この4月から庶務担当になり、毎日のように課内からすごい数の見積書や請求書が集まってきています。

中でも最近印象に残ったのが「記念誌」です。
式典や公共事業が完了した際などに作る、分厚くてツルツルの上質紙にカラーで写真をたくさん印刷して、布張り表紙と外箱までつけて仕上げる、やたら豪華で分厚い冊子です。
実際に発行に関わることは少ないかもしれませんが、大昔の記念誌が埃をかぶって倉庫に眠っている姿であれば、誰もが一度は目にしたことがあるでしょう。

僕は昔から「こんなの作って何の意味があるんだろう」と疑問に思っていました。
誰が読むのかわからない(少なくとも現役職員は使わない)のに、やたらと手間暇(写真撮影や校閲)とお金を投じていますし、しかも今やペーパーレスの時代です。
せめてPDFで作成して、ホームページにでもアップしておけば十分だと思っていました。

こんなふうに記念誌の存在に以前から疑問を持っていたこともあり、今回請求書が回ってきたとき、ついつい上司に「記念誌って無駄じゃないですか?」と軽口を叩いてしまいました。
すると上司はニヤリと笑い、「記念誌はねぇ……作ることに意味があるんだよ」と一言。 

上司いわく、
  • どんな事業にも反対はつきものだが、反対派は短期的利益目的か、一時的なマイナス感情(怒り、憎しみ等)で動いているから、事業終了後も反対を続けることは少ない。ゆえにどんなに盛り上がった反対運動でも事業が終われば沈静化して、数年後には忘れられている。
  • 反対派は「反対すること」のライブ感を楽しんでおり、反対運動の全体像には関心が薄い。そのため反対運動の終了後に「総括」したりはしない(楽しくないから)。ゆえに反対運動の痕跡は、ホームページと新聞記事くらいしか残らない。前者は情報としての信用度が低く、後者は探すのが手間。そのため、後世の人間は反対運動の詳細に触れづらい。
  • 一方、事業推進側の情報は、記念誌として綺麗にまとめ上げられ、図書館などで誰でも閲覧できる。結果的に、後世の人間にからすれば、その公共事業に関する肯定的な情報のほうが圧倒的に多く見える。情報量の差のため、事業推進派が多数、反対派が少数という「見え方」になる。
とのこと。
この説には賛否あるでしょうが、僕はすんなり腑に落ちました。

僕自身これまでたくさんの反対運動を見てきましたが、確かに「反対運動の総括」までなされることは滅多になく、反対運動の痕跡も時が経つにつれてどんどん消えていきます。

特にインターネット上の情報って、メンテナンスしないと意外と簡単に消えるんですよね。
無料サイト作成サービスが終了したり、サーバーを放置して契約期間が切れたりしてネット上から消滅してしまうに加え、ネット上には残っているものの情報が古くなりすぎて検索してもヒットしなくなる、いわば実質的に消えているケースもあります。

コロナの場合は「反対派の見解」しか残らない?

この話を聞いて、ふと思いました。
新型コロナウイルス感染症対応に関しては、通常の事業とは真逆に、「反対派の情報」しか残らないのではないでしょうか?

コロナが5類に移行されて、(感染状況はどうであれ)政策的にはひと段落ついています。
そろそろ行政のコロナ対応施策について「総括」が始まる頃でしょう。 

この「総括」は、基本的には「行政はコロナ対応に失敗した、コロナは人災だ」という路線、つまり役所叩きになると思っています。

現在の民主主義社会では、施策の定量的成果とは関係なく、「国民を不安・不快にさせた」という時点でいかなる施策も失敗扱いされます。
コロナ対応に関しては、現時点で既に国民感情が役所ヘイト方向に固まっており、今更覆すのは不可能でしょう。

さらに政治家や経営者としては、「行政に非がある」という風潮が固まれば「補償」やら「救済」やらという名目で行政側に更なる支出を要求できて都合が良いでしょう。

「役所はコロナ対応に失敗した」という前提で、これからいろいろな書籍やレポートが発表されていくでしょう。
一方、この潮流に逆らって、役所側がわざわざ「コロナ対応における成果」みたいな文書を作るとは思えません。
このような文書は国民感情の否定にほかならず民主主義の原則に反しますし、何より確実に炎上するからです。

つまり、新型コロナ関係の総括記録として作成されるのは、「役所は失敗した」という内容ばかりになるでしょう。
将来的には、「新型コロナという病気が流行しましたが、行政の無策により国民は大変な混乱と不便を強いられました、これは人災に他なりません」という見解しかアクセスできなくなるのです。

まさに「勝てば官軍」の世界。
負けた側の姿は、勝者の視点から見た姿、つまり「愚かで弱い」姿しか見ることができなくなるのです。


「苦労談」を残しませんか?

「コロナは人災、犯人は公務員連中」という現状の通説が正しいのかどうか、僕にはわかりません。
感情に流されず、冷静かつ公平な分析によって決めるべき事案でしょう。

しかし、「反論」することは必要だと思っています。
後世の研究者が分析する際の材料として、行政側の意見を残すべきだと思うのです。

行政全体としては失敗したのかもしれませんが、個々の地方公務員が心身を犠牲にして働いたのは間違いありません。
保健師の方々の激務ぶりは何度か報道されていましたが、他の職員も長時間労働やハードクレーム対応を強いられましたし、私生活でも「公務員だから」という理由で迫害を受けてきました。

僕が知る限りでも、以下のような事案が発生しています。
  • 実働部隊だったアラサー職員が多数潰れたり、慢性疾患を発症
  • 職員駐車場でタイヤがパンクさせられる事件が頻発
  • 電話での応答を録音されて、実名入りでYoutubeにアップされる
  • ホテル療養担当を務めたことで近隣住民からひどく迫害を受け、せっかくのマイホームを手放して市外に引っ越し
僕自身もいろいろ食らいましたが、一番印象に残っているのは「お前の息子を刺し殺す」という脅迫です。
本当に息子がいる職員が受けていれば一発アウトな発言なのですが……僕は独身ゆえに実害が無く、通報もしませんでした。(下ネタ的な隠語として捉えるならとんでもなく恐ろしいですが……)

あとは近隣住民からもたくさん嫌味を頂戴しました。


今回のコロナ対応のように、全国の地方公務員が同時多発的に苦しめられた事案は、史上初めてだと思います。
しかしこのままだと、こういう現実が記録に残りません。
地方公務員の苦労と苦悩は「無かったこと」にされて、一方的に「無能な罪人」という烙印を押されてしまいます。

僕はこれが悔しくてたまりません。
せめてこのブログには、僕が見聞きした事案をなるべく残していきたいです。

かつて「#教師のバトン」というプロジェクト(元々は文科省が「現役教員の前向きな声」を集めるために始めたが、結果的に不満ばかり集まった)がありましたが、同じような感じで、多くの地方公務員が自分の苦労話を吐き出すムーブメントが巻き起こればいいのにな、とも思います。

さらに理想を言えば、書籍として出版されてほしいです。
出版社的には確実に炎上ものですし、あまり売れなさそうですが、それでも情報としての価値は大いにあると思います。