最近ブログを書くときには、ヘッドホンを装備して「ラブライブ! Solo Live! III」を流しています。
μ’s原理主義者ではありませんが、やっぱ圧倒的覇権コンテンツ時代の楽曲は完成度が違いますよね……
ソロミックスだと相対的にインストゥルメンタルが前に出て来るのですが、改めて聞いてみると、打ち込みも計算しつくされた安定感があります。
一押しはユメノトビラ(KOTORI Mix)。
5年前の僕に「テレビOA版だよ」って言ったら、疑いなく信じてしまうでしょう。
かれこれ10年ほど隠れオタクとしてコソコソ生きているわけですが、人目を気にしながら趣味を続けるというのは、なかなか骨が折れます。
ただ、この経験が、僕の地方公務員稼業の強みになっているのではないかと、最近は思うようになりました。
地方社会における立ち位置
地方社会において、公務員は確実に強者です。
家柄・収入・学歴・人格など、それぞれの要素だけを取り上げてみると、地方公務員より上は勿論たくさんいます。
ただ、全ての面で総合的に評価すると、地方公務員は確実に上位に来ると思います。
一方、地方社会においてのオタクの地位は、底辺です。
オタク趣味に市民権が認められつつあるという説もありますが、地方社会においては全くそんな兆候はありません。
オタク=きもい、年甲斐なく幼稚。以上です。
加えて、都会と比べてオタクの絶対数も少ないです。そもそも若者が減っているという事情もありますが、歴史あるオールジャンルの地方同人イベントが次々休止に追い込まれているとも聞いており、オタクの絶対数が減っているのは間違いないようです。
以上を踏まえると、オタクの地方公務員は、強者でありマイノリティの底辺。矛盾するはずの要素を兼ね備えた存在です。
マイノリティの気持ちがわかる
地方のオタク、中でも隠れることを選んだオタクは、マジョリティのような顔をしながらも、心の中はマイノリティそのものです。
オタクを馬鹿にする声を、仲間内で聞かされます。それに同調しなければいけない瞬間の苦々しい気持ちは、マイノリティの苦悩の典型でしょう。
他にも、表情を取り繕わなければいけない場面、気持ちを素直に表明できない瞬間が多々あります。
こういった経験、マイノリティとして抑圧された経験は、実際にマイノリティという立場に置かれないと味わえないもので、こういった経験から導かれるマイノリティ特有の感性や思考回路も、実際にマイノリティという立場を経験しないと、なかなか理解できないものです。
抑圧への恐怖と反抗心。
マジョリティへの憧れと侮蔑。
抑圧が緩んだ瞬間、ふいに湧き上がって来る暴れたくなる気持ち。
そして何より、マイノリティである自分というアイデンティティへの複雑な思い。
行政を頼ってくる方は、マイノリティに属する方も多いです。
そういった方に、単に「マジョリティになるための処方箋」を渡すだけでは、解決に至るとは限りません。
そういう問題ではないのです。
マイノリティとしての半生によって紡がれてきた複雑な自己愛をどうするのか。単にマジョリティになるだけでは、半生を否定することになりかねないのですが……同僚には、なかなかわかってもらえません。
勿論、僕の場合はあくまでも趣味レベルでのマイノリティで、程度としては大したことのない悩みです。
深刻な方の気持ちを完全に理解できるとは思っていません。
それでも、マジョリティとの間の橋渡しくらいにはなれるかなと思っています。
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