人事における運要素を「ガチャ」と呼称する文化がかなり定着してきたように思います。
配属ガチャとか、上司ガチャ、同僚ガチャ、勤務地ガチャなどなど……
配属ガチャとか、上司ガチャ、同僚ガチャ、勤務地ガチャなどなど……
特に「配属ガチャ」は最近ネットニュースで連日見かけますし、最近では書籍のタイトルにも使われるほどに市民権を得ているようです。
この表現、Wikipediaによると、人事における運要素をソーシャルゲームにおけるガチャになぞらえた表現で、学生を中心に使われているとのこと。
簡潔でキャッチーで、検索ボリュームも大きくアクセス数を稼げるので、このブログでもたびたび使っています。
ただ本音を言うと、この表現はかなり不適切だと思います。
ソーシャルゲームのガチャと職場の人事は、全然似ていません。別物です。
以下、ただの揚げ足取りなので、「人事の当たり外れを決めるのは配属後の自分の頑張り次第!」みたいなキラキラした内容をご希望でしたらブラウザバックしてください。
以下、「配属ガチャ」「上司ガチャ」など人事関係の諸々の俗称をまとめて「人事ガチャ」、ソーシャルゲームのガチャを「原義のガチャ」と表記します。
造語としてのニュアンスが抜け落ちている
新しい造語が生じるところには、新しい言葉へのニーズが存在します。
「人事ガチャ」の場合も同様で、人事における運要素に対して何らか言及したいという思いが結集して、「ガチャ」なる新語が登場してきたのだと思われます。
この言葉に込められたニュアンスを、Wikipediaの「配属ガチャ」ページの説明文から考えてみます。
配属ガチャ(はいぞくガチャ)とは、新入社員が希望する勤務地や職種に配属されるか分からないことを、ソーシャルゲームの「ガチャ」になぞらえた俗語。「運次第で引いてみないとわからない」といった不安な心境などを表し、学生を中心に主にインターネット上などで使われる。入社後の自分の運命が、「ガチャ」のように偶然によって決まってしまうことへの皮肉も込められた表現になっている。
これを読むに、人事関係のイベントを「ガチャ」と称する背景には、「どうせ運次第なんだから万事虚しい」という虚無感が横たわっていると思います。
あとは「自分の能力や意思が尊重されない、自分の運命を他人に決められる」という受動性・主体性剥奪に対する反感でしょうか。
わざわざ「ガチャ」という表現を使うのは、このあたりの感情を表明したい人が増えてきて、言葉としてのニーズが高まってきたからなのだろうと思われます。
では、こういった要素が原義の「ガチャ」にも備わっているかというと……備わっていません。
「結果は運次第」という点では同一なのですが、原義のガチャは能動的で主体的な行為です。
例えば
- ガチャを引くのか否か
- いつ引くのか
- 何回引くのか
などなど、原義のガチャではプレイヤー側に幅広く裁量があります。
あえて人事をガチャに例えるなら、
- 決められたタイミングで無理やり引かされる(「引かない」という選択肢が無い)
- 引ける回数に限度があり、引いた結果に長期間拘束される(次に引くまでに数年かかる)
という、ガチャの中でもかなり特殊な部類に相当します。
つまるところ、「人事ガチャ」という俗語まで作って訴えたい要素が、そもそも原義の「ガチャ」に備わっていないとしか思えないのです。
お金で解決できない
先述のとおり、人事とガチャの大きな違いのひとつに、「引ける回数」があります。
人事のほうは回数に限度がありますが、原義のガチャのほうはプレイヤーの裁量次第で回数を決められます。お金をつぎ込めば何度だって回せます。
「お金さえあれば何度もリトライできる」という点もまた、人事とガチャの決定的な違いです。
人事もガチャも、1回1回は間違いなく「運次第」です。
しかし、試行回数をいくらでも稼げる原義のガチャでは、納得のいく結果を得られるまでリトライが可能です。
つまり、お金さえあれば、運に左右されることなく希望通りの結果を得ることができるのです。
人事の場合も、お金(賄賂)や時間(人事権ある人へのごますり)をつぎ込めば、運に左右されることなく望み通りの結果を得られるかもしれません。
ただ、いついかなる場所でもこのような方法が通用するとは限りませんし、これを成功させるには技能が必要です。
誰でもお金さえあれば望み通りの結果を得られる原義のガチャとは、やはり別物だと思います。
もっとふさわしい表現があるはず
職業人生を左右しかねない「配属」や「人間関係」が運次第で決まってしまう……という現象自体は事実ですし、この現象を端的に表現する単語にニーズがあるのはよくわかります。
ただ「ガチャ」ではない。もっとふさわしい表現があるはずです。
とはいえもうすっかり市民権を得てしまっているので、かっこいい専門用語が出てこない限りは置き換わらないのでしょうね……
とはいえもうすっかり市民権を得てしまっているので、かっこいい専門用語が出てこない限りは置き換わらないのでしょうね……
実際にソーシャルゲームをプレイしたことのある人であれば、人事における運要素のことを「ガチャ」と呼ぶのには普通に抵抗を感じると思うのですが……この表現が膾炙しているということは、違和感を覚える人が少ない、つまりソーシャルゲーム人口が減っているということなのだろうと思います。
最近のソーシャルゲームは、プレイヤーの層が二分化されているとよく言われます。
中高生とアラサー世代に多く、20代前半は少ないんですよね。
(今の20代前半世代はちょうどコンシューマーゲーム復権期を経験しており、むしろソシャゲを軽んじてる傾向あり)
(今の20代前半世代はちょうどコンシューマーゲーム復権期を経験しており、むしろソシャゲを軽んじてる傾向あり)
娯楽の幅が狭い中高生がお小遣いの範囲内でプレイしたり、家事育児で忙しいアラサー世代が隙間時間の娯楽としてちょこちょこプレイするのが、最近のソーシャルゲームです。
そのため、月数百円程度の微課金メニューが増えたり、作業的要素をスキップして時短できる機能を搭載するゲームが増えたりしています。
報道では「配属ガチャに納得いかない新人が退職代行を使って辞めていく」というケースがよく取り上げられていて、若者がソシャゲ的な思考に染まっているかのような扱いをされています。
しかし実態はむしろ逆で、ソーシャルゲームに親しんでいないからこそ、「配属ガチャ」という本質を外した単語が流行するのだろうと思います。
ソーシャルゲームの特徴を踏まえると、「人事ガチャ」という単語から自然に連想されるのは、「お金を惜しまなければ思い通りになるけど、あまり深追いすると後悔する」というニュアンスです。