僕が地方公務員になってから2年くらい経った頃から、役所内でも「傾聴」という言葉をよく聞くようになりました。

 

傾聴とは、相手のいうことを否定せず、耳も心も傾けて、相手の話を「聴く」会話の技術を指します。意識すべきなのは、相手に共感し、信頼していると示すこと。経済産業省が「職場や地域社会の中で多様な人々とともに仕事するうえで必要な基礎的な能力」として提言している「社会人基礎力」の要素にも、「傾聴力」が含まれています。(引用元




要するに、相手の話をしっかり聞き、受容することなのでしょう。

僕自身、本庁勤務の県庁職員にしては住民対応が多い仕事ばかり回ってきており、日々の仕事でもとにかくまずは傾聴するよう意識してきました。

ただ最近は、地方公務員の傾聴には良し悪しあると考えています。 
誰に対しても公平にサービスを提供しなければいけないという役所の性質上、むやみやたらと傾聴していると、コストが無限に膨らんでいくのです。

さらに傾聴は、受ける側(喋る側)にとっては、快感にほかなりません。
傾聴してもらうこと自体を目的に役所に来られたり、電話かけてくる方は、今や大勢います。

「役所の傾聴」はコスパが良い

傾聴はもともと高級品です。お金を出さないと得られないサービスです。

傾聴だけを単品で提供するサービスであれば、カウンセリング、法律相談のような相談窓口があります。
ホストクラブやキャバクラのような接待を伴う飲食店も、れっきとした傾聴サービスでしょう。
いずれも基本的に有償です。無料では利用できません。

役所の場合、窓口に何時間居座ろうと、何時間電話をしようと、料金はかかりません。
完全無料です。

発言する話題もかなり自由です。
もちろん役所とは全然関係ない話(最近パチンコの調子が良くない等)はさすがに駄目ですが、行政と少しでも関係のある話題であれば、役所側は追い返せません。
使い勝手が良いと言えるでしょう。

つまるところ、ただ傾聴してもらうだけであれば、民間サービスよりも役所の窓口を利用したほうが、圧倒的にコスパが良いのです。


誰かの得=誰かの損、トレードオフ

役所の傾聴サービスのコスパの良さに気づいてどハマりする方は結構います。

特に高齢男性には、若い女性の多い福祉部局をキャバクラ代わりに使う方もいます。
日本酒入りペットボトル片手に窓口に来て、女性職員相手に、取り止めのない話を延々と続けるのです。

新型コロナウイルス感染症騒動が始まってからは更に増えました。
不満や不安が募り積もって傾聴サービスそのものへの需要が高まっているのか、外飲みに出られなくなった等のために民間傾聴サービスが利用できなくなったせいかのか、理由はよくわかりませんが、確実に増えてはいます。

サービスの受け手(傾聴される側)からすればお得であっても、サービスを提供する側、つまり役所側からすれば、私的満足のために職員を長時間拘束されるのは大損にほかなりません。

より正確にいうと、役所が損をするというよりは、「傾聴される一人」以外の全住民が損をします。
本来であれば他のサービスに供されるはずだった職員の時間とマンパワーを、「傾聴される一人」に私的独占されたからです。

もし残業代が生じるのであれば、余計な人件費負担を課されるわけでもあります。
他人のキャバクラ代を割り勘で払わされているようなものです。


政治判断を待つしかない

役所の傾聴サービスの実態を知れば、「税金の無駄遣いだ」と怒る方もいると思います。
「全体の奉仕者たるべき公務員が、その趣旨に反して特定個人に便宜供与している」と糾弾されても、反論できません。

一方、役所による傾聴サービスを必要としている人がいるのも事実です。
最近は「関係の貧困」が問題視されており、対策の一環として「自治体による傾聴」が位置付けられることもあります。
つまり、「関係の貧困」対策というお題目の下、傾聴サービスのさらなる充実を正当化することも可能なのです。

どちらの方向で進むのか、決めるのは役所ではなく政治です。
僕みたいな木っ端職員は、事態の趨勢を見守ることしかできません。

いずれにせよ、現状ですら「傾聴の提供」に膨大なコストがかかっているという事実、そして行政による傾聴サービスをより充実させるには相当なコストの上乗せが必要という事実は、世間全体に広まってほしいと思っています。

現場職員の「創意工夫」や「自発的努力」でなんとかなるレベルではないし、行政リソース配分の問題として真剣に考えなければいけないと思います。