事前面談会が大変なようで……当事者の皆様は本当にお疲れ様です。
ネット上にいろんな声が上がっていますが、僕の感覚では「まあそうなるよなぁ……」という感じで、正直驚きはありません。
表向きのルールを守らない流れなら、やっぱ今年も伝統行事「地上試験日拘束」やっちゃいそうですね……
事前面談会で深淵を垣間見た結果、国家総合職への就職を再考している方もいるかもしれません。
ただ、現時点で完全に見切りをつけられる方はごくごく少数でしょう。
そして大半は大いに迷っていることと思います。
特に「これまでの努力が無駄になってしまう」という葛藤と戦っているのでは?
この感情こそ、かの有名な「一貫性の法則」や「サンクコストの錯誤」と呼ばれる人間の思考の癖です。
狩猟時代から人類の脳に刻まれた思考パターンであり、無意識のうちに人間の決定を方向付けます。
そしてときには不合理な決定をもたらし、後悔の素となるのです。
ファーストキャリアに国家総合職を選ぶかどうかは、人生において非常に重要な選択です。
認知の歪みに左右されることなく、合理的に考え抜いたうえで決定すべきです。
「一貫性の法則」や「サンクコストの錯誤」そのものの解説は別サイトに任せるとして、これらの思考の癖から解放されるためのヒントを考えてみます。
一貫性の法則:志望動機を冷静に深掘りしてみる
端的にいうと、「これまでずっと国家総合職を目指してきたから今更進路変更なんてしたくない」という気持ちを惹き起こすのが「一貫性の法則」です。
この法則の影響から逃れるためには、なぜ国家総合職を目指しているのかを今一度冷静に見つめ直して、「一貫性の法則」とは関係なく本心から国家総合職を志しているのかを問い直すのが効果的です。
- 官僚というステータスに憧れている
- 入庁後にやりたい仕事がはっきりしている
このように断言できるのであれば問題ありません。邁進してください。
断言できないのであれば、国家総合職を目指す動機を細分化してみることを勧めます。
前述の「官僚というステータスに憧れている」パターンでなければ、国家総合職への就職は目的ではなく手段です。
- 目的を達成するための手段は、「国家総合職への就職」一択でしょうか?
- または「国家総合職への就職」が利用可能な手段のうち最善の選択肢でしょうか?
どちらの問いもノーであれば、国家総合職への就職が必ずしも合理的とは言えません。
より志望動機を深掘りしていって、さらに問いを深めてみては?
その結果「国家総合職がベストだ」という結論に辿り着ければ問題ありません。
反対に「他の選択肢の方が良いんだけど、どうしても国家総合職を捨てきれない」という状態から脱せないのであれば、「一貫性の法則」のような認知の歪みが作用している可能性が高いです。
自分で悶々と考えていても仕方ないので、第三者の意見を仰ぐことを勧めます。
それか前掲の『影響力の武器』『ファスト&スロー』を読んでみて、自分の心理状態を客観的に見てみてください。
サンクコストの錯誤:そもそもサンクコストではない
「一貫性の法則」と若干被りますが、「今更国家総合職の道を止めるのは、これまでの過程を失敗とみなすことと同義だ。これまでつぎ込んできたお金・時間・労力などのコストを無駄にしたくない。だから国家総合職しか進路は無い!」という心理状態が「サンクコストの錯誤」です。
もしこういう風に考えているのでしたら、安心してください。
国家総合職を志して努力してきた日々は、少なくとも地方公務員になるのであれば、決して無駄にはなりません。
国と地方がうまく歩調を合わせられない理由の一つとして、官僚と地方公務員の間の絶望的な法令知識格差があると思っています。
地方側に法令知識(中でも特に、民法と行政訴訟裁判例)が無いために、官僚の意図が正しく伝わっていないのです。
(いずれ別途記事にしようと思っています)
(いずれ別途記事にしようと思っています)
こういう構造的課題があるために、官僚並みに法令知識を備えている職員が地方側にいれば、国・地方の相当にとってものすごくありがたいのです。
過去の記事で「東大卒は人事異動のペースが遅い」と書きましたが、高学歴ならではの固有スキルである「知識の厚み」を活かして国と地方の仲介役という代替困難な役割を担っているために、異動させづらいのかもしれません。
公務員にならないにしても、国家総合職試験に向けて膨大なインプットをこなしてきたという経験はきっと役立つでしょう。
とにかく無駄にはなりません。
コメント
コメント一覧 (8)
法律知識以前の問題ですけど、中途とはいえ入庁即主担当(総勢一人)レベルの小規模自治体だと数年前どころか前年度から始まった新しい取組()に向けたお知らせですら「なんか意味わからんメールが来た」状態でもういやんなりますよ~なるなる。
愚かであることを自覚したうえで、後継に向けて資料くらいはせめて見やすく残しておきたいと思っています。
「後任が見て分かるように時系列でデータファイルのタイトル付けてる」とドヤる先輩の作成ファイルみたら一瞬で読む気なくすレベルのクソ長タイトルだしなんだこの職場(驚愕)。もうおうちかえりゅううう!
フォルダ構成はきちんとしてるのに、ファイル名がごちゃごちゃな人とかもいますよね……ガバナンスが終わってる組織です……
数年前に経済区分で最終合格し、その後は官庁訪問せずに都道府県庁に入った者です。
確かに知識の量の差はあると思いますが、職場でそれを前面に出すのは控えた方が良いように感じます。
良くも悪くも奇異な目に晒されますし、大抵の場合はかえって仕事がやりづらくなります。
国総の試験で培った知識が本当に活きるのは、(ある程度の年数を経て)企画部門に配属された場合に限られるんじゃないかと思いますね。
他方、庶務では知識以上に経験が物を言います…。
庶務に限らず、事例や経験が優位な業務もたくさんありますし……
学識を施策に反映させるレベルの活用は、それなりにキャリアを積んだ上でないと難しいと思いますが、
若いうちからでも「外から飛び込んでくる情報を理解する」ための予備知識/リテラシーという意味では、総合職試験で培ったものが役立つ機会が結構あるのではと思っています。
恥ずかしい経験談ですが、過去にとある業務を担当していたとき、外部有識者から唐突に「マーケットデザインの手法を取り入れろ」との指摘をいただいたことがあります。
そもそもマーケットデザインという言葉自体初耳で、経済学の基礎が無いので調べても理解できない……という苦境に立たされて、数週間悩みました。
もし僕ではなく貴職が担当だったら、有識者の意図をちゃんと理解できて、生産的な施策につながっていたのかもしれません……
資格の勉強中に「デルファイ法」という単語を目にして、色々と考えさせられましたw
未知の物事に対しても動じず、既存の知識を駆使して冷静に問題を処理できる能力は身についているかもしれません。
私の場合はさっぱりダメですが、霞に行った友人からはそのような素地を感じました。
マーケットデザインですか。庶務ばかり担当しているせいか、入庁してからは一度も耳にしたことがない単語です。
各種制度を所与として捉えるのではなく、制度の設計や修正によって市場の最適化を図っていく。こんなところでしょうか。
この概念によって公共経済学や厚生経済学の常識が変わっていくと思うと興味深いです。
また、個人的に、政治学・行政学におけるイーストンの政治システム論とも親和性が高い気がします。
市場からの要求や支持を受けて(入力)、新たな制度の整備や政策形成を行う(出力)。この繰り返しによって市場を最適解へと導いていく。
普段無味乾燥に思えてしまう行政の仕事にも、理論的な裏付けがあるような気がして、少しだけやる気が湧いてきます。
もっとも、そんな指摘を受けていたら私も動揺したと思いますw
まさにこれです。
役所の仕事はどうしても民意を考慮せざるを得ず、定量的な効果や理論的背景よりも「ウケ」が優先されがちです。
とはいえ裏付けも勿論必要(特に長期的な施策だと尚更)ですし、この部分をフォローできる職員は貴重な存在だと思います。
折角努力して身についた学識、ぜひ来る日まで爪を研ぎ続けてもらえるといいなと思います。