キモオタク地方公務員(県庁職員)のブログ

地方公務員の人生満足度アップを目指しています。地方公務員志望者向けの記事は、カテゴリ「公務員になるまで」にまとめています。

カテゴリ: 公務員の日々の仕事

新年明けましておめでとうございます。

新年一発目の記事として、今年も陰謀論をお送りします。

直近の記事で「2022年は何が話題になるか全然予想できない」と書いたところですが、地方公務員関係で強いて挙げるとすれば、「集団訴訟」と「採用抑制」なんじゃないかと思っています。


新型コロナウイルス関係の集団訴訟がついに動き出すか? 

僕が最初に配属された防災担当課では、とある経験則が語り継がれていました。
「発災から2年間は被災住民の感情のケアを怠るな」というものです。
これをおろそかにすると、集団訴訟につながるからです。

災害関係の集団訴訟は、だいたい災害発生から1年後〜2年後に提起されます。
災害の直後ではありません。

ある程度時間が経たないと、発災原因(現象そのものが規格外だったのか、インフラの問題なのか、人災なのか)が絞られず攻撃すべき論点が定まりませんし、「誰が悪者なのか」という世論も固まらないからです。
さらに、原告側住民の生活再建が終わるまで賠償請求する被害額が確定しませんし、何より訴訟を起こす時間的余裕がありません。

前々から触れているとおり、新型コロナウイルス感染症関係でもいずれ集団訴訟が始まると僕は思っています。

新型コロナウイルス感染症の場合は、今も収束したとは言えません。
ただし2021年の間に、被害状況がかなりはっきりしてきました。

今のところの大きな被害は以下の2つ。
  • 緊急事態宣言による営業自粛での経済的被害(主に個人飲食店)
  • 去年夏の感染者数ピーク時の人命被害
どちらも「行政による人災」という評価が固まっています。
さらに、去年秋から被害が落ち着いていることから、原告側としても準備する余力があったでしょう。

つまり、これまでの集団訴訟のスケジュール感を踏まえると、そろそろ訴えられてもおかしくない頃合いなのです。

これまでの新型コロナウイルス感染症対策は、ゼロベースでの「手探り」でした。
だからこそ大変だったと思います。

一方、集団訴訟対応に関しては、役所にはこれまでの知見が蓄積されています。
ゼロベースではありません。先人の知恵を借り、巨人の肩に乗れるわけです。
ある意味、楽になるのではと思います。

定年延長対策としての採用抑制がついに始まる?

去年も一度触れていますが、令和5年度(2023年度)から地方公務員の定年延長がスタートします。
2年に1回のペースで定年が伸びていき、最終的には65歳が定年になります。
2年に1回、定年退職者ゼロの年度が発生するわけです。

定年退職者が発生しない最初のタイミングは、令和5年度の最終日、令和6年3月31日です。
令和6年4月1日時点では、これまでだったら定年退職していた満60歳の職員が、引き続き正規職員として在籍していることになります。

4月1日には、新規採用職員が発生します。
これまでは「3月31日に退職する職員(圧倒的に定年退職者が多い)」と「4月1日に採用される職員」のバランスをとることで、総職員数を調整してきました。

しかし、令和6年4月1日は、定年退職者が発生しないため「3月31日に退職する職員」が激減します。
そのため、「4月1日に採用される職員」の数を減らさないと、総職員数が大幅に増えてしまいます。


定年退職者が発生しない年度だけ採用数を減らすと、職員の年齢構成が歪になってしまいます。
とはいえ採用数を減らさないと総職員数が増えてしまいます。
どこの自治体も「財政が厳しい」と連呼しているところであり、総職員数を増やす=人件費が増えるという方向性は到底採れないでしょう。 

全国の自治体の人事担当者は、今まさに頭を抱えているところだと思います。
 
ここからは完全に私見ですが、定年延長対策として、今年から採用数を減らす自治体がけっこうあるのではないかと思っています。


令和5年度(令和6年3月31日)の退職者数が100人だとすると、令和5年度の新規採用(令和6年4月1日から働き始める人)を100人減らさなければいけません。

ここで、令和4年度の新規採用(令和5年4月1日から働き始める人)の時点で50人減らしておけば、令和5年度の新規採用は50人減で済みます。

特定の年度で100人減らすよりは、2年度に分けて50人ずつ減らしたほうが、年齢構成は歪みません。


上記の例は極端ですが、「採用減を2カ年に分散させる」という発想自体は、それほど珍奇とは思えません。
しかもここ数年は地方公務員試験の倍率が右肩下がりですし、何より「採用数を減らす」のは世間からウケます。

定年延長に伴う新規採用減少、公務員志望の学生さんたちにとってはかなりインパクトの大きい話題だと思うのですが、予備校はじめ公務員試験界隈ではあまり盛り上がっていないのが不思議で仕方ありません。
僕の空想なのでしょうか……?


ちなみに僕は本日から仕事です……
今年もがっつり残業&休日出勤を強いられそうですが、時間を見つけてぼちぼち更新していきます。

(追記)
年末年始にインターネットを徘徊していたところ、某所にて本ブログが「公務員面接対策において害悪な情報源」として真っ先に例示されているのを発見して爆笑しています。

実際、ご指摘のとおりだと思います。自覚はあります。
むしろ「害悪」と評していただけるほどに弊ブログを読み込んでもらえて、感謝しています。 

面接の場で、このブログに書いてあるような被虐系ネガティブ発言をしようものなら、ドン引きされるでしょう。
面接対策という意味では、弊ブログの主張を論破するようなポジティブ展開を考えてみると、思考のトレーニングになるかもしれません。
そういう突破力のある職員を役所組織は求めているでしょうし、面接受けも良好でしょう。

滑って自然消滅していく施策が多い中(具体的に何とは言いませんが)、「ふるさと納税」はすっかり定着しています。

制度として定着しているということは、それだけ利用者にとって実利があるのでしょう。
一方、制度を運営する側の自治体にとっては、悲喜こもごもといった状態だと思います。
歳入が増えて嬉しい自治体もあれば、手間と苦情がひたすら増えて疲弊しているところも多いと聞きます。

ただ、住民の納税意識への影響という意味では、悪影響しか無いと僕は思っています。
「行政サービスの対価として税を支払っている」という認識、いわば応益負担意識が、ふるさと納税制度のせいでやたらと強化されており、そのせいで税の本質的な役割が軽視されていると思えてならないのです。

再分配機能を忘れないで

行政サービスは本質的に、税を納めていようが納めていまいが、たくさん納めていようが僅かしか納めていまいが、必要に応じて利用できるものです。

むしろ租税には「富の再分配機能」という役割があり、税を払っていないほうが得をする仕組みともいえます。
生活保護がまさにこんな仕組みです。

しかし最近は、この「富の再分配機能」に異を唱える方が増えているように思います。
インターネット上のマネー特集には「税金の払い損」という表現が頻出し、「『取れるところから取る』という税の仕組みは間違っている!」というような賛同するコメントが多数寄せられています。

「富の再分配」という役割がある以上、「払い損」になるのは当然です。
「払える人」のお金を使って「払えない」人を救済するのが税の役割だからです。

税による「富の再分配」は、現在社会を回すための重要な前提であり、今更騒いでもどうしようもありません。
それなのに最近は「払い損は許せない」「払っただけの行政サービスを提供せよ」と怒り狂う方が増えているのです。

「払い損」状態を許せない方の増加の一因が、僕はふるさと納税だと思っています。
「富の再分配」という抽象的概念と比べ、ふるさと納税の「納税したら返礼品がもらえる」という仕組み、いわば「払ったら何かもらえる」という等式は、とても単純明快でわかりやすいです。
あまりにわかりやすいために、多くの方の税認識が変化しているのでは?と僕には思われるのです。

「損している」という自己認識がギスギスを生む

「税は応益負担であるべき」「払い損は許せない」という認識は、少なくとも二つの意味で、役所実務に悪影響を及ぼします。

一つは、「税を納めていない・納められない人」への敵対心の増幅です。
 
先にも触れましたが、納税の有無と行政サービスの利用可否の間には、本質的には関係がありません。
むしろ納税できないほど所得の少ない人を救済するのが行政サービスの重大な使命です。

しかし現状、この使命に対し、多くの方が疑念を抱いています。
最近だと「自営業者はこれまで何でもかんでも経費計上して税負担から逃げてきたんだから、コロナ禍で生活が厳しくても救済する必要なんて無い」という主張あたりが典型でしょう。

このような主張がまかり通るようになると、困窮者救済という行政の基本的な行政サービスが停滞しかねません。


もう一つは、「行政サービスを他人よりもたくさん使わないと勿体無い」という発想です。

この発想に行き着いてしまうと、必要としているわけでもないのに、まるで食べ放題やサブスクサービスで「元を取ろう」とするかのごとく、とにかく役所に使い倒そうとしてきます。

  • 窓口や電話口で雑談を続けて職員を長時間拘束する
  • 冊子やパンフレット、ノベルティ類を必要部数以上に欲しがる
  • 何でもかんでも値切りやアップグレードを要求してくる
具体的にはこういった行為を繰り返します。

「払い損」感覚がなくなるまで、他の人よりも行政サービスをたくさん受けるまで、とにかく役所を使わないと気が済まないのです。

こういった人に行政リソースを独占されると、本当に必要とすべき人のところに行政サービスを届けられなくなる危険が増してしまいます。
それに何より疲れます。

ふるさと納税が悪いわけではないのかもしれないが……

今回触れた
  • 非納税者への敵対心増幅
  • 「元を取る」「他人より得をする」ためだけに行税サービスを独占したがる人の増加
という事象には、地方公務員であれば大半の方が同意すると思います。

しかし、ふるさと納税がこれらの一因であるという僕の自説には、納得いただけない方も多いでしょう。

ただ、「ふるさと納税してやってるんだから〇〇くらいやれよ!」という決め台詞とともに個人的便宜を要求してくる方を何度も相手にしている身としては、どうしても無関係とは思えないのです。

首長選挙にしても議員選挙にしても、やるたびに投票率が下がってきている気がします。

以前の記事でも触れましたが、投票率が低下すればするほど、当選に必要な得票数(絶対数)が減少します。
必要な得票数が少なければ、特定の属性(居住地域、職業、年齢など)からの票さえしっかり抑えておけば、当選できてしまいます。
たとえ世間一般からの評判が芳しくなくても、コアな支持母体がいれば、そこからの票だけで勝てるのです。



こういう人が当選した場合、もちろん支持母体にメリットのある施策にばかり注力します。
投票率が急上昇しない限り、支持母体からの人気さえ保っておけば、次も安定して勝てるからです。

これは好ましい状況ではありません。住民の分断が深刻化してしまいます。
自治体職員という立場でいうと、理不尽なクレームの原因になります。
支持母体からはやたら高圧的に注文をつけられますし、支持母体以外からは「利権だ」「不公平だ」という苦情が相次ぎます。

こういう状況を避ける(というより現状がこんな感じなので、ここから改善していく)ためには、まずは投票率を上げて、「支持母体さえケアしていれば次の選挙も余裕で勝てるし」という舐めプ政治姿勢を改めてもらうのが、地味ですが手っ取り早いと思います。

自治体としても「投票率の低迷」を問題視しており、平時から色々な策を使って投票啓発を行なっています。
選挙期にはポスターを作ったりテレビ・ラジオCMを流したりして、投票を呼びかけます。

ただ冷静に考えてみると、こういう投票啓発、特に直前期の広報活動は、単に「投票率を高める」のみならず選挙結果そのものにも大いに影響を与えそうな気がしています。


文面以外にも副次的なメッセージがたくさん潜んでいる

「投票に行こう」というポスターが見た人が受け取るメッセージは、「投票に行こう」という表面的なものだけではありません。
認識できるもの/無意識下で機能するもの、ともに他にもたくさんの要素があります。

代表的なものは、「ハロー効果」「プライミング効果」のような心理学的影響でしょう。

こういった要素のせいで、投票啓発広報は、単に「投票に行く」という行動を誘発するのみならず、投票先の選択をも左右するかもしれないのです。

特に、ポスターやCMに芸能人を起用する場合は、かなり複雑に心理学的効果が機能すると思います。
芸能人本人のパーソナリティに加え、過去に演じた配役も少なからず影響してきそうだからです。

例えば、代表作が「半沢直樹」の俳優が「選挙に行こう」とガッツポーズを組んでいるポスターを見たら、現職よりも新人に投票したくなりませんか?
今回の選挙とドラマの内容とが自然とリンクして、「現体制は駄目」「確変を起こさねば」という気がしてきませんか?

しかも、投票啓発広報を見て投票に行くような層はもともと政治への関心が低く、確固たる政治思想を持っているわけでもなく、候補者のことをわざわざ調べもしないでしょう。
そのため、心理学的効果の影響を強く受けた状態で投票してしまいがちだと思われます。

国や自治体の選挙担当者も、余計なメッセージが混ざりこまないよう、広報内容には細心の注意を払っていると思います。
ただそれでも、無意識下で働く心理学的影響まで完全に除去するのは困難でしょう。
多かれ少なかれ、投票啓発広報の中身は、選挙結果に影響を及ぼしていると思います。

 

どういう層の投票行動を促すのか次第で結果が変わる

万人に刺さる広報は存在しません。
投票啓発広報も同様です。
使用媒体やメッセージ文言、紙面デザイン等の要素次第で、刺さる層が変わってきます。

言い方を変えると、投票啓発広告によって行動を変える人(もともと投票に行くつもりが無かったが、広告に触れて考えを改め投票することにした人)の属性は、けっこう偏ると思われます。

そして、どのような層の行動変容を起こすか、いわば「得票の発掘」を行うか次第で、選挙結果にも影響が及んでくると思っています。

例えばメインビジュアルにキッズモデルを起用したポスターだと、パパママには刺さりますが、僕みたいな独身者にはさほど効果は無いでしょう。
そのため、パパママの投票率は向上しても、独身者の投票率は変わりません。
独身者よりもパパママの得票率のほうが高くなれば、結果的に、子育て世帯にメリットのある施策(保育や教育の充実など)を訴える候補者が当選しやすくなるでしょう。


揉めないよう注意するくらいしか対策できないか?

つまるところ、投票啓発広告は
  • 広報そのものの見えざる影響
  • どういう層の投票を誘発するのか
という二つの面で、選挙結果を左右すると思われます。

「結果を左右」とまでは言えなくとも、選挙の争点を設定するくらいの影響は確実にあると思います。

自治体の投票啓発広告はあくまでも「投票率の改善」を目的としており、選挙結果に影響を及ぼしてしまうのは好ましくありません。
とはいえ一切影響を出さないことも不可能で、せいぜい後々問題にならないよう、公平中立な立場を保つよう注意するのが精一杯でしょう。

世の中には「選挙コンサルタント」なる職業があるらしいです。
今回僕が考えたようなことも含め、投票行動にまつわる様々な心理的要素を駆使して、クライアントを勝利に導くのでしょうか……?

現役地方公務員の方は、たいてい「地方公務員の仕事はルーチンワークだ」と自ら評します。
特に元職の方は必ずそう言いますし、かつ地方公務員を辞めた理由の一つとして「ルーチンワークに耐えられなかった」と開陳している方も多いように思います。

一方、「地方公務員の仕事は標準化・マニュアル化されていなくて非効率」という声も絶えません。

ここで個人的に疑問なのが、「マニュアル化/標準化されていないルーチンワーク」というものは、そもそも存在するのか?という点です。

「ルーチンワーク」という言葉の定義は、
 


手順・手続きが決まりきった作業。日課。創意工夫の必要ない業務。




とのこと。

言葉の定義を見ても、ルーチンワークは「マニュアル等により手順が決められている結果、単調な作業になっている」仕事なのでは?と思われます。

「地方公務員の仕事はマニュアル化されていないけどルーチンワークだ」という一見矛盾する主張は、「ルーチン」の期間を考慮すると両立します。

1日〜1ヶ月くらいの短サイクルで「ルーチン」を捉えるならば、地方公務員の仕事はルーチンだとは思いません。
ただし、一年以上の長期サイクルで「ルーチン」を考えるなら、確実にルーチンワークだと言えるでしょう。

単調な日々が続くわけではない

地方公務員の仕事は、世間からは「単調なルーチンワークだ」という印象を強く持たれています。
 僕の場合、住民から「刺身にタンポポを乗せるほうが刺激的」だと言われたことがあります。
 

 
スーパーの元鮮魚担当だった方から以前聞いたのですが、刺身にタンポポを乗せる仕事は実際ルーチンワークではなく創造性の塊とのことです。
 
タンポポをいかにうまく乗せるかで見栄えが激変して売行きに直結しますし、乗せ方を工夫すれば原価を抑えられ(「つま」「バラン」を削減できる)利益率に直結するらしいです。
「単純作業の代表例扱いされてるのが納得いかない」と憤っていました。
 



もしかしたら地方公務員志望者からもそう思われているかもしれません。
単調作業でそこそこの給料がもらえる!と期待して試験勉強に励んでいたり……

地方公務員の仕事は単調だとは、僕は思いません。
 
地方公務員の仕事のかなりの部分を占める「内部調整業務」は、マニュアル化が困難なコミュニケーション中心の業務であり、場当たり的に「柔軟な」対応が求められます。

マニュアル化されていてフローが決まっている業務もたくさんあるものの、そういう業務であってもマニュアルではカバーしていないイレギュラーな事態が連日のように発生して、その都度「新しい対応」を迫られます。

もちろん役所内には、ルーチンワークと呼んで差し支えないような単調な業務もあります。
ただ最近は、こういう仕事は会計年度任用職員の方か再任用職員の方がこなしていて、正規職員は関わりません。

僕は以前から、簡単な「業務日誌」を認めているのですが、ネタに困ったことはこれまで一度たりともありません。
毎日何らかのハプニングが発生しています。非常事態が日常です。

1年間の流れはいつも同じ

一方、一年スパンで見ると、地方公務員の仕事は確実にルーチンワークと言えます。
 
全庁共通の年中行事(中でも議会と予算)が、仕事の大きな割合を占めているからです。

役所内にいる限り、どんな部署に配属されようとも、どんな役職に就こうとも、年中行事からは逃れられません。
毎年同じような時期に、準備開始〜しこしこ作業〜上司や財政課のヒアリング〜本番〜終了後の後始末〜というサイクルを回すことになります。

しかも役所の場合、経験を積んで職位が上がるほど、仕事に占める年中行事の割合が大きくなります。
民間企業であれば、職位が上がるほど裁量が効き自由度が上がる、つまりルーチンから解放されていくところ、役所は逆に職位が上がるほどルーチンに縛られていくとも言えるでしょう。

僕はこの4月から外部団体に出向しており、そろそろ半年が経過します。
役所を離れて議会とも予算とも無縁の生活を経験したことで、地方公務員の仕事に占めるこれらのウェイトの大きさを痛感しているところです。

ルーチンワーク=悪、とは限らない

まとめると、地方公務員の仕事は
  • ルーチンのサイクルを短く捉えるならルーチンワークではない→「毎日同じ作業を繰り返す」わけではない
  • ルーチンのサイクルを長く捉えるならルーチンワークといえる→「同じような一年」をずっと繰り返す
と言えるでしょう。

インターネットで情報発信している方は皆さん仕事熱心で、ルーチンワークは悪であると断じています。
成長につながらないし、何よりつまらないからです。

ただ僕は、必ずしもルーチンワークは悪ではないと思います。
同じような日々が続くということは、予見可能性が高いということであり、安定的であるといえます。
このような仕事に魅力を感じる方も多いでしょう。
特に家庭を持つと、仕事においては、刺激的な日々よりも安定感を重視するようになると思います。

人生全体がルーチン化されていたら流石につまらない気がしますが、あくまでも人生の一部分にすぎない仕事だけに限っていうのであれば、善悪ではなく価値観の問題なのでしょう。
 

就職する前は誰しもが「残業は嫌だ」「残業の少ないところに就職したい」と思うものです。
「残業が少ない」という理由で地方公務員を目指している方もいるかもしれません。

ただ実際に働き始めてみると、多少の残業はアリだと宗旨替えする方も結構います。
特に地方公務員の場合は若いうちの給与水準が低いので、残業代欲しさに残業許容派に転じるパターンが多いです。

残業の負担感は人それぞれです。
一般的な基準として「原則45時間/月」とか「80時間/月の過労死ライン」がありますが、人によっては月100時間残業でもこなせますし、月30時間でダウンする人もいます。

「残業をどれだけ負担に感じるか」、いわば残業耐性は、実際に残業してみないとわかりません。
「平均〇〇時間/月の残業」と端的に示されたところで、それが自分にとってどういう意味を持つのか、その残業がどれだけ自分にとって負担なのか、やってみるまでわからないのです。

とはいえ、残業の負担感がどれほどのものなのかは、働き始める前に知っておきたいポイントだと思います。
また、まったりした出先機関に配属された地方公務員にとっても、いずれくる本庁勤務の負担がいかなるものか、気になるところでは?

今回は残業に対する僕の主観的負担感を紹介します。
僕は典型的なロングスリーパー(毎日8時間は寝たい)で、かつ体力も無く、偏頭痛&貧血持ちで、残業耐性はかなり劣るほうだと思います。
「雑魚だとこれくらい苦痛なのか……」という観点で読んでもらえれば。

※残業の負担感は、業務内容よっても大きく変わります。
 本記事では残業時間中も定時内と同じような仕事を続けていると想定します。


月30時間以下 →余裕あり

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遅くとも19時30分までには毎日退庁できる生活です。
この程度なら負担感はありません。定時退庁生活と大差ありません。

生活にも支障はありません。せいぜい夕飯前の自由時間がなくなる程度です。
それほど疲労感が無いので、夕飯〜就寝までの時間にがっつり勉強したりブログ書いたりする余力もあります。

この程度の残業時間だと、時間外勤務手当が支払われない自治体も多いと思われます。
「20時以降まで残業しないと時間外勤務手当の申請ができない」とか、「定時から1時間は必ず休憩時間(=時間外勤務手当が支払われない)に設定する」あたりのローカルルールは、僕自身よく聞きます。

月31時間〜45時間 →自由時間が減るけど心身はまだ余裕

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19時退庁が標準、週一で21時まで残業するような生活です。
本庁だと、閑散期でもこれくらいの残業がデフォです。

疲労感はあまり感じないものの、座っている時間が長くなってくるせいなのか腰と膝に違和感を感じ始めます。
平日の自由時間はかなり少なくなってしまいますが、睡眠を削るまでは至らず、一晩寝れば体力を全回復できます。
翌日まで疲れが残らないので、一年間ずっとこれくらいの残業が続いたとしても大丈夫です。

ただし、小さなお子さんのいる家庭だと、食事やお風呂、寝かしつけのようなお世話関係でかなり時間を取られ、このくらいの残業時間からしんどくなってくると聞きます。
自分の睡眠時間が削られて体力的にしんどいだけでなく、子育てに参加する時間がそもそも確保しづらいです。

月46時間〜60時間 →しんどいけど耐えられる

スクリーンショット 2021-07-04 22.11.12(2)
毎日20時〜21時退庁という生活です。
僕みたいな閑職勢を除けば、本庁勤務職員はだいたい毎月これくらい残業していると思います。

僕の場合、50時間を超えたあたりで急にしんどくなってきます。
睡眠時間をきちんとキープしたところで、疲労が溜まっているのか、一晩寝ても完全回復には至りません。
偏頭痛を起こす頻度も増えて、少なくとも週一ペースで頭痛薬のお世話になります。

週前半と週後半では明らかに業務効率が違います。
生産的な仕事は水曜日までしかできません。木曜日と金曜日は頭が回らず、単純作業をこなすので精一杯です。


観光関係部局に在籍していた頃、ちょうど毎月50時間残業ペースで仕事していたのですが、クリエイティブ要素のある仕事(広報用文章やビラデザインの作成など)は必ず水曜日までに仕上げることにしていました。 
木金にクリエイティブな作業をしようとしても頭が働きません。



主観的にしんどくなってくるとはいえ、土日を挟めばちゃんと回復できます。
一年間ずっとこの生活が続いても耐えられます。嫌ですけど……

月60時間〜87時間 →せいぜい3ヶ月が限界

スクリーンショット 2021-07-04 22.09.48(2)
毎日21時〜22時退庁、かつ月2回ペースで休日出勤する生活です。
87時間という半端な時間は、僕が経験した最長残業時間です。これ以上は未知の領域です。

ここまでくると睡眠を削らざるを得なくなり、明らかに体調が悪くなってきます。
  • 朝起きれなくなります
  • 食欲が落ちます(特に朝昼)、かつ味の濃いものでないと箸が進みません
  • 肩こり、腰痛、膝の痛みが顕著です
特に食欲の落ち方が激しく、「栄養補給するための栄養が足りない」かのような悪循環に陥ります。

仕事の効率も明らかに低下し、自分でもよくわからない行動が増えます。
参照しようとしているフォルダとは全然違うものを開いたり、せっかく作成した資料データを保存する前に閉じてしまったり、単純な誤字脱字を繰り返したり……

ただし、なぜか働いている間は元気なんですよね。
職場を離れた途端に心身の疲労を自覚して、急に体が重くなります。
脳内麻薬が出ているのかもしれません。

一日の疲労感のピークは、翌朝の起床時です。
金曜日の朝なんかはなかなか起き上がれません。
眠気の有無とは関係なく、とにかく起き上がるのがしんどいのです。

これがエスカレートすると、「体が動かない」に達するのかと思われます。


せっかくの休日もほとんどエンジョイできません。
とにかく疲労感がひどく、寝転がってインターネットを眺めるくらいしかできません。


僕の場合、月60時間超の残業が連続したのは、せいぜい3ヶ月間です。
正確にいえば65時間・87時間・70時間で推移しました。

この時は、人間関係が過去最高に良好な職場で、かつ僕は気楽な立場(単純作業だけやっていればいい)であり、長時間残業とはいえかなり負担は軽かったです。
それでも明らかに体調が悪くなりました。
もし財政課や企画課のような高負荷の残業内容であったら、耐えられなかったかもしれません。

残業時間よりも「人間関係」のほうが重要か?

残業の負担感は、個人の残業耐性だけでなく環境要因にも大きく作用されます。
和気藹々とした職場であれば負担感は軽減されますし、ギスギスパワハラ環境であれば短時間であっても苦痛です。

個人的には、月45時間以下であれば、さほど恐れなくともいいと思っています。
問題は労働時間よりも労働環境、特に人間関係です。
「パワハラ環境で残業ゼロ」と「人間関係良好な環境で月60時間残業」であれば、即座に後者を選びます。


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