正社員でもアルバイトでも、働いたことがあれば一度は「できない理由を考える暇があったら、どうすればできるのか考えろ」という叱咤激励を受けたことがあるでしょう。
「できない理由、禁止」という標語は社内教育用のポスターとしても販売されているようで(しかも人気上位)、どれだけ世の中に浸透しているか窺えます。
この標語は、民間企業のみならず、今や役所内でも定番です。
「無能なくせに『できない理由』を取り繕うことだけは得意」という地方公務員叩きの常套句がありますが、同じような指摘が上司から部下にも度々下されます。
「できない理由」を考えるのは時間の無駄であり、どのように実現するか具体的に方法を詰めていくかを考えていくほうが前向きで有意義だというのです。
ただ僕は、役所においてこの標語に金科玉条のごとく掲げるのは非常に危険だと思っています。
「できない理由」を考えることは非常に重要ですし、ひたすら「できる方法」を追い求めていると、単にトラブルを招くだけだと思います。
「できない理由」を考えることは生産的な営み
そもそも、何か新しいことを実施・実現するための正攻法は、「できない理由」をひとつひとつ潰していくことだと思います。
「できない理由」をしっかり考え抜いたうえで、どうすれば「できない理由」を解決できるのか具体的な方法を考えていく……これこそが正攻法であり、「できない理由」を軽視して「できる方法」だけを考えるのは、一休さんの「とんち」の現代版を作ろうとするかのような、抜け道的な手法だと思います。
「できない理由」とは、表現を変えると「課題」です。
何かを実施しようとする際に、まず「できない理由」の分析整理、つまり「課題の洗い出し」から始めることは、果たして無駄なのでしょうか?
また、ビジネス書などでは、解決すべき致命的な課題のことを「イシュー」と表現して、イシューを正確に捉えたうえで対策に移るべきだと指摘しています。
「できない理由」を考えるのは、まさに「イシューを設定する」ことに直結すると思うのです。
「できない理由」を顧みずに「できる方法」を探して実施するのは、現状存在している課題を放置することに他なりません。
いわば「臭いものに蓋」をして、目を背けるわけです。
このような物事の進め方は、柔軟で機動的な行動が許容される個人や民間企業ならまだしも、役所という敵だらけの組織体が行うにはリスクが大きすぎます。
見出した「できる方法」が奏功して何か新しい価値を実現できたとしても、課題を放置したことに対して激しい非難が寄せられるに決まっています。
もちろん、「できない理由」を放置したままで、即効性のある「できる方法」に着手するケースもたまにはあるでしょう。
しかしこれには非常にリスクの高い判断であり、それなりに責任を持てる人でないと下してはいけないと思います。
「できない理由」で論破するために
下っ端の地方公務員の職責は、「できない理由」を徹底的に考え抜き、「できない理由は聞きたくない」と唱えてくる方々をを説得することだと思います。
ただ実際のところ、この説得がうまくいっていないがために、役所内でも「できない理由、禁止」という風潮が罷り通っているのでしょう。
「できない理由」不要論者の方々の多くは、「できない理由」のことを「言い訳」だとみなしてきます。
できない理由が言い訳じみてしまうのは、2パターンあると思っています。
一つは単純に深掘りが足りないパターンです。
即座に反論できるような理由しか提示されなければ、受け手側には「言い訳」のように映ってしまい、「できない」と納得することもできなくて当然です。
「できない理由」を突き詰めていくと、お金、時間、人手、法規制、倫理、過去のしがらみ、住民感情あたりに行き着くと思います。
どのような類型に該当するのかを意識しながら現状を整理していけば、理路整然として説得力のある「できない理由」を構築できるのでは?と思っています。
もう一つは、「本当はできるけどやりたくない」ことを、「できない」と言いたいがために、無理やりこじつけているせいで、説得力が損なわれているパターンです。
文字化すると大変不誠実な姿勢なのですが、実際このような状況に陥るケースはとても多いです。
この場合でも、「やりたくない理由」を深掘りしていけば、どこかで「できない理由」との接点が見えてくるはずで、こうやって炙り出した「できない理由」を整理していくしかないと思います。
例として、住民から「A公園の草刈りをもっと頻繁にやってくれ」と要望が来たケースを考えてみます。
この場合、草刈りを増やすこと自体は不可能ではありませんが、実現するためには
- 財政課に対して予算の増額要求
- 草刈り業者の確保
- 別の公園についても「草刈りを増やせ」と言われた際の対応を考える
- A公園を地盤とする議員への事前説明(要望主がこの議員の反対勢力だったりしたら、実現してはいけないので)
- 草刈りをしないことで恩恵を受けている人がいないかの調査(別の住民がヤギを飼っていて定期的にA公園の草を食べさせており、除草されると困る など)
などの面倒な作業が色々必要になり、実施したくないとします。
こうやって「やりたくない理由」をリストアップしていくと、まず「お金が無い」「人手が無い」という「できない理由」がすぐに見つかります。
さらにそれぞれを突き詰めていくと、もっと別の「できない理由」にも至れるはずです。
明かされざる「地道な準備」こそ「スーパー公務員」の真髄?
僕の勤務先県庁では、「ボトムアップ提案」とか「若手主導の事業」という触れ込みで始まった新規事業が、半年も経たないうちに頓挫してしまうケースが続出しています。
その理由がまさに、これまで実施してこなかった事情や背景の分析、つまり「できない理由」の検討不足です。
「どうして今まで実現できなかったのか」を冷静に分析することなく、「この方法ならできるかもしれない」という一筋の希望だけを頼りに事業化してみた結果、うまく回っていないようなのです。
彼ら彼女らは「スーパー公務員」の事例を参考に意気揚々と取り組んできているようなのですが、見事に足元を掬われています。
「スーパー公務員」の方々の成功事例が紹介される際、たいていは「とんち」みたいな斬新な手法ばかりが着目されていますが、きっとその斬新な手法を実行する前に、きちんと「できない理由」を整理して、その手法で問題ないことを確認しているだと思います。
このような地道な下準備を経ているからこそ、成功を収めているはずです。
このような地道な下準備を経ているからこそ、成功を収めているはずです。
コメント
コメント一覧 (2)
要望や陳情もしかりで一度受け入れてしまうとそれが判例となってしまうため、よっぽどのことがないと未来永劫に断れなくなってしまいます。このため役所では新規案件の受け入れについては筋の良いもの以外は基本受け入れ拒否のようなスタイルが定着していますね。
日本は基本的に移民を受け入れない国で有名ですが、どこの誰とも分からないような人や事案は可能な限り受け入れない、関わらない(作らない)、持ち込ませないと非核三原則のような三ナイ運動が繰り広げられます。
できる可能性をたくさん考えるのは民間の仕事ですが、できない理由をあれこれ言い繕うのが役所の仕事だと思います。
基本は受け入れ拒否ながらも、「筋の良いもの」は受け入れる……という点、非常に重要だと思います。自称「優秀な地方公務員」は、とにかく新しいことがやりたくて筋悪案件でも受け入れようとしてきますが、真に優秀な方はきちんと筋の良し悪しを選んだうえで事業着手しているからこそ、成果を出しているんだと思います。