キモオタク地方公務員(県庁職員)のブログ

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2024年07月

今更言うまでもなく、地方自治体の人事ローテーションはうまく機能していません。
要配慮者を負担の軽いポストへとうまく配置したり、NGな組合せを避けるだけで精一杯で、それ以外の職員は単なる玉突きの穴埋めでしか配置できていないのが現実でしょう。

戦略的に人材育成している民間企業とは雲泥の差がありますし、同じ官公庁でも、国は一定の「コース」を設けて若いうち選抜&育成を図っています。
他の職場と比べても、地方自治体の人事はおざなりと評されて然るべきだと思います。

この原因は多分ですが、職員数に比して人事部門の人数が少ないせいだと思っています。
人事は典型的な間接部門であり、主権者たる住民からすれば、自分達に何の恩恵ももたらさない「無駄」なセクションです。

ゆえに、「人事部門を充実する」のは至難の業だと思いますし、人員配置の代わりにコストを投じてタレントマネジメントみたいな外部サービスを利用するのも困難でしょう。
地方自治体の人事異動のあり方を抜本的に改善するのは、民主主義体制を敷いている以上、不可能だと思います。

とはいえ、リソースを追加せずとも、現状の異動のあり方を少し変更することで、今よりはまだマシにできるのでは?とも思います。

「部署」または「職務」どちらかだけを変える

地方公務員のポストは、ざっくり「部署」「職務」「職位」の3つの要素から構成されます。
「部署」は配属される部署のこと、「職務」は担当業務の中身(庶務、窓口、許認可、内部調整など)、「職責」は立場(ヒラ、主任、係長など)のことです。
他にも色々な要素がありますが、主だったものはこの3つだと思います。


例えば、自分の仕事を他者に説明するときは、だいたいこの3つを取り上げないでしょうか?
新たに異動した部署で自己紹介することになったり、久々に顔を合わせた元上司から「今は何やってるの?」と聞かれたり、合コンで「どんなお仕事してるんですか?」と質問されたり……このあたりのシーンを思い出してみてください。
「農業振興の部署で、農地関係の許認可の担当をやってます」みたいに、部署&職務&職位のセットで喋りませんか?



多くの自治体の人事異動では、「部署」「職務」「職位」の3要素が一切連動せずに、バラバラに変更されます。
このうち「職位」は、年齢や昇級昇格、組織定数といったルール、つまり人事異動とは別のルールで決まるので、今回は無視します。

一方、「部署」「職務」は、人事異動の際に決める要素であり、まだ工夫の余地があるはずです。
そこで、「部署」「職務」の両方を同時変更するのは極力避けて、いずれかを固定して、片方だけを変更するような異動形態にすればいいのでは?と思います。

具体例を挙げると、
  • 農業系部署の許認可担当 → 福祉系部署のケースワーカー → 観光系部署の庶務担当 
みたいに、「部署」「職務」どちらも異動のたびに変更するのではなく、

  • 農業系部署の許認可担当 → 福祉系部署の許認可担当 → 福祉系部署のケースワーカー
みたいに、「部署」「職務」のうち片方だけを変更する形のほうがよいのでは?と思うのです。

異動負担の軽減&専門性の醸成

インターネット上の投稿を見ていると、現状の地方公務員の人事異動のあり方に対する問題提起が多数なされていますが、その中身はおおよそ
  • 人事異動のたびに全く経験したことのない業務をやらされることになり、かつ即座に習得しなければならず、学習負担が重い
  • 数年おきに全く違う仕事をやらされて、キャリアに一貫性が無く、専門性が身につかない
という意見に集約されます。

これらの事象は、「部署」「職務」の両方を同時に変更するのを止めて、片方だけの変更に止めれば、かなり軽減されるはずです。

まず、前者の「異動時の学習負担の軽減」は、これまでは「部署」の学習(=新たに携わることになる分野の基礎知識の勉強)と、「職務」の学習(=具体的な業務処理方法の勉強)という二重苦が課せられていたところ、片方だけになるので、間違いなく軽減されます。

後者の「専門性の欠如」についても、部署ごと・職務ごとの経験年数が長くなることで、今よりは改善されるはずです。

一つのポストだけを長年担当していても専門性は身に付かない

現行の人事異動では、一つの部署で一つの業務しか担当せずに異動するケースが多く、どうしてもその「部署」(分野)への理解が表面的に終わっていると思います。

例えば、観光系部署で5年間にわたりイベント運営を担当していた職員がいるとします。
彼/彼女は、イベント準備の段取りやイベント当日の進行、安全管理あたりについては間違いなく詳しいでしょう。
しかし、だからと言って「観光に詳しい」と評しても良いのでしょうか?

イベント運営だけを担当していては、観光に関するその他の論点については、さほど詳しくなれないでしょう。
観光に関する他の施策のことを知らず、施策体系の中に「イベント開催」がどのように位置付けられるかもよくわかっていないとすれば、「イベントに詳しい」とすら言えなくなってきます。

このように、現行の人事異動では、自分の携わる分野に、限られた視点からしか携わることができず、結果的に分野への理解が浅いまま終わっていると思います。
ここで、イベント担当を2年くらいにとどめておいて、別の業務(例えばマスコミへの売り込みなど)を2年間担当させたほうが、トータルの在籍期間は1年短くなっても、観光分野に関してはより詳しくなれると思います。

「職務」についても同様です。
農業系部署で5年間庶務担当をしている職員がいるとします。
彼/彼女は、ハード事業の積算や国庫支出金の処理に関しては非常に詳しくなっていると思います。会計検査院の相手も余裕でしょう。

ただ、だからと言って庶務全般に精通できるわけではありません。
ソフト事業の積算や、施設設備の運営費管理のような、他部署の庶務担当であれば当たり前にこなしている日常業務は、さほどうまく処理できないと思います。

つまるところ、「専門性の欠如」の原因の一つは、一つの部署で一つの職務しか担当できずに転々と異動させられることであり、一つの部署でいくつかの職務を経験する(あるいは一つの職務を複数の部署で経験する)ことで、今よりは専門性が身につくのではないか?と思うのです。


複数の「専門性」を備えるのが正規職員ならではの役目

何か一つの「部署」や「職務」の専門性を極めるのは、もはや地方公務員の役割ではないのだと思います。

これまでも、「部署」(分野)の専門性が欲しい場合、外部有識者にヒアリングしたりアドバイザーとして起用したり、業務を丸ごと委託して、専門性を確保してきました。
加えて、ここ数年でコンサルがどんどん行政分野に進出してきていて、「職務」の専門性すら外注できるようになりました。
これまで役所特有だった「職務」、例えば会計処理や予算編成、条例制定のような業務すら民間委託できるようになってきています。

限られた分野・職務の専門性が欲しいだけなのであれば、民間委託すれば済みます。
正規職員を任用するよりも手早く、かつ安上がりでしょう。

これから地方公務員に求められるのは、専門性の掛け合わせなのだろうと思います。
行政に関する分野・職務に関して複数の専門性を備えている人間は、今のところ正規の地方公務員しか存在しません。
俗に言う「縦割りの弊害の解消」「分野横断的な問題の解決」には、複数の専門性を兼ね備えた人間が必要であり、これこそが地方公務員に求められる役割だと思います。

60点くらいの専門性をいくつか身に付けて、それらを掛け算することでオリジナリティを発揮していく。
入庁してから係長として部下を持つまでの間に、だいたい6ポストくらいを経験して、この過程で4〜5個くらいの専門性を身に付けられたらいいんじゃないかと思っています。

僕の世代(30代半ば)を見ていると、活躍している職員がまさに、これまでの異動遍歴の中で複数の「専門性」を身に付けて、それらを掛け合わることでオンリーワンの存在として存在感を発揮しています。
僕みたいに1〜2年スパンで異動を繰り返し、何の専門性も身につかないまま年次だけ重ねてきた職員にとって、彼ら彼女らは眩しすぎます。

令和6年能登半島地震から半年が経過しました。
最近はめっきり報道されなくなっていましたが、発災から半年が経過したということで、再びメディアを賑わせています。

実は僕も、3月頃に対口支援として現地に派遣されていました。

具体的な場所や時期は伏せますが、僕が対口支援に行った頃には既に人命救助フェーズは終わっていて、避難所運営や罹災証明書発行のような被災者支援施策の質と量をいかに改善していくかというフェーズでした。
対口支援職員の役割は、いったん確立したルーチンを回しつつ改善していくこと。比較的楽な時期だったと思います。

「能登はやさしや土までも」

従事期間中、「能登はやさしや土までも」というフレーズを何度も見聞きしました。
今回の震災で拵えられた造語ではなく、昔からある言葉のようです。

実際、被災者の方々は皆さん優しかったです。
約1週間の従事期間中、被災者の方々が声を荒げるところは一度も見かけませんでしたし、ちまちま文句や嫌味を言われることもありませんでした。
僕の経験上、被災地に行くと「お前もどうせすぐいなくなるんだろ?本気で支援するつもりなんて無いんだろ?」という定番フレーズで嫌味を言ってくる方が一定数いらっしゃるものなのですが、今回は一人も遭遇しませんでした。

一方、支援者の方々(特に非公務員の方々、現地入りしているボランティアの方々など)は、かなりフラストレーションが溜まっているようでした。
役所に来て、現地のプロパー職員なり対口支援職員なりを捕まえて思いの丈をぶつけていく方は連日いらっしゃいましたし、被災者の方の前で愚痴をこぼしている方も少なくありませんでした。

例えば、避難所で炊出しボランティアをしている方々が、被災者の方々に「冷たいおにぎりしか持って来ない役所と私たちは違いますからね」みたいなことをわざわざ吹き込んで回ったり。
もちろんこそこそと陰口のように言うのではなく、避難所運営をしている公務員にも聞こえるように、はっきりとおっしゃいます。

役所や自治体職員の悪口を言うこと自体は、僕は構わないと思っています。
特に応援職員はいずれいなくなる立場なので、被災者のストレス軽減につながるのであれば、多少暴言をぶつけても差支え無いとすら思っています。

先のケースでも、ボランティアの方々が役所の悪口ネタを持ち出して、被災者の方々がそれに同調して盛り上がってくれるのであれば、別に問題ないと思います。

僕がひっかかるのは、被災者の方々がどう見ても乗り気でないのに、ボランティアの方々が役所叩き・公務員叩きを延々続けていたところです。
ボランティアの方々の熱意と、被災者の方々の心情がマッチせず、ボランティア側の内輪のノリを押し付けているかのように見えて、居たたまれなくなりました。

悪口を聞きながら食べるご飯は、たとえ温かくとも本当に美味しいのだろうか……と疑問を抱かざるをえませんでした。


発災直後の「被災地への不要不急の移動を控えて」発言がいまだに尾を引いている

今回の震災では、発災直後に、県知事が「被災地への不要不急の移動を控えてほしい」と発信し、話題になりました。


この発言自体は1月5日。
僕が対口支援に行った時点では既に2か月近く経過していて、既に自由に往来できるようになっていました。

ただ、現地入りしているボランティアの方々を中心に、いまだにこの発言が機能していると捉えている方が少なくありませんでした。
「自分たちは県知事の命令に背くというリスクを冒してでも被災地の役に立ちたい」みたいな被害者意識・自己犠牲精神を持っていたり、この発言を拡大解釈して「県はボランティアを禁止している」などと憤っていたり……

単に「被災地の復旧復興に携わりたい」「被災者を助けたい」という善意のみならず、ヒロイックな使命感や義憤、政治や行政への敵意を抱いて活動している方が本当に目立ちました。


特に石川県庁への敵意は凄まじかったです。
「県庁のせいで復旧が遅れている」だの「県庁は被災地よりも万博優先」だの「私たちが県庁から被災地を救わなければいけない」だのという話を、先述したように被災者の方々の前で大声で唱えているんですよね。

繰り返しになりますが、役所や公務員に文句を言うこと自体は、僕は否定しません。
ただ、悪口や怒鳴り声は、基本的に心地よいのものではなく、被災者の中には聞きたくない方もいらっしゃると思います。
そのような被災者の内情に配慮せず、自分自身の怒りの感情を被災者に見せつけるのは、ボランティアとして如何なものか……と思わざるを得ません。

これまでの経験上、大災害発生時には誰かしら「悪者」が設定されるものなのですが、今回はどうやら県庁がターゲットになってしまったように思われます。同業者として本当に気の毒です。

被害が出てるのは能登半島だけではない

被災地派遣から約2ヶ月後のゴールデンウィーク期間中にも、石川県に行ってきました。
今後はオタク用務です。



加賀友禅コラボが非常に良かったです。ざっくりいうと、
  • 現役の加賀友禅(着物)作家が、キャラクターに着せる着物の図柄デザインを「受注」して、加賀友禅の特徴や技法に沿ったデザインを作成
  • そのデザインをもとに、実際にミニチュアの着物を作るのみならず、デザインを完成させるまでの過程(モチーフを決めるまでのアイデアメモ、ラフスケッチなど)まで展示公開する
という、可愛いイラストを眺めているうちに、伝統工芸の作家さんが実際にやっている仕事の流れを勉強できてしまう……という画期的な企画でした。

オタクとして大満足なのに加えて、伝統工芸振興施策としても上手い取組だと思いました。
これまで今ひとつ理解できていなかった「美術」と「工芸」の違い「工芸」という産業のあり方がよく分かりましたし、「工芸」という産業が今も生存している石川県という地の特異性にも興味が湧き、急遽そのまま近隣の伝統工芸関係の施設をはしごしてしまいました。




ネット上にはいくつかこの企画のレポートも載っているので、観光や産業振興の仕事をしている方は、一度見てみるといいと思います。参考になるはずです。

……話を本筋に戻します。
スタンプラリーのために1泊2日で金沢市内を歩き回ったところ、歩道も車道も陥没しまくっていました。特に金沢駅の西口側が酷い。

最近マスコミが「観光需要が早々に戻ったおかげで、金沢市民は震災を忘れて立ち直れた」などと皮肉を報じていますが、日々使う道路がベコベコな状態では、震災を忘れられるわけがないと思います。
外野が好き勝手に、被災地をおもちゃにしているとしか思えません。


ボランティアにしろマスコミにしろ、「被災者のため」という大義名分を掲げつつ実際は「自分の私利私欲のため」に活動すること自体は、否定しません。
ただ、被災者に対しては、本音を隠し通してほしい。
私利私欲は見せず、徹頭徹尾、利他的な存在として振る舞ってほしい。

僕の経験上、被災者の方々は、実利が伴わずとも、「善意」を向けられるだけで気持ちが救われます。
それが「被災者の気持ちに寄り添う」ことだと思います。

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