地方公務員として働き始めて驚いたことの一つが、本県内のローカルニュースに対してわざわざブチギレてくる「県外の方」がとても多いことです。

新しい開通したバイパス道路に対して「無駄だ!」と数十分間怒声を上げ続けてきたり、過疎化が進んで開催が見送られることになった地域のお祭りに対し「どうして支援しないんだ!」と金切り声を上げられたり……これまで所属してきたどの部局でも、うちの県のローカルなニュースに対し声を荒げて抗議してくる電話クレームを何度も受けてきました。

Yahoo!ニュースのコメント欄やSNSでは、日々のローカルニュースに対して誰かしらが持論を展開して批判を展開しています。中にはバズって拡散されるものもあり、自ら批判文を綴るほどではなくても、居住地域外のローカルニュースに対して感情的に反応する人がかなり多いことが窺われます。

県外の方からこのような苦情電話・メールを受けたり、本県のローカルニュースがネット上で炎上するたびに、心底不思議思いました。
この方々は、自分には何の利害も無い県外のローカルニュースに対して、どうしてそこまで本気で怒れるのか。
この疑問が長年解けずにいました。

去年の秋頃、僕の勤務先県庁でもちょっと世間を賑わせた話題があり、この類のクレームを傾聴する機会が例年以上に多かったのですが……何人も連続して罵詈雑言を拝聴するうちに、ふと気づいたのです。

彼らが怒るのは、悪意からではなく、「情報が足りていない」からなのではないかと。
具体的には、事実の経緯や背景、そして言語化しづらい非言語情報の欠如が、誤解や感情的反応を増幅させているのではないかと考えています

ローカルニュース報道は不完全

我々が、ある出来事に対してどう評価するかを決めるとき、その「事実」そのものよりも、それに至る経緯や背景に強く影響を受けます。

たとえば、とある過疎地域に新しいバイパス道路が完成したとします。
「過疎地域に新しいバイパス道路が完成」という事実だけ見れば、大抵の人は「無駄だ」と思うでしょう。

しかし、
  • 災害で壊れた周辺道路を廃道にすることが決まっており、今後この新しいバイパス道路が唯一のアクセス手段になる
  • 過疎地域を経由して都市部と都市部をつなぐ機能があり、人流・物流の効率化につながる
  • この地域に新しく産廃処理施設が建設される見込みで、交通量はかなり多い見込み
このような事情や経緯があると知れば、見方はがらりと変わるはずです。

ローカルな話題はとりわけ、その土地固有の事情が色濃く表れるものです。
結果として生じている事実のみならず、その背景や経緯といった周辺情報を含めて把握しないと、正確な理解はできないと思います。

しかし、ニュースとして配信される際には、文字数や構成の制約もあり、「事実」が優先的に取り上げられ、周辺情報はそぎ落とされてしまいます。

周辺情報を知らないから筋が通っていないように見える

このようなローカルニュース報道の宿命——「事実だけが報道され、周辺情報は報道されない」という報道のあり方が、遠方のローカルニュースに対してキレる方が多い原因でないかと思っています。

その事実の評価にあたり重要である「周辺情報」を保有していないがために、一種の誤解が生じて、筋が通っていないように感じられるので、怒りを覚えるのです。

さらに言えば、周辺情報=「その地域特有の事情」の代わりに、「自分の生活圏で培った価値観や常識」を当てはめて評価しようとするので、評価を誤るのだと思います。

つまり、ローカルニュースの炎上とは、ある地域特有の文脈で生じた出来事が、その文脈を失った状態で全国に拡散され、異なる文脈を持つ人々によって再評価されるという、「文脈の衝突」から生じる現象なのだと思います。

実際、県外の方からの義憤クレーム対応では、背景や経緯といった周辺情報をきちんと伝えると、大抵納得してくれます。
とはいえ、素直に引き下がる人はごく少数で、「そういう事情があるなら最初から説明しろ!お前らの情報発信のあり方が悪い!」というふうに、自治体広報のあり方へと怒りの矛先がシフトして、もうワンセットお叱りを受けるのが定番ですが……

周辺情報をきちんと調べたうえで批判してくる方は、ごくごく少数です。多くの方は報道内容だけで物事を判断しており、わざわざ自分から追加リサーチする方は本当に少ないのでしょう。
大多数の「誤解して怒っている方々」とは異なり、こういう方の批判は聞くに値します。

炎上前提の世界へ

つまるところ、ローカルニュースをネタにする報道機関が、ちゃんと周辺情報もうまくまとめて併せて発信してくれれば、県外在住の方からの苦情はだいぶ減るのではないかと思うのですが……「尺が足りない」という根本的な制約はどうしようもなく、期待するだけ無駄なのだろうと思います。
ゆえに、自衛が必要だと思います。

まず、自分自身が情報の受け手としての心構えを見直すことが肝要です。
違和感を覚えるニュースに遭遇した際は、即座に感情的反応を示すのではなく、その背景や経緯を丹念に調査する姿勢が必要でしょう。
周辺情報を十分に把握した上で改めてニュースを検討すれば、当初感じた違和感が氷解するケースが少なくないというのは、苦情対応実務を通して、身を持って理解しています。
同じ轍を踏まないよう、自分自身がちゃんと周辺情報を調べるよう注意したいところです。

一方、情報の発信者としては、どんな話題であれ「誤解されて炎上する」ケースを想定すべきなのだと思います。

今の世の中、炎上を未然防止するのはもはや無理です。
ゆえに僕は、ある程度の炎上は避けがたいものとして受け入れたうえで、事後の説明や対話の準備を怠らないという発想が重要だと思っています。
つまり、「炎上しないように行動する」ではなく「炎上しても弁明できるよう備えておく」という姿勢です。

前提知識や経緯、非言語情報を共有していない不特定多数の方々に対する広報活動は、極めて困難を伴います。炎上を恐れるあまり表現を抑制し続ければ、最終的には官報のような無味乾燥な事実の羅列に終始するほかなくなってしまいます。

幸いにして現在は、組織のトップを含め、炎上がもたらす悪影響への認識が随分浸透してきて、役所内にも「炎上回避」のノウハウが蓄積されてきていると思います。
これからはさらに一歩進んで、炎上後の「消火」技能を高めていくことが求められるのではないでしょうか。
すなわち、一定程度の炎上はやむを得ないものとして覚悟しつつ、炎上後に適切な説明や振る舞いを即座に取って、「延焼を最小限に抑え」「さっさと忘れてもらう」技術です。