キモオタク地方公務員(県庁職員)のブログ

地方公務員の人生満足度アップを目指しています。地方公務員志望者向けの記事は、カテゴリ「公務員になるまで」にまとめています。

カテゴリ: 公務員の日々の仕事

前回記事のとおり、10〜12月にかけて月100時間残業という貴重な経験をさせていただきました。
この期間、忙しいのは僕だけではなく、職場のメンバー全員が深夜まで残業していました。

残業時間中といえば、僕はこれまで和気藹々としたイメージを持っていました。
各自の仕事をしつつも、互いの苦労と不幸を慰め労いあう時間です。

しかし、民間団体の残業時間は全然違いました。
とにかく殺伐としているのです。

民間と役所の、残業に対する意識の違いを思い知りました。

「罪悪感の有無」という差

プロパー職員の方々は、残業中は定時中よりも明らかに焦っています。
残業することへの自責の念「早く終わらさなければいけない」というプレッシャーを感じさせます。

残業時間に突入すると、自発的にこのようなピリピリモードへ突入していきます。
表情や口調が明らかに変わるので、部外者の僕でもすぐにわかるくらいです。
上司から急かされているわけではありません。自発的に切り替わるのです。


一方、僕は「だるいけど仕方ない」程度の感覚です。
もちろん「さっさと終わらせて早く帰りたい」とは思っていますが、「一分一秒でも早く完成させなければいけない」というほどのプレッシャーを帯びるほどではなく、ましてや罪悪感なんて寸分も感じていません。

このような残業観の違いは、残業の精神的負担に直結すると思います。
単に「かったるいなー」と思いながら作業している僕よりも、罪悪感を抱えながらあくせく作業するプロパー職員のほうが、圧倒的にきつかったはずです。

残業時間の多寡だけでは測れない負担感

今回紹介したのはあくまでも僕の個人的経験ですが、「民間サラリーマンのほうが残業の精神的負担が大きい」という傾向は、ある程度一般化できるんじゃないかと思っています。

民間企業であれ役所であれ、残業代は明らかにコストです。
利益を最重視する民間企業であれば、残業代が増えるほど利益が減るわけで、組織として残業を敵視し、社員一人一人に「残業は悪だ、罪だ」と指導するのが当然でしょう。

一方で役所の場合、もちろん「コストを減らさねば」「残業を減らさねば」という意識はあるのですが、民間ほどのギラつきはありません。

  • 経費に占める残業代の割合が小さく、残業減らしても対してコストに影響しないから、本腰を入れていない
  • そもそも残業代を満額支給していないので残業はコストじゃない
  • 残業の原因である「業務そのもの」が外からどんどん降ってくるから減らせない
など、理由はいろいろあるのでしょうが、役所組織として残業をそれほど忌避しないために、職員一人一人も残業に対して寛容で、ストレスの感じ方も比較的軽いのではないかと思います。

別の言い方をすれば、
  • 民間にとっての残業は、組織にとっても個人にとっても悪しきもの
  • 役所にとっての残業は、個人にとっては厭わしいものだが、組織にとってはどうしようもないもの
こういう認識が定着しているような気がします。

「役所の都合で残業させる」のはイラつかれて当然

役所は「待機」という手法を多用します。
典型的なのが議会待機や予算待機でしょう。
具体的な仕事がなくても、「もしかしたら何かあるかもしれない、人手が必要になるかもしれない」という漠然とした予想ベースで、職員を職場に拘束するやつです。

地方公務員はあまりに待機に慣れ親しみすぎているために、民間企業に対しても待機を依頼することが度々あります。
僕自身、観光部局で勤務していた頃、「チラシデザインの幹部決裁が終わるまで待っていてほしい」と印刷会社に待機をお願いしたことが何度かありました。
万一修正指示が入った場合、すぐに校正をしなければいけないからです。

民間の残業認識だと、「待機」なんて選択肢はあり得ないでしょう。
利益をドブに捨てることになる、マネジメント放棄・思考停止の手法にほかなりません。
いくら顧客からのお願いであったとしても、ストレスを感じて当然です。
民間企業に対して待機指示するのは極力避けるべしだと改めて思いました。


たまにインターネット上で「民間よりも公務員のほうが残業時間が長い」とマウントをとっている方がいますが、残業の負担感は、残業時間だけでは測れないのかもしれません。
だらだら100時間残業するよりも、精神的に追い詰められた状態での50時間残業のほうが堪えそうです。

昨年4月から外郭団体に派遣されてからそれなりに残業しているのですが、10月〜12月にかけては月残業時間が100時間を超えました。
令和3年度トータルでは800時間ちょっとで落ち着きそうです。
 
総務省の資料(PDFへのリンク)によると、令和2年度に月100時間以上の残業をした地方公務員は全体の0.4%とのこと。
年度は違いますが、それでも上位層に食い込んでいるはずです。

統計資料によると月100時間超えの残業生活は「貴重な経験」に相当するようなので、実際どういう感じなのかを紹介していきたいと思います。

正直なところ、月100時間以上残業している職員なんてもっと大勢いると思うのですが……
(実残業時間ではなく「オフィシャルに認められた残業時間」、つまり「100時間分の残業手当が支給された職員が全体の0.4%」であれば納得です。)

月80時間残業までの体験談はこちらをどうぞ






安定して5時間残業

  • 平日はだいたい23:00まで残業(遅くとも日付が変わる前に退勤)
  • 週1日は21時代に退勤
  • 休日出勤なし
  • 有休取得なし
こういうペースで勤務した結果、月残業時間が100時間を超えました。
休日出勤なしでも、毎日平均5時間残業すれば、100時間を超えます。

夕飯は基本的にコンビニで調達し職場で済ませます。
19時〜20時の間に、弁当類やレンチン麺類を、休憩がてら食べていました。

睡眠時間は、ぎりぎり毎日6時間をキープできました。
遅くとも25時には布団に入り、7:30には起床するようなペースです。

土日はこれまでと大差ありません。
元からあまり朝寝はしないタイプなので、だいたい9時までには起きて、これまで通りブログを書いたり読書したりオタクしたり……という引きこもり生活をしていました。


各種考察

思っていたほど辛くはなかった

月100時間残業=生き地獄 だと思っていたのですが、正直それほど辛くは感じませんでした。
業務のほとんどが単純作業であり労働密度が低かったおかげでしょう。
かつ、僕自身がこういう作業ゲーが好きという、向き不向きも影響していると思います。

あとは何より「残業代が支給される」という確信を持てたおかげです。
業務自体には何の達成感もやりがいもないので、無賃だと精神が持たなかったかもしれません。


膝に違和感

睡眠時間が普段より短くなったり、食生活が乱れたりはしたものの、体調には目立って異変はありませんでした。
典型的な社畜生活として「残業がきつすぎて土日は寝てるだけ」というケースが挙げられますが、僕の場合はなんとかなりました。

ただ、膝に違和感を感じています。
多分座りすぎなのでしょう。
日常生活には今のところ支障ないものの、いずれ爆発するのかもしれません。

人間関係が全て

長時間残業の辛さを左右するのは、何よりも職場の人間関係だと思いました。

残業が増えるほど職場滞在時間が長くなり、上司や同僚と過ごす時間が長くなります。
職場の人間関係が良好であれば楽しいでしょうし、悪ければひたすらストレスになります。

長時間残業という心身に負担が加わる環境下だと、誰でもイライラしがちです。
(あくまでも想像ですが、心身に負担がかかる結果、防衛本能が強まって、排外的・攻撃的になるのだと思います。)

もともと良好な人間関係を築けている間柄であれば、多少の刺々しいやりとりがあっても「仕方ないな」と許容できますが、気心の知れない相手から攻められるとなかなか穏便には処理できません。
反射的にイラついてしまったり、恐怖を感じてしまいます。

僕は派遣職員という立場であり、職場でも浮いた存在です。
そのため、職場の人間関係からも一歩距離を置けており、いい意味でも悪い意味でも影響を免れました。

眠すぎて車に乗れない

残業が増えるにつれて、日中に抗いがたい眠気に襲われることが増えました。
パソコン作業の最中なんかに突然瞼が重くなり、数分間意識が途切れるのです。
もしこれが車の運転中だったら……事故ります。考えたくもありません。

都会であれば公共交通機関が夜遅くまで使えるので、徒歩圏内でなくとも長時間残業できるのでしょうが、いかんせん田舎なので車と徒歩しか選択肢がありません。

徒歩通勤圏内での一人暮らしを始めて正解でした。
月100時間残業生活で車通勤は危険です。

独身だからなんとかなった

平日はだいたい8:30に家を出て24:00に帰宅する生活であり、家事はほとんどできません。
この3ヶ月間、「週末にまとめて家事を済ませる」スタイルが許される異常独身男性でなければ、まともに生活が回らなかったでしょう。

もし僕が家庭を持っていたら、パートナーに家事負担を押し付ける形にならざるを得ません。
フルタイム共働きの大変さを思い知りました。

出費が嵩む

夕食をコンビニで調達するようになったせいで、出費がかなり増えました。
毎月10,000円ほどをコンビニ飯につぎ込んでおり、これはだいたい5時間分の残業代に相当します。
仕方ないとはいえ、「残業するために出費している」ように感じられて敗北感がありました。

終わった後のほうがしんどい(2023.2.19追記)

2022年11月〜翌1月にかけても、再び100時間超/月ペースで残業してきました。
残業期間中はさほど辛くはなかったのですが、2月に入り残業が減ってからは明らかに体調が悪いです。
平日起きるのもだいぶしんどいですし、土日もほぼ寝て過ごしています。何よりやる気が起きません。

3週目に入ってようやく体調が戻り、意欲も戻ってきました。
長時間残業をしている間は脳内物質が出て感覚が麻痺しているだけで、実際はかなりダメージを受けていたのかもしれません。


たまにならアリか?

30歳前後にもなるとそこそこ残業代単価も上がってきて、月100時間分だと残業代だけで20万円を超えます。
3ヶ月分だと約60万円、ボーナスが1回増えたようなものです。正直かなり美味しいです。

もっと歳をとれば残業代単価が上がって行きますが、反対に体力が落ちてきて、たとえ気楽な単純作業であってもキツくなってくると思います。
30代前半という今こそ、長時間残業のコスパが一番美味しい時期なのかもしれません。

今年の10〜12月もどうせ長時間労働せざるを得ないので、その時期をいかに安らかに乗り切るか、今のうちから対策を考えていきたいと思います。

 

新年明けましておめでとうございます。

新年一発目の記事として、今年も陰謀論をお送りします。

直近の記事で「2022年は何が話題になるか全然予想できない」と書いたところですが、地方公務員関係で強いて挙げるとすれば、「集団訴訟」と「採用抑制」なんじゃないかと思っています。


新型コロナウイルス関係の集団訴訟がついに動き出すか? 

僕が最初に配属された防災担当課では、とある経験則が語り継がれていました。
「発災から2年間は被災住民の感情のケアを怠るな」というものです。
これをおろそかにすると、集団訴訟につながるからです。

災害関係の集団訴訟は、だいたい災害発生から1年後〜2年後に提起されます。
災害の直後ではありません。

ある程度時間が経たないと、発災原因(現象そのものが規格外だったのか、インフラの問題なのか、人災なのか)が絞られず攻撃すべき論点が定まりませんし、「誰が悪者なのか」という世論も固まらないからです。
さらに、原告側住民の生活再建が終わるまで賠償請求する被害額が確定しませんし、何より訴訟を起こす時間的余裕がありません。

前々から触れているとおり、新型コロナウイルス感染症関係でもいずれ集団訴訟が始まると僕は思っています。

新型コロナウイルス感染症の場合は、今も収束したとは言えません。
ただし2021年の間に、被害状況がかなりはっきりしてきました。

今のところの大きな被害は以下の2つ。
  • 緊急事態宣言による営業自粛での経済的被害(主に個人飲食店)
  • 去年夏の感染者数ピーク時の人命被害
どちらも「行政による人災」という評価が固まっています。
さらに、去年秋から被害が落ち着いていることから、原告側としても準備する余力があったでしょう。

つまり、これまでの集団訴訟のスケジュール感を踏まえると、そろそろ訴えられてもおかしくない頃合いなのです。

これまでの新型コロナウイルス感染症対策は、ゼロベースでの「手探り」でした。
だからこそ大変だったと思います。

一方、集団訴訟対応に関しては、役所にはこれまでの知見が蓄積されています。
ゼロベースではありません。先人の知恵を借り、巨人の肩に乗れるわけです。
ある意味、楽になるのではと思います。

定年延長対策としての採用抑制がついに始まる?

去年も一度触れていますが、令和5年度(2023年度)から地方公務員の定年延長がスタートします。
2年に1回のペースで定年が伸びていき、最終的には65歳が定年になります。
2年に1回、定年退職者ゼロの年度が発生するわけです。

定年退職者が発生しない最初のタイミングは、令和5年度の最終日、令和6年3月31日です。
令和6年4月1日時点では、これまでだったら定年退職していた満60歳の職員が、引き続き正規職員として在籍していることになります。

4月1日には、新規採用職員が発生します。
これまでは「3月31日に退職する職員(圧倒的に定年退職者が多い)」と「4月1日に採用される職員」のバランスをとることで、総職員数を調整してきました。

しかし、令和6年4月1日は、定年退職者が発生しないため「3月31日に退職する職員」が激減します。
そのため、「4月1日に採用される職員」の数を減らさないと、総職員数が大幅に増えてしまいます。


定年退職者が発生しない年度だけ採用数を減らすと、職員の年齢構成が歪になってしまいます。
とはいえ採用数を減らさないと総職員数が増えてしまいます。
どこの自治体も「財政が厳しい」と連呼しているところであり、総職員数を増やす=人件費が増えるという方向性は到底採れないでしょう。 

全国の自治体の人事担当者は、今まさに頭を抱えているところだと思います。
 
ここからは完全に私見ですが、定年延長対策として、今年から採用数を減らす自治体がけっこうあるのではないかと思っています。


令和5年度(令和6年3月31日)の退職者数が100人だとすると、令和5年度の新規採用(令和6年4月1日から働き始める人)を100人減らさなければいけません。

ここで、令和4年度の新規採用(令和5年4月1日から働き始める人)の時点で50人減らしておけば、令和5年度の新規採用は50人減で済みます。

特定の年度で100人減らすよりは、2年度に分けて50人ずつ減らしたほうが、年齢構成は歪みません。


上記の例は極端ですが、「採用減を2カ年に分散させる」という発想自体は、それほど珍奇とは思えません。
しかもここ数年は地方公務員試験の倍率が右肩下がりですし、何より「採用数を減らす」のは世間からウケます。

定年延長に伴う新規採用減少、公務員志望の学生さんたちにとってはかなりインパクトの大きい話題だと思うのですが、予備校はじめ公務員試験界隈ではあまり盛り上がっていないのが不思議で仕方ありません。
僕の空想なのでしょうか……?


ちなみに僕は本日から仕事です……
今年もがっつり残業&休日出勤を強いられそうですが、時間を見つけてぼちぼち更新していきます。

(追記)
年末年始にインターネットを徘徊していたところ、某所にて本ブログが「公務員面接対策において害悪な情報源」として真っ先に例示されているのを発見して爆笑しています。

実際、ご指摘のとおりだと思います。自覚はあります。
むしろ「害悪」と評していただけるほどに弊ブログを読み込んでもらえて、感謝しています。 

面接の場で、このブログに書いてあるような被虐系ネガティブ発言をしようものなら、ドン引きされるでしょう。
面接対策という意味では、弊ブログの主張を論破するようなポジティブ展開を考えてみると、思考のトレーニングになるかもしれません。
そういう突破力のある職員を役所組織は求めているでしょうし、面接受けも良好でしょう。

滑って自然消滅していく施策が多い中(具体的に何とは言いませんが)、「ふるさと納税」はすっかり定着しています。

制度として定着しているということは、それだけ利用者にとって実利があるのでしょう。
一方、制度を運営する側の自治体にとっては、悲喜こもごもといった状態だと思います。
歳入が増えて嬉しい自治体もあれば、手間と苦情がひたすら増えて疲弊しているところも多いと聞きます。

ただ、住民の納税意識への影響という意味では、悪影響しか無いと僕は思っています。
「行政サービスの対価として税を支払っている」という認識、いわば応益負担意識が、ふるさと納税制度のせいでやたらと強化されており、そのせいで税の本質的な役割が軽視されていると思えてならないのです。

再分配機能を忘れないで

行政サービスは本質的に、税を納めていようが納めていまいが、たくさん納めていようが僅かしか納めていまいが、必要に応じて利用できるものです。

むしろ租税には「富の再分配機能」という役割があり、税を払っていないほうが得をする仕組みともいえます。
生活保護がまさにこんな仕組みです。

しかし最近は、この「富の再分配機能」に異を唱える方が増えているように思います。
インターネット上のマネー特集には「税金の払い損」という表現が頻出し、「『取れるところから取る』という税の仕組みは間違っている!」というような賛同するコメントが多数寄せられています。

「富の再分配」という役割がある以上、「払い損」になるのは当然です。
「払える人」のお金を使って「払えない」人を救済するのが税の役割だからです。

税による「富の再分配」は、現在社会を回すための重要な前提であり、今更騒いでもどうしようもありません。
それなのに最近は「払い損は許せない」「払っただけの行政サービスを提供せよ」と怒り狂う方が増えているのです。

「払い損」状態を許せない方の増加の一因が、僕はふるさと納税だと思っています。
「富の再分配」という抽象的概念と比べ、ふるさと納税の「納税したら返礼品がもらえる」という仕組み、いわば「払ったら何かもらえる」という等式は、とても単純明快でわかりやすいです。
あまりにわかりやすいために、多くの方の税認識が変化しているのでは?と僕には思われるのです。

「損している」という自己認識がギスギスを生む

「税は応益負担であるべき」「払い損は許せない」という認識は、少なくとも二つの意味で、役所実務に悪影響を及ぼします。

一つは、「税を納めていない・納められない人」への敵対心の増幅です。
 
先にも触れましたが、納税の有無と行政サービスの利用可否の間には、本質的には関係がありません。
むしろ納税できないほど所得の少ない人を救済するのが行政サービスの重大な使命です。

しかし現状、この使命に対し、多くの方が疑念を抱いています。
最近だと「自営業者はこれまで何でもかんでも経費計上して税負担から逃げてきたんだから、コロナ禍で生活が厳しくても救済する必要なんて無い」という主張あたりが典型でしょう。

このような主張がまかり通るようになると、困窮者救済という行政の基本的な行政サービスが停滞しかねません。


もう一つは、「行政サービスを他人よりもたくさん使わないと勿体無い」という発想です。

この発想に行き着いてしまうと、必要としているわけでもないのに、まるで食べ放題やサブスクサービスで「元を取ろう」とするかのごとく、とにかく役所に使い倒そうとしてきます。

  • 窓口や電話口で雑談を続けて職員を長時間拘束する
  • 冊子やパンフレット、ノベルティ類を必要部数以上に欲しがる
  • 何でもかんでも値切りやアップグレードを要求してくる
具体的にはこういった行為を繰り返します。

「払い損」感覚がなくなるまで、他の人よりも行政サービスをたくさん受けるまで、とにかく役所を使わないと気が済まないのです。

こういった人に行政リソースを独占されると、本当に必要とすべき人のところに行政サービスを届けられなくなる危険が増してしまいます。
それに何より疲れます。

ふるさと納税が悪いわけではないのかもしれないが……

今回触れた
  • 非納税者への敵対心増幅
  • 「元を取る」「他人より得をする」ためだけに行税サービスを独占したがる人の増加
という事象には、地方公務員であれば大半の方が同意すると思います。

しかし、ふるさと納税がこれらの一因であるという僕の自説には、納得いただけない方も多いでしょう。

ただ、「ふるさと納税してやってるんだから〇〇くらいやれよ!」という決め台詞とともに個人的便宜を要求してくる方を何度も相手にしている身としては、どうしても無関係とは思えないのです。

首長選挙にしても議員選挙にしても、やるたびに投票率が下がってきている気がします。

以前の記事でも触れましたが、投票率が低下すればするほど、当選に必要な得票数(絶対数)が減少します。
必要な得票数が少なければ、特定の属性(居住地域、職業、年齢など)からの票さえしっかり抑えておけば、当選できてしまいます。
たとえ世間一般からの評判が芳しくなくても、コアな支持母体がいれば、そこからの票だけで勝てるのです。



こういう人が当選した場合、もちろん支持母体にメリットのある施策にばかり注力します。
投票率が急上昇しない限り、支持母体からの人気さえ保っておけば、次も安定して勝てるからです。

これは好ましい状況ではありません。住民の分断が深刻化してしまいます。
自治体職員という立場でいうと、理不尽なクレームの原因になります。
支持母体からはやたら高圧的に注文をつけられますし、支持母体以外からは「利権だ」「不公平だ」という苦情が相次ぎます。

こういう状況を避ける(というより現状がこんな感じなので、ここから改善していく)ためには、まずは投票率を上げて、「支持母体さえケアしていれば次の選挙も余裕で勝てるし」という舐めプ政治姿勢を改めてもらうのが、地味ですが手っ取り早いと思います。

自治体としても「投票率の低迷」を問題視しており、平時から色々な策を使って投票啓発を行なっています。
選挙期にはポスターを作ったりテレビ・ラジオCMを流したりして、投票を呼びかけます。

ただ冷静に考えてみると、こういう投票啓発、特に直前期の広報活動は、単に「投票率を高める」のみならず選挙結果そのものにも大いに影響を与えそうな気がしています。


文面以外にも副次的なメッセージがたくさん潜んでいる

「投票に行こう」というポスターが見た人が受け取るメッセージは、「投票に行こう」という表面的なものだけではありません。
認識できるもの/無意識下で機能するもの、ともに他にもたくさんの要素があります。

代表的なものは、「ハロー効果」「プライミング効果」のような心理学的影響でしょう。

こういった要素のせいで、投票啓発広報は、単に「投票に行く」という行動を誘発するのみならず、投票先の選択をも左右するかもしれないのです。

特に、ポスターやCMに芸能人を起用する場合は、かなり複雑に心理学的効果が機能すると思います。
芸能人本人のパーソナリティに加え、過去に演じた配役も少なからず影響してきそうだからです。

例えば、代表作が「半沢直樹」の俳優が「選挙に行こう」とガッツポーズを組んでいるポスターを見たら、現職よりも新人に投票したくなりませんか?
今回の選挙とドラマの内容とが自然とリンクして、「現体制は駄目」「確変を起こさねば」という気がしてきませんか?

しかも、投票啓発広報を見て投票に行くような層はもともと政治への関心が低く、確固たる政治思想を持っているわけでもなく、候補者のことをわざわざ調べもしないでしょう。
そのため、心理学的効果の影響を強く受けた状態で投票してしまいがちだと思われます。

国や自治体の選挙担当者も、余計なメッセージが混ざりこまないよう、広報内容には細心の注意を払っていると思います。
ただそれでも、無意識下で働く心理学的影響まで完全に除去するのは困難でしょう。
多かれ少なかれ、投票啓発広報の中身は、選挙結果に影響を及ぼしていると思います。

 

どういう層の投票行動を促すのか次第で結果が変わる

万人に刺さる広報は存在しません。
投票啓発広報も同様です。
使用媒体やメッセージ文言、紙面デザイン等の要素次第で、刺さる層が変わってきます。

言い方を変えると、投票啓発広告によって行動を変える人(もともと投票に行くつもりが無かったが、広告に触れて考えを改め投票することにした人)の属性は、けっこう偏ると思われます。

そして、どのような層の行動変容を起こすか、いわば「得票の発掘」を行うか次第で、選挙結果にも影響が及んでくると思っています。

例えばメインビジュアルにキッズモデルを起用したポスターだと、パパママには刺さりますが、僕みたいな独身者にはさほど効果は無いでしょう。
そのため、パパママの投票率は向上しても、独身者の投票率は変わりません。
独身者よりもパパママの得票率のほうが高くなれば、結果的に、子育て世帯にメリットのある施策(保育や教育の充実など)を訴える候補者が当選しやすくなるでしょう。


揉めないよう注意するくらいしか対策できないか?

つまるところ、投票啓発広告は
  • 広報そのものの見えざる影響
  • どういう層の投票を誘発するのか
という二つの面で、選挙結果を左右すると思われます。

「結果を左右」とまでは言えなくとも、選挙の争点を設定するくらいの影響は確実にあると思います。

自治体の投票啓発広告はあくまでも「投票率の改善」を目的としており、選挙結果に影響を及ぼしてしまうのは好ましくありません。
とはいえ一切影響を出さないことも不可能で、せいぜい後々問題にならないよう、公平中立な立場を保つよう注意するのが精一杯でしょう。

世の中には「選挙コンサルタント」なる職業があるらしいです。
今回僕が考えたようなことも含め、投票行動にまつわる様々な心理的要素を駆使して、クライアントを勝利に導くのでしょうか……?

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