地方公務員をやっていると、「市民感覚が欠けている」というお叱りを定期的に受けます。

ここでいう「市民」とは、「○○市に居住している人」という意味ではなく、「一般的社会人」という意味です。
僕みたいな県庁職員としては「県民感覚」「住民感覚」のほうが馴染み深いですが、この記事では「市民感覚」という表現で統一します。

数ある地方公務員批判フレーズの中でも、「市民感覚」はとりわけ意味が曖昧です。使う人によって定義が異なるのは言うまでもなく、そもそもどのような意味で使っているのか判然とせず、返答に困ることも多いです。

そこで、かれこれ15年近く「市民感覚が欠けている」と糾弾されてきた経験をもとに、「市民感覚」が何なのか、僕なりの考えをお伝えしたいと思います。

僕の持説は、「市民感覚=被害者意識、あるいは『自分は被害者である』という自意識のもと世の中を眺めた際の見え方」というものです。
「市民感覚」という言葉が使われた際のシチュエーションや文脈を踏まえると、こう捉えるのが一番しっくりきています。

「市民感覚が無い」人たちには「加害者属性」がある

「市民感覚が無い」と非難されているのは、地方公務員だけではありません。
ほかには、政治家、資本家、経営者、犯罪者などが挙げられます。

これらに共通するのは、「加害性」を帯びているという点です。
犯罪者は言わずもがな、政治家は諸々の政治的意思決定で社会を揺るがし、資本家は投資判断で地域経済を動かし、経営者は給与分配や解雇権で従業員の生活を左右します。
いずれも、自らの決定が他者の生活に一方的な影響を及ぼすという点で、加害性を帯びていると言えます。

地方公務員も、税や社会保険料を徴収するという形で、日常的に一種の加害行為を担っていると捉えることができます。

裏を返せば、「市民感覚がある」とされる人は、加害する立場にはない人……つまり一方的に虐げられる側の存在だということになります。
このような人たちが共通して保有する感覚とは、すなわち「被害者意識」にほかならない……と僕は思っています。

「市民感覚」を持ち出す人は救済を求めている

地方公務員を非難するフレーズはいろいろありますが、その中でも「市民感覚」を使う人は、「自分たちは不利益を被っている」とセットで主張してくることが多いです。
公共施設が不便だ、補助金が足りない、増税で生活が苦しい……等々の具体例を示しつつ、「地方公務員に市民感覚が欠けているから、こんな事態に陥っているのだ」と訴えてくるのです。

反対に、地方公務員を見下してくる方は、「市民感覚」という言葉を使いません。

これらの経験から、「市民感覚」という言葉を使う人≒被害者意識を持っている人、という図式が成り立つように感じています。

「市民感覚」への対処法

お決まりのフレーズである「地方公務員には市民感覚が欠けている」という主張を具体的に言い換えると、「私たちは何も悪いことをしていないのに、権利や生活を侵害されている。このことに地方公務員どもは気づいていない」という主張になるのではないか?と思っています。

重要なのは、この主張をする人は、地方公務員が市民感覚を持つことを期待しているわけではありません。

この語を使う人は、そもそも自分たちと地方公務員の間に、「加害者」「被害者」という線引きをしています。
そのため、相手に寄り添うつもりで「私たち地方公務員もこの地域で生きる一人の市民に変わりないので、市民感覚を養っていきたいです」などと言おうものなら、かえって反感を買ってしまうでしょう。
「加害者のくせに被害者ヅラするな」と受け止められてしまうわけです。

「市民感覚」という言葉を持ち出されたら、まず相手がどのような被害者意識を抱いているのかを察知し、その被害者意識が事実に基づいているのか、それとも相手方の誤解なのか、はたまた悪意が潜んでいるのか、識別することが大事なのだろうと思います。
そして、その被害者意識が、不安や怒りといった感情、あるいは具体的な行動へとどう発展していくのかを予測する。
こうした構えを持つだけで、市民感覚という言葉に振り回されにくくなるはずです。