロナウイルスの拡大も経済活動の停滞も都道府県による人災である」という認識に立てば、役所がミスしたために自分に損害があったわけで、諸悪の根源たる役所に賠償を要求するのが必然の流れです。

どういう形をとるかはわかりません。今まさに作戦を練っているところかもしれません。
とりあえず現時点では、公文書公開請求されたものは訴状に使われると思っておいて間違いないと思っています。

私刑執行に巻き込まれる

正当な権限を持たないにもかかわらず、他人の心身に危害を加えたり、権利を制限・侵害する方(以下「私刑執行人」)が、世の中には大勢います。
今年流行った「自粛警察」も、こういうタイプの方の一種です。

役所には以前からこういう方がよく訪れます。
公務員に対して自ら私刑を執行しにくるだけでなく、別の誰か(役所とは全く関係のない個人や団体)に対して刑を執行するよう働きかけてくるケースも多いです。

このたび「自粛警察」が大々的に報道され、世間から否定的に捉えられたために、自ら私刑を執行するのは難しくなっています。
とはいえ燃えたぎる正義感(または悪意)を抑えることはできません。何らかの形で他人を罰しないと気が済まないのです。

そのため、従来のように自ら個人で私刑を執行するのではなく、
  • 第三者を動かして、間接的に私刑を執行する
  • インターネットなどを使って賛意を集め、個人ではなく集団として刑を執行する
という動きが強まるのではと考えています。
 

役所への影響:加害者かつ救済者かつ被害者

役所にも、それらしい理屈を作って私刑を執行するよう訴えにくる案件がますます増えると思います。
同時に、「私刑は悪いこと」という認識が浸透したために、従来は泣き寝入りしていた私刑の被害者からの救済申立も増えるでしょう。

私刑の中には、純粋に民民の問題であり、行政が絡むべきではない案件も多数あります。
「執行しろ」という圧力であれ「助けてくれ」という要請であれ、関係ないものははっきり断る姿勢が重要でしょう。

前述の憎悪のために、役所や公務員に対する私刑執行も増えると思います。
これまで以上に身の振り方に注意が必要です。

大手マスコミに弄ばれる

新型コロナウイルス関係の報道では、自治体の首長の発言が頻繁に取り上げられています。
発言そのものをスキャンダル扱いするだけでなく、国の方針と対立させたり、別の自治体と対比させたり……便利に使われています。

経緯も文脈も無視して発言の一部を意図的に切り取られているケースも多々あります。
大手マスコミにとって、地方自治体の首長なんて恐るに足らない相手なのでしょう。

地方自治体の首長ネタは、そこそこウケているようです。
最近炎上した首長の名前をgoogleトレンドで検索すると、失言したタイミングで検索数が急上昇しており、視聴者に影響を与えられていることが見えてきます。

反応が上々ということで、今後も首長は雑に扱ってもいい便利ネタとして使われていくのでしょう。
 
そのため、大手マスコミの地方支社には細心の注意を払う必要があると思います。
現状既に、ネタ集め目的なのか、記者会見で誘導尋問みたいな質問をしたり、各課の担当職員に詰め寄ったり……などなど、これまでにない攻勢を敷いているように思われます。


手に職をつけたいと思い立ったとき、真っ先に勧められるのが「特殊車両の運転免許」です。
慢性的に人手不足、いつになっても需要は無くならないだろうと言われています。 
フォークリフトが一番身近でしょう。近所のホームセンターでも常に運転手を募集しています。

免許あっても使わない

公務員稼業では、免許そのものは役に立ちません。
職員自ら特殊車両を運転する機会が無いからです。

役所の仕事では色々な特殊車両を使います。
ごみ収集車、除雪車、高所作業車あたりが代表例ですが、他にもたくさんあります。

しかし、これらを職員が運転する機会は滅多にありません。
技能職の職員が運転している場合もありますが、最近はどんどん外注化が進んでいます。
少なくとも、一般職員が異動で特殊車両運転手に任ぜられることはまずありません。 
 
つまり、特殊車両の運転免許を持っていても、活用する場面がそもそも無いのです。

特殊車両の運転経験は貴重

免許そのものは活きないものの、免許取得までの過程や運転経験を通して得た知識や感覚は大変に役立ちます。

前述のとおり、役所の仕事には様々な特殊車両が関わっています。
役所職員の仕事は、これら特殊車両を効果的・効率的に稼働するよう指揮監督することです。
これは一般職員の仕事です。誰もが担当し得ます。

この業務には、特殊車両の仕組みや運転の感覚が必要不可欠です。
回転半径が大きいとか、重量・車幅的に通行できない道があるとか、燃費の感覚とか……こういう特殊車両ならではの事情を知らないと、机上の空論しか作れませんし、現場に即した指示もできません。

免許を取得していれば、取得までの過程で、こういった業務に必要な知識や感覚が自然と身についているでしょう。
改めて勉強するにしても、全くのゼロからのスタートと、免許取得による貯金がある状態だと、吸収力が段違いのはずです。


実際に運転する機会は無いとはいえ、特殊車両に関する知見は大いに役立ちます。
役所内でも積極的にアピールしていけば良いと思います。
少なくとも話のネタになります。

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