根が真面目なのかストイックなのか、地方公務員は「自己責任論」を好むタイプが多いと思っています。
しかもその多くは無自覚です。
 
地方公務員の多くは、「ある人の失敗の責任は、その人が全面的に負うべきだ」という自己責任論の考え方を、あたかも常識であるかのように、深く考えずに受容しているように思います。

僕はこの傾向を良く思っていません。
いかなる思想信条を持とうが自由ですが、自己責任に関してはよくよく考えてから持説を持つ必要があると思っています。

気持ちはわかる

地方公務員が自己責任論に傾倒したくなるのは、ある意味当然だと思います。

地方公務員という仕事では、「自分の責任を果たさない人」と頻繁に接触します。
役所の仕事の中には、こういう人たちの尻拭い的なものが結構あります。
具体例は挙げませんが、地方公務員なら誰もがきっと思い当たるケースがあるはずです。

役所は「自分の責任を果たさない人」の責任を肩代わりさせられ、当人に代わって汚れ仕事をやらされます。
当人は悪びれる様子もなく飄々としており、時には自分のことは棚に上げて「ちゃんと責任を果たせよ!」と役所を叩いてきます。

こういう仕打ちを日々受けているため、地方公務員が「自分の責任を果たさない人」に対して腹が立つのは当たり前です。
公僕という立場からすれば、「自分の責任をしっかり果たさない奴の尻拭いのために、貴重な税金が使われるのはおかしい」という義憤を感じるべきだとも言えるでしょう。

そもそも「自己責任」を切り分けられるのか?

自己責任論の一歩手前である「自分に課せられた責任はきっちり果たすべき」という信念は、大多数の人が受容できる「常識」の一部だと思います。

ただし、ここからさらに一歩進んで、「自分の失敗の責任は、自分で負うべきだ」「自分の責任を果たせない奴はダメだ」という本格的自己責任論に踏み込んでしまうと、途端に一般化できなくなります。

そもそも責任というものは、自己責任とそれ以外の外的要因(環境要因や運)とを区分するのが、非常に困難です。
一般論を離れて個別具体的なケースをイメージしてみると、この性質が良くわかると思います。
 

例えば、僕が結婚できないのは、自己責任なのでしょうか?
読者の99%は「考えるまでもなく自己責任だろ……」と思うでしょうし、僕自身も自己責任だと思います。

僕が結婚できないのは
  • 親密な対人関係を築き上げる鍛錬を怠ってきたため、対人スキルが低い
  • お金と時間をケチって、まともに婚活をしていない
このあたりが主な理由であり、どちらも自分のせいです。

ただ冷静に考えてみると、
  • 男性比率の高い職場ばかり配属させられている
  • 新型コロナのせいでそもそも婚活できる情勢ではない
  • イケメンとして生を授かれなかった
という外的要因も絡んできます。


今や当たり前に使われている「自己責任」という概念は、実は範囲が非常に曖昧です。
「どこまでが自己責任か」という境界線はケースバイケースですし、特定のケースにおいても、解釈は人それぞれ分かれます。正解は簡単には見出せません。

地方公務員という仕事は、先述したとおり、「自分の責任を果たさない人」と頻繁に関わります。
ただ実際のところ、責任を果たさない背景を個人ごとに詳しく探求していったら、本当は自分のせいではなく外的要因のせい、環境要因や不運のせいであると判明するケースもあるでしょう。
そして、外的要因のせいで苦しんでいる人を救済するのは、紛れもなく行政の役割です。

自己責任論を盲信し、「自分の責任を果たせない奴はダメだ」という一般論を振り回すと、実際は外的要因のせいで苦しんでいる人たちをも切り捨ててしまうことになりかねません。

「自己責任を果たしていない人」たちを十把一絡げに「ダメな奴ら」と断じてしまいがちなのが最近のトレンドではありますが、実はこれは非常に危険な振る舞いです。
特に「困窮者の救済」という使命を帯びている地方公務員までもがこの思想に染まってしまうと、セーフティネットが危うくなってしまうのです。

無自覚でいるのが一番まずい

自己責任論の是非に関しては、今のところ答えはありません。
そのため、各自がしっかり考えて、自分なりの思想を持つことが重要だと思います。
インフルエンサーの意見を鵜呑みにするのなんかは論外です。 

加えて、どれだけ緻密な思想を組み上げたとしても「自己責任論の一般化」はそもそも困難だという認識も、併せて重要だと思います。
責任の所在はあくまでもケースバイケースであり、同じような事案であっても、自己責任と外的要因の割合は全然違ってくるのです。

 

実力も運のうち 能力主義は正義か?
マイケル サンデル
早川書房
2021-04-14