地方公務員という仕事には批判がつきものです。
民主主義の仕組み上、この現状はどうしようもありません。

地方公務員を叩けない世の中、例えば
  • 役所の権力が強すぎて不平不満を打ち明けられない
  • 役所の存在感が希薄すぎて住民同士が直接潰し合う
こんな世の中のほうがむしろ危険な気すらします。

もちろん、いくら立場上仕方ないとはいえ、叩かれるのは誰だって嫌です。
インターネット上では、一方的に叩かれ続けるのに嫌気が差して、「役所も反論すべき」という主張も見かけます。

住民からの批判に対し、役所側が反論するとどうなるのか、考えてみました。

反論のメリット…長期的には世の中のためになる

住民からの批判には、大きく分けて
  • 役所に非があるもの
  • 誤解が原因のもの
  • ポジショントーク
  • 感情的非難
この4類型に分かれると僕は思っています。

このうち、「役所に非があるもの」は、そもそも反論の余地がありません。
大人しく非を認めて対応を考えるべきです。

また、「ポジショントーク」と「感情的非難」は、反論する価値がありません。
反論したところで役所側も相手も得をしないからです。
反論を考えるよりも、いかに「早く切り上げる」かを考えたほうが有益でしょう。

反論を検討する価値があるのは、「誤解に原因のもの」です。
 

誤解を正すのはそもそもの使命

法令や制度に関する正しい情報を住民に伝えるのが、役所の基本的な役割です。
もし住民が誤解しているのであれば、それを解消するのも当然この役割の一部ですし、「正しい情報を伝える」プロセスの一環として、反論も認められて然るべきでしょう。
むしろ反論することが「住民のため」になるのです。

しかし現状、役所の批判対応は「聞き役に徹する」のが基本です。
結論を左右する致命的な誤解であれば勿論訂正しますが、そうでなければスルーするのが普通であり、好き放題に喋らせて時間切れ・エネルギー切れを狙うのが王道戦略です。

僕の体感では、一般論に近づくほど勘違い割合が高まります。
「財政状況が悪化している」「無駄が多い」「職員が多すぎる」みたいな、主語が極めて大きい批判だと、聞いているうちにどこかで綻びが出てきます。
「財政破綻以前に、あなたの理論が破綻しているのですが…」とつっこみを入れたくなる衝動を抑えつつ、適当に聞き流すという現状の対応は、本来不誠実な対応と言えるでしょう。

エスカレートの未然防止

役所としては、ひたすら聴き役に徹して相手が電話を切れば、それは「引き分け」です。
しかし住民目線に立ってみると、一切反論されないまま自説を主張し切れたわけで、引き分けではなく「完勝」と認識するほうが自然です。
 
つまるところ、「聞き役に徹する」という役所の苦情対応は、住民とっては勝利であり成功体験にほかなりません。

この成功体験は、少なくとも2つの意味で、住民の自己評価を高めると思っています。
ひとつは弁論スキル、「そこそこ高学歴集団である公務員連中を論破できるだけの弁論スキルが自分には備わっているぞ」という自信です。
もうひとつは思考力、「公務員連中が気づいていない真実に辿り着いてやったぞ」という達成感です。

しかも役所批判は、「世直し」という大義名分にも関わってきます。
役所への勝利は、個人的勝利であるのみならず、社会貢献にも資すると感じられるわけです。
二重の意味で美味しい成功体験と言えるでしょう。

「公務員論破」の甘美さにどハマりしている住民は、きっと少なくないと思われます。
(かつての上司は「2,000人に一人くらいの割合で役所批判中毒者がいる」と語っていました)
実際、とある部署での成功体験を横展開して、いろんな部署でゲーム感覚で職員を論破しにかかる住民を、何人も目にしてきました。

役所側がちゃんと反論するようになれば、住民が一方的に勝利意識を持つことも減るでしょう。
勝率が低くなれば勝負は減るはず、つまり批判対応件数が減って職員の負担も減り、本来の仕事にもっと取り組めるはずです。

反論のデメリット ものすごく大変

適切な反論には、住民側にも役所側にもメリットがあります。
できるなら反論したほうがいいのは間違いありません。
しかし現状ろくに反論していないのは、それだけの理由があります。

まず、相手の主張にきちんと反論するためには、高度なコミュニケーションスキルが必要です。
相手の主張を正確に理解して破綻箇所を見極め、相手の理解度に応じて説明を組み立て、気分を害さない穏当な言い回しで訂正を試みる……という高度なコミュニケーションを都度行う必要があるわけで、誰もが為せる技ではありません。少なくとも僕には無理です。

さらに、このような丁寧なコミュニケーションには、1回あたり膨大なエネルギーと時間を消費します。
現状の苦情量に対して毎回これを実践していたら、本当に苦情対応だけで1日が終わるでしょう。


何より人間は、誰しも自分の誤りを指摘されたくないものです。
そこそこ大きな組織で仕事をしている人であれば「反論≠人格批判」が常識であり、よほど無礼な言い回しでもされない限り、多少反論されたところで気分を害したりはしません。
しかし住民の中には、こういう割り切りをしない方も多いです。

地方公務員であれば誰でも一度は、住民から逆ギレされた経験があると思います。
ちょっとした書類の記載ミスの訂正をお願いしたら「どうして従う義務がある?」と開き直られたり、庁内で迷っている方を案内しようとしたら「余計なお世話だ」と捨て台詞を吐かれたり……
こういう事案は、まさに役所側の指摘を人格批判と捉えてしまったケースです。

つまるところ、たとえ「正しい情報を伝えたい」という善意の反論だったとしても、相手側は強烈な感情的反発を覚えます。
そのせいで相手方は余計に攻撃的になり、対応時間が長引き、対応側の消耗が一層ひどくなりかねません。

わずかでも誤りを指摘することが第一歩

大半の地方公務員は「反論できない」ことにストレスを感じていることでしょう。
しかし、もし堂々と反論できるようになったところで、今度は「反論に対する感情的反発」という新たなストレス源が生じるだけだと思います。

とはいえ、現状の「叩かれるがまま」というスタンスでは、住民側も役所側も不幸になるだけです。
たとえ相手にキレられようとも、誤りを指摘することが、長期的には相手のためになるはずです。
相手を怒らせない穏当な言い回しを細々研究するのが、現状でも実践できる最大限の対応でしょう。