「自助・共助・公助」というフレーズは、防災の心得として社会にすっかり定着しています。
「行政が責任を回避するための方便にすぎない」などと冷ややかに捉えている人が多数ではありますが、こうした批判や違和感が語られること自体、この言葉が広く共有され、前提知識として浸透している証左であると思います。
ただ、実際に災害が発生すると、この三つのうち「共助」はなかなか機能するものではありません。
とりわけ、多くの被災者が避難所で寝泊まりしている期間、いわゆる「応急期」においては、「共助」には期待できません。
僕自身が能登半島地震の被災地に派遣されてから約2年が経過し、当時感じた「ぼんやりとした絶望感」をようやく言語化できたので、忘れないうちに記録しておきたいと思います。
「共助」とは、読んで字のごとく、ともに助け合うことです。単なるお手伝いや人助けとは異なります。
各人が持つリソースを持ち寄り、足りない部分を補完し合う関係性があって、はじめて「共助」と呼べます。
ここで重要なのは、「全員がリソースを出し合う」という点です。
個々人はそれぞれの属性(年齢、性別、経歴など)に応じて、異なる種類・量のリソースを持っており、それらが相互に噛み合うことで支え合いの循環が生まれます。これが「共助」です。
リソースを供出する側と享受する側が固定されている「支援」や「搾取」とは異なる互恵的な関係です。
互恵的な関係、「お互い様」の精神に基づいたものゆえに、持続性があり、感情的にも実践しやすいのです。
災害の応急期とは、端的に言えば「大勢の人が、同時に、突然、不慣れで過酷な環境に放り出される」状況です。
避難所での生活はその典型例でしょう。限られた空間に多くの人が集まり、日常とは全く異なる条件のもとで、生活水準を維持しなければなりません。
この応急期に必要とされるのは圧倒的な体力と腕力です。
応急期は一時的にあらゆるインフラが(ハード面でもソフト面でも)停止するので、その代替としてマンパワーに頼らざるを得ません。
具体的には、被災者の救助や負傷者の手当て、物資の運搬、生活空間の設営、食事の準備、清掃、心身の不自由な人の介助・介護などなど……こういった膨大な力仕事を不眠不休で続けることが、否応なく求められます。
このような応急期のあり方は「共助」ではなく、「体力・腕力のある人が無い人を支える」という、一方的な「支援」に他なりません。
高齢者の方々は、体力や腕力はどうしても若者に劣り、助けられる側に甘んじざるを得ません。
ここで僕は「高齢者は社会のお荷物」などと主張するつもりは一切ありません。
高齢者には、若者に無いリソースをたくさん持っています。
特に、高齢者ならではの「自由な時間」というリソースは、災害の復旧期~復興期にはとても重要だと思います。
ただし、災害発生直後の応急期には、高齢者が持つリソースは極めて活きづらいのです。
これまでの災害では、地域の現役世代&被災自治体の職員がマンパワーを供出することで応急期を乗り切ってきました。
しかし今回の能登半島地震では、高齢化率が高い地域で発災したために、地域の現役世代+被災自治体職員だけではマンパワーが圧倒的に不足していたのでしょう、避難所立上げの際にいろいろなトラブルが発生したと報道されています。
その後、全国の自治体からの対口支援職員が到着してからは軌道に乗ったと認識していますが(僕が対口支援で現地行った際は順調に回っていました)、発災初期のトラブルは今もなお当て擦られ続けられており、被災自治体のイメージダウンを引き起こしています。
今後さらに高齢化が進めば、応急期の対応体制はいっそう逼迫することは避けられません。
避難所運営に割かれる人的・時間的リソースは膨らみ、結果としてインフラ復旧や各種支援の立ち上げが遅れがちになるでしょう。 避難所運営のルールが定着してルーチン化するまでにも時間がかかり、「応急期が伸びる」という言い方もできると思います。
この課題への対策として、これまでの論調だと「平時から地域の絆を深めておいて、共助をより充実すべき」というのが教科書的な答えなのでしょうが……僕は絵に描いた餅としか思えません。
地域の若者の人数がどんどん減っていく中、この対策では「そもそもマンパワーが足りない」というボトルネックを解消できません。
僕がまず必要だと考えるのは、「応急期の共助には限界がある」という現実認識を社会全体で共有し、そのうえで「応急期の公助」を強化することです。
この前提を冷静に共有することが、現実的で持続可能な防災体制を考えるうえで欠かせないと思います。 能登半島地震では、全国から多くの公務員が対口支援として現地に入り、純粋な「労働力」として投入されました。この仕組みは、応急期というフェーズの特性に非常によく適合していたと、僕は感じています。
応急期に求められるのは何よりも「体力」、そして文句を言わずに淡々と苦役をこなす「従順さ」と「忍耐力」であり、この点で公務員という存在は適材適所です。この仕組みが効果的であったことが、今後もっと取り上げられればいいなと思っています。
次に重要なのは、応急期というフェーズをできるだけ早く終わらせることだと思います。
インフラ等の応急復旧を速やかに終わらせて、物流を安定化し、避難所生活を早々に安定させる。そのために何がボトルネックになるのかを、平時から冷静に検証しておく必要があるでしょう。
「公助」が重要な期間=応急期を短縮して、その短い期間に大量の「公助」を投入する……という、メリハリの利いた体制が理想なのかと思います。
応急期には高齢者が中心となって地縁ベースで「共助」が機能する……というイメージを抱いている方もいるかもしれませんが、高齢化が本格化している今、これは幻想です。
どれだけ地縁が強固であろうとも、高齢者ばかりの地域では労働力が足りません。
「初期対応には単純労働力が必要であり、高齢化の進展により最早地域内では労働力を賄いきれないから、外部から調達してくるしかない」という現実こそ、能登半島地震の重要な教訓だと思います。
「行政が責任を回避するための方便にすぎない」などと冷ややかに捉えている人が多数ではありますが、こうした批判や違和感が語られること自体、この言葉が広く共有され、前提知識として浸透している証左であると思います。
ただ、実際に災害が発生すると、この三つのうち「共助」はなかなか機能するものではありません。
とりわけ、多くの被災者が避難所で寝泊まりしている期間、いわゆる「応急期」においては、「共助」には期待できません。
僕自身が能登半島地震の被災地に派遣されてから約2年が経過し、当時感じた「ぼんやりとした絶望感」をようやく言語化できたので、忘れないうちに記録しておきたいと思います。
共助=互恵的な関係
「共助」とは、読んで字のごとく、ともに助け合うことです。単なるお手伝いや人助けとは異なります。各人が持つリソースを持ち寄り、足りない部分を補完し合う関係性があって、はじめて「共助」と呼べます。
ここで重要なのは、「全員がリソースを出し合う」という点です。
個々人はそれぞれの属性(年齢、性別、経歴など)に応じて、異なる種類・量のリソースを持っており、それらが相互に噛み合うことで支え合いの循環が生まれます。これが「共助」です。
リソースを供出する側と享受する側が固定されている「支援」や「搾取」とは異なる互恵的な関係です。
互恵的な関係、「お互い様」の精神に基づいたものゆえに、持続性があり、感情的にも実践しやすいのです。
災害の応急期とは、端的に言えば「大勢の人が、同時に、突然、不慣れで過酷な環境に放り出される」状況です。
避難所での生活はその典型例でしょう。限られた空間に多くの人が集まり、日常とは全く異なる条件のもとで、生活水準を維持しなければなりません。
この応急期に必要とされるのは圧倒的な体力と腕力です。
応急期は一時的にあらゆるインフラが(ハード面でもソフト面でも)停止するので、その代替としてマンパワーに頼らざるを得ません。
具体的には、被災者の救助や負傷者の手当て、物資の運搬、生活空間の設営、食事の準備、清掃、心身の不自由な人の介助・介護などなど……こういった膨大な力仕事を不眠不休で続けることが、否応なく求められます。
このような応急期のあり方は「共助」ではなく、「体力・腕力のある人が無い人を支える」という、一方的な「支援」に他なりません。
災害応急期に必要なリソースは若者しか持っていない
そしてこの図式は、「若者が高齢者を助ける」と言い換えることもできます。高齢者の方々は、体力や腕力はどうしても若者に劣り、助けられる側に甘んじざるを得ません。
ここで僕は「高齢者は社会のお荷物」などと主張するつもりは一切ありません。
高齢者には、若者に無いリソースをたくさん持っています。
特に、高齢者ならではの「自由な時間」というリソースは、災害の復旧期~復興期にはとても重要だと思います。
ただし、災害発生直後の応急期には、高齢者が持つリソースは極めて活きづらいのです。
これまでの災害では、地域の現役世代&被災自治体の職員がマンパワーを供出することで応急期を乗り切ってきました。
しかし今回の能登半島地震では、高齢化率が高い地域で発災したために、地域の現役世代+被災自治体職員だけではマンパワーが圧倒的に不足していたのでしょう、避難所立上げの際にいろいろなトラブルが発生したと報道されています。
その後、全国の自治体からの対口支援職員が到着してからは軌道に乗ったと認識していますが(僕が対口支援で現地行った際は順調に回っていました)、発災初期のトラブルは今もなお当て擦られ続けられており、被災自治体のイメージダウンを引き起こしています。
今後さらに高齢化が進めば、応急期の対応体制はいっそう逼迫することは避けられません。
避難所運営に割かれる人的・時間的リソースは膨らみ、結果としてインフラ復旧や各種支援の立ち上げが遅れがちになるでしょう。 避難所運営のルールが定着してルーチン化するまでにも時間がかかり、「応急期が伸びる」という言い方もできると思います。
この課題への対策として、これまでの論調だと「平時から地域の絆を深めておいて、共助をより充実すべき」というのが教科書的な答えなのでしょうが……僕は絵に描いた餅としか思えません。
地域の若者の人数がどんどん減っていく中、この対策では「そもそもマンパワーが足りない」というボトルネックを解消できません。
現実を見て「諦念」を受け入れる
僕がまず必要だと考えるのは、「応急期の共助には限界がある」という現実認識を社会全体で共有し、そのうえで「応急期の公助」を強化することです。この前提を冷静に共有することが、現実的で持続可能な防災体制を考えるうえで欠かせないと思います。 能登半島地震では、全国から多くの公務員が対口支援として現地に入り、純粋な「労働力」として投入されました。この仕組みは、応急期というフェーズの特性に非常によく適合していたと、僕は感じています。
応急期に求められるのは何よりも「体力」、そして文句を言わずに淡々と苦役をこなす「従順さ」と「忍耐力」であり、この点で公務員という存在は適材適所です。この仕組みが効果的であったことが、今後もっと取り上げられればいいなと思っています。
次に重要なのは、応急期というフェーズをできるだけ早く終わらせることだと思います。
インフラ等の応急復旧を速やかに終わらせて、物流を安定化し、避難所生活を早々に安定させる。そのために何がボトルネックになるのかを、平時から冷静に検証しておく必要があるでしょう。
「公助」が重要な期間=応急期を短縮して、その短い期間に大量の「公助」を投入する……という、メリハリの利いた体制が理想なのかと思います。
応急期には高齢者が中心となって地縁ベースで「共助」が機能する……というイメージを抱いている方もいるかもしれませんが、高齢化が本格化している今、これは幻想です。
どれだけ地縁が強固であろうとも、高齢者ばかりの地域では労働力が足りません。
「初期対応には単純労働力が必要であり、高齢化の進展により最早地域内では労働力を賄いきれないから、外部から調達してくるしかない」という現実こそ、能登半島地震の重要な教訓だと思います。
