キモオタク地方公務員(県庁職員)のブログ

地方公務員の人生満足度アップを目指しています。地方公務員志望者向けの記事は、カテゴリ「公務員になるまで」にまとめています。

カテゴリ: 公務員の日々の仕事

「移住促進」は、いまやほとんどの自治体の主要施策の筆頭格として定着した感があります。
過疎化に歯止めをかけ、地域を活性化させる切り札として、多くの自治体が手厚い補助金制度を設け、PR動画を作ったりイベントを開催したり、マスコミ露出を増やしたり等々の施策を駆使して、都市部からの呼び込みに心血を注いできました。

しかし、こうした施策が真に「奏功している」と言えるのかというと……かなり疑わしいです。
成果を上げている自治体も中にはあるのでしょうが、ほとんどの自治体は苦戦していると思います。

そもそも、移住施策の成否を客観的に判断することは困難を極めます。
この記事を書くために「移住者の人数の推移」を調べようとしたのですが、そんな数字は存在しないんですよね……
これだけ多くの自治体が血眼になって乞い求めている「移住者」は、実は定義が曖昧であり、統計的な裏付けとなる正確なデータが存在していないのです。
「住民票を移した数」はわかるものの、これだけでは、その動機や定着の実態までは見えてきません。

一方、近頃では、定住にこだわらない「二地域居住」や、特定の地域と多様に関わる「関係人口」という言葉が、新たなトレンドになっています。
僕はこうした概念の台頭こそが、当初目指していた「移住」が立ち行かなくなっている現状の裏返しであると考えています。

地方への移住が進まない原因はいろいろあるのでしょうが、僕はその一つが、「リモートワークの普及」ではないかと考えています。
どこでも働ける自由が、かえって拠点を移す決断を遠ざけているという逆説について、掘り下げてみたいと思います。

「都会に住んで地方に携わる」という「いいとこ取り」選択

本来、リモートワークの普及は地方移住を強力に後押しする追い風と位置付けられていました。居住地と勤務地を切り離すことができれば、都市部での仕事を維持したまま、生活の拠点だけを自然豊かな地方へと移すことが可能になるからです。
「仕事のために都会に留まらなければ」という制約から解放されることは、移住への心理的・経済的ハードルを劇的に下げると期待されてきました。

しかし、この「場所を選ばない働き方」は、同時に全く逆の現象をも引き起こしました。
都会にいながらにして、オンラインで地方の仕事に携わることもまた、容易になったのです。

現状を俯瞰すると、実は後者の影響の方が大きいのではないでしょうか。

地方へ移住する人たちの最大の目的は、自分の「やりたいこと」の追求です。
都会の喧騒を離れ、理想のライフスタイルを追求することは、多くの現代人にとって抗いがたい輝きを放っています。

しかし、その輝かしいメリットの裏側には、無視できないほど重い現実的なリスクとデメリットが横たわっています。
都市部から地方へ拠点を移す際には、多くのものを手放さざるを得ません。
それまで築き上げてきたキャリアの連続性は途絶し、多くの場合、収入の大幅な減少を覚悟しなければなりません。さらに、移動手段や商業施設・文化施設といった生活インフラの質の変化、そして長年培ってきた濃密な人脈からの断絶。これらは、単なる不便さを超え、個人の生存戦略における大きな損失となり得ます。
移住を検討する方々は、常にこの「理想」と「現実」を天秤にかけていることと思います。

そして、この天秤のバランスを劇的に変えてしまったのが、リモートワークという選択肢です。
わざわざ移住という高いリスクを冒さずとも、オンラインを通じて地方のプロジェクトに参画し、社会貢献や自己実現を果たす。このような形で、都会の安定した収入や便利なインフラを維持したまま、地方に関わるメリットだけを賢く享受するという選択肢が容易になりました。

もし、自分一人の身軽な立場であれば、夢や希望の赴くままに未踏の地へ飛び込む決断もできるでしょう。
しかし、守るべき家族がいる場合、話は別です。配偶者のキャリアや子供の教育環境、将来の家計の安定を考えれば、あえて大きなリスクを背負うよりも、リスクを最小限に抑えながら理想を追う道を選ぶのは、むしろ自然で理にかなった判断といえます。
移住という「一点突破」の選択肢が選ばれにくくなっている背景には、こうした生活者としての切実な合理性が働いているのだろうと思います。

ゼロリスクミドルリターンの「関係人口」を増やすことがwin-winか?

昨今、自らのキャリアを主体的に構築する「キャリアプランニング」の重要性が広く説かれています。
こうした風潮の中で改めて「移住」を捉え直すと、それは単純なキャリアの上積みではなく、積み上げてきたキャリアを一度断ち切る「リセット」という側面を強く持っていることに気づかされます。

特に、都市部で着実に実績を積み重ねてきた優秀な人材ほど、その損失を危惧するのは当然です。地方自治体が求めている「高度なスキルを持つ人材」こそ、移住という大きな決断に対して慎重、あるいは及び腰になるという皮肉な構造が浮かび上がります。

こうした実情を鑑みれば、自治体が多額の予算を投じて移住者の数だけを追い求める姿勢には、どこか現実味を欠いた「神頼み」のような危うさを感じずにはいられません。

そう考えると、最近の「関係人口」ブームは、実に合理的だと思います。
参画する人(=移住してくる人)に過大なリスクを背負わせる、現代の人身御供みたいな移住施策よりも、参画する人の裁量で関わり方を調整できる「関係人口」の創出に注力する方が、はるかに現実的で、健全だと思います。

※あとがき
本記事は生成AI(Gemini)の力を借りつつ書きました。
1000文字くらいのプロットを僕が書いてから「このプロットをベースに、わかりやすくなるように説明を足して」みたいなプロンプトで3000文字くらいまで膨らませた後、取捨選択してこの文面に落ち着きました。
2年前にAI使ってブログ書こうとした際よりも、確実に使いやすくなってます。すごいです。

テレビや新聞では、国会議員の動向が連日詳細に報じられています。
仕事面のみならずプライベートまで赤裸々に報道されていて、気の毒にすら思えてくるほどです。「任期中の国会議員には一時の安息も許さない」という、主権者たる国民様の思し召しなのでしょうか。

一方で地方議員は、市町村議にしろ県議にしろ、新聞にもテレビにも滅多に登場しません。
地方議員がメディアに登場するのは、セクハラや政務活動費の不正使用といった不祥事が発覚した時くらいで、普段の活動は全く取り上げられません。
選挙のたびに、新聞もテレビも「議員に対しては、選挙の時だけでなく当選後の活動にも注視すべき」みたいな説教を垂れていますが、当のメディアが全く注視していないんですよね……

地方議員の先生方は、行事を主催したり、地域や業界団体の代弁者として行政に物申しに行ったり……等々、日々いろいろな活動に取り組んでいます。
若手議員の中には、ホームページやSNSでの自身の活動を公表している方もいますが、これらの取り組みがメディアで取り上げられることは滅多にありません。
似たような活動をしているNPOは大々的に取り上げられるのに、地方議員は全く取り上げられないんですよね。

中央メディアにしろローカルメディアにしろ、なぜ地方議員の活動を報じようとしないのか、僕は入庁当時から不思議に思っていました。
今もこの疑問は全然解消できておらず、相変わらず不思議で仕方ないのですが、最近はこの報道姿勢がどのような結果を生んでいるのか、少しわかってきました。

地方議員が背負わされる不条理な責任

ひとつ確実に言えるのは、地方議員のメディア露出が少ないせいで地方公務員は不利益を被っています。
本来が地方議員が負うべき責任が、不当に地方公務員へとなすりつけられています。

国政においては、突拍子もない政策が実施された場合、実務を担当する国家公務員だけでなく、政策を発案・推進した国会議員も等しく批判の矢面に立ちます。
しかし地方自治体の場合、どのような施策であっても、まるで役所(地方公務員)が独断で発案したかのような報道がなされがちです。

議員が発案して強硬に推し進めた施策であっても、発案者議員の名前は表に出てきません。あくまでも「役所が自らやりたくてやっている」かのように報じられます。
その結果、「地方公務員は愚昧だ」「税金泥棒だ」といった心ない罵詈雑言を浴びせられることになります。

議員が発案した政策であっても批判と責任はすべて地方公務員が肩代わりさせられるという理不尽な構造のために、仕事への意欲を失う職員も少なくありません。

そもそも地方公務員は「公僕」であり、主権者たる国民の代表である議員が決定したルールを粛々と執行する立場にあります。
地方公務員が事業を自ら「発案」しているかのような報道は、あたかも役所や地方公務員が政策の意思決定者であるかのような誤解を助長しており、明らかにミスリーディングと言わざるを得ません。

一方で、地方議員の発案がプラスに働くこともたまにあります。
例えば、議員の紹介(ごり押し)で登用された人や企業が想像以上に有能だったり、ごく少数の住民が猛烈に反発したせいで事業が頓挫しかけた際に、議員が仲介役として奔走してくれたおかげで反対派が心変わりして地域全体が合意に到達する……といったケースが挙げられます。
しかし、こうした地方議員の功績もまたメディアは取り上げず、役所や首長の手柄にすり替わってしまいがちです。

つまるところ、メディアが地方議員の活動や言動をあまりにも取り上げなさすぎるせいで、主権者は地方議員に関する情報に触れる機会が無く、適正な評価ができていないといえるでしょう。
このような状況では、有権者が選挙において候補者を公正に評価することは困難であり、そもそも地方議員選挙への関心を喚起することすら困難と言えるでしょう。

メディアから注目されないから地方議員はまったり暮らせている

あくまでも僕の私見ですが……地方議員は、メディアからの注目されていないという現状に、甘んじているのではないでしょうか。

もしメディアに頻繁に取り上げられるならば、発言や行動に細心の注意を払い、より幅広い支持を得られるよう(あるいは炎上しないよう)腐心しなければなりません。
しかし現状では、何をしてもメディアはスルーしてくれるので言動に気を遣う必要はありません。

もしさらに勢力を拡大したいのであれば、メディア露出が増えたほうがいいのでしょうが、現状は投票率が低く、再選目的であれば知名度向上・人気取りは必要ありません。従来のコアファンを維持していれば十分であり、そのためにはメディア露出は不要です。
むしろ、特定の支持層のみに向けた活動に終始し、意図的に影響範囲を限定することで、他の議員の票田を侵食するリスクを回避しているようにも見受けられます。

近年、役所もネット上での炎上に敏感になっており、議員からの要請がなくとも、有権者がSNSで苦情を呈すれば行政が迅速に対応する時代になりました。
これは間接民主主義から直接民主主義への移行を示唆する現象とも解釈できます。
政治体制の優劣は別として、地方議員の存在感が希薄化し、その必要性自体が疑問視されているのは紛れもない事実です。
「議員は無用の長物」という漠然とした認識が広がり、議員という職業の社会的地位も低下の一途を辿っています。

自らの地位保全のためにもメディア露出したほうがいいのでは

昭和期の高度経済成長を経験した高齢者世代は、多分「地方議員のおかげで近所の開発が進んだ」などの記憶があり、地方議員へのリスペクトを持っているのでしょうが、その下の世代はそのような恩恵を受けておらず、地方議員=「よくわからないけど威張ってる人」くらいのイメージしか持っていないと思います。
もう少し世代交代が進めば、地方議員を重要視する人が一気に減少し、地方議員の地位はますます低下していくと思います。

しかし実際のところ、地方議員の方々はいろいろと仕事をしています。その働きが役所に対して害をなす場合も多々ありますが、それでも誰かの役に立っているのは間違いありません。

「有権者のため」という教条はもちろんのこと、「自らの地位を保全するため」という極めて利己的な理由においても、地方議員は今後もっと積極的にメディア露出を図ったほうがいいのではと思います。

地方公務員として働き始めて驚いたことの一つが、本県内のローカルニュースに対してわざわざブチギレてくる「県外の方」がとても多いことです。

新しい開通したバイパス道路に対して「無駄だ!」と数十分間怒声を上げ続けてきたり、過疎化が進んで開催が見送られることになった地域のお祭りに対し「どうして支援しないんだ!」と金切り声を上げられたり……これまで所属してきたどの部局でも、うちの県のローカルなニュースに対し声を荒げて抗議してくる電話クレームを何度も受けてきました。

Yahoo!ニュースのコメント欄やSNSでは、日々のローカルニュースに対して誰かしらが持論を展開して批判を展開しています。中にはバズって拡散されるものもあり、自ら批判文を綴るほどではなくても、居住地域外のローカルニュースに対して感情的に反応する人がかなり多いことが窺われます。

県外の方からこのような苦情電話・メールを受けたり、本県のローカルニュースがネット上で炎上するたびに、心底不思議思いました。
この方々は、自分には何の利害も無い県外のローカルニュースに対して、どうしてそこまで本気で怒れるのか。
この疑問が長年解けずにいました。

去年の秋頃、僕の勤務先県庁でもちょっと世間を賑わせた話題があり、この類のクレームを傾聴する機会が例年以上に多かったのですが……何人も連続して罵詈雑言を拝聴するうちに、ふと気づいたのです。

彼らが怒るのは、悪意からではなく、「情報が足りていない」からなのではないかと。
具体的には、事実の経緯や背景、そして言語化しづらい非言語情報の欠如が、誤解や感情的反応を増幅させているのではないかと考えています

ローカルニュース報道は不完全

我々が、ある出来事に対してどう評価するかを決めるとき、その「事実」そのものよりも、それに至る経緯や背景に強く影響を受けます。

たとえば、とある過疎地域に新しいバイパス道路が完成したとします。
「過疎地域に新しいバイパス道路が完成」という事実だけ見れば、大抵の人は「無駄だ」と思うでしょう。

しかし、
  • 災害で壊れた周辺道路を廃道にすることが決まっており、今後この新しいバイパス道路が唯一のアクセス手段になる
  • 過疎地域を経由して都市部と都市部をつなぐ機能があり、人流・物流の効率化につながる
  • この地域に新しく産廃処理施設が建設される見込みで、交通量はかなり多い見込み
このような事情や経緯があると知れば、見方はがらりと変わるはずです。

ローカルな話題はとりわけ、その土地固有の事情が色濃く表れるものです。
結果として生じている事実のみならず、その背景や経緯といった周辺情報を含めて把握しないと、正確な理解はできないと思います。

しかし、ニュースとして配信される際には、文字数や構成の制約もあり、「事実」が優先的に取り上げられ、周辺情報はそぎ落とされてしまいます。

周辺情報を知らないから筋が通っていないように見える

このようなローカルニュース報道の宿命——「事実だけが報道され、周辺情報は報道されない」という報道のあり方が、遠方のローカルニュースに対してキレる方が多い原因でないかと思っています。

その事実の評価にあたり重要である「周辺情報」を保有していないがために、一種の誤解が生じて、筋が通っていないように感じられるので、怒りを覚えるのです。

さらに言えば、周辺情報=「その地域特有の事情」の代わりに、「自分の生活圏で培った価値観や常識」を当てはめて評価しようとするので、評価を誤るのだと思います。

つまり、ローカルニュースの炎上とは、ある地域特有の文脈で生じた出来事が、その文脈を失った状態で全国に拡散され、異なる文脈を持つ人々によって再評価されるという、「文脈の衝突」から生じる現象なのだと思います。

実際、県外の方からの義憤クレーム対応では、背景や経緯といった周辺情報をきちんと伝えると、大抵納得してくれます。
とはいえ、素直に引き下がる人はごく少数で、「そういう事情があるなら最初から説明しろ!お前らの情報発信のあり方が悪い!」というふうに、自治体広報のあり方へと怒りの矛先がシフトして、もうワンセットお叱りを受けるのが定番ですが……

周辺情報をきちんと調べたうえで批判してくる方は、ごくごく少数です。多くの方は報道内容だけで物事を判断しており、わざわざ自分から追加リサーチする方は本当に少ないのでしょう。
大多数の「誤解して怒っている方々」とは異なり、こういう方の批判は聞くに値します。

炎上前提の世界へ

つまるところ、ローカルニュースをネタにする報道機関が、ちゃんと周辺情報もうまくまとめて併せて発信してくれれば、県外在住の方からの苦情はだいぶ減るのではないかと思うのですが……「尺が足りない」という根本的な制約はどうしようもなく、期待するだけ無駄なのだろうと思います。
ゆえに、自衛が必要だと思います。

まず、自分自身が情報の受け手としての心構えを見直すことが肝要です。
違和感を覚えるニュースに遭遇した際は、即座に感情的反応を示すのではなく、その背景や経緯を丹念に調査する姿勢が必要でしょう。
周辺情報を十分に把握した上で改めてニュースを検討すれば、当初感じた違和感が氷解するケースが少なくないというのは、苦情対応実務を通して、身を持って理解しています。
同じ轍を踏まないよう、自分自身がちゃんと周辺情報を調べるよう注意したいところです。

一方、情報の発信者としては、どんな話題であれ「誤解されて炎上する」ケースを想定すべきなのだと思います。

今の世の中、炎上を未然防止するのはもはや無理です。
ゆえに僕は、ある程度の炎上は避けがたいものとして受け入れたうえで、事後の説明や対話の準備を怠らないという発想が重要だと思っています。
つまり、「炎上しないように行動する」ではなく「炎上しても弁明できるよう備えておく」という姿勢です。

前提知識や経緯、非言語情報を共有していない不特定多数の方々に対する広報活動は、極めて困難を伴います。炎上を恐れるあまり表現を抑制し続ければ、最終的には官報のような無味乾燥な事実の羅列に終始するほかなくなってしまいます。

幸いにして現在は、組織のトップを含め、炎上がもたらす悪影響への認識が随分浸透してきて、役所内にも「炎上回避」のノウハウが蓄積されてきていると思います。
これからはさらに一歩進んで、炎上後の「消火」技能を高めていくことが求められるのではないでしょうか。
すなわち、一定程度の炎上はやむを得ないものとして覚悟しつつ、炎上後に適切な説明や振る舞いを即座に取って、「延焼を最小限に抑え」「さっさと忘れてもらう」技術です。

諸説ある県庁出世コースですが、人事・財政・企画の3部局に関しては概ね誰もが同意するところです。

このうち人事と財政は、役所という組織を存続させるためのルールを運用する部署(むしろルールそのものと呼んでも過言では無いかも)であり、多少の外圧では動じない・変わらないことが求められます。

一方で企画部局は、新しい課題を続々と処理することが求められ、ルールも手順も無いところを、自ら開拓していかなければいけません。
同じ圧倒的出世コースであっても、企画部局は毛色が異なります。



多忙度(残業の多さ)でも、人事・財政と企画の間には、大きな差があります。
人事・財政は不夜城です。特に、人事課の人事異動期、財政課の当初予算編成時期は、月間200時間くらいの残業が当然のように発生しています。
一方で企画部局は、業務量はそれほど多くはなく、残業時間も人事・財政よりは少ないです(もちろん安定して定時帰宅できるわけではありません)。
どこの県庁でも、このような傾向があるのではないでしょうか?

しかし最近、僕の勤務先県庁では、企画部局の残業時間が激増しています。
「ストレスは多いけど早く帰れる」という評価が崩れ、「ストレスも残業も多い」という地獄へと変貌を遂げつつあるのです……

ぶん投げられる新規事業が増えている

本題に入る前に、本稿でいう「企画部局」について整理しておきます。

ここでいう企画部局とは、以下のような業務を担当する部局です。
  • 全庁的・中長期的なプランを策定する業務
  • 新しく生じた課題を一旦引き受ける業務

前者は、俗にいう「総合計画」や「長期構想」、「基本方針」のような、今後5〜10年間くらいの大まかな施策の方向性を定めた文書を策定する仕事です。
これは企画部局の固有業務(人事課でいう人事異動、財政課でいう予算編成)であり、どこの自治体でも企画部局が担当していると思います。

後者は、首長や住民、議員などが発案した新規事業を形にしたり、国が省庁横断的に設定した課題(地方創生など)に対応する業務です。
乱暴な言い方をすると、ぶん投げられた無茶振りをこなす仕事ともいえます。途方もない目標を勝手に設定されて、それを実現するための方法をひたすら考えて実行に移していきます。
こちらの業務は、企画部局が引き受けると決まっているわけではなく、他の部局では対応できない案件が、消去法的に企画部局に回されてきます。


ここ最近で増えているのは、企画部局の業務の中でも後者のほうです。
いろいろと社会課題が増えて、自治体に対する無茶振りが増えているのもありますが、それ以上に役所内の業務の振り分け方が変わってきました。

従来は他の部局が対応していたような案件、例えば
  • 既存の制度の延長線上にあるような業務
  • 省庁横断ではなく所管省庁が特定の1省庁だけの業務
  • 土木、農学、医療のような技術的専門知識が必要な業務
こういった案件までも、企画部局で対応しているのです。

企画部局で対応する案件の増加に伴い、冒頭で述べたとおり、残業時間も激増しているようです。

企画部局以外だと新規事業を回せない

企画部局にいる知り合いに聞いてみたところ、「全庁的なマンパワー不足が原因ではないか」とのことでした。
より詳しく聞いてみると、
  • 従前であれば、どんな部局にも優秀な職員(事務処理能力・コミュニケーション能力に長け、長時間労働にも耐えられる)が複数おり、彼ら彼女らに新規案件を任せることができた
  • しかし今は、優秀な職員の頭数が減少しており、人事・財政・企画以外の部局には優秀な職員がほぼいない
  • 現状、「新規事業の立ち上げ」という難しい業務を任せられる職員が、企画部局以外には存在しないので、内容に関わらず企画部局で処理せざるを得ない

このような事情のため、新規案件は何でもかんでも企画部局に任せるという運用になっているというのです。

僕にはこの説が正しいのかまではわかりませんが、「優秀な職員が減っている」という事象は僕も実感しています。
過去にも記事にしましたが、今の30代前半の世代は、優秀な職員が挙ってコロナ対応で潰れてしまい、人材の層が薄くなっています。



上記の記事を書いた時点では「財政課候補者が減っている」という局所的な影響しか見えていませんでした。
しかし実態はもっと深刻で、コロナによる人材の喪失は組織全体を蝕んでおり、その影響が「企画部局への業務集中」として表出しているのだと思われます。

あくまで部外者の感想ですが、財政・人事の長時間労働と、企画部局の長時間労働では、後者のほうがストレスが大きいと思います。

人事課や財政課の長時間労働には、ゴールがあります。
人事異動が完成したり、予算編成が終わったりすれば、一旦は長時間労働から解放されます。
ゴールが見えているからこそ頑張れるという側面もあると思います。

一方、現状の企画部局の長時間労働には、終わりがありません。
業務の内容は別にしても、「いつまで続くかわからない」という一点だけで、ストレスは跳ね上がると思います。

企画部局にいる優秀な職員までが潰れて更に人材が枯渇していく……という事態に陥らないことを祈るしかありません。


現実世界でもオンライン上でも、地方公務員に対する非難の声は絶えません。
絶えず非難され続けている地方公務員は、「サンドバッグ」と形容されることがあります。
どなたが発案者なのかは知りませんが、この呼称は本当に秀逸だと思っています。

サンドバッグは、どれだけ殴られても壊れません。
同じく地方公務員も、叩かれたところで実害はありません。
個人事業主であれば、インターネット上でちょっと叩かれただけで廃業を余儀なくされかねないところ、地方公務員は職を失うどころか給料が下がることすらありません。

しかし、地方公務員も人間であり、ただのサンドバッグではありません。叩かれれば心が傷つきます。
僕自身、これまで少なくとも200回は罵倒されてきましたが、いつになっても慣れはしません。

そして悲しいことに、新型コロナ禍を経て、地方公務員叩きは悪い方向へ進化している気がしてなりません。

「職叩き」から「人叩き」へ

平成20年代前半くらいの地方公務員叩きは、地方公務員という「職業」を叩いていました。
  • ノルマが無い
  • 単純作業ばかり
  • 無駄も多い
  • そのわりに給料が高い

僕が採用された頃は、このあたりの定型句を電話口で延々と聞かされるのも「初任者研修の一環」だと言われていました。

一方、最近の地方公務員叩きは、職業としての地方公務員ではなく、「人」としての地方公務員を叩いてきます。
地方公務員として働いている個人そのものを非難してくるのです。


表現は色々です。「多様化する行政課題に対応できるほどの素養があるとは思えない」などと流麗に言葉を紡いでくる方もいれば、シンプルに「バカ」「クズ」などと罵ってくる方もいます。
どちらにしても、地方公務員である「お前」「あんた」は無能であり有害だと主張してきます。

「職」叩きから「人」叩きへと潮流が変わったのには、二つの理由があると思っています。

新型コロナで露見した地方公務員の弱点

ひとつは新型コロナウイルス感染症です。
新型コロナに翻弄された3年間(令和2年~4年)、マスコミは延々と行政の失態を報じ続けてきました。
この3年間を通して、大半の国民の頭に「日本はコロナ対策に失敗した」「新型コロナによる被害の大半は人災」という認識が刷り込まれたと思います。

この認識が正確なのか誤りなのか、正直よくわかりません。
研究者がしっかりファクトベースで検証してくれるのを待つしかありません。
(そもそも新型コロナ対応全般を総括して成功だの失敗だのと断じること自体がナンセンスで、個々の施策ごとに成否を判断すべきだと思います)

デジタル

コロナ対策関係では、特に行政のデジタル化の遅れが非難されました。
民間では普通に使われているデジタルツールが未だ導入されていないとか、パソコンでやったほうが効率的な作業をわざわざ手作業でやっているとか……

「デジタル敗戦」などとも言われるこういった事態が生じた原因が、地方公務員の能力に帰せられてきました。
  • 有事への備えが甘かった(先見性が無い)
  • 民間企業がいかに進歩しているのかを知らない(世間知らず)
  • デジタルリテラシーが低くてツールをろくに使えていない
  • 仕事のやり方を変更するだけの知能が無い
  • どうせ使えないんだから公費でパソコンを買うのは無駄だ

僕が実際に受けたお叱りのうち、覚えているものだけをリストアップしてみました。
「エクセルの1マスに2文字入力できるだけで課長になれるんだろ?」という煽りも受けましたね。
(俗にいう「神エクセル」「Excel方眼紙」ばかり使っている、というニュアンスの嫌味だと思います)


コロナ禍が一段落した今年度でも引き続き、ほぼすべての苦情電話の中で、「お前らは職員はデジタルを使えていない」というお叱りを受けています。

コロナ以前の時代にも、「地方公務員は無能」という指摘はずっと受けてきましたが、はっきりと理由まで主張してくる人はあまりいませんでした。
理由を付すにしても、あくまでも自分の個人的経験ベース(窓口対応した職員の説明が下手だった等)で、印象論・感覚論にすぎませんでした。

しかし今は、コロナ禍を経て、「地方公務員=デジタルに弱い」という現状が明らかになり、「地方公務員は無能である」という客観的根拠ができてしまった状態……と言えるでしょう。

不人気職業にしか就けない連中、という印象

もう一つの理由は、公務員試験の倍率低下です。


平成20年代の前半までは、地方公務員はそれなりにハードルの高い職業でした。
やたら科目数の多い公務員試験を受けなけらばならず、倍率も10倍近い。
そのため、地方公務員批判をしてくる人たちも、よく「頭でっかち」とか「机上でしか通用しない」などという表現で批判してきていました。
暗に「筆記の勉強だけはできる」と、能力の一部を認めていたといえるでしょう。

一方近年では、公務員試験の倍率はどんどん下がってきており、定員割れも珍しくなくなってきました。

「勉強ができない人間でも余裕で就職できる職業」という認識に変化したのだと思います。



無能なのは認めるとして、無能を理由にいじめを正当化していいのか?

つまるところ最近の地方公務員叩きでは、デジタル技術を活用できていないとか、採用倍率が低いというファクトに基づいて、地方公務員を「劣った人間」と論理的に結論付けたうえで叩いています。


デジタル化が遅れていることも、採用倍率が下がってきて人材確保に苦戦していることも事実であり、否定できません。
このような根拠がある以上、地方公務員が劣った人間だという主張も、受け入れざるを得ないと思っています。
役所が何か失敗したときに、その原因を「職員が無能なせいだ」と追及されるのも仕方ないと思います。

しかし、劣っているからといって公然と叩いてよいか?と言われると、それは絶対に違うと思います。
いじめられる理由があるからといって、いじめてよい理由にはなりません。


SNSで投稿する程度であればまだ個々人の自由としても、わざわざ役所に電話してきて罵ってくるのは、さすがにおかしいと思います。

こういう相手の対応は本当に不毛ですし疲れます。
あくまでも僕の感覚ですが……地方公務員が憎くて叩いているわけではなく、ちょうど叩きやすいから叩いているだけで、「叩ければだれでもいい」「理屈さえ立てば他人に危害を加えてもいい」と考えている人が多いと感じます。
行政に対して課題感や問題意識を持っているわけでもなく、ただ一方的に罵倒するのを楽しんでいるだけので、話を聞いていても得るものがありません。

このような「他人を攻撃したいだけの人」のことを何と呼称すればいいのでしょうか?
「クレーマー」とも「カスハラ」とも異なる、新しいカテゴリだと思うんですよね。

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