最近はあまり聞かなくなりましたが、僕が採用されたばかりの頃、「自治体=株式会社」「住民=株主」というたとえ話をよく聞きました。

住民はより主体的・積極的に行政参加すべきだ……という文脈の主張の中で、住民側も自治体側も使っていました。

当時は特段気に留めませんでしたが、今から思い返してみるとかなり違和感があるアナロジーです。

僕は就職した年度から株式投資を始めており、何気に地方公務員歴=株主歴です。
どちらの立場も経験してきたからこそ、自治体≠株式会社、住民≠株主だと強く感じます。

住民は「自治体の所有者」ではない

デジタル大辞林によると、株主とは
  • 株式会社の出資者として、株式を所有している者。会社に対して、株主権をもつ
存在とのこと。

 
要するに、株主は企業の所有者であり、顧客(消費者)や従業員(労働者)とは別物です。
もちろん株主が顧客や従業員を兼ねるケースもあり得ますが、根本的には別の存在です。

株主は所有者であるがゆえに、企業から恩恵を受けられます。
つまり株主と企業は、所有をベースとした関係を築いています。


一方、住民と自治体の関係は、そう単純ではありません。

まず、住民は自治体の所有者ではありません。
法律論的に突き詰めていくと、公有財産は全て「総体としての国民」の所有物であるのかもしれません。
しかし、少なくとも住民個々人が自治体を共有または分割所有しているわけではなく、自治体の財産に対して住民が所有権を行使できるわけでもありません。

また、住民は間違いなく行政サービスの消費者です。
ここは異論無いでしょう。

最後に、住民は自治体の従業員なのか?という微妙な論点があります。

自治体の従業員といえば、まず間違いなく地方公務員が挙げられます。
ただし、行政サービスは公務員だけによって提供されているわけではありません。
各種の規制法令など、公務員以外の人に行動を強いることで実現している行政サービスも多々あります。
 
この意味で、行政サービスの提供のために住民も少なからず労働力を提供していると言えないこともない……のかと思います。


住民=株主というアナロジーは、行政と住民のユニークな関係性を、極度に単純化してしまいます。
住民を単に株主、つまりは所有者とだけ見なしてしまうと、いろいろな視点がこぼれ落ちてしまうでしょう。

株主は不平等だが住民は(建前上)平等

株主は、持株数(出資割合)に応じて、受けられる恩恵が異なります。
持株数が一定数を超えると株主優待が豪華になるケースも多いですし、何より株主総会で行使できる票数は持株数に比例します。

株主の世界は、持株数が多いほど強いのです。
株主全員平等というわけではありません。


一方、住民は皆平等です
実際は不平等がまかり通っている気もしますが……建前上は平等です。
 

建前上も実質も不平等が当然である株主の世界とは全然異なります。


住民=株主だと捉えてしまうと、「住民は平等」という原則を見失います。
所得額や納税額に応じて住民間に序列があるかのような錯覚に陥り、「たくさん納税してるんだから」と便宜供与を強いてくる地主のような存在が生まれてしまいます。

株主はだいたい「お金持ちの大人」だが住民はいろいろ

株主は、誰もが簡単になれるわけではありません。
株式を購入するためのお金がまず必要ですし、大金を自由に使える裁量権も欠かせません。

そのため、株主は基本的にお金持ちの大人、いわば社会的強者が多いです。
お金持ちかつ大人であるがゆえに、「生活に余裕がある」「理性的」「ビジネスライク」といった内面的な属性も特定されていきます。

一方、住民は様々です。
子どももいれば大人もいますし、貧乏な人も億万長者もいます。
パーソナリティも様々です。
生活に切羽詰まっている方も多いですし、理性や打算ではなく感情的に動く人も多いです。
社会的強者がいれば、社会的弱者も多いのです。

住民=株主という譬え話は、住民の多様性を捨象しがちです。
特に社会的弱者の存在を見失い、住民全員に強者としての振る舞いを求めかねません。

あえて「住民=株主」とたとえたがる意図とは? 

何らかの比喩を用いるときは、それなりの目的が存在するものです。
聴衆にとって身近な物事に例えてわかりやすくしたり、あえて大袈裟に表現して記憶に焼き付けようとしたり……

ただ、「住民=株主」という喩えの場合は、メリットが全然思いつきません。
むしろ誤解を招きやすいので、避けるべきだと思われます。
今度この表現を見かけたら、その意図を深掘りしていきたいなと思っています。
ひょっとしたら悪意を持ってミスリードを狙っているのかもしれません……