キモオタク地方公務員(県庁職員)のブログ

地方公務員の人生満足度アップを目指しています。地方公務員志望者向けの記事は、カテゴリ「公務員になるまで」にまとめています。

2023年04月

この記事のタイトル、最初は「四月病の若手地方公務員向けブックリスト」にしようと思っていたのですが、最近は「四月病」というと環境の変化で体調を崩すことを指すんですね。

僕が就職したての頃は、四月病といえば「新生活のワクワク感のあまりやたらと意識が高くなり新しいことを始め出す」という意味でした。
難しい本を大量に買い揃えたり、通信講座を始めてみたり、楽器を買ってみたり。
今やこういう傾向は無くなってしまったのでしょうか……?

とはいえ、新生活デビューがうまくいってモチベーションが高まっている人もきっといるはず。
そういう人向けに、おすすめ書籍を紹介していきます。

俗にいう「公務員本」はあえて取り上げません。
若いうちこそ、役所内でしか役立たない実践的知識よりも、仕事のみならずプライベートでも役立つであろう基礎的・普遍的知識を得てほしいからです。


※Amazonのリンクを貼っておきますが、広告ではありません。

文章に対するスタンスを切り替える






学生時代と社畜時代では、文章に対する責任分担が激変します。

学生時代だと、文章を理解できないのは完全に読み手側の責任です。
「理解できないのは、読み手の頭が悪いから」と一蹴されます。

しかし社畜になると、今後は完全に書き手側に責任が課されます。
「理解できないのは、書き手側の配慮が足りないから」なのです。


地方公務員という仕事は、本当に幅広い層の方々と接します。
中には著しく読解力の低い人もいて、そういう方々でも理解できる文章を書かなければいけません。

そのためにはまず、「読み書き」という行為を徹底的に見直す必要があります。
文章術を身につけるのも重要なのですが、テクニックを磨く前に基礎からみっちりやり直すほうがいいと思います。

『14歳からの読解力教室』のほうは、地方公務員にとっては無意識レベルで実践できている内容で、新たな学びは少ないと思います。
ただ、無意識で余裕でこなせていることを意識化して、「できない人は何ができないのか」を理解することに意味があります。

『大人のための国語ゼミ』のほうは、地方公務員試験を突破したレベルの人にぴったりの難易度だと思います。ぜひチャレンジしてみてください。

自己責任論への有力反論を知っておく

実力も運のうち 能力主義は正義か?
マイケル サンデル
早川書房
2021-04-14



一年半ほど前に、自己責任論に関する記事を書きました。
あくまで肌感覚ですが、当時よりも今のほうが、自己責任論が幅を利かせている気がしています。

行政が担っている再分配機能は、自己責任論からすれば勝者からの強制的収奪&敗者への不当利益供与であり、到底許されません。
このような視点で行政批判を展開する人も多いです。 

逆にいえば、地方公務員は、(少なくとも仕事中は)アンチ自己責任論の立場でいる必要があります。
そのため、自己責任論に対する反論を知っておかないと、自己責任論者からの攻撃に耐えられませんし、行政や地方公務員の存在に疑問を覚えてしまい、仕事に対し余計なストレスを感じてしまうでしょう。

特に地方公務員になったばかりの頃は、「自分は公務員試験を突破した人間なんだ」という優位感を抱きやすく、自己責任論に偏りがちです。
自分を戒めるためにも一読を勧めます。

誰しもに染み付いている「差別感情」を紐解く


被差別部落認識の歴史: 異化と同化の間 (岩波現代文庫 学術 430)
黒川 みどり
岩波書店
2021-02-18


本書を推す理由は二つあります。

ひとつは、部落差別(同和問題)に関する正しい知識が、地方公務員家業には欠かせないからです。

地方公務員という職業は、どんな部署であれ何らかの形で同和問題と関わります。
具体例を挙げるのは避けますが、本当に思いもかけないところで関係してきます。

今となっては、普段の生活で同和問題を認識する機会もかなり少なくなってきていると思います。
しかし、地方公務員になってしまったからには、現在進行形の問題として認識しなければいけませんし、それなりの予備知識が必要です。
「昔と比べて今は随分改善された」で済ませるのではなく、酷かった時代をしっかり学び、問題の全容を把握してくことが重要です。

もうひとつの理由は、本書で説明されている「日本人の差別感情の実態」が、部落差別以外の差別問題にも通じているからです。

日本では今も差別感情が渦巻いています。
インターネットをちょっと見れば差別的発言がそこらじゅうに散乱していますし、地方公務員の仕事でも多くの差別的言動に接します。

差別を受けて困っている方々の救済も役所の仕事です。
事象として生じている差別的言動に細心の注意を払うのみならず、その大元に煮えたぎっている「差別感情」を紐解いていくことも、地方公務員稼業に必要です。

本書では、民衆がいかに部落差別を堅持したがり、メディアや政治がいかに民衆の差別感情を利用してきたかを、豊富な事例をもとに説明していきます。
事例の多くは戦前の話なのですが、不思議なことにどことなく見覚えのある話ばかりなんですよね。
今も昔も、差別感情のあり方は多分ほぼ変わっていないのでしょう。

つまるところ、部落差別における差別感情のあり方を学ぶことで、他の差別における差別感情の様相を窺い知る手がかりになると思うのです。


典型的な行政批判ロジックを予習しておく

失敗の本質
野中 郁次郎
ダイヤモンド社
2013-08-02


旧日本軍を分析した超有名な一冊。数多のビジネス書のネタ本でもあります。
誰もが一読すべき一冊だと思いますが、地方公務員の場合は読んでいないと実務に支障が出かねません。
役所叩きの論拠として頻繁に引用されており、普段の住民対応業務でも同書の内容がよく引用されるからです。

特に、具体的な苦情を訴えるわけではなく一般論として役所批判・公務員批判をしてくる方々は、約7割(筆者体感)が同書を引用してきます。
こういった方々にとっては、「役所≒旧日本軍」であり、旧日本軍の欠点がそのまま現在の行政組織にも残存していると考えています。
そのため、「公務員は同書を読んでいて当たり前」という感覚の方が多く、「戦力の逐次投入」や「自己革新」のような本書のキーワードに対して職員が反応してこなかったら、それだけで「公務員なのに読んでいないのか!また旧日本軍の過ちを繰り返す気か!」と怒られます。

実際のところ、同書で取り上げられている旧日本軍の実態は、現在の役所とかなり似通っています。
彼ら彼女らの批判内容も的外れではありません。
外部から指摘されて気づく前にちゃんと読み込んで、自戒しておきましょう

「出世する人」特有の所作を身につける




一見真逆のように思われるコンサルタントと公務員ですが、実際やっている作業は「調べて資料作成して説明する」ことがベースであり、案外似ています。
似ているからこそ中央省庁はどんどん仕事をコンサルに外注し、官僚の転職先にもコンサルが多いのでしょう。
地方公務員の場合も、本庁勤務であれば「調べて資料作成して説明」の日々を過ごしている人が多いです。

コンサルタントの仕事術を紹介する本は他にも多数出版されておりますが、その中でも本書を推すのは、「仕事ができる」と評されている地方公務員の多くが、本書で紹介されている「思考」と「作法」をかなり実践しているからです。

役所には、俗にいう「スーパー公務員」のような輝かしい実績を持っていなくとも、周囲から「仕事ができる」「頼りになる」などの高評価を得ている職員が存在します。

こういった方々と他の凡百の職員のどこが違うのか、周囲は(もしかしたら本人も)よく理解していませんが、それでも「違う」のは間違いありません。
本書では、高評価を得ている職員が持つ「違い」がどういう要素で生じているのか、かなり広範にカバーしているように思います。

これから出世したい人はもちろん、成果を上げるためなら多少の苦労は厭わないというモチベーションのある方は、一読を勧めます。



地方公務員の仕事には、いわゆる定量的な「ノルマ」はあまりありません。
数値設定されている仕事であっても、未達だったところでペナルティを課されるわけでもなく、せいぜい上司から怒られる程度でおしまいです。

民間企業勤務の方々は、日々ノルマを突きつけられ、達成できなかったら給料減額、下手すれば解雇されます。
そんな状況と比べると、地方公務員に課されている「数値目標達成」へのプレッシャーは相当弱いでしょう。

民間勤務の方々が「公務員は楽だ」と感じているのも、このノルマ不在が一つの原因だと思われます。
僕が出向していた民間団体でも、マイナンバーカード取得率が伸び悩んでいるというニュースに対して「どうせ目標未達でもクビ飛ばないんでしょ?お気楽な身分だよね」と冷笑されていました。

ただ、「数値目標必達」というプレッシャーが無いからといって、地方公務員の仕事が民間よりも必ずしも楽だとは思いません。
地方公務員には「負け筋を見逃してはいけない」という別種のプレッシャーがあります。

基本的に役所は敗北するもの

民主主義の下では、ある施策の成否を決めるのは住民です。
定量的な効果が出ているとか、開始時点に掲げていた数値目標をきちんと達成できたとか……こういった客観的事実はどうてもよく、全ては住民の「お気持ち」次第であり、住民が喜んで満足すれば何でも成功ですし、不満だったら失敗なのです。

価値観が多様化した(どんなマイナーな価値観でも堂々と表明できる)今という時代において、住民全員を満足させるのはもはや不可能です。
どんな施策であっても、必ず誰かから不満の声が上がります。

困ったことにマスコミや政治家は、施策に対する不満しか取り上げません。
大多数が喜んでいる施策であっても、ごく些細な不満の声を探し出して拾い上げ、それを拡張して「役所は失敗した」と喧伝します。

マスコミが連日「この施策は失敗です」と報道するのを見聞きして、住民の多くは認識を改めます。
たとえ自分が恩恵を受けているとしても、それを棚上げして「役所は失敗した」と思うのです。

ほとんどの施策は、このような経過を辿って民主主義的に「失敗」の烙印を押されます。
(以下、失敗施策扱いされることを「敗北」と表現します)

役所がどれだけ頑張ろうが、どれだけ成果を上げようが、関係ありません。
役所は大概敗北します。
そのため、最初から敗北前提に施策を展開することになります。

「負け筋探し」が職員の最重要業務

敗北を前提とする場合、被害を最小限に抑えることが至上命題です。
そのためには、いつ/誰が/どのように叩いてくるか(いわゆる「負け筋」)を網羅的に予測して、それぞれの対処方法を考える必要が出てきます。

こう考えると、定量的目標の未達成も、あくまでも「負け筋」のひとつと位置付けられます。
「いかに達成するか」のみならず、「達成できなかった場合どうするか」も真剣に考えるわけです。

具体的には、
  • 類似した施策で、過去どのような叩かれ方をしているかを徹底的に調べる
  • 国や他自治体、他部署の施策が波及してこないか考える
  • 住民の声やインターネット上の反応を常時伺って、リアルタイムの動向を把握する

こういった方法で「負け筋」を探して、予算・人員・権限の範囲内で対策を練っていきます。
往年の名コピペ「ラグで詰まないか?」を思い出します。


役所的には、たとえ叩かれても想定・対策の範囲内に収まっていれば、それほど問題にはなりません。
しかし、想定外の「負け筋」で叩かれてしまったら、紛れもなく失敗と見なされます。

あらかじめ想定していた「負け筋」であれば叩かれてもすぐに対処できますが、想定外のケースだとそうはいきません。
往々にして時間が足りませんし、対処に必要なモノやデータがもう手に入らないケースも多いからです。
結果的に対処が遅れたり不十分だったりして、さらなる批判を招きます。

最終的にうまく収められたとしても、関係者はものすごく怒られます。
さらには人事評価も下がるでしょう。
「負け筋潰し」はリスク管理の一環であり、地方公務員にとって必要不可欠の能力です。
想定外の事態を引き起こしてしまうと、この能力が不足していると見なされてしまうわけです。


民間企業でも同じように、いろいろなケースを想定してリスク管理をしているでしょう。
ただ民間企業であればコストパフォーマンスを考慮して、利益に影響してこない微小なリスクであれば捨象するでしょうが、役所ではどんなわずかなリスクでも真剣に検討します。
役所はとにかく「想定外」を許さないというスタンスです。

終わりないプレッシャー

「網羅的に負け筋を探さなければいけない」ということは、言い換えると「想定外の負け筋は許されない」というプレッシャーを課されることでもあります。
民間企業における「定量的ノルマ」には及ばないのかもしれませんが、これはこれで結構しんどいプレッシャーだと思うのです。
 
定量的なノルマには終わりがあります。目標値を超える実績を出せばいいです。
しかし、「負け筋潰し」には終わりがありません。
「事実は小説よりも奇なり」ということわざの通り、現実は何が起こるか分かりません。
全ての事象が「負け筋」になり得ます。
地方公務員は、一生ずっとこのプレッシャーの下で生きるしかないのです。


真面目で優秀な職員、つまり「負け筋」をたくさん見つけられる職員ほど、不安をたくさん抱えたまま仕事をすることになりますし、日々「もっと他にも負け筋があるのでは?」と疑心暗鬼に襲われることになります。

日々ノルマ追われる人生と、無限の不安に苛まれる人生。
お互いを蔑み合うのではなく、「みんな違ってみんなしんどい」という友愛の念を持ちたいものです。

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