年末ということで家計簿を整理していたところ、今年は4年ぶりに交際費が1万円を超えていました。
旧知の友人知人たちから、「コロナも落ち着いてきたし久々に飲みに行こうぜ」というお誘いをたくさんいただいたからです。
(婚活的な意味でもそこそこ費やしましたが成果ゼロです)

中にはコロナぶりどころか10年ぶりに会う人なんかもいたのですが、田舎ゆえにドラマチックな人生を歩んでいる人はほとんどおらず、だいたい新卒で就いた仕事を続けていて、変化といえば家庭面(子どもが産まれた、家を建てた)という人が多いです。

そのため、近況報告はあっさり終わって(報告するような中身が無い)、昔話でばかり盛り上がりました。あと他に盛り上がったのは薄毛対策健康診断(特に肝臓)ですね。
文字通り「昔に戻ったかのように」歓談できて非常に楽しい時間を過ごせました。

とはいえ、やはり当時から相当な時間が経過していることは事実で、価値観の変容を感じることもありました。
その中の最たるものが、とある一人がポロッとこぼした言葉。
「俺の人生はもう終わったからなー」という一言です。

主役からの降板

発言者は、同い年の二児のパパ。県内地場の大手企業勤務です。

彼いわく、
  • 自分のやりたいことは、仕事も趣味もひととおりやりきった。
  • もう「自分のやりたいこと」を追求するつもりはない。すでに十分満足しているし、そもそも「やりたいこと」がもう無い。
  • 今大事なのは子ども。だからこれからの人生は「自分のため」ではなく「子どものため」に過ごしていきたい。
という意味で、「自分の人生はもう終わった」という一言が出てきたとのこと。
ネガティブなニュアンスは一切無く、一種の達成感と、次なる人生のステージへの意欲が込められていました。

独身の僕にはちょっと理解できない感覚だったのですが、ほかの子持ち既婚者たちも深く頷いていました。
きっと共感するところがあるのでしょう。

「自分のため」の人生から「子どものため」の人生へ。
このシフトが、いわゆる「大人になること」であり「親になること」、つまり社会的・世間的に見て望ましい30代の在り方なのかもしれません。

同時に、30代半ばにもなっていまだに「趣味の充実」だの「仕事のやりがい」だのといった「自分ごと」に囚われているのは、ひょっとしたら幼稚なのかもしれません。

まさに目から鱗が落ちた瞬間でした。

降板せざるを得ないから降板した?

ただ後々冷静になって考えてみると、30代におけるこのような人生観のシフトが世間一般的なのか?というと、そうでもない気がしてきます。
少なくともインターネット上では、30代既婚子持ちであっても「自分のやりたいこと」を追求すべきという意見が圧倒的多数ですし、このような趣旨の書籍もたくさんあって売れています。

よくよく考えてみた結果、田舎という環境的制約(ヒト・モノ・サービスの制約)が、30代以降の「自分の追求」を妨げているせいなのでは?と思い至りました。

高齢者ばかりで刺激のない人間関係、リアルな店舗が続々潰れてモノが手に入らなくなる(特に目新しいものは全然入ってこない)、人手不足を理由にあらゆる分野でサービスが縮小されていく(都会のように新技術が導入されるわけでは無く純減されるだけ)……という万事縮小傾向の田舎では、20代のうちに一通り興味のあることを試し切れてしまいます。

そのため、30代になる頃には、実現可能な範囲では本当に「やりきって」しまえるのです。

「自分のための人生はもう終わった」と発言した彼も、もし都会に就職していて、いろいろな可能性を試せる環境下にいたら、「やりきった」とは思わなかったかもしれません。


「子どものための人生を送りたい」という思いも、広い意味では「自分のやりたいこと」であり、素晴らしい自己実現の在り方だと思います。
ただひょっとしたら、田舎という制約ゆえに「自分のやりたいこと」を追求できない、あるいは選択肢や可能性が見えないがゆえに、消去法的に「子どものため」の人生を選んでいるとしたら、やるせないな……と思った次第です。

僕はまだまだ幼稚な人間なので、これからも「自分のため」の人生を送っていきます。
このブログもまさに自分がやりたくて書いているもの、来年も細々と続けていきます。