キモオタク地方公務員(県庁職員)のブログ

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カテゴリ: 公務員の生き様

地方公務員の定年引上げが始まってから、いつの間にか3年が経過していました。
現在、地方公務員の定年は62歳です。

定年引上げに関しては、このブログでも過去に何度か記事にしているとおり、悪い方向に役所組織を大きく変えるのではないかと懸念していました






具体的には、以下の2点を危惧していました。
  • 閑職ポストが役職定年後職員に占領されて、若手職員は繁忙な職場ばかり回されるようになる(復職直後職員の慣らし運転ポストも奪われて、いきなり実践投入される懸念も……)
  • 退職者の数が減るのに連動して、新規採用者数が減り、職員の年齢構成が歪になる

しかし実際のところ……あまり大きな変化は感じていません。
冒頭に「いつの間にか3年が経過した」と書いたとおり、定年引上げなる制度変更が進行中であることすら忘れていたくらいです。

定年引上げは2031年までかけてゆっくりと完成する制度変更です。
2年に1回、奇数の年に定年年齢が1歳ずつ引き上げられていき、2031年(令和13年)以降は65歳定年で固定されます。

序盤を終えた現時点での状況を一旦振り返ってみようと思います。

役職定年を受け入れてまで役所に残ろうとする人はごく少数

現行の制度では、原則として、61歳以降(60歳に達した日の後、最初の4月1日以降)は管理職に就くことができません。
部長であれ課長であれ、管理職手前の役職(いわゆる課長補佐など)に降格させられます。
正確には「管理監督職勤務上限年齢制」と命名されていますが、一般的には「役職定年」「役降り」などと呼称される仕組みです。

定年引上げが始まる前は、役職定年して職場に残留する高齢職員が発生するせいで人事ローテーションが乱れるのでは……という強い懸念がありました。

当時のインターネット上では
  • 最近の平職員の仕事はデジタルツールありきなので、高齢職員がやるには無理があるのでは
  • 「年上の部下」を持つことになる係長や課長の心理的負担が大きい
  • モチベーションを保てるのか
などの不安が噴出していましたし、僕自身は前述のとおり、暇なポストを占領されることを危惧していました。

しかし実際のところ、僕の勤務先では、従前のとおり60歳で退職する人が多く、役職定年して組織に残る人はほとんどいません。毎年2~3人程度です。
そのため、職場が混乱するほどの影響は生じずに済んでいます。
やはりみなさん働きたくないんですね……

特例延長で部局長のまま残留する人はそこそこいる

一方、制度開始前はあまり想定していなかった事象が生じています。
「特例延長」の形で61歳以降も部局長として残留する人が複数発生しているのです。

前述のとおり、61歳以降の職員は原則として管理職に就くことができません。
ただ特例として、「職務の遂行上の特別の事情等がある場合」などには、引き続き管理職を務めることが認められています(地方公務員法28条の5)。
僕の勤務先県庁では、この「特別の事情等」が幅広に解釈されているようで、61歳以降も継続して部局長を努めている人が何人もいます。

定年引上げ開始前にも、再任用で部局長を務める人はいましたが、数年に1人というレアケースでした。
しかも人事部局としても本人としても本意ではなく、やむを得ない事情があって残留せざるをえなかったと聞いています。

しかし現在は、同時に複数の61歳部局長が存在しています。従前ではあり得ない状態です。
(特例という位置付けではあるものの)制度上61歳以降も部局長を務めることが認められるようになったので、適性のある人になるべく長く活躍してもらいたい……ということなのでしょうか?

部局長を卒業する年齢が引き上がっている一方で、部局長に昇進する年齢は変わっていません。
これまでは大体57歳くらいで部局長に昇進、3年ほど務めて60歳で退職……という流れだったのが、今では61歳まで部局長を務めるようになりました。
1人あたりの部局長経験年数が伸びている形です。

そのため、定年引上げ開始前と比べて、部局長ポストの交代が間違なく減っています。
部局長ポストが空かないので、部局長の手前(次長級)で60歳を迎える人が散見されるようになりました。

この人たちにとっては、文字通り「目の上のたん瘤」なんでしょうね……
さらに、次長級で足踏みをする人が増えている余波として、課長から次長への昇進も遅れています。

とはいえ、部局長に昇進する人は、従来どおりのペースでさくさく昇進していきます。
つまるところ、本庁課長まで昇進した人たちの間での競争が激しくなっているということなのだと思われます。

僕の勤務先特有の事情?

インターネット上では、定年引上げのせいで組織がぐちゃぐちゃになっているという悲鳴や怨嗟も散見されます。
僕の勤務先みたいに、大した影響を受けていないという自治体は、少数派のような気もします。
ひょっとしたら、僕の勤務先自治体に、なんらかの特殊事情があるのかもしれません。

ひとつ思い当たるのは、退職したOBOGのポスト(いわゆる天下り……)がいまだに残っている点です。3セクの理事などですね。

詳細は運用は知りませんが、次長級以上に出世すれば、どこかしらに回してもらえるように見えます。
降格して役所に残り平職員として仕事するよりも、こういうポストに転出するほうが優先されているのだと思います。

ただ、こういうポストも年々減っているので、今後も安泰というわけではありません。
これからどうなっていくのか、引き続き状況を眺めていたいと思います。

今年も自治体の炎上案件が相次いでいます。
特定の地域にしか影響を及ぼさないローカルニュースを掘り出してきて叩く……という行為に果たしてどれだけの社会的意義があるのかは知りませんが、コンテンツのひとつとして収益が期待できるからこそ、大手メディアが挙って地方自治体を叩くのだと思います。
そうでなければ、地元住民以外にとっては本来どうでもいいニュースに番組の尺を割くわけがありません。マスコミ関係者の本音が知りたいなと常々思っています。

僕自身、過去に炎上案件に巻き込まれたことがありますが、通常業務に炎上対応が丸ごと上乗せされて、すさまじい残業を強いられました。
課内の外線電話回線全部が苦情電話で埋まってしまい、通常業務の電話ができない日が続く……なんてこともありました。

僕が勤務しているのは県庁であり、職員数がそれなりにいるので、幸いにも炎上対応を一人で抱えずに済みました。もしこれが市町村、特に小規模な自治体だったら、もっともっと大変だっただろうと思います。

炎上への対応(以下「消火業務」)は、質的にも量的にも、自治体の規模とは関係ありません。職員数が少ない小規模自治体ほど、一人あたりの業務負担は大きくなります。
自治体の炎上が常態化しつつある昨今、「消火業務の負担がすさまじい」という小規模自治体の宿命は、働くうえでの「リスク」でもあると思います。

業務を侵食する「有事」の奔流

ひとたび「炎上」の端緒が開かれれば、平時のルーティンは瞬時に霧散し、役場内は峻烈な「有事」の様相を呈することとなります。

まず直面するのは、電話やメール、広報用SNSアカウントなどを介して殺到する不特定多数からの苦情や抗議です。
窓口にも抗議者が詰めかけ、怒声が飛び交います。
特に最近は炎上案件を扱う配信者(ユーチューバーなど)も増え、遠方からはるばる窓口にやってくる方も珍しくありません。

直接の利害関係者に対しては懇切丁寧に対応する必要がありますが、大半は全く無関係で、自治体職員に怒りをぶつけてすっきりしたいだけの人です。こういう人の相手をしていると、個人的カタルシスのために膨大なリソースが浪費され本来の問題の解決が遠のいていくことへの虚しさを感じます。

同時に、マスコミからの取材も殺到します。 強い口調で糾弾されながらも、一言一句に細心の注意を払いながら質問に答えるのは、かなり精神を削られます。
案件によっては謝罪会見もセッティングしなければいけません。会見での発言や態度がさらなる炎上に繋がるケースも多く、桁違いのプレッシャーに晒されます。

さらに、公文書公開請求や住民監査請求といった「制度的な攻撃」も急増します。
電話や窓口対応とは異なり書面でのやりとりが中心になるので、精神的な負担はまだ小さいものの、業務負担は重く、通常業務を圧迫する大きな要因となります。

意外と見落とされがちなのは、近隣自治体への対応です。
炎上案件が一つの自治体だけで収まることはまずありません。近隣自治体もまとめて攻撃されるか、叩かれないにしても「取材」という形でコメントを要求されます。
そのため近隣自治体は、火元となった自治体に対し、これまでの経緯や炎上の発端などの事実関係を問合せせざるを得なくなります。
火元の自治体としては、この問合せ対応が結構な負担になります。同業者だからこそ細かい内容を尋ねられ、資料を作って送るよう要求されることもしばしばです。

少なくとも県庁は、市町村役場が炎上したら必ず巻き込まれます。
(県庁もターゲットにして一緒に燃やそうという魂胆の場合もあれば、炎上自治体をさらに攻撃するための材料探し目的の場合もあります)
県庁としても当然、市町村の炎上は好ましくなく、鎮火の手助けをしたいところなのですが……情報が足りないゆえに迂闊な発言をして、火に油を注いでしまうケースがたびたび発生しています。

このような事態を未然防止するためにも、火元自治体から正確な情報を入手することが極めて重要で、申し訳ないと思いつつも細かい説明を求めてしまいます。

不均衡な闘いと、小規模自治体の宿命

先述した炎上対応業務は、役所の貴重なリソースを容赦なく侵食していきます。
それは単に職員のマンパワーの占有・摩耗に留まりません。
鳴り止まぬ抗議電話が電話回線を占拠し、怒り狂う来庁者への対応のために会議室を供用するなど、物理的なインフラさえもが「消火業務」という有事対応に接収されてしまいます。

ここで、現代のデジタル社会における炎上の特筆すべき、そして最も残酷な性質が浮き彫りになります。
それは、攻撃の苛烈さや、炎上対応業務の質・量が、「自治体の規模」とは無関係という点です。

3万人を超える職員を擁する東京都庁であっても、十数人の職員で職場を回している島嶼部の小規模自治体であっても、一度火がつけば対峙すべき敵は「全国の不特定多数」となるのです。

その典型的な、そして痛ましい実例が、2020年(令和2年)に山口県阿武町で発生した特別定額給付金の誤給付事案です。
この一件では、連日数百本もの抗議電話が殺到するという異常事態に陥り、全職員約60名のうち10名もの人員、つまり2割弱の職員を苦情対応の専任に充てざるを得なかったと報じられています。
苦情対応に従事した職員はもちろん、引き抜かれた職員が元々所属していた部署の職員も業務のカバーに回る羽目になり、役所全体が疲弊したことと推察します。 



分母となる職員数が少ない小規模自治体ほど、炎上によるリソースの剥奪率は跳ね上がり、行政機能が麻痺するリスクは指数関数的に増大します。
そしてこのリスクは、「唐突にすさまじい多忙に見舞われるかもしれない」という意味で、職員の人生においてもリスクといえるでしょう。

人為の火群を超え、真の危機管理へ

炎上という現象が自然災害と決定的に異なるのは、それが天災ではなく、徹頭徹尾「人為」によって引き起こされるという点にあります。

「アテンション・エコノミー」が加速する現代において、自治体の炎上は、収益が期待できる一種の「ヘイトコンテンツ」であり続けると思います。
そのため、今後も、プロの放火犯たちがビジネスとして炎上を仕掛けてくるはずです。 だからこそ、自治体経営における炎上対策は、単なる広報上の不手際への対応ではなく、組織の存立を賭けた「危機管理」の枢要として、より注目されていいと思います。

同時に、職員個人レベルでも、なるべく職員数の多い自治体に勤務することが、自らの身を守る「リスクヘッジ」として重要なのではと思います。


「上司が無能すぎて腹立つ」――。

居酒屋の片隅からSNSのタイムラインに至るまで、この嘆きは若手地方公務員の「定番」と化しています。
20代から30代の若手社員にとって、頓珍漢な意見や判断を表明してくる上司の姿は、仕事の邪魔なだけでなく、自身の成長をも妨げる「最大の障壁」のように見えることもあるでしょう。X(旧Twitter)やNOTEなどの言論空間を眺めていると、役所には「無能な上司」しか存在しないのではないかという錯覚すら覚えます。

確かに役所は民間企業のような「選抜」が効いているわけではなく、ある程度の年齢になれば大半の職員が部下を持つことになります。そのため一定数の「無能な上司」がいてもおかしくはありません。

しかし冷静に考えてみると、もし本当に上司が悉く無能であるならば、役所組織はとうの昔に崩壊しているはずです。
それにここ数年は、ちょうど係長〜課長を務める年代が氷河期世代に差し掛かっており、入庁時のスペック(学歴など)は今の若手よりもはるかに上です。
つまり、若手地方公務員が騒ぐほどには、「無能な上司」はいないと思うのです。

では、なぜこれほどまでに「無能な上司」というレッテルが一般化しているのでしょうか。そこには、単なる能力の多寡ではない、役所組織で働く以上「仕方ない」部分が存在すると思っています。

情報格差(非対称性)

上司の意見や判断が「無能」に見えるとき、そこには多くの場合、「情報の非対称性」が存在します。
同じ組織に所属していても、上司と部下は同じ景色を見ているようでいて、実は全く異なる解像度の情報を手にしています。
つまり、持っている情報が違うから、違う意見を持つし、違う判断を下すのです。

この「情報の非対称性」こそが、「上司は無能」という認識(同じく「使えない部下」という認識)を生む最大の要因だと思っています。


まず、「部下が持っている情報を、上司は持っていない」場合を考えてみます。

現場に立つ部下は、日々の業務を通じて膨大な一次情報に触れています。
上司に対して丁寧に情報共有しているつもりかもしれませんが、そもそも全てを報告することは不可能です。
特に、「非言語情報」の共有は困難です。現場の空気感、関係者の微妙な表情の変化、電話での声色などなど……こういった数値化・言語化しづらい情報こそ、往々にして意思決定において極めて重要な役割を果たします。

部下から上司への「報告・連絡・相談」のプロセスで、少なからぬ情報が切り捨てられていきます。
情報を絞ること自体は正しいことだと思います。全部ありのまま伝えるのは時間的にも労力的にも現実的ではありません。
それでも「必要な情報」をきちんと共有できていれば、判断に大きな差は生じないでしょう。

ただ、上司にとって「必要な情報」を見極めるのはなかなか難しいです。上司の判断を左右する情報までカットしてしまい、「的外れ」な判断へとミスリードしてしまうというケースは、僕だけでなく多くの人が経験あると思います。



「上司が持っている情報を、部下は持っていない」というケースも多々あります。
典型的なのは「歴史」や「経緯」、つまりは過去の情報です。
  • 〇〇地域は50年前の道路拡幅の用地買収額に納得していなくて、今も行政に対して不信感を抱いている
  • 誰も利用していない〇〇事業だけど、現首長の応援団である▲▲議員発案だから、首長が交代するまで止められない
  • このめんどくさい業務プロセスは〇〇部長が係長時代に導入したものだから、この人が定年退職するまでは止められない
こういう過去の因縁みたいな事情が、役所にはたくさんあります。
こういった類の情報は、組織に長くいればいるほど見聞きできるものなので、年長の上司は知っているが、若手の部下は知らない……というケースが多々あります。しかし、上司にとっては「常識」なので、「部下は知らない」なんてことは想定していないのです。

繰り返しになりますが、持っている情報が違えば、異なる意見・結論に至っても仕方ありません。
この前提を無視して、一方的に「上司は無能」と責め立てるのは、お門違いだと思います。


判断基準の違い

上司の判断を不可解なものにするもう一つの大きな要因は、意思決定の土台となる「判断基準」そのものの違いにあります。組織内での階層が上がるにつれ、求められる最適解は、単なる業務成果や論理的整合性だけでは測れなくなるからです。

若手職員は、実務上の合理性や、「一般住民の反応」を判断の軸に据えます。
しかし、職位が上がるにつれて「特殊なステークホルダー」への「特別な配慮」を、意思決定の不可欠な要素として組み込まざるを得なくなってきます。
率直に言ってしまえば、政治家やマスコミ、あるいは声の大きい一部有力住民といった存在に対する「忖度」です。

彼ら彼女らが持つ感覚や利害関係は、往々にして世間一般の「常識」や、現場の「最適解」とは大きく乖離しています。
しかし、現在の「民主主義」という意思決定のルール上、彼ら彼女らの意向は無視できません。

ここで重要なのは、部下から見て「おかしい」と思われる上司の決断が、実は上司個人の知性の欠如から生じているのではない、という点です。むしろ上司本人も「おかしい」と自覚しているのでしょうが、立場上そう判断せざるを得ないのです。

上司は、外部からの不条理な要求や、偏った力学を計算式に組み込んだ結果、組織として最も摩擦の少ない「妥協点」を導き出しているに過ぎません。この場合、真に批判されるべきは、上司の判断能力ではなく、判断を歪ませている外部環境そのものです。
一部の偏った利害関係者の声を「正解」として扱わねばならない不条理な構造が、上司の決断を世俗的な常識から乖離させ、結果として部下の目に「無能」という形で投影されてしまうのです。

「あいつは無能」で終わらせてしまう態度こそ無能の証拠

これまで見てきたように、上司と部下の間に生じる認識のズレは、単なる能力の優劣によるものではありません。「情報の非対称性」や「立場の違いによる判断基準の乖離」といった構造的な要因が、必然的に生み出している現象なのです。

僕はこのズレを悲観していません。
むしろ、この「意見・判断の違い」こそが、組織が健全に機能するための鍵になると思っています。

現場のリアルな感覚を持つ部下と、組織の歴史や外部の力学を考慮する上司。
その異なる視点や知見を持ち寄り、すり合わせていくプロセスこそが、より多角的で強固な結論へと導く「補完関係」の本質だと思います。

真に憂慮すべきは、上司との意見・判断の相違を、「上司の無能」にすぐ帰責する最近の論調です。

「自分が絶対的に正しい」と信じ込み、相手を一方的に「無能」と切り捨てて理解を拒む態度こそ、意見や判断のブラッシュアップを阻む、真の「無能」であると言わざるを得ません。

このような態度は、「地方公務員は無能!」と決めつけて役所側を全否定してくるクレーマーと、本質的に同じだと思います。


地方公務員という職業への評価は、外野と当事者で全然違います。

最近印象に残っているのは、3月下旬にXでバズっていた「Fランク大学卒にとって一番コスパ良い職業は地方公務員」という投稿です。

この投稿に対して、アンチ地方公務員の方々が賛同&公務員批判を展開する(Fラン卒をどうして税金で養わなきゃいけないんだ等)一方で、地方公務員を名乗るアカウントが反論のリプライを飛ばす……という光景が見られました。


ただ中には、外部と当事者で一致している評価もあります。
その一つが、「どれだけ頑張っても成長できない職業」という説です。


役所外部の方々は、
「そもそも地方公務員は仕事していない、ただ座っているだけ」
「思考停止状態で単純作業しかやっていない」
という理由を挙げて、地方公務員の成長を否定してきます。

そして地方公務員当事者も、
「業務に占める無駄な作業が多い」
「分野・職種をまたいで人事異動するせいで専門性が育たない」
といった現状をもとに、地方公務員としていくら頑張っても成長しないと嘆いています。

一方で僕は、地方公務員として経験年数を重ね、職位が上がるにつれて、確実に伸びていく能力があると確信しています。
それは「聞く力」、つまり幅広い層の話を正しく聞き取って理解する能力です。

この能力こそ、地方公務員固有の強みであり、社会的にも有用なスキルだと思っています。

顧客を選べない故の技能

役所が提供するサービスは、万人を対象としています。顧客の幅は、どんな業界よりも広いです。
そのため、地方公務員として働いていると、多様な人々とコミュニケーションをとることになります。
年齢や職業はもちろん、能力、経済状況、思想、健康状態や賞罰歴など、あらゆる面で異なる背景を持つ方々と接する機会があります。

もちろん部署によっては、施策の対象が限定されていて、特定の属性の人としか接しない場合もあります。 例えば、福祉系の部署であれば、高齢者や病気・障害のある方との接触が圧倒的に多く、学生や企業経営者のような活動的な層とはあまり接しないでしょう。


しかし、地方公務員は分野をまたいで人事異動を繰り返し、職業人生の中でさまざまな部局を経験していきます。
産業振興部局で経営者と日々意見交換していた職員が、次の部署ではケースワーカーとして生活保護受給世帯を訪問する……こうした変化は珍しくありません。
所属する部局が変われば、関わる人々の属性も変わります。 つまり地方公務員は、人事異動を繰り返すことで、社会の多様な層の人々と対面し、幅広い「聞く力」を培っていくのです。

「聞かざるを得ない」から成長する

地方公務員のコミュニケーションは、基本的には「受け身」という特徴があります。

民主主義という統治形態をとっている以上、公共サービスに対して誰もが意見を表明することができ、行政側もそれらの意見を尊重する義務があります。これが原則です。

実際に、役所には日々多様な意見が寄せられており、地方公務員はこれらの意見をまず正確に理解することが求められます。 きちんと理解したうえで、適切な返答を検討したり、採用の可否を判断したりすることになります。


広報のような能動的なコミュニケーションを担当する職種もありますが、全員がそうした業務を担当しているわけではありません。
一方で「受け身のコミュニケーション」は、どの部署でも発生する、地方公務員という職業に共通の特性です。
言い換えれば、「相手の意見・主張を聞き取って正確に理解する」という能力は、どんな部署で働くにしても必要となる地方公務員の必須スキルなのです。

さらに、あらゆる部署で日常的に使われるがゆえに、地方公務員として日々を過ごすだけでこの能力は着実に鍛えられていきます。
理論や技法を体系的に教えられるわけではありませんが、実践する機会が豊富で、かつ真剣に取り組まざるをえない状況が多いため、自然と身についていくのです。


行政機関には、各種カウンセラーや社会福祉士のような、クライアントの声を聞く訓練を受けた専門職の方もいます。
これらの専門職の「聞く力」は、一般の地方公務員とは比べものになりません。
ただし、これら専門職の方々の「聞く力」は、特定の属性の人に特化しているという特徴があります。

一方、老若男女問わず、健康な人から支援を必要とする人まで、あらゆる人に対してある程度対応できる地方公務員の「聞く力」は、他の職業ではなかなか育成されない貴重なスキルではないでしょうか。

市場価値は低くても「市場以外」のところでは役立つはず

地方公務員のキャリアパスについて、人事当局は「ジェネラリスト育成型」と説明していますが、当の地方公務員からは評判が芳しくありません。

「別分野の部局に異動したせいで仕事の進め方や必要な知識が全然違っていて辛い」というのは地方公務員の共通の悩みですし、冒頭にも挙げたとおり「部局をまたいで異動するせいでキャリアがリセットされる」ことも、地方公務員という職業のデメリットとして広く認識されています。

2~3年働いただけでその分野に精通し、人脈をしっかり築いて、次の部署の仕事に活かしていく……という、人事当局が理想とする「ジェネラリスト」になる職員もごく稀にいますが、大半の職員は「リセット」に悩まされているのが現実です。
僕自身も、なぜか1年スパンで異動することが多く、十分な知識や経験を積むことができないまま十数年働いてきました。

しかしそれでも、「聞く力」だけは確実に身についていると実感しています。
そして、この「聞く力」が、日々の業務に大いに役立っています。


ここ数年、地方公務員の広報スキルがやたらと注目されていて、書籍やセミナーも多数リリースされていますが、私は広報スキルよりも「聞く力」のほうがより本質的で重要だと考えています。
おそらく「聞く力」はノウハウ化しづらく、マネタイズに向いていないため、あまり注目されないのでしょう。

さらに、民間企業では十分に評価されにくいスキルかもしれません。もしこれが一般的なビジネススキルとして広く認知されるのであれば、地方公務員はもっと転職市場で高く評価されるはずです。

僕が住んでいる県は典型的な田舎で、いまだに「結婚したら戸建住宅を新築する」のが普通です。
特に地方公務員は、遠距離の転勤も少ないですし、一旦家庭を持ってしまうと転職することもほぼないので、ますます家を買うのが「当たり前」とされています。

僕が入庁したばかりの頃(10年ちょっと前)は、土地購入+家屋新築で2000万円台に収めるのがセオリーでした。3000万円のラインが「大台」と言われていて、ここを超えると豪邸扱いされていました。

一方、新型コロナが流行り始めた頃から、建設資材の高騰や人件費上昇の影響をモロに受けて、どんどんこのラインが引き上がっています。
今は土地購入+家屋新築で3500万円くらいが標準のようです。
というよりも4000万円を超えるとローンの返済がだいぶきついので、このくらいに収めざるを得ないとのこと。従前のように3000万円を切ろうと思うと、県庁所在地には到底住めず、鉄道が通っている地域にも住めず、自家用車で片道1時間通勤を検討しなければいけないレベルで離れた地域に住まざるをえなくなってきます。

そして最近は、新たな動きとして、4000万円以上のマンションを購入するケースがじわじわ増えてきています。
ローンを組むのも大変ですし、月々の返済負担もかなり厳しいと思われ、正直なところ身分不相応な気がするのですが……実際に購入した人から話を聞いてみると「案外ありなのかも」と思い直しました。


意外と売れてる(らしい)田舎ターミナル駅付近のマンション

ここでいう「マンション」とは、ターミナル駅近くの新築高層マンションです。
イメージはこんな感じ。






こういった物件の価格は、(東京の不動産価格と比べれば全然大したことありませんが)地元の他の物件と比べると、かなり割高に映ります。
そのため地元住民からすると「こんなの誰が買うんだよ……」と思いたくなりますが、案外すんなり売れていきます。
どうやら、都市部に本社がある大手企業の社宅用として、ニーズが一定数あるらしいです。

僕の勤務先県庁の若手職員が購入しているのは、こういうハイクラス物件のグレード低めな部屋です。
具体的には、低層階の不人気方角の部屋を、オプションはあまり付加せずに購入しています。

わずかでも資産価値をキープする目論み

こういった物件は、いくらグレード低めとはいえ、安くても4000万円を超えます。下手したら5000万円台にすら乗ります。
先述したとおり、新築する場合の目安が「3500万円」なので、2割以上も高くつくことになります。

それでもマンションを購入する理由……それは資産性と流動性です。

これから地方はどんどん人口が減っていき、土地も家屋も資産価値が激減していきます。
新築で家を建てても、ローンを払い終わるころに果たして資産価値がどれくらいなのか、全く期待できません。

実際、家を建てる職員は、土地も家も「資産」とは見ておらず、消費するものと捉えています。
一生かかって消費し尽くすようなイメージです。途中で売却したり賃貸に出したりはしないので、資産価値はそもそもどうでもいいという考えでもあります。

一方、マンションを購入する職員は、買ったマンションを将来的に手放す前提で考えています。
彼ら彼女らは、夫婦ともに実家の土地家屋を相続する見込みがあり、自分たちが更に土地や家を買ってしまうと、将来的に不動産を持て余す可能性を見ています。

田舎の不動産は、これから資産価値のみならず流動性も激減していくと思われます。
買い手がいないので売れない、売れないから価格が下がっていく……という流れになるでしょう。

つまり、今マイホームを持ってしまうと、合計3軒もの住宅を、いらないのに持たざるを得なくなり、いずれ維持管理の手間と費用で首が回らなくなる……という未来を想定しているわけです。
そこで、少なくとも自分達が購入するものについては、流動性と資産性を少しでもキープできるよう、どちらも低下しづらそうな駅近物件を選んでいるのです。

答え合わせは数十年後?

田舎在住の若者はこれから不動産とどう付き合っていくのがよいのか、まだ定石は出来上がっていないと思っています。

僕個人的には、田舎の不動産に資産性を求めること自体がナンセンスで、「自分が求める使用価値を、なるべく安く獲得する」という一点だけ考えればいいと思っています。

いくらターミナル駅至近の好立地だとしても、「人口減少に伴い田舎の資産価値が落ちていく」というトレンドには抗えず、これから相当に下落していくのではないかと。
何より、田舎の不動産は今でも流動性が低く、任意のタイミングで手放すことが困難なので、「資産」として捉えること自体に難があるとも思っています。

ターミナル駅付近に住みたい、リッチな共用部分を使いたい……等々、高級マンションの「使用価値」に魅力を感じているのであれば、背伸びして購入するのも大いにアリだと思いますが、資産性目当てに買うのは、リターンの小さい投資のように感じます。

もちろん、これから何が起こるかわかりません。今の判断の成否は、数十年後までわからないのでしょう。問題意識だけは常に持っていたいと思います。

そもそも僕の場合、他人の心配をする前に自分の心配をした方がいいんですよね……
僕はいずれ実家の土地建物を相続できる見込みです。結構古いので現時点で既に資産価値はありませんし、辺鄙な場所なので手放したくても買い手がつきません。

このまま独身であれば、この実家をリフォームして住めばいいかなと思っています。
問題なのは結婚できてしまった場合です。「自分が求める使用価値を、なるべく安く獲得する」という一点だけ考えればいいなどと先ほど軽々しく書きましたが、相方がいると合意到達するのがすごく大変そうです。

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