キモオタク地方公務員(県庁職員)のブログ

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カテゴリ: 公務員の仕事術

根が真面目なのかストイックなのか、地方公務員は「自己責任論」を好むタイプが多いと思っています。
しかもその多くは無自覚です。
 
地方公務員の多くは、「ある人の失敗の責任は、その人が全面的に負うべきだ」という自己責任論の考え方を、あたかも常識であるかのように、深く考えずに受容しているように思います。

僕はこの傾向を良く思っていません。
いかなる思想信条を持とうが自由ですが、自己責任に関してはよくよく考えてから持説を持つ必要があると思っています。

気持ちはわかる

地方公務員が自己責任論に傾倒したくなるのは、ある意味当然だと思います。

地方公務員という仕事では、「自分の責任を果たさない人」と頻繁に接触します。
役所の仕事の中には、こういう人たちの尻拭い的なものが結構あります。
具体例は挙げませんが、地方公務員なら誰もがきっと思い当たるケースがあるはずです。

役所は「自分の責任を果たさない人」の責任を肩代わりさせられ、当人に代わって汚れ仕事をやらされます。
当人は悪びれる様子もなく飄々としており、時には自分のことは棚に上げて「ちゃんと責任を果たせよ!」と役所を叩いてきます。

こういう仕打ちを日々受けているため、地方公務員が「自分の責任を果たさない人」に対して腹が立つのは当たり前です。
公僕という立場からすれば、「自分の責任をしっかり果たさない奴の尻拭いのために、貴重な税金が使われるのはおかしい」という義憤を感じるべきだとも言えるでしょう。

そもそも「自己責任」を切り分けられるのか?

自己責任論の一歩手前である「自分に課せられた責任はきっちり果たすべき」という信念は、大多数の人が受容できる「常識」の一部だと思います。

ただし、ここからさらに一歩進んで、「自分の失敗の責任は、自分で負うべきだ」「自分の責任を果たせない奴はダメだ」という本格的自己責任論に踏み込んでしまうと、途端に一般化できなくなります。

そもそも責任というものは、自己責任とそれ以外の外的要因(環境要因や運)とを区分するのが、非常に困難です。
一般論を離れて個別具体的なケースをイメージしてみると、この性質が良くわかると思います。
 

例えば、僕が結婚できないのは、自己責任なのでしょうか?
読者の99%は「考えるまでもなく自己責任だろ……」と思うでしょうし、僕自身も自己責任だと思います。

僕が結婚できないのは
  • 親密な対人関係を築き上げる鍛錬を怠ってきたため、対人スキルが低い
  • お金と時間をケチって、まともに婚活をしていない
このあたりが主な理由であり、どちらも自分のせいです。

ただ冷静に考えてみると、
  • 男性比率の高い職場ばかり配属させられている
  • 新型コロナのせいでそもそも婚活できる情勢ではない
  • イケメンとして生を授かれなかった
という外的要因も絡んできます。


今や当たり前に使われている「自己責任」という概念は、実は範囲が非常に曖昧です。
「どこまでが自己責任か」という境界線はケースバイケースですし、特定のケースにおいても、解釈は人それぞれ分かれます。正解は簡単には見出せません。

地方公務員という仕事は、先述したとおり、「自分の責任を果たさない人」と頻繁に関わります。
ただ実際のところ、責任を果たさない背景を個人ごとに詳しく探求していったら、本当は自分のせいではなく外的要因のせい、環境要因や不運のせいであると判明するケースもあるでしょう。
そして、外的要因のせいで苦しんでいる人を救済するのは、紛れもなく行政の役割です。

自己責任論を盲信し、「自分の責任を果たせない奴はダメだ」という一般論を振り回すと、実際は外的要因のせいで苦しんでいる人たちをも切り捨ててしまうことになりかねません。

「自己責任を果たしていない人」たちを十把一絡げに「ダメな奴ら」と断じてしまいがちなのが最近のトレンドではありますが、実はこれは非常に危険な振る舞いです。
特に「困窮者の救済」という使命を帯びている地方公務員までもがこの思想に染まってしまうと、セーフティネットが危うくなってしまうのです。

無自覚でいるのが一番まずい

自己責任論の是非に関しては、今のところ答えはありません。
そのため、各自がしっかり考えて、自分なりの思想を持つことが重要だと思います。
インフルエンサーの意見を鵜呑みにするのなんかは論外です。 

加えて、どれだけ緻密な思想を組み上げたとしても「自己責任論の一般化」はそもそも困難だという認識も、併せて重要だと思います。
責任の所在はあくまでもケースバイケースであり、同じような事案であっても、自己責任と外的要因の割合は全然違ってくるのです。

 

実力も運のうち 能力主義は正義か?
マイケル サンデル
早川書房
2021-04-14








役所現場を離れているせいでナウピチピチな話題を仕入れられないので、ブログネタを探すために過去の経験を振り返ることが増えました。

思い返してみると、これまで諸先輩方から本当にたくさんの訓示をいただいてきました。
特に新人の頃は、30歳前後の主任クラスの先輩方から、飲み会のたびに「あるべき若手論」みたいなものを垂れられたものです。

今まさに当時の先輩方と同じ年代になってみて、当時いただいた「あるべき若手論」の答え合わせをしてみると、正答率は半々くらいです。
先輩の慧眼に驚くものもあれば、「真に受けて損したわ!」と小突いてやりたくなるものもあります。

僕が先輩から聞いた諸説の中でも、かなり的を射ていると思うのが、「2部局目で身についた働き方が、基本的に定年までずっと続く」というものです。

1部局目(初任部局)で習得したやり方が一生涯使えるわけではない

地方公務員の研修(特に新人)は基本的にOJTです。
新人地方公務員が一堂に集められて一律に教育を施されるのではなく、それぞれの配属先で、上司や先輩から指導されます。

OJTでは、
  • 一般的なビジネススキル(電話の取り方、メールの書き方など)
  • 役所の内部的業務(公文書管理、会計ルール、議会対応、予算、決算、監査対応など)

のような実践的な技術のほか、
  • 公務員としての心構え
  • 庁内の常識

のような精神面についても教えられます。

指導項目は共通でも指導内容はバラバラ

どんな部局に配属されようとも、OJTで教わる項目自体は大差ないと思います。
しかし、各項目で教わる具体的な内容は、部署ごとにバラバラです。

同じ役所内であっても、部局によって仕事のやり方は様々です。
出先と本庁の違いが典型ですが、本庁の中でも課ごとにかなり差があります。
部署ごとの違いが、そのまま指導内容の違いに直結するのです。 

例として、支払い業務(=会計ルールの運用)を考えてみます。

支払い業務は、地方公務員稼業の基本中の基本です。
初任配属先がどこであれ、OJTの中で必ず教わると思います。
しかし、部署によって、教わる内容は異なります。

土木部局や農林部局のような国庫補助金をたくさん扱う部局であれば、いずれ来る会計検査に備えて、担当者も管理職も入念にチェックします。
支払い手続きそのものが相当重要です。
そのため、「担当者がしっかりチェックのは当然のこと、さらに上司が再チェックしやすいよう事業概要ペーパーを作り、根拠資料も全部揃えてから決裁を回せ」と教わるでしょう。
 
一方、観光部局のような予算規模が比較的小さく、国庫補助金をあまり使わない部局の場合は、支払い業務は単なる付随作業です。
支払いの目的である事業が何より重要なのであり、支払い手続きはどうでもよく、なるべく手早く簡単に済ませようとします。
OJTでは「支払い書類を作り込むのは時間の無駄だから、形式さえ合っていればいいからとにかくさっさとやれ」と指導されるでしょう。

指導役のキャラクターも大いに影響

何よりOJTでは、教える側の上司や先輩の個性が、指導内容に色濃く反映されます。
同じ役所の職員であっても、それぞれがたどってきた人事異動キャリアや経験次第で、後陣に伝えたい中身も異なってくるのです。
 
イケイケバリバリの先輩からは、何事も「連携」「協働」「成長」みたいなポジティブな観点と結びつけて指導するでしょう。
一方、僕みたいな陰キャは「苦情」「弁明」「訴訟」みたいなネガティブ・ディフェンシブなことしか教えられませんし、こういう観点をまず身につけることが重要だと思っています。

つまるところ、初任1部署目のOJTは、項目的には必要事項を網羅しているかもしれませんが、各項目の指導内容は相当偏っているのです。


2部局目の苦悩

2部局目にもなると、もはや周囲は新人扱いしてくれません。
しかし前節のとおり、新人時代のOJT教育には偏りがあり、1部局目で身につけた技能が2部局目でもそのまま通用するとは限りません。

多くの若手職員は、1部局目のやり方があまりに通用せず、カルチャーショックを受けます。
そして、なんとか適応しようと精一杯の試行錯誤を続け、自分なりの「仕事の基本スタイル」を確立していきます。
1部局目に学んだやり方をベースにアレンジする場合がほとんどでしょうが、中にはゼロからやり直す人もいるでしょう。


僕の場合、上司への報告で大いに悩みました。
 
僕の初任は防災関係部局で、どんなに些細な情報でもすぐに上司に共有するのが当たり前でした。
防災の仕事は一人では何もできず、部局内全員が一枚岩となって動かなければいけません。
そのため、情報共有は何よりも重要でしたし、僕自身も「とにかくなんでもすぐに報告するように、何よりも『ほうれんそう』だぞ」と強く教えられました。

2部局目は総務系で、担当者ごとの業務分担がはっきり分かれていて単独作業が多いという、本庁にありがちな部署でした。
 
そこでも僕は「ほうれんそう」を墨守していたところ、1ヶ月経った頃に上司から小言を言われました。
「君はどういう目的があってそれを報告してるの?私はそれを報告されて何をすればいいの?」
「確固たる目的の無い報告は双方にとって時間の無駄だから!」

ここでようやく、「なんでも共有」という原則は防災部局特有のルールであり、役所全体のルールではないことに気がつきました。

そこからは試行錯誤の日々です。
まず、上司や同僚に話しかける前に「会話の目的」を考えるようにして、今話す必要が本当にあるのかを吟味するようになりました。
さらに、相手が「知りたがり=なんでも報告してほしいタイプ」なのか「要点だけ知りたい=余計な報告は無駄だと思うタイプ」なのかを見分ける練習も始めました。
あとは常に「案件の重大性」にも気をつけるようにしました。
他の案件を差し置いても至急報告すべき緊急案件、遅れてもいいけど報告はすべき主要案件、担当者レベルで握りつぶしていい些細な案件……といったレベル分けを適切に行えるよう、上司の反応を伺うようになりました。

このような過程を経て、僕の観察者スタイル(日和見主義)が確立しました。
同時に「他人を巻き込む」ことへの忌避感も芽生えてしまいました。 



尾をひく「2部局目」

2部局目で見出した「仕事の基本スタイル」は、教わったものではなく自ら考え出したものです。
自分で考え出しただけあって「自然」で「やりやすい」方法ですし、2部局分の経験が反映されて一般化されているので、次の異動先でも通用する可能性が高いです。
そのため、この「仕事の基本スタイル」は、後々にもずっと適用されていきます。

また、仕事のやり方に思い悩むことで、「自分にとって仕事とは何か」、いわば「仕事観」が見えてきます。
人生における仕事の優先順位が見えてくる、と言ってもよいでしょう。

つまり、2部局目の経験を通して、地方公務員人生の根幹となる「仕事の基本スタイル」と「仕事観」が一旦完成するのです。


僕が先輩から「2部局目に身についた働き方が一生続く」説を伝授されたとき、同時に「2部局目は大変だけど、残業で乗り切ろうとするな」と強く注意されました。
先輩いわく「この時期に残業に頼りすぎると、将来的にずっと残業体質になってしまうぞ」とのこと。
この警鐘は事実だと思います。
実際僕の同期にも、この時期にひたすら残業&休日出勤を繰り返し、さほど忙しくない現在もだらだら残業している職員が少なからずいます。

一方、この時期に「効率的な働き方」を追求して、ちゃんと仕事しつつも定時退庁を続けている同期もいます。

まずは「2部局目は重要だ」という意識を持ち、自分にとっての理想を素直に考えてみることが重要なのではと思います。

役所は「調整」という言葉が大好きです。
地方公務員であればどんな業務を担当していようともほぼ毎日のように口にする単語ですし、部署名にもよく使われます。
地方公務員向けの啓発でも必ず登場します。

ただ、「調整」の定義は人それぞれです。
各自がそれぞれの定義に基づいて持論を展開しています。

このブログの開設以来、僕もずっと「調整とは何か?」を考え続けてきたところなのですが、最近になってようやく考えがまとまってきたので、ここで一旦紹介します。

調整業務.001

単なる「合意形成」でも「交渉」でもない

地方公務員の調整業務とは
  1. 自陣営にとって有利な結論(落とし所)を
  2. 「客観的妥当性」と「住民感情へのケア」を確保しつつ
  3. 関係者を納得させて実現させる業務
だと思っています。

民間企業にしろ役所にしろ、組織における調整業務とは、単に合意を取り付けるだけではありません。
 
自陣営にとってお得な結果でなければ(損しか生じないケースの場合は損失が最小化される結果でなければ)、たとえ関係者との同意が達成できたとしても、意味がありません。
取りうる選択肢の中でも最善のものを選び取ろうとする、わずかでも自陣営に有利な結論へと誘導しようとする意地汚さが、調整業務においては非常に重要です。

*****

ただし役所の場合は、成果がどんなものであれ、その根拠が「正しい」ものでなければいけません。

「関係者が全員納得しているから問題ないのでは?」という理屈は、役所の場合は認められません。
民主主義の仕組み上、直接的な関係者のみならず、世間一般を納得させなければいけないのです。

「世間一般の納得」というものがまた面倒で、単に論理的・倫理的に正しく、良い結果がもたらされるだけでは足りません。
さらに「感情的な納得」という要素が必須です。

このため、地方公務員の調整能力には、「客観的妥当性の確保」と「住民感情のケア」が欠かせません。
民間企業の調整業務とは一風異なる、役所ならではの要素と言えるでしょう。

*****

もちろん、調整を成功させるためには、関係者の同意が絶対に必要です。
同意を取り付けるための交渉こそ調整業務の本番であり勘所であるのは、役所でも民間企業でも変わらないでしょう。
ただし役所の場合は、本番に先立つ準備のほうも、相当に重要なのです。

調整業務の3段階

調整業務の大まかな流れは前述のとおりであり、3つの段階に分かれます。

自陣営にとって有利な「落とし所」を探る

まずは「落とし所」、つまり「実現可能な選択肢のうち最善のもの」を設定するところから始めます。
 
この過程を通して、
  • 今回の調整において絶対に譲れないポイント
  • 優先すべき要素
  • 時間や費用、ルールなど制約
などの「条件」を整理していきます。

もちろん「落とし所」は、以降の調整プロセスの中でどんどん変わっていきます。
とはいえ最初に条件を整理して「最善手」が何なのかを把握しておかないと、調整過程全体の方向性が定まりません。

「客観的妥当性」と「住民感情へのケア」を満たす説明(根拠)を作る

「落とし所」の案が固まったら、次はこれを正当化するための説明(根拠)を作ります。
 
役所には「二枚舌」は許されません。
直接の交渉相手である関係者にも、無関係な世間一般に対しても、同一の説明を以って納得させなければいけません。
 
このような説明を準備するのは非常に大変で、考慮すべき要素がたくさんあるのですが、少なくともまずは論理的・倫理的に正しくなければいけません。
まず「正しい」ロジックを作ってから、案件ごとの個別性をふまえ、チューニングを加えていくことになるでしょう。

「正しい」説明ができたら、「感情面での適切さ」との両立を模索していきます。
いくら「正しい」説明であっても、感情的に許容できないサイコパスじみたものであれば、理解は得られません。

「論理的・倫理的な正しさ」と「感情面での適切さ」は、たいてい相反します。
バランスをうまく調節しなければいけません。

関係者と交渉して納得させる

調整≒交渉という理解をしている方も多いと思いますが、役所の調整業務に限っていえば、僕はむしろ交渉に臨むまでの準備段階(「落とし所」と「説明作り」)のほうが重要だし大変だと思っています。

とはいえ、関係者が納得してくれなければ調整は成立しないわけで、交渉段階が本番であることに変わりはありません。
 

あくまでも準備した「落とし所」と「説明」を極力そのまま相手に納得してもらうのが、交渉の最大の目的です。

交渉段階で頑張りすぎる(相手を納得させるためにアドリブ的に喋りすぎる等)と、事前に準備した説明内容から外れてしまい、後々に関係者から「説明が違う」「相手によって顔色を変えた、二枚舌だ」という攻撃を受けかねません。
このような批判は、民間企業であれば知らん顔できるのかもしれませんが、役所の場合は致命傷です。何としても避けなければいけません。
 


調整業務に必要な能力(調整能力)

上記の過程を達成するために必要な能力が、俗にいう「調整能力」です。
これを構成する要素として、「知識」「公務員的センス」「洞察力」「プレゼンスキル」があると僕は考えています。

調整案件に関する知識

知識は主に「落とし所を探る」段階で必要です。
 
調整案件に関する知識、例えば
  • これまでの経緯・背景
  • 他自治体の成功・失敗事例
  • 関係法規制などのルール
といった知識がなければ、そもそも「ベストな落とし所」を設定できませんし、「制約条件」を見落とす危険もあります。

公務員的なセンス

落とし所を探る際には、「自陣営にとって何が有利なのか?」という基準が必要です。
これには現時点での損得のみならず将来的な影響も考慮する必要があり、知識だけでは太刀打ちできません。

同様に、説明づくり段階には、「世間一般に通用する妥当性はどんなものか?」「世間一般が感情的に許容できるのはどこまでか?」という基準が必要です。
これも「世間一般」なる抽象的な存在を想定して考えなければならず、ロジカルシンキングが単に得意なだけでは上手くいかないと思います。

これらの能力は、地方公務員として働くうちに培われていくものだと思います。
「公務員的センス」というなんとも抽象的な名称を使わざるを得ず非常に心苦しいのですが、今のところこれ以上にしっくりくる言葉が思い浮かびません。

洞察力・プレゼンスキル

最後の二つは、まとめて「コミュニケーション能力」と称してもいいかもしれません。
 
いずれも主に最後の交渉段階で必要になるものですが、「洞察力」のほうは最初の「落とし所設定」でも重要です。
関係者の意向を最序盤に察することができれば、適切な制約条件を設定でき、より精度の高い「落とし所」が出来上がるでしょう。

プレゼンスキルは、わかりやすくて好感の持てる話し方や身振り手振り、相手の反応を伺いつつ話のペースを工夫する……といった一般的なものです。

奥深い「調整能力」

役所には「トークが上手いわけではないのに調整業務が得意」という方がたまにいます。
特に超有名大学出身の方に多いです。

こういう方は、きっと交渉の準備段階が完璧、つまり「落とし所」と「説明」が完璧なので、話術加算が無くとも関係者を納得させられるのだろうと思います。

「調整能力=交渉能力」という図式は、地方公務員界隈においては表面的すぎます。
地方公務員の調整能力はもっと複合的なもので、一朝一夕で身につくものでもなく、非公務員が即座に真似できるものでもないと思います。

このブログでは、よく僕の経験談をネタにしています。
過去の担当業務の内容、上司や同僚や住民の発言、印象的な出来事、残業時間や休暇取得日数のような数字……等々、これまでの経験は貴重なブログの題材であり、ふわっとしたアイデアをわかりやすく説明するための素材でもあります。

ひょっとしたら読者の中には「どうしてそんなに細かく覚えていられるんだ?都合よく捏造しているのではないのか?」と疑っている方もいるかもしれせん。

実際のところ、捏造ではありません。
ちゃんと覚えている……というか記録しています。
 
入庁当時から簡単な業務日誌をつけているので、いつでも過去を振り返れるのです。

一日一行で十分

僕が日々書き溜めている業務日誌は、本当に単純な「一行日誌」です。
  • 日付
  • 出勤時刻
  • 退勤時刻
  • 実残業時間
  • 報告した残業時間
  • 本日の主な業務内容
  • 職場の雰囲気
  • その他コメント

こういった項目を横軸にセットしたエクセルファイルを作り、一日一行、毎日書いていきます。
イメージはこんな感じです。
業務日誌イメージ

民間企業だと、会社で決められた様式があり、個々人が業務日誌をつけるのが当たり前のところが多いでしょうが、地方公務員だと少数派だと思います。

僕がこの習慣を始めたのは、民間企業に就職した友人からの勧めがきっかけです。

彼が就職した会社は文字通りの大量採用・大量解雇方針で、新卒1年目社員にはとりあえず膨大な残業をさせて耐性を測るのが習わしでした。
彼曰く「1年間で西暦と同じ時間の残業をこなせればクリア(今年だと2021時間)」とのことで、「ハンター試験のほうがまだマシ」と愚痴っていました。

彼は早々に嫌気がさして退職しました。
さらには会社への個人的怨恨を晴らすため、労働基準監督署に訴え出ました。

その際に役立ったのが業務日誌です。
実際の残業時間と残業手当支給額との大幅な乖離、休暇取得を申し出ても平然と却下される現状などを証明する根拠として、業務日誌が活躍したのです。

この話を聞いた当時、僕自身も時間外勤務手当が全然支給されないことにまだ慣れておらず、少なからず職場に不満を抱いていました。
そこで、もしかしたらいずれ人事当局と戦う場面があるかもしれないと思い、その際の武器として使う目的で業務日誌を作り始めました。

「同じ一年を繰り返す」為の物差し

今のところ人事当局と戦う予定は皆目ありませんが、それでも業務日誌はすごく役に立っています。
ブログのため……は一旦置いといて、ちゃんと役所実務にも活きています。

地方公務員の仕事(特に本庁)は、議会や予算編成のような年中行事のウェイトが大きいです。
年中行事のスケジュールは毎年ほぼ同じで、年中行事への対応が必要な時期は他の業務にはなかなか時間が割けません。

 
そのため、年中行事以外の各担当者の個別業務は年中行事の合間にこなさざるを得ず、結果的に年中行事も個別業務も例年同じようなスケジュールで回すことになります。

そのため、昨年度のスケジュール感が分かれば、今年度の見通しがだいたい持てるのです。

具体的には
  • どの時期にどんな業務をやっていたのか
  • 業務の順序はどうなっていたのか
  • 時間がかかる業務はどれか
  • 繁忙期はいつなのか

こういったポイントが分かれば、大いに参考になります。
そのまま真似してもいいし、改善の余地を探すヒントにもなります。

一年分の業務日誌を作ってしまえば、二年目以降がかなり楽になります。
スケジュール感の把握に使えますし、業務の遺漏がないかを確認するチェックリストとしても使えます。

仕事熱心で優秀な方であれば、自ら担当した業務のスケジュール感くらいはきちんと記憶できていることでしょう。
しかし僕みたいな下位層は覚えていられません。記録しておかないと参照できないのです。

異動するときには、そのまま引き継ぎ資料としても使えます。
「報告した残業時間」のようなプライベート情報は消したほうが無難ですが、その他の項目は「日誌」以外の形態ではなかなか伝えにくい情報で、かつ後任者にとってもニーズのある情報だと思います。


ちなみに霞が関出向経験のある職員によると、本省勤務の職員はプロパーであれ出向者であれ業務日誌を作るのが一般的らしいです。
異動のスパンが短く、全国転勤が当たり前でなかなか前任者に質問しづらい環境なので、こういう日々の記録がものすごく重宝するとのことです。

「自分史」としての業務日誌

地方公務員のキャリアパスは「ジェネラリスト志向」と評されるもので、定期的な人事異動を通して色々な分野に広く浅く関わることになります。
「様々な業務を経験することで幅広い知見を習得する」ことが目的です。

ジェネラリスト志向そのものの是非は置いといて……この目的を達成するには、過去に経験した業務についてしっかり覚えていなければいけません。

業務日誌は、自分の地方公務員経験の蓄積を可視化したものです。
記憶だけでは保持しきれない知識やノウハウを保存できる媒体であり、ジェネラリストとして成長する助けになると思います。


さらに業務日誌は、過去の自分のスクリーンショットのようなものでもあるとも思っています。
過去の自分の感覚や感情といった主観的な部分が、業務日誌の中にはありありと残っています。

僕の場合だと3〜4年目の日誌が痛々しい感じになっており、恥ずかしくて人には見せられないポエムみたいなコメントが多数書かれています。
しかし当時は真剣でしたし、今でも日誌を読み返せば当時の感覚が蘇ってきます。

過去の感情は、なかなか記憶には留めておけないものです。
むしろ容易に上書きされてしまいます。

業務日誌の記述を通して、こういう若かりし頃の戸惑いや不安、驕りや勘違いのことを覚えていられれば、後輩や部下と接する際に役に立つのでは……とも思っているところです。



僕が地方公務員になってから2年くらい経った頃から、役所内でも「傾聴」という言葉をよく聞くようになりました。

 

傾聴とは、相手のいうことを否定せず、耳も心も傾けて、相手の話を「聴く」会話の技術を指します。意識すべきなのは、相手に共感し、信頼していると示すこと。経済産業省が「職場や地域社会の中で多様な人々とともに仕事するうえで必要な基礎的な能力」として提言している「社会人基礎力」の要素にも、「傾聴力」が含まれています。(引用元




要するに、相手の話をしっかり聞き、受容することなのでしょう。

僕自身、本庁勤務の県庁職員にしては住民対応が多い仕事ばかり回ってきており、日々の仕事でもとにかくまずは傾聴するよう意識してきました。

ただ最近は、地方公務員の傾聴には良し悪しあると考えています。 
誰に対しても公平にサービスを提供しなければいけないという役所の性質上、むやみやたらと傾聴していると、コストが無限に膨らんでいくのです。

さらに傾聴は、受ける側(喋る側)にとっては、快感にほかなりません。
傾聴してもらうこと自体を目的に役所に来られたり、電話かけてくる方は、今や大勢います。

「役所の傾聴」はコスパが良い

傾聴はもともと高級品です。お金を出さないと得られないサービスです。

傾聴だけを単品で提供するサービスであれば、カウンセリング、法律相談のような相談窓口があります。
ホストクラブやキャバクラのような接待を伴う飲食店も、れっきとした傾聴サービスでしょう。
いずれも基本的に有償です。無料では利用できません。

役所の場合、窓口に何時間居座ろうと、何時間電話をしようと、料金はかかりません。
完全無料です。

発言する話題もかなり自由です。
もちろん役所とは全然関係ない話(最近パチンコの調子が良くない等)はさすがに駄目ですが、行政と少しでも関係のある話題であれば、役所側は追い返せません。
使い勝手が良いと言えるでしょう。

つまるところ、ただ傾聴してもらうだけであれば、民間サービスよりも役所の窓口を利用したほうが、圧倒的にコスパが良いのです。


誰かの得=誰かの損、トレードオフ

役所の傾聴サービスのコスパの良さに気づいてどハマりする方は結構います。

特に高齢男性には、若い女性の多い福祉部局をキャバクラ代わりに使う方もいます。
日本酒入りペットボトル片手に窓口に来て、女性職員相手に、取り止めのない話を延々と続けるのです。

新型コロナウイルス感染症騒動が始まってからは更に増えました。
不満や不安が募り積もって傾聴サービスそのものへの需要が高まっているのか、外飲みに出られなくなった等のために民間傾聴サービスが利用できなくなったせいかのか、理由はよくわかりませんが、確実に増えてはいます。

サービスの受け手(傾聴される側)からすればお得であっても、サービスを提供する側、つまり役所側からすれば、私的満足のために職員を長時間拘束されるのは大損にほかなりません。

より正確にいうと、役所が損をするというよりは、「傾聴される一人」以外の全住民が損をします。
本来であれば他のサービスに供されるはずだった職員の時間とマンパワーを、「傾聴される一人」に私的独占されたからです。

もし残業代が生じるのであれば、余計な人件費負担を課されるわけでもあります。
他人のキャバクラ代を割り勘で払わされているようなものです。


政治判断を待つしかない

役所の傾聴サービスの実態を知れば、「税金の無駄遣いだ」と怒る方もいると思います。
「全体の奉仕者たるべき公務員が、その趣旨に反して特定個人に便宜供与している」と糾弾されても、反論できません。

一方、役所による傾聴サービスを必要としている人がいるのも事実です。
最近は「関係の貧困」が問題視されており、対策の一環として「自治体による傾聴」が位置付けられることもあります。
つまり、「関係の貧困」対策というお題目の下、傾聴サービスのさらなる充実を正当化することも可能なのです。

どちらの方向で進むのか、決めるのは役所ではなく政治です。
僕みたいな木っ端職員は、事態の趨勢を見守ることしかできません。

いずれにせよ、現状ですら「傾聴の提供」に膨大なコストがかかっているという事実、そして行政による傾聴サービスをより充実させるには相当なコストの上乗せが必要という事実は、世間全体に広まってほしいと思っています。

現場職員の「創意工夫」や「自発的努力」でなんとかなるレベルではないし、行政リソース配分の問題として真剣に考えなければいけないと思います。

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