ここ数年、地方公務員が書いた本(以下「公務員本」)が増えてきている気がします。
読み手をかなり選ぶ(同業者しか買わなさそう)ジャンルだと思うのですが、継続的に出版されているところを見るに、案外売れているのでしょうか?
公務員本には現役地方公務員にとって興味深いテーマの著作が多く、お値段も手頃で、文章も柔らかく、長すぎず短すぎず、一見とっつきやすいジャンルに見えます。
ただ僕は、公務員本は上級者向けの読み物だと思っています。
鵜呑みにするのは危険ですし、勿体無いです。
公務員本には、著者の個人的経験(サクセスストーリー)に基づく主観論に終始したものが多いです。
ジャンル的には政治家や経営者の自伝・回顧録に近いと思います。
あくまでも材料は特定の自治体の一定期間のエピソードであり、定量的な分析や学術的な裏付けがあるわけではありません。
本を出版できるような地方公務員は、言うまでもなく成功者です。
成功者の意見である以上、多少根拠が弱かったところで、参考になるのは間違いありません。
とはいえあくまでも経験ベースの主観論である以上、普遍的な真理ではありません。
著作中で紹介される手法やノウハウは、著者が勤務した自治体では成功を収めたかもしれません。
しかし、読者が置かれた状況下でも同様にうまくいくという保証はどこにもありません。
「〜の教科書」とか「〜の基本」みたいな。こういうタイトルのほうが売れるのでしょうか?
反対に、経験談であることを前面に打ち出した著作はあまりありません。
つまるところ公務員本では、中身は経験論&主観論なのにタイトルは普遍的真理っぽい……というミスマッチが生じがちといえます。
公務員本を読むなら、似たようなタイトルの本を複数冊読むことを勧めます。
「同じようなタイトルの本を何冊読んでも、内容が重複していてお金も時間も無駄なのでは?」と思うかもしれませんが、心配無用です。
似たタイトルであったとしても、著者が異なれば、中身はかなり違ってきます。
ここが公務員本の面白いところです。
もし重複する内容が見つかれば、それこそ大きな収穫です。
それぞれ異なる境遇に置かれた成功者達が、共通して「重要だ」と考えたということは、それは普遍的真理に近い内容なのです。
また、著者の主張の中でも、特に納得できない点に注目するのも有益だと思います。
公務員本で語られるサクセスストーリーの中には、直感的に「おかしくない?」と反論したくなる展開もたくさんあります。
たとえ読者が納得できなかったとしても、著作中のサクセスストーリーは紛れもない事実です。
著者が勤務する自治体では、それで成功しているわけです。
見方を変えれば、読者が納得できなかった箇所は、読者の自治体固有の課題ともいえます。
こういう性質の課題を表面化させるだけでも、公務員本を読む価値があると思います。
単に文面を追いかけるだけでなく、「納得できない」という直感を働かせながら読む、つまり一種の批評的読書をすることで、公務員本はより一層役に立つはずです。
読み手をかなり選ぶ(同業者しか買わなさそう)ジャンルだと思うのですが、継続的に出版されているところを見るに、案外売れているのでしょうか?
公務員本には現役地方公務員にとって興味深いテーマの著作が多く、お値段も手頃で、文章も柔らかく、長すぎず短すぎず、一見とっつきやすいジャンルに見えます。
ただ僕は、公務員本は上級者向けの読み物だと思っています。
鵜呑みにするのは危険ですし、勿体無いです。
公務員本≒伝記・回顧録
公務員本には、著者の個人的経験(サクセスストーリー)に基づく主観論に終始したものが多いです。ジャンル的には政治家や経営者の自伝・回顧録に近いと思います。
あくまでも材料は特定の自治体の一定期間のエピソードであり、定量的な分析や学術的な裏付けがあるわけではありません。
本を出版できるような地方公務員は、言うまでもなく成功者です。
成功者の意見である以上、多少根拠が弱かったところで、参考になるのは間違いありません。
とはいえあくまでも経験ベースの主観論である以上、普遍的な真理ではありません。
著作中で紹介される手法やノウハウは、著者が勤務した自治体では成功を収めたかもしれません。
しかし、読者が置かれた状況下でも同様にうまくいくという保証はどこにもありません。
タイトルと中身のミスマッチ
公務員本のタイトルには、あたかも普遍的真理を説くかのような文言が使われがちです。「〜の教科書」とか「〜の基本」みたいな。こういうタイトルのほうが売れるのでしょうか?
反対に、経験談であることを前面に打ち出した著作はあまりありません。
つまるところ公務員本では、中身は経験論&主観論なのにタイトルは普遍的真理っぽい……というミスマッチが生じがちといえます。
批評的読書が必要
公務員本を読むなら、似たようなタイトルの本を複数冊読むことを勧めます。「同じようなタイトルの本を何冊読んでも、内容が重複していてお金も時間も無駄なのでは?」と思うかもしれませんが、心配無用です。
似たタイトルであったとしても、著者が異なれば、中身はかなり違ってきます。
ここが公務員本の面白いところです。
もし重複する内容が見つかれば、それこそ大きな収穫です。
それぞれ異なる境遇に置かれた成功者達が、共通して「重要だ」と考えたということは、それは普遍的真理に近い内容なのです。
また、著者の主張の中でも、特に納得できない点に注目するのも有益だと思います。
公務員本で語られるサクセスストーリーの中には、直感的に「おかしくない?」と反論したくなる展開もたくさんあります。
- 地域住民が最初から好意的
- 周囲の職員のモチベーションがなぜかやたら高い
- 人員も予算も増えるのに、人事課も財政課も反対してこない
たとえ読者が納得できなかったとしても、著作中のサクセスストーリーは紛れもない事実です。
著者が勤務する自治体では、それで成功しているわけです。
見方を変えれば、読者が納得できなかった箇所は、読者の自治体固有の課題ともいえます。
こういう性質の課題を表面化させるだけでも、公務員本を読む価値があると思います。
単に文面を追いかけるだけでなく、「納得できない」という直感を働かせながら読む、つまり一種の批評的読書をすることで、公務員本はより一層役に立つはずです。
コメント
コメント一覧 (13)
確かに成功よりも失敗から学ぶことの方がはるかに価値があり、私としても「失敗談」はいろいろと聞きたいところ。そうなると個人ブログの方が生々しい感じもしてます。ただ、成功者やうまくいっている事例もまた、自分や所属している組織と意識面で何が大きく異なるのかを分析できる側面もあり、多少の批判的精神を持ちながら突っ込みをいれつつ、参考にできるところは素直に評価して、取り入れてみるべきものは取り入れてみるといった感じ?そこについては私も同感です。
成功本はケースバイケースなので、各種投資本と同じ類のもののような気がします。
そのせいで上官には「休み時間くらい休んで良いんですよ。」と言われてしまいますが、有体に申して上官は心配し過ぎなんですよね。午前9時登城16時下城の会計年度任用職員がたかが昼休みを数十分削って働いたって健康を害する心配なんて微塵も無いのに。それよりバリバリ働いて沢山の事務量をこなす方が生甲斐になるんですよね。
どこの自治体も「失敗した」とは明言していないだけで、施策の大半は失敗している気がしますね……そもそも効果検証すらなされていないケースが多いので、事例分析をする際は、まずは試作の成果を定量的に測定して失敗or成功を判定するところからだと思っています。
僕の短い勤務経験では、自治体の施策が失敗する最も典型的な原因は「施策を一個人に乗っ取られる」こと、率直に申し上げると「政治家や一部住民に施策を私物化されて、本来の目的や効果を骨抜きにされてしまう」ことです……
貴職勤務先のような「特段の理由がなくとも職員のモチベーションが高い職場」こそ、しっかりその背景や経緯を分析してノウハウ化できればいいと思うのですが、なかなか言語化するのも難しいのだろうなとも思います。自分も一度は経験してみたい環境です。
ちなみに、私のモチベーションが高いのは通常の役儀の時です。
逆に研修の時はモチベーションが下がることもあります。最初に受けた研修で社会福祉法人(以下「A団体」)の代表が講師をして下さったんですが、研修に先立ちシステム上でレジュメが配布されました。そのレジュメ冒頭に「A団体とはどのような団体でしょうか。次の3つ以外からお選びください。
1.怪しい宗教団体
2.怪しい世界征服を企む団体
3.怪しい校長先生の団体」というものがあり、これを見た時点で「研修というのは地方公務員法35条の「職員は、法律又は条例に特別の定がある場合を除く外、その勤務時間及び職務上の注意力のすべてをその職責遂行のために用い、当該地方公共団体がなすべき責を有する職務にのみ従事しなければならない。」という規定の例外として、同法39条1項の「職員には、その勤務能率の発揮及び増進のために、研修を受ける機会が与えられなければならない。」という規定に基づき行われているはずで、当然研修は御役目と同等の価値があるはずだよな。それがこのふざけたレジュメは何だ。しかし、上官に命じられた以上、同法32条で「職員は、その職務を遂行するに当つて、法令、条例、地方公共団体の規則及び地方公共団体の機関の定める規程に従い、且つ、上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない。」と記載あるから止むを得ない。」という相当後ろ向きな気持ちで研修に臨みました。そして、受けてみると、講師は「発足」を「はっそく」と読み間違える等、漢字の読み違えが多数あり、他にも本来謙譲語を用いるべきA団体内部の人間を主語とする行為に尊敬語を使うという暴挙を冒しています。
(続く)
というのも、当該研修では人権研修の一環で知的障碍者や精神障害者への理解を深めることを目的に行われる「はず」のものだったのですが、内容は厚生労働省eヘルスネットや市町村立図書館に置いてある書籍に記載されているものばかりで、所謂典型症例の説明に終始していました。
障害と呼ばれるものは同じ病名でも人により病状も違うし、厚生労働省や著名な学者が記している症状はあくまで典型的なものに過ぎないということは常識です。そして、凡そ偏見はある属性に属する人々を同一視してしまう「ステレオタイプ」により生まれるということもまた常識です。
右講師はまさにこの「ステレオタイプ」を製造する行為そのものです。
右研修が終わるまでの90分間小言で「「ほっそく」だろうが」とか「「A団体の皆さんが何か仰いますので」じゃなくて「A団体の者が何かを申し上げますので」だろうが。舐めとんのか。」といった罵詈雑言を唱えていました。
この研修が有り、しかも2回目はレジュメが事前に配られなかったので、2回目の時は1回目みたいなゴミ研修だった場合に備え、どうにか御同輩と席を離せぬか思案していました。なお、2回目はおふざけもなく、いたって真面目な研修でしたので、普通に受講できました。
まあ、2回目の研修についても、ロールプレイの部分は私は窓口業務がないから窓口がない職員にも判る設定も作ってほしいというのもありますが、それでも1回目に感じた「何故私はこんなもののために御役目を90分間も放り出しているんだろう。」というやるせなさに比べたら10000000倍マシです。
↑ 実体験のある研修の話、興味深く読みましたw 確かに日本の職場の研修はありきたりで意味がない、つまらないもの多いですね。私もアンケートでそう感じたので、笑いましたw
公務員ならかなり有名かもしれない「転落の構図」というビデオ教材をご存知でしょうか?あれを見ると確かに思わぬうちに汚職や利権の沼にハマっていく背景といのが理解はできるのですが、公務員倫理だけをただビデオで主張しても、具体的な防御対策や心理的な警戒対策の講義は生でなされませんので、所詮はあの類は免許センターの交通事故防止ビデオのような注意喚起にしか過ぎませんw
心に刺さる研修内容はやはり凡人では企画しにくいのかもしれません。有識者でさえいまひとつであり、やはり実体験を伴った経験者の魂のこもった講義でないと効果は薄いものなのかなと思いました。
第1回の研修は「ありきたりで意味がない」とか、「免許センターの交通事故防止ビデオのような注意喚起にしか過ぎません」以前の問題ですね。
妙なウケを狙った「A団体とはどのような団体でしょうか。次の3つ以外からお選びください。
1.怪しい宗教団体
2.怪しい世界征服を企む団体
3.怪しい校長先生の団体」というふざけた冒頭、講師の度重なる漢字の読み違い、本来当庁から見て外部の人間であるはずのA団体代表たる講師はA団体の職員等の行為については謙譲語を用い、当庁の人間に敬意を払うのが建前のはずなのにA団体職員の行為に尊敬語を使い当庁を見下す言動に出るその舐め腐った根性と90分間不愉快でどうしようもありませんでした。
ちなみにそのA団体は知的障害者や精神障害者への理解を深めるための啓発を行っているそうです。それが2022年11月05日 21:34で申し上げたような典型症例のみの説明しかしていないようでは、とても知的障害者や精神障害者への理解を深める等不可能です。典型症例の説明で判るのは「○○症候群とはこういった病状を示す病気だ」ということだけですので。
(続く)
2回目研修の14日前に職員課長から各所属長にシステムを経由して、会計年度任用職員を始めとする採用後1度もゲートキーパーの研修を受けていない所属職員全員に研修を受けさせるよう依頼が有りました。私は役目柄この文書に触れる機会があり、帰宅後インターネットでゲートキーパーについて調べました。
すると、厚生労働省の「ゲートキーパー養成研修用テキスト」というホームページ(https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/seikatsuhogo/jisatsu/gatekeeper_text.html)に行き当たり、早速そこに有った内閣府『ゲートキーパー養成研修テキスト』(https://www.mhlw.go.jp/content/text3_all1.pdf 同著p249まで)(https://www.mhlw.go.jp/content/text3_all2.pdf 同著p250~)を読んでみました。
(続く)
ところが、p216~217の悪い例ではゲートキーパー云々以前に当該公務員は当庁服務規程に反する行為をいくつも犯しています。否。当庁のみならず、殆どの地方公共団体の職員服務規程に反する言動と言うべきでしょう。
まず、当該公務員は住民から急病人の存在を知らされているにも関わらず、誰か行かないかと様子を見るばかりです(p216)。しかも、当該公務員は渋々対応に出て急病人から過呼吸である旨告げられると、「そうなの、過呼吸なら心配ないじゃない…」と来庁者たる急病人に対しため口になっており(p217)、以後当該公務員の言辞は終始ため口となっています。
これは城陽市職員服務規程3条の「職員は、面接又は電話による応待に当たつては、常に懇切丁寧に接しなければならない。」や「草津市職員の服務に関する規程」4条4号「外来者または電話の応待等は親切を旨とし、決して相手に不快の感を与えないよう言語、態度に注意し窓口事務の明朗化を図ること。」といった多くの地方公共団体が定める服務規程の条文に反する行為です。
(続く)
そのテキストを見てしまったので、「どうせ1回目から考えたら2回目は内閣府のあのしょうもないテキストを使うに決まっている。これは罵詈雑言確定だな。だが御同輩も研修対象となっている。御同輩の耳にこの罵詈雑言が達するのは不味い。さりとて素知らぬ顔で研修会場に向かうのも不味い。何故御同輩を置いて自分だけ研修会場へ向かったのかということになってしまう。何とか穏便に御同輩と席を離せぬものだろうか。」と御役目を離れるとそればかり考えていました。結果は杞憂に終わりましたが。
(続く)
「「A団体とはどのような団体でしょうか。次の3つ以外からお選びください。
1.怪しい宗教団体
2.怪しい世界征服を企む団体
3.怪しい校長先生の団体」とはそのふざけたレジュメは何だ。こっちは御役目90分間も放り出してきているんだぞ。それと「はっそく」でなく「ほっそく」。何が「A団体は平成〇年に社会福祉法人として「はっそく」し」だ。漢字の読み方くらい勉強してから喋れ。それと、聴覚過敏の疑似体験の際、弁士は「これからこちらの職員の方々が一斉に何か仰いますので」と言っていたが、何故弁士にとっては外部の人間であるはずの当庁職員に話すのに身内であるA団体職員の行為に尊敬語を使うのか。お前等何様のつもりだ。我々をそこまで見下すのか。(続く)
せめてレジュメにおふざけがなく、敬語の使い方が正しく、漢字の読みも正しければここまでの罵詈雑言は書かなかったのですが。