テレビや新聞では、国会議員の動向が連日詳細に報じられています。
仕事面のみならずプライベートまで赤裸々に報道されていて、気の毒にすら思えてくるほどです。「任期中の国会議員には一時の安息も許さない」という、主権者たる国民様の思し召しなのでしょうか。
一方で地方議員は、市町村議にしろ県議にしろ、新聞にもテレビにも滅多に登場しません。
地方議員がメディアに登場するのは、セクハラや政務活動費の不正使用といった不祥事が発覚した時くらいで、普段の活動は全く取り上げられません。
選挙のたびに、新聞もテレビも「議員に対しては、選挙の時だけでなく当選後の活動にも注視すべき」みたいな説教を垂れていますが、当のメディアが全く注視していないんですよね……
選挙のたびに、新聞もテレビも「議員に対しては、選挙の時だけでなく当選後の活動にも注視すべき」みたいな説教を垂れていますが、当のメディアが全く注視していないんですよね……
地方議員の先生方は、行事を主催したり、地域や業界団体の代弁者として行政に物申しに行ったり……等々、日々いろいろな活動に取り組んでいます。
若手議員の中には、ホームページやSNSでの自身の活動を公表している方もいますが、これらの取り組みがメディアで取り上げられることは滅多にありません。
似たような活動をしているNPOは大々的に取り上げられるのに、地方議員は全く取り上げられないんですよね。
中央メディアにしろローカルメディアにしろ、なぜ地方議員の活動を報じようとしないのか、僕は入庁当時から不思議に思っていました。
今もこの疑問は全然解消できておらず、相変わらず不思議で仕方ないのですが、最近はこの報道姿勢がどのような結果を生んでいるのか、少しわかってきました。
地方議員が背負わされる不条理な責任
ひとつ確実に言えるのは、地方議員のメディア露出が少ないせいで地方公務員は不利益を被っています。
本来が地方議員が負うべき責任が、不当に地方公務員へとなすりつけられています。
国政においては、突拍子もない政策が実施された場合、実務を担当する国家公務員だけでなく、政策を発案・推進した国会議員も等しく批判の矢面に立ちます。
しかし地方自治体の場合、どのような施策であっても、まるで役所(地方公務員)が独断で発案したかのような報道がなされがちです。
議員が発案して強硬に推し進めた施策であっても、発案者議員の名前は表に出てきません。あくまでも「役所が自らやりたくてやっている」かのように報じられます。
その結果、「地方公務員は愚昧だ」「税金泥棒だ」といった心ない罵詈雑言を浴びせられることになります。
議員が発案した政策であっても批判と責任はすべて地方公務員が肩代わりさせられるという理不尽な構造のために、仕事への意欲を失う職員も少なくありません。
そもそも地方公務員は「公僕」であり、主権者たる国民の代表である議員が決定したルールを粛々と執行する立場にあります。
地方公務員が事業を自ら「発案」しているかのような報道は、あたかも役所や地方公務員が政策の意思決定者であるかのような誤解を助長しており、明らかにミスリーディングと言わざるを得ません。
一方で、地方議員の発案がプラスに働くこともたまにあります。
例えば、議員の紹介(ごり押し)で登用された人や企業が想像以上に有能だったり、ごく少数の住民が猛烈に反発したせいで事業が頓挫しかけた際に、議員が仲介役として奔走してくれたおかげで反対派が心変わりして地域全体が合意に到達する……といったケースが挙げられます。
しかし、こうした地方議員の功績もまたメディアは取り上げず、役所や首長の手柄にすり替わってしまいがちです。
つまるところ、メディアが地方議員の活動や言動をあまりにも取り上げなさすぎるせいで、主権者は地方議員に関する情報に触れる機会が無く、適正な評価ができていないといえるでしょう。
このような状況では、有権者が選挙において候補者を公正に評価することは困難であり、そもそも地方議員選挙への関心を喚起することすら困難と言えるでしょう。
メディアから注目されないから地方議員はまったり暮らせている
あくまでも僕の私見ですが……地方議員は、メディアからの注目されていないという現状に、甘んじているのではないでしょうか。
もしメディアに頻繁に取り上げられるならば、発言や行動に細心の注意を払い、より幅広い支持を得られるよう(あるいは炎上しないよう)腐心しなければなりません。
しかし現状では、何をしてもメディアはスルーしてくれるので言動に気を遣う必要はありません。
もしさらに勢力を拡大したいのであれば、メディア露出が増えたほうがいいのでしょうが、現状は投票率が低く、再選目的であれば知名度向上・人気取りは必要ありません。従来のコアファンを維持していれば十分であり、そのためにはメディア露出は不要です。
むしろ、特定の支持層のみに向けた活動に終始し、意図的に影響範囲を限定することで、他の議員の票田を侵食するリスクを回避しているようにも見受けられます。
近年、役所もネット上での炎上に敏感になっており、議員からの要請がなくとも、有権者がSNSで苦情を呈すれば行政が迅速に対応する時代になりました。
これは間接民主主義から直接民主主義への移行を示唆する現象とも解釈できます。
政治体制の優劣は別として、地方議員の存在感が希薄化し、その必要性自体が疑問視されているのは紛れもない事実です。
「議員は無用の長物」という漠然とした認識が広がり、議員という職業の社会的地位も低下の一途を辿っています。
「議員は無用の長物」という漠然とした認識が広がり、議員という職業の社会的地位も低下の一途を辿っています。
自らの地位保全のためにもメディア露出したほうがいいのでは
昭和期の高度経済成長を経験した高齢者世代は、多分「地方議員のおかげで近所の開発が進んだ」などの記憶があり、地方議員へのリスペクトを持っているのでしょうが、その下の世代はそのような恩恵を受けておらず、地方議員=「よくわからないけど威張ってる人」くらいのイメージしか持っていないと思います。もう少し世代交代が進めば、地方議員を重要視する人が一気に減少し、地方議員の地位はますます低下していくと思います。
しかし実際のところ、地方議員の方々はいろいろと仕事をしています。その働きが役所に対して害をなす場合も多々ありますが、それでも誰かの役に立っているのは間違いありません。
「有権者のため」という教条はもちろんのこと、「自らの地位を保全するため」という極めて利己的な理由においても、地方議員は今後もっと積極的にメディア露出を図ったほうがいいのではと思います。
コメント
コメント一覧 (2)
大都市にある町内会が昨今では機能不全を起こして放置されてる事態が珍しいものでもなくなりましたが、地方都市においても地方議員は町内会と似たような昭和おじさん達の旧世代の集まりに成り下がっている所も多いと思います。若い人や女性は地域の世話焼きは魅力を感じにくいかもしれませんね。
地方自治に携わる≒高齢者福祉に携わる、と言っても過言ではない現状を鑑みると、地方議員の仕事は(地方公務員と同じく)明るい未来は到底期待できないネガティブな仕事にほかならないので、賢い人ほど寄りつかないのかな……とも思います。