キモオタク地方公務員(県庁職員)のブログ

地方公務員の人生満足度アップを目指しています。地方公務員志望者向けの記事は、カテゴリ「公務員になるまで」にまとめています。

カテゴリ: 公務員の仕事術

若い頃こそ自己投資に惜しまず資金を投じるべし——このような金言は、ビジネス書や各種セミナーで繰り返し説かれ、一種の真理として社会に浸透しています。
とりわけ地方公務員にとって、この言葉は一層重みを持つかもしれません。

「民間企業と違ってスキルアップの機会が限られている」
「人事異動のたびにキャリアがリセットされる」 
このような悩みを抱える地方公務員の方々が、自腹を切ってオンラインセミナーに参加したり、資格取得のために貴重な休日を犠牲にしたりする姿は珍しくありません。

僕自身、就職後にいくつか資格試験に挑戦しており、つい先日もITサービスマネージャ試験に挑んできました。
こつこつ試験勉強して少しずつ問題が解けるようになっていくのが快感なのと、試験本番のヒリヒリ感が癖になっているんですよね。

しかし、これまで十数年役所勤務してきた経験から率直に申し上げると、これまで取得してきた資格は、地方公務員稼業にはあまり役立っていません。
宅建だけは胸を張って「役立つ!」と断言できますが、そのほかは正直微妙なところです。少なくとも、私財とプライベートを投じるほどの価値があるとは思えません。

資格のみならず、自分自身のスキルアップに投資したとしても、地方公務員稼業にはそれほど寄与しないと思っています。
自分のキャリアを切り拓くために自己投資したとしても、「期待したほど報われない」可能性が高いのです。
 

一般的な自己啓発・自己投資のリターンは小さい

今更言うまでもなく、多くの自治体では定期的な人事異動が行われます。
だいたい2〜3年周期で部署が変わるため、ある分野の専門知識を習得したとしても、それを活かせる期間は限られています。

しかも、地方自治体の業務は多岐にわたっており、どんな部署でも幅広く活きるような汎用的専門知識があまりありません。
「地方公務員なら○○を勉強しておけばずっと役立つ」みたいな鉄板分野があればシンプルなのですが、今のところ僕には思いつきません。強いて言えば都市計画法くらいでしょうか……

さらに組織として、職員にはさほどの専門知識を求めていないとも思います。
多くの自治体は、特定分野の専門知識よりも、組織の中で円滑に業務を進められる調整力や人間関係構築能力を持つ人を高く評価します。出世コースを歩む職員を見ていると、この傾向は明らかです。

結果として、たとえ高度な専門知識やビジネススキルを獲得しても、それを活かす機会はごくごく限られますし、かつ職場での評価につながらないのです。
 

真に投資すべきは「地域探求」

キャリアアップを目指す地方公務員が、まず真っ先に時間とお金を投資すべきは、「勤務先自治体のことを知る」ための活動だと思います。
 
自治体職員として最も汎用性が高く、どの部署に異動しても活かせる知識とは、自らが勤務する地域についての深い理解です。
普通に働いていれば、勤務先の役所が実施している施策に関しては自然とわかるようになってきますが、さらなる高みを目指すのであれば、それだけでは不十分です。
地域の歴史や文化、産業構造、民間サービスの実態、住民の生活様式など、自分が関わっている地域を多角的な目線で地域を理解することが求められます。
 
この「地域を知る」という学びの旅には、明確なテキストもなければ、導いてくれるメンターも存在しません。何を学ぶべきか、どのように学ぶかを自ら設計し、行動に移す必要があります。
だからこそ習得が難しく、真似されにくい、自分だけの強みとなり得ると思います。
 

労働市場での価値が全てではない

もちろん、セミナーや資格取得を通じて知識を増やすことは、個人の人生を豊かにするでしょう。しかし、それらを地方公務員の業務に活かそうとするのは、現実的ではないと考えています。

地方公務員としての真のスキルアップを目指すならば、その地域にどっぷりと浸かることが近道です。
休日の旅行を減らし、代わりにローカルイベントに参加する。通販で全国各地の物産を楽しむより、地元の店舗を巡る。
そうした日常の小さな選択の積み重ねが、地域への理解を深め、結果として職務パフォーマンスの向上につながるのです。

つまるところ、日常生活のあらゆる場面が、 地方公務員として成長する「学びの場」なのだと思います。この認識こそが、地方公務員として真に価値あるスキルアップへの第一歩となるでしょう。

このブログの読者各位は、きっと仕事熱心で向上心のある方々なのだろうと思います。
そうでなければ、わざわざ余暇の時間を割いてまで地方公務員ネタに触れようとは思わないはずです。

そのような皆様は、地方公務員(元職含む)が書いた仕事術のような書籍(以下「地方公務員本」)も読まれているかもしれません。
あくまでも僕個人の感覚ですが、地方公務員本は、読み物としては面白いものの、実務ノウハウとして役立つかは怪しいと思っています。
過去にも、地方公務員本は眉に唾をつけて読んだほうがいいという趣旨の記事を書いています。



今回取り上げるのは、地方公務員本によく登場してくる「上司の視点に立って物事を考えよ」という助言です。

ヒラ職員ならば係長、係長ならば課長補佐、課長補佐ならば課長の視点を意識して仕事することが、自身の成長につながるし、組織内でもありがたがられる……という趣旨の助言であり、指定職や部局長のような高位役職経験者が書いた本によく登場します。

この助言のうち「ヒラ職員が係長の視点を意識する」という部分は、僕は危険だと思います。
職員個人としての成長には資するかもしれませんが、行政サービスの質は低下するでしょうし、組織としても誤った意思決定の原因になりかねないと思います。

「ヒラならでは」の大切な役割

ヒラ職員の仕事は、部署や職種によって様々です。
係長以上になると「組織を回す」「部下のマネジメント」といった共通点が出てきますが、ヒラ職員の仕事は本当に多岐にわたっています。ゆえに、ヒラ職員に共通する助言をすること自体、なかなか難しいことだと思います。

あえて共通する部分を挙げるなら、行政サービスを正しく提供することと、「世間」を正確に把握することだと思います。

前者は言わずもがな、担当する業務を誤りなく滞りなく処理して、行政サービスを提供することです。
一方、後者のほうはあまり意識されていないかもしれませんが、世間すなわち一般大衆(住民の大多数)の情報を、日々の業務を通して収集・把握することも、ヒラ職員の重要な役割だと思っています。ヒラ職員が集めたこのような情報をベースとして、役所は意思決定をしているからです。

ヒラ職員は、役所組織の中で最も「世間」と近いところにいます。
まず、物理的に近いです。窓口や電話越しに住民と直接接触する機会が多く、現場(=役所の外)で何が起こっているのかを一番把握できる立場にいます。
加えて精神的にも近いです。地方公務員歴が比較的短く、役所組織特有のバイアスや思考様式にまだ染まりきっていないので、現実をあるがままに見ることができます。

係長は係長、課長は課長で、それぞれ独自に「役所の外」とのパイプがあり、情報収集ができるのですが、「世間」すなわち一般大衆の情報を最も正確かつ大量に収集できるのはヒラ職員ならではの強みだと思います。

ヒラ職員が係長みたいに「情報の取捨選択」に手を出すと……?


先にも少し触れましたが、係長には「組織を回す」という役割があります。
組織を回すためには、(僕自身は係長の仕事をしたことがないのであくまでも推測ですが)、ヒラ職員から吸い上げた「世間」の情報を、組織として評価……例えば「組織として必要か否か」といった軸で情報を評価・選別しなければいけません。

ヒラ職員が収集した情報をそのまま上司や他部署に報告してしまうと、受け手側の負担が重くなります。受け手が判断を下しやすいように、係長が情報を評価したうえで取捨選択・再構築することで、組織は円滑に回るようになるのです。

「組織にとって必要な情報を見極める」というのは、係長にとって必須のスキルだと思います。
このスキルを習得することが、地方公務員の「成長」のひとつとも言えるでしょう。

しかし、ヒラ職員が係長の視点、つまり「組織にとって必要か」という視点で情報を選別し始めると、今後は「世間」をあるがままに理解しようとする人がいなくなってしまいます。
言い方を変えると、「役所組織のバイアス」がかかった情報しか入ってこなくなるわけであり、世間を正確に把握できなくなります。
正しい世間の情報を得られなくなれば、意思決定にも悪影響が出てくるでしょう。

「ヒラ職員は係長の視点に立って仕事せよ」という助言は、このような事態を助長しかねない、リスクの高い助言だと思われるのです。

(昔と違って)今のヒラ職員は忙しい

この助言も、平成中期くらいまでは有益だったのだろうと思います。
当時は今よりも職員数が多くて1人あたりの担当業務も少なく、かつヒラ職員の仕事は単純作業が中心でした。この時代なら、ヒラ職員には「世間」をちゃんと把握したうえで背伸びして、係長のように組織目線で情報を取捨選択してみるだけの余裕があったと思います。

しかし当時と比べ、今のヒラ職員はとても忙しいです。
役所の業務量は増える一方で、職員数は減っており、1人あたりの担当業務が増えています。
加えて、単純作業は非正規の方(会計年度任用職員)や外注で回すようになり、ヒラ職員でも管理者的な仕事をすることが多くなり、業務の質的にも負担が増しています。

しかも今は、デジタル化の急進展をはじめ、社会の変化が加速しています。
役所としても、激動する世間を正確に捉えることのほうが重要ではないでしょうか?
うかうかしているとすぐに「時代遅れ」になってしまう現代において、情報収集の重要性は一層増していると思います。

僕は現在、X(旧ツイッター)のアカウントを2つ持っています。
かれこれ15年近く使っているオタク趣味アカウントと、このブログ開始と同時期に作った公務員関係者しかフォローしていないアカウントです。

Xの仕様が変わったのか、昨年夏頃から、自分がフォローしているアカウントのとは関係なく、バズったツイートが「おすすめ」としてよく表示されるようになっています。

その結果、オタクアカウントのほうに、おすすめされるツイートとして地方公務員の愚痴が頻出するようになりました。
多分、X全体で見ても、地方公務員の愚痴ツイートがバズっていると認定されているのだろうと思われます。

中身は「電話で長時間クレームを受けた」とか「てにをは直すだけで一日が終わった」「我儘老人の相手ばっかりで生産性皆無」みたいな地方公務員あるあるネタで、だいたい1000fav、1000RTくらいを達成しているものです。

「変な客がいた」とか「上司からハラスメント受けた」みたいな、どんな仕事にも共通する仕事の愚痴ツイートは、ほかにもよく流れてくるのですが、特定の職種の「あるあるネタ」がバスって流れてくるのは、今のところ地方公務員と公立学校教員だけです。

このような現象が生じているのは多分自分だけではなく、他の方にも生じているようで、「愚痴ツイートが頻繁にバズるという」現象を捉えて、「地方公務員/教員という仕事はクソだ」と評価を下すツイートがまたバズる……という派生系まで見られるくらいです。

地方公務員にしても教員にしても、手放しに「素晴らしい仕事だ」と褒め称えることはできないと思います。
とはいえ、他の職種と比べて極端に悪いかと言われると、そうでもないと思います。

どうして地方公務員や教員の愚痴ツイートがバズりやすいのか、考えてみます。


母数が多い

まず、地方公務員や教員の人数を見ていきます。
他の業界と比べて母数が多いのであれば、その界隈のツイートがバズっても不自然ではありません。

国の統計によると、正規職員の地方公務員(一般行政)の人数は約94万人、教員は約100万人です。

※一般行政職員は総務省「定員管理調査」、教員は文部科学省「学校基本調査」より

この人数は、他の業種と比べても大して多くはありません。
例えば製造業や卸売業・小売業には1000万人以上が就業しています。


この数字には非正規雇用の人数も含まれていますが、正規雇用の人数だけを比較しても、地方公務員よりも多いです。
例えば製造業の正規雇用率は76.7%なので、正規雇用の人はだいたい760万人くらい存在することになります。やはり地方公務員・教員よりも圧倒的に多いです。

ということは、製造業あるある愚痴ツイートを投稿すれば、従業者=当事者が7倍存在するために、地方公務員の愚痴ツイートの7倍バズってもおかしくなさそうですが、実際のところ製造業ネタはそれほどバズっていないと思います。

逆にいえば、製造業の1/7しか従業者がいないのに愚痴ツイートがバズる地方公務員という仕事は、製造業よりも圧倒的にブラックな仕事、ということなのでしょうか?
僕は違うと思います。

実際、地方公務員の愚痴ツイートがバズりやすいのは、母数(=当事者)が多いのがひとつ理由として存在すると思います。
地方公務員の約94万人は、(一部技術職も含まれていますが)大部分が「いつどこに異動させられるかわからない」事務職の職員です。つまり同類であり同じ穴の狢です。
同じ境遇に置かれていて、似たような仕事をしているわけで、琴線も近似していて、刺さるツイートの傾向も近しいと思われます。
教員の約100万人も言わずもがな、教壇に立って児童生徒を教えるという仕事をしている同一集団です。

一方で、製造業の約760万人には、いろいろな職種の方がいます。
工場の現場の方はもちろん、経理だったり営業だったり……しかも地方公務員とは異なり、職種間での人事異動は稀です。そのため、いくら同じ製造業に従事している人とはいっても、感覚はだいぶ異なると思います。
別の言い方をすれば、約760万人の中に、業務内容や勤務条件が大きく異なるクラスターが複数存在していて、それぞれのクラスターの人数は、地方公務員よりも小さいのだろうと思われます。

つまるところ、地方公務員や教員の愚痴ツイートがバズりやすい理由のひとつは、同質的な人が他職種と比べても多いから、だと思います。

環境が同じ

同じような仕事をしている人がたくさんいたとしても、就業条件が異なれば、愚痴の中身も変わってきます。そうであれば、愚痴ツイートがバズるという現象は生じないでしょう。

愚痴ツイートがバズる、つまり共感されるのは、地方公務員や教員が、全国どこでも同じような境遇にいるからなのだと思います。
愚痴ツイートに頻出する「クレーマー住民」とか「高圧的な上級官庁」、「横柄な高齢者」、「サービス残業」あたりの要素が全国どこの役所にも遍在していて、全国どこの地方公務員も同じような不満を抱いているから、その不満を言語化した「愚痴ツイート」がバズるのです。

このような点も、他の業種には見られない特徴なのだろうと思います。

個人的経験が救いになりうる

今回、地方公務員や教員の愚痴ツイートがバズりやすい理由として、2点の特徴をピックアップしてみました。
正直、どちらも改めて考えなくても当たり前のことで、この記事を読んでいる皆様も、特に新鮮には感じなかったと思います。

地方公務員や教員の愚痴ツイートがバズりやすいのは、全国の同類たちが同じような悩みや不安、苛立ちを抱えているからに他なりません。
つまり、自分が今苦しめられている状況には、他の人もきっと同じように苦しめられているはずです。


精神が参ってくると、「これは自分だけの問題だから他の人にはどうしようもない、自分でなんとかするしかない」と、他者に頼るのを諦めようとしてしまいがちです。

しかし実際のところ、地方公務員や教員が抱える悩みはけっこう類型化されていて、SNSを覗いてみれば、同じように苦しんでいる人が見つかると思います。
「一人じゃない」とわかるだけでも気が楽になりますし、いざとなれば相談することもできます。

同時に、もし自力で何か困難を解決したことがある人は、その経験談を発信すればいいと思います。
その困難もまた自分固有のものではなく、きっと他の人も直面しているはずだからです。
経験談を披露することが、きっと誰かの助けになるはずです。


地方公務員にしても教員にしても、常に四面楚歌の環境で仕事をせざるを得ません。
周囲が敵だらけだからこそ、仲間内では助け合う必要があると思います。

遅ればせながら、明けましておめでとうございます。
例年であれば暇すぎてブログ記事の書き溜めをしていた年末年始ですが、今回は婚活のせいで非常に忙しく、年始の挨拶すらできないまま10日も経過してしまいました。

毎年、新年1発目の記事は「地方公務員界隈の今年の展望予測」をお送りしております。
ちなみに去年は「地方公務員の給与は高すぎるとの批判を浴び続けそう」でした
当たらずも遠からず、といったところでしょうか?

今年は……インターネット上の住民運動が活発になり、その対応に手を焼く一年になると思っています。

ネットの力が(今更ながら)注目を浴びた2024年

2024年10月に実施された兵庫県知事選挙と衆議院総選挙では、どちらもインターネット上での選挙戦が結果に大きく影響したと報じられてます。
選挙区ごとに事情は様々なのでしょうが、全体としてこのような特徴があるのは間違いないと思います。

もちろん、「インターネットを使ったから勝った」という単純な話ではなく、インターネットをうまく使いこなしたから勝利したのだと思います。しかし、具体的にどのような使い方をしたのかまでは報じられていません。
そのため、少なくない人(特にインターネット文化に親しみのない人)が、「ネットを使えば世論を動かせる」とシンプルに理解しているんじゃないかと思います。

ここ最近、婚活の話題作りのためにテレビドラマを見るようにしているのですが、現代が舞台のドラマだと、あらゆる作品で「SNS上でバズる」シーンが出てきます。
そして大抵の作品で、SNSでのバズシーンは起承転結の「転」にあたります。バズることによって事態が好転したり暗転したりします。

実際のところ、インターネットの活動を通して世論を動かすには、膨大な人手・お金・ノウハウが必要です。テレビドラマのように、多少バズった程度で激変するわけではありません。
しかし、インターネットを使って現に世論を動かしている人たちが具体的に何をしているのかは明らかにされておらず、一般的には「バズらせる」以外の方法がよくわからないのも事実です。

そのため、「ネットを使う=バズらせることが重要」「とにかくバズらせれば世論を動かせるかもしれない」と認識している人が大多数なのではと思います。
そして、2024年の選挙戦の結果を見て、「バズらせることの威力の大きさ」を確信したのではないかと思います。

バズ狙い連中との戦いが激化

地方公務員という立場では、「ネット上でバズらせれば役所に勝てるかも」というワンチャン狙いの戦いを仕掛けられることが、これまで以上に増えると思います。

例えば、ホームページ上の記述を恣意的に切り取ってSNS上で晒したり、特定の人にしか渡らないはずの資料を公表されたり……でしょうか。

実際、僕が所属している課でも、似たような事案が昨年末に発生しました。
政策研究家を名乗る方が、ホームページ上で公表している補助金要綱の一部を抜粋して、あたかも補助対象が特定地域にだけ限定されているかのように見せかけ(実際は県内全域が対象)、ツイッター上で「こんな欠陥制度は許されない」と投稿したのがそこそこバズり、翌日には10件ほど苦情メールが届きました。
この事案のせいで、部局長に報告するための資料を作ったり、広報担当課と対策を相談したりする羽目になり、1.5営業日を奪われました。ただでさえ予算業務で忙しいのに……

このような事案が、今年は増えていくような気がしています。

僕が経験したこの案件は、役所側に全く非が無かったので、堂々と対応できました。
しかし、役所側にわずかでも非がある場合には(誤解を招きそうな紛らわしい文面だった等)、対応は難しいと思います。

「世の中は悪意に満ちている」という認識を常に忘れず、ガチガチに守りを固めていくことが、これまで以上に重要になるのだろうと思います。

正社員でもアルバイトでも、働いたことがあれば一度は「できない理由を考える暇があったら、どうすればできるのか考えろ」という叱咤激励を受けたことがあるでしょう。

「できない理由、禁止」という標語は社内教育用のポスターとしても販売されているようで(しかも人気上位)、どれだけ世の中に浸透しているか窺えます。


この標語は、民間企業のみならず、今や役所内でも定番です。
「無能なくせに『できない理由』を取り繕うことだけは得意」という地方公務員叩きの常套句がありますが、同じような指摘が上司から部下にも度々下されます。

「できない理由」を考えるのは時間の無駄であり、どのように実現するか具体的に方法を詰めていくかを考えていくほうが前向きで有意義だというのです。

ただ僕は、役所においてこの標語に金科玉条のごとく掲げるのは非常に危険だと思っています。
「できない理由」を考えることは非常に重要ですし、ひたすら「できる方法」を追い求めていると、単にトラブルを招くだけだと思います。

「できない理由」を考えることは生産的な営み

そもそも、何か新しいことを実施・実現するための正攻法は、「できない理由」をひとつひとつ潰していくことだと思います。
「できない理由」をしっかり考え抜いたうえで、どうすれば「できない理由」を解決できるのか具体的な方法を考えていく……これこそが正攻法であり、「できない理由」を軽視して「できる方法」だけを考えるのは、一休さんの「とんち」の現代版を作ろうとするかのような、抜け道的な手法だと思います。

「できない理由」とは、表現を変えると「課題」です。
何かを実施しようとする際に、まず「できない理由」の分析整理、つまり「課題の洗い出し」から始めることは、果たして無駄なのでしょうか?

また、ビジネス書などでは、解決すべき致命的な課題のことを「イシュー」と表現して、イシューを正確に捉えたうえで対策に移るべきだと指摘しています。
「できない理由」を考えるのは、まさに「イシューを設定する」ことに直結すると思うのです。

「できない理由」を顧みずに「できる方法」を探して実施するのは、現状存在している課題を放置することに他なりません。
いわば「臭いものに蓋」をして、目を背けるわけです。

このような物事の進め方は、柔軟で機動的な行動が許容される個人や民間企業ならまだしも、役所という敵だらけの組織体が行うにはリスクが大きすぎます。
見出した「できる方法」が奏功して何か新しい価値を実現できたとしても、課題を放置したことに対して激しい非難が寄せられるに決まっています。

もちろん、「できない理由」を放置したままで、即効性のある「できる方法」に着手するケースもたまにはあるでしょう。
しかしこれには非常にリスクの高い判断であり、それなりに責任を持てる人でないと下してはいけないと思います。

「できない理由」で論破するために

下っ端の地方公務員の職責は、「できない理由」を徹底的に考え抜き、「できない理由は聞きたくない」と唱えてくる方々をを説得することだと思います。
ただ実際のところ、この説得がうまくいっていないがために、役所内でも「できない理由、禁止」という風潮が罷り通っているのでしょう。

「できない理由」不要論者の方々の多くは、「できない理由」のことを「言い訳」だとみなしてきます。
できない理由が言い訳じみてしまうのは、2パターンあると思っています。

一つは単純に深掘りが足りないパターンです。
即座に反論できるような理由しか提示されなければ、受け手側には「言い訳」のように映ってしまい、「できない」と納得することもできなくて当然です。

「できない理由」を突き詰めていくと、お金、時間、人手、法規制、倫理、過去のしがらみ、住民感情あたりに行き着くと思います。
どのような類型に該当するのかを意識しながら現状を整理していけば、理路整然として説得力のある「できない理由」を構築できるのでは?と思っています。

もう一つは、「本当はできるけどやりたくない」ことを、「できない」と言いたいがために、無理やりこじつけているせいで、説得力が損なわれているパターンです。
文字化すると大変不誠実な姿勢なのですが、実際このような状況に陥るケースはとても多いです。

この場合でも、「やりたくない理由」を深掘りしていけば、どこかで「できない理由」との接点が見えてくるはずで、こうやって炙り出した「できない理由」を整理していくしかないと思います。

例として、住民から「A公園の草刈りをもっと頻繁にやってくれ」と要望が来たケースを考えてみます。
この場合、草刈りを増やすこと自体は不可能ではありませんが、実現するためには
  • 財政課に対して予算の増額要求
  • 草刈り業者の確保
  • 別の公園についても「草刈りを増やせ」と言われた際の対応を考える
  • A公園を地盤とする議員への事前説明(要望主がこの議員の反対勢力だったりしたら、実現してはいけないので)
  • 草刈りをしないことで恩恵を受けている人がいないかの調査(別の住民がヤギを飼っていて定期的にA公園の草を食べさせており、除草されると困る など)
などの面倒な作業が色々必要になり、実施したくないとします。

こうやって「やりたくない理由」をリストアップしていくと、まず「お金が無い」「人手が無い」という「できない理由」がすぐに見つかります。
さらにそれぞれを突き詰めていくと、もっと別の「できない理由」にも至れるはずです。


明かされざる「地道な準備」こそ「スーパー公務員」の真髄?

僕の勤務先県庁では、「ボトムアップ提案」とか「若手主導の事業」という触れ込みで始まった新規事業が、半年も経たないうちに頓挫してしまうケースが続出しています。
その理由がまさに、これまで実施してこなかった事情や背景の分析、つまり「できない理由」の検討不足です。
「どうして今まで実現できなかったのか」を冷静に分析することなく、「この方法ならできるかもしれない」という一筋の希望だけを頼りに事業化してみた結果、うまく回っていないようなのです。

彼ら彼女らは「スーパー公務員」の事例を参考に意気揚々と取り組んできているようなのですが、見事に足元を掬われています。

「スーパー公務員」の方々の成功事例が紹介される際、たいていは「とんち」みたいな斬新な手法ばかりが着目されていますが、きっとその斬新な手法を実行する前に、きちんと「できない理由」を整理して、その手法で問題ないことを確認しているだと思います。
このような地道な下準備を経ているからこそ、成功を収めているはずです。

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