公務員稼業において一番重要な能力は「文章力」だと、僕は常々思っています。

文章力といっても、文学的な名文やユーモアのあるエッセイを書く能力ではありません。
簡潔かつ一義的な文章を作る能力です。

今回は、いつも手元に置いて参考にしている『悪文』から、特に何度も読み返している2章「文の切りつなぎ」「文の途中での切り方」から、実践的な部分を紹介します。

悪文 第3版
岩淵 悦太郎
日本評論社
1979-11-01



文章術を説いた書籍は数ありますが、僕が中でも本書を重用しているのは、長すぎる文章は代表的な悪文の一つであり、明晰さを損なうと断じているからです。
僕が目指す文章の方向性に、ぴったり合っているのです。

長すぎる文は区切る


本書では、文章の長さの目安として、論説文であれば17〜18文節、小説であれば14文節が目安であると説いています。
これ以上に長くなりそうなら、文章を区切るべきです。
文章が長くなるほど、構造が見えにくくなり、読み手に負担がかかってしまうからです。

続く章にて、文章が長くなってしまう原因についても説明しています。

文章が長くなりがちな原因

中止法

「終止形で文を切ってしまう代わりに、連用形などで文を続けていくこと」を中止法として定義しています。

この中止法は、時系列的に物事が連続・推移していく様を示すのが最も基本的な用法ですが、他にも事柄の並列、原因・理由、手段、逆説の用法があります。

【例文】
(連続・推移)
オタクは1,000円札を渡し、薄い本を受け取った。
(並列)
可愛くて、グロい。
(原因・理由)
カップリング論争に敗れ、オタクサークルを辞めた。
(手段)
薄い本を書き、家計を支えた。
(逆説)
彼女が本当は姉だと知っていて、恋に落ちた。

書き手としては、中止法はとっても便利です。同じ表現で色々な意味合いを示せるため、いちいち表現を考える必要がありません。

しかし、読み手にとっては不親切になりえます。

多くの場合は文脈でどの用法なのか読み取れますが、文脈づくりが下手だったら、どの用法なのか、読み手が考えないといけなくなります。

読み手のストレスになるうえ、誤読のリスクも発生します。

例文の中では、「可愛くて、グロい。」が一番危険です。
僕はオタクなので、可愛さとグロさ両方を兼ね備えた世界観をいくつも見てきています。特に目新しくもありません。
そのため並列の例文として挙げましたが、普通の感覚であれば、おそらく逆説として捉えるでしょう。

可愛さとグロさを並列したいのであれば、文脈をつくっておく必要があります。
書き手にとって「可愛さ」と「グロさ」は普通に共存するものであると、文脈の中でもアナウンスしないといけません。
これを怠ると、並列なのか逆説なのか、読み手によって解釈が分かれてしまうでしょう。
これでは、書き手の意図が正しく伝わったとは言えません。


本書では対策として、うまく句読点を打つこと、できれば中止法を使わずに文を区切ることを提案しています。
文を区切って接続詞でつなげば、誤読のおそれは格段に下がりますが、冗長になってしまいます。
このあたりは全体のバランスを見ながら調整が必要ですね。

「可愛くて、グロい。」の場合は、読点を取るほうが、並列感が出そうです。

接続助詞「が」の乱用

長文の原因としてついで紹介されているのが、接続助詞の「が」です。

最も多いのが逆説ですが、他にも共存、前置き、補充といった用法があり、中止法と同じく、書き手にとっては便利な表現です。

【例文】
(逆説)深夜から並んだが、買えなかった。
(共存・時間的推移)彼はイラストを描き始めたが、次第に動画に傾倒していった。
(前置き・題目の提示)オタクは業の深い生き物だが、それを許す社会にも問題がある。
(補充・補足説明)イケメンのオタクという存在は、やはりキモいのだが、顔面により社会的評価が相当カバーされている。

ブログを書いていると、中でも前置き・題目の提示の用法で使いたくなってしまいます。

「が」の特徴として、他の接続詞と比べて耳当たりがよく、「が」前後の関係があまり頭に残らないと説明されています。
多義的であるがために、意味が伝わりにくいのです。

僕が思うに、「が」は、話し言葉向けの表現です。
書き言葉ではなるべく「が」以外の接続詞を使い、語数を変えずに一義性を持たせる方がいいのかなと考えています。

曖昧な文章

中止法や「が」がうまく機能していない文章は、あいまいな文章であり、読者にとって負担をかける上、心に残らない文章であると断じています。

読者があいまいさを追求していくと、結局のところ負担を感じてしまうことになります。直訳調の翻訳を読む時のような、不自然な日本語をなんとか噛み砕こうとする負担です。

一方、読者が追及しなければ、意味は伝わりません。せっかくの文章は理解されず、心にも残らないのです。


ブログ稼業においても、文章力は非常に重要です。
ただ、公務員と同じく「簡潔かつ一義的」な文章が良いかと言われると、そうとは言い切れません。
文体に表れる書き手のキャラクターも、ブログの魅力だと思われるからです。

それでも、伝わりにくい文章だと、書いていて勿体無いです。
頑張って書くなら、多くの人の目に触れて、多くの人に内容を正しく理解してもらえたほうが、やりがいがあります。

ブログ作文にあたっては、簡潔かつ一義的な骨子を書いた上で、味付け・飾り付けを施していけばいいのかなと思います。

僕は地方公務員という立場でブログを書いているので、特に意図があるとき以外は、簡潔かつ一義的を意識して作文していきたいと思っています。