東京オリパラ2020、ついに始まってしまいました。
僕は今回のオリパラに対し屈折した感情を抱いています。
うまくいってほしいと思いつつも、国民がのうのうと観戦してるのが許せないというか……
地方公務員であれば、同じようなことを考えている方が結構いるのでは?
スポーツエンターテイメントとしては間違いなく世界最高峰のイベントであり、一旦始まってしまえば、エンタメの魔力によってこんなモヤモヤした感情も吹き飛んでしまうのでしょう。
だからこそ今のうちに思いの丈を書き残しておきます。
オリパラが始まってしまえば、よほど筋金入りのアンチスポーツ勢を除き、「開催してよかった」と思うに決まっています。
これがエンタメの魔力です。
ただ実際のところ、開催前の時点では、国民はどう思っていたのでしょう?
メディアが報じるとおりであれば「開催反対が多数派」らしいのですが、本当にそうだったのか?
国民感情なんてものはそもそも調べようがないのですが、もしメディアが報じるとおりなのだとしたら、あまりにも浮気性すぎてどうなの?と思う。
一方、本当は「開催反対が多数」なんて事実が存在せず、メディアが火に油を注ぐためにでっち上げたのであれば、やり口がダーティで腹立たしい。
いずれにせよ釈然としないのです。
どんなトピックであれ国民感情が荒立つと、役所にクレームが飛んできます。
今回のオリパラも同様です。
僕自身、昨年のうちから、賛成派・反対派の両方からクレームを受けてきました。
マジでどうしようもないのに、ただ感情の捌け口として利用されてきました。
教育委員会の体育教育担当係あたりは苦情処理に年中追われていたと聞きます。
つまるところ、地方公務員が「国民感情の調整弁」のように使われたのが腹立たしいのです。
誰かが意図的に役所叩きへと誘導したのか、自然発生的に役所を叩く流れになったのか、実態はわかりません。
とにかく「事実関係や原因を確認する前に、イラッとしたらまずは身近な役所に対して怒りをぶつける」というムーブが当然のように罷り通り、国民の間に広く浸透してしまったという事実が、本当に厳しいのです。
エンタメの魔力の効果がどれだけ凄まじくとも、今回のオリパラに対し百点満点評価を下せる人はあまりいないと思います。
終了した後に、加点要素と減点要素の線引きが行われるでしょう。
この境界線をどこで引くのか、これは高度に政治的な問題だと思います。
少なくともアスリート達は確実に加点要素です。
演出を作ったクリエイター達も、加点要素側に入るでしょう。
競技会場などのハード面を整備した方々、ボランティアとして参加したスタッフも加点要素でしょう。
一方、事務方は、僕は減点要素扱いされるのではないかと思います。
事務方自体は、どちらかと言えば国民に負担を求める立場であり、自ら感動的なコンテンツを生成しているわけではないからです。
最終的には
言い換えると
こういう整理で落ち着きそうな気がしているのです。
国民にとって、オリパラの事務方=行政です。
この整理はつまるところ、「今回のオリパラによって行政の無能っぷりが露呈した」
という理解にほかなりません。
『失敗の本質』あたりの本と絡めて、「今回のオリパラ運営も、太平洋戦争と同様、未だ兵糧軽視の玉砕戦を〜」みたいなことを論じる方が絶対出てくると思います。予言します。
「行政は無能」という理解は、オリパラの感動とともに、国民の心に深く根付くでしょう。
そしてこれから当面の間、行政不信・公務員蔑視の燃料として燃え続けると思います。
公務員を見下す風潮にお墨付きが与えられたと言っても過言ではないでしょう。
「どれだけ頑張っても戦犯扱い」、これが事務方の宿命なのかと思うとやるせなくなります。
僕は今回のオリパラに対し屈折した感情を抱いています。
うまくいってほしいと思いつつも、国民がのうのうと観戦してるのが許せないというか……
地方公務員であれば、同じようなことを考えている方が結構いるのでは?
スポーツエンターテイメントとしては間違いなく世界最高峰のイベントであり、一旦始まってしまえば、エンタメの魔力によってこんなモヤモヤした感情も吹き飛んでしまうのでしょう。
だからこそ今のうちに思いの丈を書き残しておきます。
国民感情とかいうUMA
オリパラが始まってしまえば、よほど筋金入りのアンチスポーツ勢を除き、「開催してよかった」と思うに決まっています。これがエンタメの魔力です。
ただ実際のところ、開催前の時点では、国民はどう思っていたのでしょう?
メディアが報じるとおりであれば「開催反対が多数派」らしいのですが、本当にそうだったのか?
国民感情なんてものはそもそも調べようがないのですが、もしメディアが報じるとおりなのだとしたら、あまりにも浮気性すぎてどうなの?と思う。
一方、本当は「開催反対が多数」なんて事実が存在せず、メディアが火に油を注ぐためにでっち上げたのであれば、やり口がダーティで腹立たしい。
いずれにせよ釈然としないのです。
とにかく行政末端職員が被害を受ける
どんなトピックであれ国民感情が荒立つと、役所にクレームが飛んできます。今回のオリパラも同様です。
僕自身、昨年のうちから、賛成派・反対派の両方からクレームを受けてきました。
マジでどうしようもないのに、ただ感情の捌け口として利用されてきました。
教育委員会の体育教育担当係あたりは苦情処理に年中追われていたと聞きます。
つまるところ、地方公務員が「国民感情の調整弁」のように使われたのが腹立たしいのです。
誰かが意図的に役所叩きへと誘導したのか、自然発生的に役所を叩く流れになったのか、実態はわかりません。
とにかく「事実関係や原因を確認する前に、イラッとしたらまずは身近な役所に対して怒りをぶつける」というムーブが当然のように罷り通り、国民の間に広く浸透してしまったという事実が、本当に厳しいのです。
悪評はずーーーっと残る
エンタメの魔力の効果がどれだけ凄まじくとも、今回のオリパラに対し百点満点評価を下せる人はあまりいないと思います。終了した後に、加点要素と減点要素の線引きが行われるでしょう。
この境界線をどこで引くのか、これは高度に政治的な問題だと思います。
少なくともアスリート達は確実に加点要素です。
演出を作ったクリエイター達も、加点要素側に入るでしょう。
競技会場などのハード面を整備した方々、ボランティアとして参加したスタッフも加点要素でしょう。
一方、事務方は、僕は減点要素扱いされるのではないかと思います。
事務方自体は、どちらかと言えば国民に負担を求める立場であり、自ら感動的なコンテンツを生成しているわけではないからです。
最終的には
- 役所用語でいう「サブ」=コンテンツ制作に携わった方々は加点要素
- 役所用語でいう「ロジ」=開催にあたっての段取りに携わった方々(事務方)は減点要素
- 無能事務方のグダグダっぷりを挽回する勢いでアスリート達が頑張ってくれた
こういう整理で落ち着きそうな気がしているのです。
国民にとって、オリパラの事務方=行政です。
この整理はつまるところ、「今回のオリパラによって行政の無能っぷりが露呈した」
という理解にほかなりません。
『失敗の本質』あたりの本と絡めて、「今回のオリパラ運営も、太平洋戦争と同様、未だ兵糧軽視の玉砕戦を〜」みたいなことを論じる方が絶対出てくると思います。予言します。
「行政は無能」という理解は、オリパラの感動とともに、国民の心に深く根付くでしょう。
そしてこれから当面の間、行政不信・公務員蔑視の燃料として燃え続けると思います。
公務員を見下す風潮にお墨付きが与えられたと言っても過言ではないでしょう。
「どれだけ頑張っても戦犯扱い」、これが事務方の宿命なのかと思うとやるせなくなります。
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