キモオタク地方公務員(県庁職員)のブログ

地方公務員の人生満足度アップを目指しています。地方公務員志望者向けの記事は、カテゴリ「公務員になるまで」にまとめています。

カテゴリ: 公務員の日々の仕事

生成AIの進歩は本当に目覚ましいですね。
僕の勤務先県庁では長らく使用禁止令が敷かれていたのですが、ついに解禁されました。

生成AI活用に熱心なのは、若い職員よりも40代のおじさんたちです。
最近の中年職員は、部下の指導やマネジメント、上司への報告、他部局との調整といった本来の業務に加え、難しい仕事を自らこなす(パワハラ認定を恐れて……)ことも求められており、どんどん多忙化しています。
そんな切実な忙しさの中で、「少しでも楽になりたい」という思いがAI活用の原動力になっているのかもしれませんね……。

一方で、「生成AIのせいでむしろ仕事が増えた」という声も多々耳にします。
生成AIを使ったと思しき苦情メールが激増しているんですよね。

生成AIというツールのおかげで文章を書くことへのハードルが下がり、意見を発信する機会が担保されること自体は、良いことだと思います。
しかし意見を「受ける」側の自治体職員としては堪ったものではありません。
たった数分で1万文字以上の苦情メール――もはや「論文」と称しても差し支えないような超大作を簡単に作成してくれる生成AIは、自治体職員の新たなる脅威にほかなりません。

生成AI謹製メールボム

ここでいう「生成AIを使った苦情メール」の典型例は、以下のとおりです。
「窓口サービス」を題材に、ChatGPTに書いてもらいました。プロンプトを作文する時間を含め2分で完成しました。


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A市役所 御中

私はA市民の一人として、市役所窓口を利用する中で感じた課題についてお伝えしたく、本メールをお送りいたしました。

私自身、各種手続のために来庁した際、長時間の待ち時間を要したうえ、複数の窓口を回りながら同じ内容を何度も説明し、同様の情報を繰り返し記入しなければならない場面がありました。また、周囲を見渡しても、高齢者や子育て世帯の方々が手続方法に戸惑い、職員へ何度も質問されている様子が見受けられました。

こうした状況は、私一人の感想ではなく、多くの市民が日常的に感じている不満ではないかと思います。実際、近隣自治体や先進自治体では、「書かない窓口」「待たない窓口」「行かない窓口」の実現に向けた取組が進められており、住民サービスの向上と職員負担の軽減を同時に実現している事例も少なくありません。

一方で、現在のサービス水準が今後も継続した場合、高齢化の進展や行政需要の増加に伴い、市民の待ち時間や手続負担はさらに大きくなることが懸念されます。また、人手不足が深刻化する中で、職員の業務負担も一層増加し、結果として住民サービス全体の質の低下を招くおそれがあります。

行政サービスは、市民が最も身近に接する行政そのものです。窓口での体験が市政全体への評価や信頼感に直結することを踏まえれば、窓口業務の改善は喫緊の課題であると考えます。

つきましては、市民サービスの向上と行政運営の効率化の両立に向け、次のような取組について積極的な検討をお願い申し上げます。

【提案事項】

1 待ち時間の短縮
・窓口の事前予約制度の導入
・混雑状況のリアルタイム配信

2 ワンストップ窓口の充実
・転入、転出、出生、死亡等の手続を可能な限り一か所で完結できる体制の整備

3 申請書類の簡素化
・同じ内容を複数の申請書に記載する負担の軽減
・既存情報の活用による記入項目の削減

4 デジタル化の推進
・オンライン申請の拡充
・キャッシュレス決済の導入

5 高齢者や障害のある方への配慮
・分かりやすい案内表示
・手続支援体制の充実

6 庁内の情報連携強化
・部署間での情報共有を進め、市民への重複した確認や提出書類を減らす取組

7 バックオフィス業務の効率化
・AIやRPA等を活用した定型業務の自動化

8 業務プロセスの見直し
・慣例的に続いている手続や事務の棚卸しと簡素化

9 窓口サービスの品質向上
・接遇研修の充実
・利用者アンケートの実施

10 継続的な改善の仕組みづくり
・市民からの提案や意見を積極的に収集し、改善につなげる仕組みの構築

市役所職員の皆様におかれましては、限られた人員や予算の中で多様な行政需要に対応されていることと存じます。
一方で、生産年齢人口の縮小が続く中、行政リソースの有効活用は喫緊の課題であり、今回提案の課題は今後の行政改革に必須の事項であると考えており、
至急ご検討いただくことはもとより、行政の透明性担保の観点から、検討結果を返信いただきますよう求めるものです。

A市がより利用しやすく、親しみやすい市役所となることを期待しております。

どうぞよろしくお願いいたします。

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こういう感じのメールが最近本当に増えているんですよね……
回答が面倒な理由は、以下の2点に大別されます。

論点が多い

生成AIが特に得意とすることのひとつが、論点を網羅的に洗い出すことです。
「この件について考えられる問題点を挙げて」と指示すれば、次々とアイデアを出してくれますし、さらに「それぞれを細分化して」と続ければ、論点はいくらでも膨らんでいきます。

苦情メールにおいては、論点の数はそのまま「答えるべき質問の数」に直結します。
論点がひとつの担当部署で完結するならまだしも、複数部局にまたがることも少なくありません。
回答作成する以前に、各部局への照会・調整・割り振りの相談で時間が溶けていくんですよね。だいたい割り揉めしますし……。

一般論すぎて具体性に欠けるので答えづらい

もうひとつの悩みが、メールの内容が「正論ではあるけれど、一般論すぎる」という点です。

さすが生成AI、根本から間違ったことを書いてくることは滅多にありません。
とはいえ役所には、予算にも人員にも限界があります。
いかに正しい意見であっても、全肯定するわけにもいかず、かといって頭ごなしに否定するわけにもいきません。

結果として、「ご趣旨はよく理解できますが、現状~~という理由から実施が難しい状況です」といった、丁寧な説得文章を一から練り上げる必要が生じます。
これがなかなかに骨の折れる作業なのです。

AI vs AIの代理戦争も近いか

僕の勤務先自治体では、まだ「外に出す資料や文章」へのAI使用は認められていません。
そのため、生成AIを使ってメール返信案を作成することができないのですが……もしこちらもAIを使えるようになれば、劇的に負担が減ります。

AIで作られた苦情メールを、AIで処理する。ドローンによる代理戦争みたいですね。ただ電気を無駄遣いしているだけのような気がします。

ちなみに上記メールへの返信をClaudeに作ってもらったら、30秒で以下が完成しました。


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Subject: 窓口サービス改善に関するご提案へのご回答

○○様

この度は、A市の窓口サービスに関するご意見・ご提案をお寄せいただき、誠にありがとうございます。
市民の皆様からいただくご意見は、市政運営を改善していくうえで大変貴重なものと受け止めております。

ご提案いただきました10点につきまして、それぞれ以下のとおりご回答申し上げます。

1 待ち時間の短縮(事前予約制度・混雑状況のリアルタイム配信)
窓口の事前予約制度の導入および混雑状況のリアルタイム配信は、市民の利便性向上に資する有効な取組であると認識しております。一方で、予約システムの構築・運用に係るシステム費用の確保や、予約客と当日来庁者の双方に対応できる窓口体制の整備、さらに情報発信基盤の整備など、クリアすべき課題が複数存在いたします。現時点では直ちに実施することは難しい状況ですが、引き続き導入に向けた検討を進めてまいります。

2 ワンストップ窓口の充実
ライフイベントに係る手続を一か所で完結できる体制は、市民の皆様の手続負担を大幅に軽減できるものとして、大変有意義なご提案と考えます。しかしながら、その実現には関係部署間の業務フロー・権限・システムの抜本的な見直しが必要であり、組織体制の変更や職員配置・研修も伴うことから、短期間での実施は困難な状況です。先進自治体の事例も参考にしながら、段階的な整備の可能性を検討してまいります。

3 申請書類の簡素化
重複記入の解消や既存情報の活用による申請書類の簡素化は、市民・職員双方にとってメリットの大きい取組です。ただし、法令や国の制度に基づき書式・記載事項が定められているものも多く、本市単独では変更できない書類が少なくありません。また、システム改修を伴う項目については相応の費用と時間が必要となります。国の動向や他自治体の取組を注視しながら、実施可能な範囲から検討を進めてまいります。

4 デジタル化の推進(オンライン申請・キャッシュレス決済)
オンライン申請の拡充やキャッシュレス決済の導入は、利便性の向上と窓口の混雑緩和に有効であると認識しております。一方で、マイナンバー制度との連携を含むシステム構築・改修費用、セキュリティ対策、情報弱者への対応など、導入に際して整備すべき要件が多岐にわたります。現在、国の自治体DX推進計画に沿った検討を行っておりますが、全面的な導入には一定の期間を要する見込みです。

5 高齢者や障害のある方への配慮(案内表示・手続支援)
誰もが利用しやすい窓口環境の整備は、行政サービスの基本として重要であると強く認識しております。案内表示の改善や手続支援体制の充実については、費用・人員の制約のなかで優先順位を踏まえながら取り組むべき課題と考えておりますが、庁舎設備の改修や専門的な支援人材の確保等が必要であり、直ちに全面的な対応を取ることは難しい状況です。現在実施可能な改善から着実に進めてまいります。

6 庁内の情報連携強化
部署間での情報共有により市民の提出書類や重複確認を減らす取組は、大変重要な課題と認識しております。実現には、個人情報保護の観点からの法的整理、庁内ネットワーク・システムの刷新、および関係部署間の業務調整が不可欠です。これらは中長期的な行政改革の一環として計画的に進めるべき内容であり、即時の全面実施は困難ですが、情報共有の範囲拡大について着実に取り組んでまいります。

7 バックオフィス業務の効率化(AI・RPA等の活用)
AIやRPAを活用した定型業務の自動化は、職員の業務負担軽減と行政サービスの質の維持に効果的な手段です。導入にあたっては、対象業務の選定・分析、システムの調達・構築、職員研修、セキュリティ確保など、準備に相応の時間と費用を要します。費用対効果を見極めながら、導入可能な業務から段階的に検討を進めてまいります。

8 業務プロセスの見直し
慣例的に継続してきた手続や事務の棚卸しと簡素化は、行政改革において本質的かつ重要な視点です。ただし、個別の業務に係る法令・条例・規則上の根拠の精査や、関係機関との調整が必要なものも含まれており、全体的な見直しには相当の時間を要します。業務改善の機運を高めながら、随時着手できるものから取り組んでまいります。

9 窓口サービスの品質向上(接遇研修・利用者アンケート)
接遇研修の充実および利用者アンケートの実施は、比較的取り組みやすい改善策として前向きに受け止めております。接遇研修については現在も一定の取組を実施しておりますが、内容の充実や受講機会の拡大については人員・予算の制約があります。利用者アンケートについては実施方法・分析体制の整備が必要であり、実施に向けた具体的な検討を進めてまいります。

10 継続的な改善の仕組みづくり
市民からの提案・意見を継続的に収集し、改善に活かす仕組みの構築は、開かれた市政の実現に向けて欠かせない取組と考えます。意見収集の方法・体制、いただいた意見の処理・回答プロセスの整備、および庁内での改善サイクルの定着には、組織的な体制づくりが必要です。現行の意見収集の仕組みを土台に、より実効性の高い体制へと改善を図ってまいります。

以上、各提案へのご回答とさせていただきます。

限られた人員・予算のなかで、ご提案いただいたすべての事項を速やかに実施することは現時点では難しい状況です。しかしながら、いただいたご意見は、今後の行政改革や予算編成を検討するうえで重要な参考にさせていただきます。

A市がより利用しやすい市役所となれるよう、引き続き努力してまいります。
この度は貴重なご意見をお寄せいただき、重ねて御礼申し上げます。

A市役所 市民窓口担当

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やはり生成Aはすごいですね。NGワードがないかネガチェックするだけでそのまま使えそうです。

AIが作った苦情には温度感と臭いが欠けている

冒頭で「生成AIを使ったと思しき苦情メールが激増している」と書きましたが、この部分に違和感を持った方はいますか?
この記事を書きあげた後に、生成AIに「論理が飛躍している部分はないか」とネガチェックしてもらったところ、「メールの差出人がAIを使っているかどうかは検証しようがないので、このように断定するのはおかしい」と指摘されました。

でも、このブログの主要読者層であるアラフォー現役地方公務員の方々であれば、きっと違和感なく共感してもらえるのではないかと思っています。
長年苦情メールを見続けていると、なんとなくわかってきませんか?
AIには出せない「温かみ」とか「臭い」みたいなものが……


ここ最近、全国各地で激しい災害が相次いでいます。
特に豪雨災害が顕著で、常襲地域のみならず、これまで水害を経験したことのない地域でも被害が発生しています。

過去にも何度か触れていますが、僕の初任の配属先は防災部局でした。
当時(10年ちょっと前)は、豪雨シーズンといえば「7月~9月」の3か月間であり、6月の議会が終わった直後に「気合い入れ式」、10月に入ったら「お疲れさん会」などと称して、職場で焼肉に行った記憶があります。
今はいつ豪雨に見舞われるかわからず、このような精神的な区切りも無いので、すっかり廃れてしまったとのことでした。

災害が頻発・激甚化するのに対し、防災や災害復旧に対する制度や財政措置も拡充されています。
特に、被災した個人や民間企業を直接支援する制度が、令和に入ったあたりから急速に充実してきていると思います。

しかし、支援制度が拡充されたとしても、その分だけ復旧復興が加速するわけではありません。
むしろ「どうしてカネはあるのに遅いのか」「地方公務員の仕事の遅さがボトルネックだ」という形で、地方公務員叩きの材料にされているのが現状です。


(誰も報じないけど)充実していく被災者支援

まず、最近の被災者支援制度がいかに充実してきているか、よく話題に上るものを紹介します。

ひとつは住宅の再建支援です。
現在(令和8年春)、能登半島地震の被災者で、住宅が全壊した人の場合、総額1,000万円を超える支援が受けれられるとのこと。
このうち500万円は、この地震に際して新たに創設された国の制度です。
直近の大地震である平成28年熊本地震の際は、僕が調べた範囲では500万円にも届いておらず、大幅に拡充されていることがわかります。

<石川県の資料>
<熊本県の資料>

もうひとつは民間企業向けの「なりわい再建支援補助金」です。
被災した民間企業を直接支援する制度としては、東日本大震災の際に創設された「中小企業等グループ補助金」がありました。
民間企業の財産再取得に公金を支出するという前代未聞の制度で、当時はすさまじい大盤振る舞いだと話題になっていましたが、制度の利用にあたっては地域の中小企業で「グループ」を組成して、地域の復興を民間企業集団としてどのように進めていくのか計画策定する必要がありました。
要するに企業単体では利用できず、自社事業の都合だけを盛り込むわけにもいきませんでした。

しかし現在は、個社・個人でも申請できる「なりわい再建支援補助金」が創設されて、自社都合最優先での補助金利用が可能となっています。

このほか、地方自治体に対する財政支援も大幅に拡充されており、災害を原因に財政が急激に悪化するような事態は激減しています。

一方、このように支援制度が年々拡充されていることは、報道ではほとんど取り上げられません。
地方公務員であっても、災害復旧の実務に携わったことがない人であれば、現在の制度がどうなっているかは知っていても、拡充の過程までは把握していないかもしれません(僕も厚生労働省関係の施策はよくわかりません)。

むしろ近年は、「お金が足りない」という声よりも、「役所の対応が遅い」という苦情・苦言が激増しているように感じています。

実際、僕が防災部局にいた頃と比べて、復旧が遅くなったとは思いません。
とはいえ早くなったかと言われると……大して変わっていないと思います。

復旧復興の「遅れ」は地方公務員による人災なのか

世論が主張するとおり、「どれだけ予算があっても、地方公務員の仕事が遅いから復旧復興が進まない」というのも、一理あると思います。
復旧復興に予算はもちろん必要ですが、同じくマンパワーが必要です。 いくらお金が増えようとも、マンパワーも増えなければ、執行できずにお金を滞留させてしまうのは間違いありません。

とはいえ、応援派遣などで被災自治体の地方公務員数を頭数を揃えれば万事解決するわけでもありません。
復旧復興には、多数の民間事業者も携わっており、民間事業者のマンパワーが不足しているために復旧復興が進まないという実態もあります。

さらに、復旧復興には被災者のマンパワーも必要です。
各種インフラの復旧工事や、公共施設を再建、災害公営住宅の建設には、その前提として、被災者との合意が必要です。
ただでさえ被災して自分のことだけで精一杯なところ、役所からの説明を聞いて意思決定をするには、大変なエネルギーが必要です。

地域としての意見をまとめるとなるとますます大変です。
災害のせいで疲弊してストレスが溜まっている状況下では、なかなかうまくコミュニケーションがとれず、協議の場を設けることすら困難なケースも散見されます。
役所側ではいつでも事業開始できるよう準備しているのに、住民側がまとまらないので着手できない……という事例もよくあります。
このような場合、外部から「早くしろ」と叩かれても、正直に「住民側がボトルネックです」などと言うわけにはいかず、役所が矢面に立って批判を受けることになり、何とも言えないやるせなさを感じるものです。

つまるところ、復旧復興の早さを決めるのは、今はマンパワーなのだろうと思います。
そして、自治体のマンパワーは応援派遣で増やせても、民間事業者や被災者のマンパワーを増やすのは難しく、役所だけではどうしようもない面も多々あるのです。



やや不謹慎かもしれませんが、僕は防災関係の業務が結構好きです。
「人命最優先」という旗印の下、官民が一致団結して仕事に取り組めるからです。
人によって方法論は分かれるにしても大義は同じなので、よくある利害関係の衝突にとどまらない、建設的な議論もできます。

だからこそ、どれだけ頑張っても「遅い」と叩かれざるを得ない昨今の状況には、ほかの公務員批判とは異なり、怒りや呆れというよりは「もどかしさ」を感じます。 被災者が直接非難されるよりは、役所が身代わりになるほうがまだマシだと思って、盾役を務めるしかないのだろうと思います。

「自助・共助・公助」というフレーズは、防災の心得として社会にすっかり定着しています。
「行政が責任を回避するための方便にすぎない」などと冷ややかに捉えている人が多数ではありますが、こうした批判や違和感が語られること自体、この言葉が広く共有され、前提知識として浸透している証左であると思います。

ただ、実際に災害が発生すると、この三つのうち「共助」はなかなか機能するものではありません。
とりわけ、多くの被災者が避難所で寝泊まりしている期間、いわゆる「応急期」においては、「共助」には期待できません。


僕自身が能登半島地震の被災地に派遣されてから約2年が経過し、当時感じた「ぼんやりとした絶望感」をようやく言語化できたので、忘れないうちに記録しておきたいと思います。

共助=互恵的な関係

「共助」とは、読んで字のごとく、ともに助け合うことです。単なるお手伝いや人助けとは異なります。
各人が持つリソースを持ち寄り、足りない部分を補完し合う関係性があって、はじめて「共助」と呼べます。

ここで重要なのは、「全員がリソースを出し合う」という点です。
個々人はそれぞれの属性(年齢、性別、経歴など)に応じて、異なる種類・量のリソースを持っており、それらが相互に噛み合うことで支え合いの循環が生まれます。これが「共助」です。
リソースを供出する側と享受する側が固定されている「支援」や「搾取」とは異なる互恵的な関係です。
互恵的な関係、「お互い様」の精神に基づいたものゆえに、持続性があり、感情的にも実践しやすいのです。

災害の応急期とは、端的に言えば「大勢の人が、同時に、突然、不慣れで過酷な環境に放り出される」状況です。
避難所での生活はその典型例でしょう。限られた空間に多くの人が集まり、日常とは全く異なる条件のもとで、生活水準を維持しなければなりません。

この応急期に必要とされるのは圧倒的な体力と腕力です。
応急期は一時的にあらゆるインフラが(ハード面でもソフト面でも)停止するので、その代替としてマンパワーに頼らざるを得ません。
具体的には、被災者の救助や負傷者の手当て、物資の運搬、生活空間の設営、食事の準備、清掃、心身の不自由な人の介助・介護などなど……こういった膨大な力仕事を不眠不休で続けることが、否応なく求められます。

このような応急期のあり方は「共助」ではなく、「体力・腕力のある人が無い人を支える」という、一方的な「支援」に他なりません。

災害応急期に必要なリソースは若者しか持っていない

そしてこの図式は、「若者が高齢者を助ける」と言い換えることもできます。
高齢者の方々は、体力や腕力はどうしても若者に劣り、助けられる側に甘んじざるを得ません。


ここで僕は「高齢者は社会のお荷物」などと主張するつもりは一切ありません。
高齢者には、若者に無いリソースをたくさん持っています。

特に、高齢者ならではの「自由な時間」というリソースは、災害の復旧期~復興期にはとても重要だと思います。

ただし、災害発生直後の応急期には、高齢者が持つリソースは極めて活きづらいのです。

これまでの災害では、地域の現役世代&被災自治体の職員がマンパワーを供出することで応急期を乗り切ってきました。
しかし今回の能登半島地震では、高齢化率が高い地域で発災したために、地域の現役世代+被災自治体職員だけではマンパワーが圧倒的に不足していたのでしょう、避難所立上げの際にいろいろなトラブルが発生したと報道されています。
その後、全国の自治体からの対口支援職員が到着してからは軌道に乗ったと認識していますが(僕が対口支援で現地行った際は順調に回っていました)、発災初期のトラブルは今もなお当て擦られ続けられており、被災自治体のイメージダウンを引き起こしています。

今後さらに高齢化が進めば、応急期の対応体制はいっそう逼迫することは避けられません。
避難所運営に割かれる人的・時間的リソースは膨らみ、結果としてインフラ復旧や各種支援の立ち上げが遅れがちになるでしょう。 避難所運営のルールが定着してルーチン化するまでにも時間がかかり、「応急期が伸びる」という言い方もできると思います。

この課題への対策として、これまでの論調だと「平時から地域の絆を深めておいて、共助をより充実すべき」というのが教科書的な答えなのでしょうが……僕は絵に描いた餅としか思えません。
地域の若者の人数がどんどん減っていく中、この対策では「そもそもマンパワーが足りない」というボトルネックを解消できません。

現実を見て「諦念」を受け入れる

僕がまず必要だと考えるのは、「応急期の共助には限界がある」という現実認識を社会全体で共有し、そのうえで「応急期の公助」を強化することです。

この前提を冷静に共有することが、現実的で持続可能な防災体制を考えるうえで欠かせないと思います。 能登半島地震では、全国から多くの公務員が対口支援として現地に入り、純粋な「労働力」として投入されました。この仕組みは、応急期というフェーズの特性に非常によく適合していたと、僕は感じています。

応急期に求められるのは何よりも「体力」、そして文句を言わずに淡々と苦役をこなす「従順さ」と「忍耐力」であり、この点で公務員という存在は適材適所です。この仕組みが効果的であったことが、今後もっと取り上げられればいいなと思っています。

次に重要なのは、応急期というフェーズをできるだけ早く終わらせることだと思います。
インフラ等の応急復旧を速やかに終わらせて、物流を安定化し、避難所生活を早々に安定させる。そのために何がボトルネックになるのかを、平時から冷静に検証しておく必要があるでしょう。
「公助」が重要な期間=応急期を短縮して、その短い期間に大量の「公助」を投入する……という、メリハリの利いた体制が理想なのかと思います。

応急期には高齢者が中心となって地縁ベースで「共助」が機能する……というイメージを抱いている方もいるかもしれませんが、高齢化が本格化している今、これは幻想です。
どれだけ地縁が強固であろうとも、高齢者ばかりの地域では労働力が足りません。

「初期対応には単純労働力が必要であり、高齢化の進展により最早地域内では労働力を賄いきれないから、外部から調達してくるしかない」という現実こそ、能登半島地震の重要な教訓だと思います。

「移住促進」は、いまやほとんどの自治体の主要施策の筆頭格として定着した感があります。
過疎化に歯止めをかけ、地域を活性化させる切り札として、多くの自治体が手厚い補助金制度を設け、PR動画を作ったりイベントを開催したり、マスコミ露出を増やしたり等々の施策を駆使して、都市部からの呼び込みに心血を注いできました。

しかし、こうした施策が真に「奏功している」と言えるのかというと……かなり疑わしいです。
成果を上げている自治体も中にはあるのでしょうが、ほとんどの自治体は苦戦していると思います。

そもそも、移住施策の成否を客観的に判断することは困難を極めます。
この記事を書くために「移住者の人数の推移」を調べようとしたのですが、そんな数字は存在しないんですよね……
これだけ多くの自治体が血眼になって乞い求めている「移住者」は、実は定義が曖昧であり、統計的な裏付けとなる正確なデータが存在していないのです。
「住民票を移した数」はわかるものの、これだけでは、その動機や定着の実態までは見えてきません。

一方、近頃では、定住にこだわらない「二地域居住」や、特定の地域と多様に関わる「関係人口」という言葉が、新たなトレンドになっています。
僕はこうした概念の台頭こそが、当初目指していた「移住」が立ち行かなくなっている現状の裏返しであると考えています。

地方への移住が進まない原因はいろいろあるのでしょうが、僕はその一つが、「リモートワークの普及」ではないかと考えています。
どこでも働ける自由が、かえって拠点を移す決断を遠ざけているという逆説について、掘り下げてみたいと思います。

「都会に住んで地方に携わる」という「いいとこ取り」選択

本来、リモートワークの普及は地方移住を強力に後押しする追い風と位置付けられていました。居住地と勤務地を切り離すことができれば、都市部での仕事を維持したまま、生活の拠点だけを自然豊かな地方へと移すことが可能になるからです。
「仕事のために都会に留まらなければ」という制約から解放されることは、移住への心理的・経済的ハードルを劇的に下げると期待されてきました。

しかし、この「場所を選ばない働き方」は、同時に全く逆の現象をも引き起こしました。
都会にいながらにして、オンラインで地方の仕事に携わることもまた、容易になったのです。

現状を俯瞰すると、実は後者の影響の方が大きいのではないでしょうか。

地方へ移住する人たちの最大の目的は、自分の「やりたいこと」の追求です。
都会の喧騒を離れ、理想のライフスタイルを追求することは、多くの現代人にとって抗いがたい輝きを放っています。

しかし、その輝かしいメリットの裏側には、無視できないほど重い現実的なリスクとデメリットが横たわっています。
都市部から地方へ拠点を移す際には、多くのものを手放さざるを得ません。
それまで築き上げてきたキャリアの連続性は途絶し、多くの場合、収入の大幅な減少を覚悟しなければなりません。さらに、移動手段や商業施設・文化施設といった生活インフラの質の変化、そして長年培ってきた濃密な人脈からの断絶。これらは、単なる不便さを超え、個人の生存戦略における大きな損失となり得ます。
移住を検討する方々は、常にこの「理想」と「現実」を天秤にかけていることと思います。

そして、この天秤のバランスを劇的に変えてしまったのが、リモートワークという選択肢です。
わざわざ移住という高いリスクを冒さずとも、オンラインを通じて地方のプロジェクトに参画し、社会貢献や自己実現を果たす。このような形で、都会の安定した収入や便利なインフラを維持したまま、地方に関わるメリットだけを賢く享受するという選択肢が容易になりました。

もし、自分一人の身軽な立場であれば、夢や希望の赴くままに未踏の地へ飛び込む決断もできるでしょう。
しかし、守るべき家族がいる場合、話は別です。配偶者のキャリアや子供の教育環境、将来の家計の安定を考えれば、あえて大きなリスクを背負うよりも、リスクを最小限に抑えながら理想を追う道を選ぶのは、むしろ自然で理にかなった判断といえます。
移住という「一点突破」の選択肢が選ばれにくくなっている背景には、こうした生活者としての切実な合理性が働いているのだろうと思います。

ゼロリスクミドルリターンの「関係人口」を増やすことがwin-winか?

昨今、自らのキャリアを主体的に構築する「キャリアプランニング」の重要性が広く説かれています。
こうした風潮の中で改めて「移住」を捉え直すと、それは単純なキャリアの上積みではなく、積み上げてきたキャリアを一度断ち切る「リセット」という側面を強く持っていることに気づかされます。

特に、都市部で着実に実績を積み重ねてきた優秀な人材ほど、その損失を危惧するのは当然です。地方自治体が求めている「高度なスキルを持つ人材」こそ、移住という大きな決断に対して慎重、あるいは及び腰になるという皮肉な構造が浮かび上がります。

こうした実情を鑑みれば、自治体が多額の予算を投じて移住者の数だけを追い求める姿勢には、どこか現実味を欠いた「神頼み」のような危うさを感じずにはいられません。

そう考えると、最近の「関係人口」ブームは、実に合理的だと思います。
参画する人(=移住してくる人)に過大なリスクを背負わせる、現代の人身御供みたいな移住施策よりも、参画する人の裁量で関わり方を調整できる「関係人口」の創出に注力する方が、はるかに現実的で、健全だと思います。

※あとがき
本記事は生成AI(Gemini)の力を借りつつ書きました。
1000文字くらいのプロットを僕が書いてから「このプロットをベースに、わかりやすくなるように説明を足して」みたいなプロンプトで3000文字くらいまで膨らませた後、取捨選択してこの文面に落ち着きました。
2年前にAI使ってブログ書こうとした際よりも、確実に使いやすくなってます。すごいです。

テレビや新聞では、国会議員の動向が連日詳細に報じられています。
仕事面のみならずプライベートまで赤裸々に報道されていて、気の毒にすら思えてくるほどです。「任期中の国会議員には一時の安息も許さない」という、主権者たる国民様の思し召しなのでしょうか。

一方で地方議員は、市町村議にしろ県議にしろ、新聞にもテレビにも滅多に登場しません。
地方議員がメディアに登場するのは、セクハラや政務活動費の不正使用といった不祥事が発覚した時くらいで、普段の活動は全く取り上げられません。
選挙のたびに、新聞もテレビも「議員に対しては、選挙の時だけでなく当選後の活動にも注視すべき」みたいな説教を垂れていますが、当のメディアが全く注視していないんですよね……

地方議員の先生方は、行事を主催したり、地域や業界団体の代弁者として行政に物申しに行ったり……等々、日々いろいろな活動に取り組んでいます。
若手議員の中には、ホームページやSNSでの自身の活動を公表している方もいますが、これらの取り組みがメディアで取り上げられることは滅多にありません。
似たような活動をしているNPOは大々的に取り上げられるのに、地方議員は全く取り上げられないんですよね。

中央メディアにしろローカルメディアにしろ、なぜ地方議員の活動を報じようとしないのか、僕は入庁当時から不思議に思っていました。
今もこの疑問は全然解消できておらず、相変わらず不思議で仕方ないのですが、最近はこの報道姿勢がどのような結果を生んでいるのか、少しわかってきました。

地方議員が背負わされる不条理な責任

ひとつ確実に言えるのは、地方議員のメディア露出が少ないせいで地方公務員は不利益を被っています。
本来が地方議員が負うべき責任が、不当に地方公務員へとなすりつけられています。

国政においては、突拍子もない政策が実施された場合、実務を担当する国家公務員だけでなく、政策を発案・推進した国会議員も等しく批判の矢面に立ちます。
しかし地方自治体の場合、どのような施策であっても、まるで役所(地方公務員)が独断で発案したかのような報道がなされがちです。

議員が発案して強硬に推し進めた施策であっても、発案者議員の名前は表に出てきません。あくまでも「役所が自らやりたくてやっている」かのように報じられます。
その結果、「地方公務員は愚昧だ」「税金泥棒だ」といった心ない罵詈雑言を浴びせられることになります。

議員が発案した政策であっても批判と責任はすべて地方公務員が肩代わりさせられるという理不尽な構造のために、仕事への意欲を失う職員も少なくありません。

そもそも地方公務員は「公僕」であり、主権者たる国民の代表である議員が決定したルールを粛々と執行する立場にあります。
地方公務員が事業を自ら「発案」しているかのような報道は、あたかも役所や地方公務員が政策の意思決定者であるかのような誤解を助長しており、明らかにミスリーディングと言わざるを得ません。

一方で、地方議員の発案がプラスに働くこともたまにあります。
例えば、議員の紹介(ごり押し)で登用された人や企業が想像以上に有能だったり、ごく少数の住民が猛烈に反発したせいで事業が頓挫しかけた際に、議員が仲介役として奔走してくれたおかげで反対派が心変わりして地域全体が合意に到達する……といったケースが挙げられます。
しかし、こうした地方議員の功績もまたメディアは取り上げず、役所や首長の手柄にすり替わってしまいがちです。

つまるところ、メディアが地方議員の活動や言動をあまりにも取り上げなさすぎるせいで、主権者は地方議員に関する情報に触れる機会が無く、適正な評価ができていないといえるでしょう。
このような状況では、有権者が選挙において候補者を公正に評価することは困難であり、そもそも地方議員選挙への関心を喚起することすら困難と言えるでしょう。

メディアから注目されないから地方議員はまったり暮らせている

あくまでも僕の私見ですが……地方議員は、メディアからの注目されていないという現状に、甘んじているのではないでしょうか。

もしメディアに頻繁に取り上げられるならば、発言や行動に細心の注意を払い、より幅広い支持を得られるよう(あるいは炎上しないよう)腐心しなければなりません。
しかし現状では、何をしてもメディアはスルーしてくれるので言動に気を遣う必要はありません。

もしさらに勢力を拡大したいのであれば、メディア露出が増えたほうがいいのでしょうが、現状は投票率が低く、再選目的であれば知名度向上・人気取りは必要ありません。従来のコアファンを維持していれば十分であり、そのためにはメディア露出は不要です。
むしろ、特定の支持層のみに向けた活動に終始し、意図的に影響範囲を限定することで、他の議員の票田を侵食するリスクを回避しているようにも見受けられます。

近年、役所もネット上での炎上に敏感になっており、議員からの要請がなくとも、有権者がSNSで苦情を呈すれば行政が迅速に対応する時代になりました。
これは間接民主主義から直接民主主義への移行を示唆する現象とも解釈できます。
政治体制の優劣は別として、地方議員の存在感が希薄化し、その必要性自体が疑問視されているのは紛れもない事実です。
「議員は無用の長物」という漠然とした認識が広がり、議員という職業の社会的地位も低下の一途を辿っています。

自らの地位保全のためにもメディア露出したほうがいいのでは

昭和期の高度経済成長を経験した高齢者世代は、多分「地方議員のおかげで近所の開発が進んだ」などの記憶があり、地方議員へのリスペクトを持っているのでしょうが、その下の世代はそのような恩恵を受けておらず、地方議員=「よくわからないけど威張ってる人」くらいのイメージしか持っていないと思います。
もう少し世代交代が進めば、地方議員を重要視する人が一気に減少し、地方議員の地位はますます低下していくと思います。

しかし実際のところ、地方議員の方々はいろいろと仕事をしています。その働きが役所に対して害をなす場合も多々ありますが、それでも誰かの役に立っているのは間違いありません。

「有権者のため」という教条はもちろんのこと、「自らの地位を保全するため」という極めて利己的な理由においても、地方議員は今後もっと積極的にメディア露出を図ったほうがいいのではと思います。

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