地方公務員という職業や従業者の特徴として、長年たくさんの論者が様々な性質を取り上げているところですが、弊ブログでは「他律性」を一押ししています。



他律的ということは、つまるところ自律していないわけです。
「他律的である」とはどういうことなのか、他律的な生き方のデメリットはどういうものかを調べるために、僕は何冊か「自律」に関する本を読みました。

その中で一番参考になったのが、『人を伸ばす力 内発と自律のすすめ』です。

人を伸ばす力―内発と自律のすすめ
リチャード フラスト
新曜社
1999-06-10



本書では、自律のさらに上にある「内発的動機づけ」という概念を取り上げています。
この「内発的動機づけ」が特に地方公務員には決定的に欠落していて、地方公務員の人生満足度を損なっている大きな原因の一つだと思っています。


内発的動機づけ

内発的動機づけとは、ある事柄そのものを「やってみたい」という気持ちが内面から湧き上がってきている状態です。
周囲から強制されたり命令されたためではなく、何らかの見返りや目的を実現するための手段としてでもなく、ただ単にその事柄自体に興味関心があって「やりたい」と思っている状態を指します。
(強制や命令、または報酬のために活動する場合は、「統制的に動機付けられている」と表現されています。)

内発的に動機づけられた状態で活動には、様々なメリットがあります。
本書で特に強調されているのは、内発的に動機づけられた活動そのものが幸福の源泉である点です。


私は、内発的動機づけの経験それ自体に価値があると信じている。バラの香りをかぐこと、ジグソーパズルに熱中すること、日差しが雲にきらめくのをしみじみ眺めること、ワクワクしながら山頂にたどり着くこと。これらの体験を正当化するために何かを生み出す必要はない。そのような経験のない人生は人生でないとさえ言えるかもしれない。
(エドワード・L・デシ、リチャード・フラスト著『人を伸ばす力 内発と自律のすすめ』新曜社、1999 p.61)


内発的に動機づけられた人生を歩むためには、2つの要素が必要だと論じられています。
ひとつは有能感、「自分にもできるはずだ」「自分の行動が結果を左右させられる」という認識です。


「できる」という感覚が、内発的動機づけと外発的動機づけの両方にとって重要である。行動がボーナスや昇進のような外発的結果を得るための手段であったとしても、あるいは、活動を楽しむ感覚や達成感のような内発的結果を得るためのものであったとしても、望む結果を達成するための活動を十分にこなせるという感覚を持つ必要がある。(中略)内発的動機づけがもたらす「報酬」は、楽しさと達成の感覚であり、それは、人が自由に活動をするとき自然に生じる。したがって、その仕事をこなす力があるという感覚は、内発的な満足の重要な側面である。上手くこなせるという感覚それ自体が人に満足感をもたらす。(同上p.86-87)


もうひとつは自律性、「自由で自発的に行動する」「あるがままの自己と一致した行動をする」ということです。


人は自己の世界と自分を取り巻く世界とかかわるなかで有能感を発達させると老時に、それをより自律的に行えるとき、いっそう効果的にふるまえるようになり、より大きな満足感がもたらされる。したがって、有能感を得るだけでは十分とは言えない。有能なチェスのコマにすぎないなら、つまり、活動に対して有能であるが自らの意思で自己決定できると心から感じられないならば、いくらそれがうまくできても、内発的動機づけを高めることはないし、満足感も生まれない。(同上p.94-95)

内発的動機つぶしに定評のある役所組織

つまるところ、有能感と自律性を涵養し、内発的に動機づけられた活動を増やしていけば、幸せになれるということです。非常にシンプルな図式です。

しかし、地方公務員はこれを全然実現できていません。
有能感も自律性もボロボロであり、内発的に動機づけられる前提条件が満たされていません。

役所の仕事は基本的に減点方式で評価されます。
何をしても必ず誰かが不平不満を述べて、その一声のために減点され、「失策」の烙印を押されます。
地方公務員は常に「失敗しやがって」と叩かれる運命にあり、とうてい有能感を持てる状況にはありません。

民主主義体制の下では、地方公務員は「決められたことを粛々と実行する」だけの存在で、まさに先ほど引用した箇所でいう「有能なチェスのコマ」であることを求められます。
自律性が育まれるわけがありません。

僕の勤務する役所では、毎年9月議会の頃になると、「今年も順調に新人の目が死んできたな」という会話が繰り広げられます。
これはまさに、役所で働く過程で有能感と自律性を失い、内発的動機づけが消失した結果なのではないかと思っています。

まずは自分のコントロールから

書名のとおり、本書は「いかに他者の内発的動機づけを活性化させるか」という観点で書かれており、具体的な方策にも触れられています。
自分一人でできる対策としては、感情と行動を自ら調整することが挙げられています。

感情の調整とは、出来事をどう解釈するかを熟考することです。


 
脅威であると解釈しなければ、すなわち自分の自我をそれによって脅かすことをしなければ、何者も自我に影響を与えない。もちろん、苦痛を引き起こすようなものは存在するし、意図的な侮辱を脅威と解釈しないのはむずかしいが、しかし、それにもかかわらず、もっとうまく刺激を脅威的であると解釈しないでいられるのである。たとえば、侮辱されたとしても、拒否される、捨てられる、解雇されるなどの現実的な結果が何も起こっていないのならば、それが多少いたむものであっても、侮辱を話し手の攻撃性として理解するし、それほど脅威を受けなくてすむ。刺激を異なって解釈することを学ぶことで、自分の感情をより効果的にマネージすることができるのである。(同上p.259)



行動の調整とは、ある感情を感じたときに衝動的に動くのではなく、柔軟に動くことです。


感情には、ある行動傾向が組み込まれており、進化の歴史における最初の時点からの遺物であることは疑いない。(中略)しかし、人は衝動を抑制し、どのように行動するかを決定する能力ももっている。自律的になるには、感情が喚起されたときに行動を調整するための、自己に統合された調整過程を形成する必要がある。そうすることで、起こったとき、いやな気持ちになったとき、喜んだときにどう行動するかを、ほんとうに選択することができるだろう。(同上p.260)


要するに、
  • 何事もあまり悲観的な受け止め方をしないようにしつつ
  • 衝動的な言動を慎み一呼吸置いてから発言・行動する

というプロセスを踏むことが、対策になるのです。

地方公務員の仕事には、感情を乱してくる出来事がつきものです。
こういった機会に感情と行動を調整する訓練を積むことが、内発的動機づけの蘇生につながるとも言えるでしょう。

内発的に動機づけられた状態で仕事ができれば、きっと人生は豊かになるでしょう。
ただ先述したとおり、地方公務員という仕事は、有能感と自律性がどうしても損なわれます。
個人の努力である程度は緩和できたとしても、根本的解決には至りません。

そのため僕は、仕事面で内発的動機づけを追求するのと同じく、仕事以外で内発的動機ベースで打ち込めるもの……つまり趣味をしっかり持つことも重要だと思っています。

「やりたい」と思えることなら何でもいいです。
「やりたい」という気持ちが何より重要なのです。