滑って自然消滅していく施策が多い中(具体的に何とは言いませんが)、「ふるさと納税」はすっかり定着しています。
制度として定着しているということは、それだけ利用者にとって実利があるのでしょう。
一方、制度を運営する側の自治体にとっては、悲喜こもごもといった状態だと思います。
歳入が増えて嬉しい自治体もあれば、手間と苦情がひたすら増えて疲弊しているところも多いと聞きます。
ただ、住民の納税意識への影響という意味では、悪影響しか無いと僕は思っています。
「行政サービスの対価として税を支払っている」という認識、いわば応益負担意識が、ふるさと納税制度のせいでやたらと強化されており、そのせいで税の本質的な役割が軽視されていると思えてならないのです。
再分配機能を忘れないで
行政サービスは本質的に、税を納めていようが納めていまいが、たくさん納めていようが僅かしか納めていまいが、必要に応じて利用できるものです。
むしろ租税には「富の再分配機能」という役割があり、税を払っていないほうが得をする仕組みともいえます。
生活保護がまさにこんな仕組みです。
しかし最近は、この「富の再分配機能」に異を唱える方が増えているように思います。
インターネット上のマネー特集には「税金の払い損」という表現が頻出し、「『取れるところから取る』という税の仕組みは間違っている!」というような賛同するコメントが多数寄せられています。
「富の再分配」という役割がある以上、「払い損」になるのは当然です。
「払える人」のお金を使って「払えない」人を救済するのが税の役割だからです。
税による「富の再分配」は、現在社会を回すための重要な前提であり、今更騒いでもどうしようもありません。
それなのに最近は「払い損は許せない」「払っただけの行政サービスを提供せよ」と怒り狂う方が増えているのです。
「払い損」状態を許せない方の増加の一因が、僕はふるさと納税だと思っています。
「富の再分配」という抽象的概念と比べ、ふるさと納税の「納税したら返礼品がもらえる」という仕組み、いわば「払ったら何かもらえる」という等式は、とても単純明快でわかりやすいです。
あまりにわかりやすいために、多くの方の税認識が変化しているのでは?と僕には思われるのです。
「損している」という自己認識がギスギスを生む
「税は応益負担であるべき」「払い損は許せない」という認識は、少なくとも二つの意味で、役所実務に悪影響を及ぼします。
一つは、「税を納めていない・納められない人」への敵対心の増幅です。
先にも触れましたが、納税の有無と行政サービスの利用可否の間には、本質的には関係がありません。
むしろ納税できないほど所得の少ない人を救済するのが行政サービスの重大な使命です。
しかし現状、この使命に対し、多くの方が疑念を抱いています。
最近だと「自営業者はこれまで何でもかんでも経費計上して税負担から逃げてきたんだから、コロナ禍で生活が厳しくても救済する必要なんて無い」という主張あたりが典型でしょう。
このような主張がまかり通るようになると、困窮者救済という行政の基本的な行政サービスが停滞しかねません。
もう一つは、「行政サービスを他人よりもたくさん使わないと勿体無い」という発想です。
この発想に行き着いてしまうと、必要としているわけでもないのに、まるで食べ放題やサブスクサービスで「元を取ろう」とするかのごとく、とにかく役所に使い倒そうとしてきます。
- 窓口や電話口で雑談を続けて職員を長時間拘束する
- 冊子やパンフレット、ノベルティ類を必要部数以上に欲しがる
- 何でもかんでも値切りやアップグレードを要求してくる
具体的にはこういった行為を繰り返します。
「払い損」感覚がなくなるまで、他の人よりも行政サービスをたくさん受けるまで、とにかく役所を使わないと気が済まないのです。
こういった人に行政リソースを独占されると、本当に必要とすべき人のところに行政サービスを届けられなくなる危険が増してしまいます。
それに何より疲れます。
ふるさと納税が悪いわけではないのかもしれないが……
今回触れた
- 非納税者への敵対心増幅
- 「元を取る」「他人より得をする」ためだけに行税サービスを独占したがる人の増加
という事象には、地方公務員であれば大半の方が同意すると思います。
しかし、ふるさと納税がこれらの一因であるという僕の自説には、納得いただけない方も多いでしょう。
ただ、「ふるさと納税してやってるんだから〇〇くらいやれよ!」という決め台詞とともに個人的便宜を要求してくる方を何度も相手にしている身としては、どうしても無関係とは思えないのです。
コメント
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というより性善説は天動説と同じくらいファンタジーに感じるようになりました。