キモオタク地方公務員(県庁職員)のブログ

地方公務員の人生満足度アップを目指しています。地方公務員志望者向けの記事は、カテゴリ「公務員になるまで」にまとめています。

タグ:オタク

新型コロナウイルス感染症が収束したら、自治体の観光PR合戦が始まると思っています。
自治体が自発的に施策を打ち出すだけでなく、旅行会社や広告代理店からも自治体にガンガン営業を仕掛けて合戦を煽っていくでしょう。
もしかしたら既に水面下で動いているところもあるかもしれません。

PRの手法は色々ある中、個人的には「アニメとのタイアップ」が増えるのではないかと思っています。
去年の「鬼滅の刃」の大ヒットを受けて、田舎の重鎮たちもさすがにアニメ作品の影響力を理解したことでしょう。
そういう方々が「アニメ作品=若年層に対する有効なアプローチ」だと思い込んで、「アニメ作品を媒介に地域の魅力を発信しよう!」という安直な判断を下しそうな気がしているのです。
少なくとも広告代理店はこういう宣伝文句を使って企画を売り込んできそう。


あくまでもいちオタクの感覚ですが、アニメ作品を絡めたご当地PRは、かなり難易度が高いと思っています。
特に役所のようなステークホルダーをたくさん抱えている存在が関与すると、どれだけ題材が良くて予算・時間が潤沢だとしても失敗しかねません。

以下、現実に存在する地域を舞台にしたアニメ作品を「ご当地アニメ」と呼びます。

アニメにおいてご当地要素は

まず前提として、映像作品としてのアニメの特徴をざっくり整理します。

アニメの特徴はすべての要素をコントロールできることです。
絵も音も動きも全て製作者の思いのまま、現実には不可能なシーンもアニメなら表現できます。

一方、現実に存在するものをそっくりそのまま再現するのは苦手です。
実写のほうがずっと簡単かつ高クオリティに仕上がります。

ほとんどの場合、ご当地要素は「現実に存在するもの」か「過去に存在したもの」です。
いずれにしても現実世界に存在したことのあるもので、単に正確に描写するだけであれば、アニメには向いていない題材です。

つまり、ありのままのご当地要素を発信したいのであれば、アニメよりも実写のほうがずっと適しています。
ご当地要素を「主」にした映像コンテンツを作りたいのであれば、実写ドラマのほうが作りやすくてディテールまで正確に表現できます。
わざわざアニメにするのであれば、ご当地要素はあくまでも「従」に位置づけ、「主」となる要素を引き立てるために使ったほうが効果的です。

以上はあくまでも僕の感覚です。
これに基づいて、「良いご当地アニメ」の条件を考えていきます。

多くの人が面白いと感じる

面白くないフィクション作品には誰も見向きもしません。
ご当地描写をどれだけ豊富に盛り込もうとも、視聴されなければ意味がありません。
ご当地描写は置いといて、作品として面白いことがまず必須の条件です。

PR効果を期待するのであれば、少数の熱狂的なファンから高評価を得るのではなく、多くの人に視聴してもらえる作品に仕上げなければいけません。

つまるところ、ごく限られた層にだけ刺さるニッチなアニメではなく、多くの人が面白いと感じる作品であることこそ、「良いご当地アニメ」の前提条件だといえます。

「大勢に受ける面白さ」はマジで難しい

創作行為の魅力かつ厄介なポイントは、誰にでもできるところです。

ドラマを見ながら「自分が監督ならこうするのに……」と思ったことが誰しも一度ならずあるのでは?
これも一種の創作です。
ゼロから物語を組み立てるのはハードルが高いかもしれませんが、「こうすれば面白いのでは?」という単発のアイデアを捻り出すくらいであれば簡単です。

ただし、「たくさんの人が面白いと感じるもの」を創作するのは、非常に難しいです。
才能と経験が必要であり、素人が口を挟む余地はどこにもありません。

このため、行政はアニメ制作には極力関与しないほうがいいと思っています。
ご当地要素に関しては行政は間違いなくプロですが、創作に関してはド素人集団であり、行政の意見をどれだけ取り入れようとも決して面白くはなり得ないし、むしろノイズになりかねません。
 

議員や地域住民も同様に、制作とは距離を置くべきだと思っています。
地域のことにどれだけ詳しくとも創作に関してはド素人であり、彼ら彼女らの意見を作品に反映させる必要はありません。

しかし、行政が下手に関わると、創作の現場に民主主義のルールが持ち込まれてしまい、こういったド素人の意見を作品に盛り込まなければいけない状況に追いやられかねません。

たとえばアニメ制作過程から補助金を出してしまえば、議会や住民から「行政には監督責任がある」とか「税金が投じられているのなら住民の思いを反映させるべきだ」という意見が噴出した場合、行政は逆らえません。

放送前から行政がガンガン宣伝しているような作品は、もしや制作過程にまで行政が絡んでいるのでは?という懸念を抱かせます。具体的な名称は挙げませんが……

ご当地要素を詰め込みすぎない

先述したとおり、すべての要素をコントロールできるのがアニメ作品の特徴です。
作中で描かれているものは、すべて作品において必要なものであり、何らかの意味が付与されています。

ご当地要素も同様です。作品にとって必要だから描かれるのです。
逆にいえば、特に意味もなくご当地要素をつっこむと、ものすごく浮きます。

たとえば島根県松江市が舞台のアニメがあるとします。
松江市は日本三大和菓子処に数えられる都市です。
せっかくなのでその特徴を活かすべく、主人公の自宅の居間のテーブルの上に毎回異なる銘菓を置くことになりました。

この場合、「テーブルの上に毎回異なる銘菓が置いてある」ことに意味を持たせなければいけません。
  • 銘菓を常に用意しておかなければいけないくらい来客が頻繁な家庭であることを暗示する
  • 主人公が後々虫歯になる展開の伏線
  • 主人公の母親が茶道教室を開いていて、稽古に使うお菓子が毎回余っている(内気なヒロインがその茶道教室に通っていて、「稽古のお菓子」という共通の話題がある主人公とだけは会話できる設定の背景として機能する)

なんでもいいです。とにかく意味付けが無ければ、視聴者は冷めてしまいます。
「制作サイドが大人の事情で入れたんだな」と感じて、いやがおうにもフィクションの世界から意識が逸れてしまいます。

反対に、うまく意味付けができれば、視聴者は「松江市といえば和菓子」という印象を好感をもって記憶するでしょう。
ご当地要素は、単に作中に盛り込むだけでなく、ストーリーの中でうまく調理・消化してこそ輝くのです。

どんな作品でも、根幹となるテーマと尺が決まっています。
そのため、ひとつの作品で消化できるご当地要素には限界があります。
テーマとかけ離れたご当地要素は扱えませんし、いくらテーマに沿うものであっても扱える数には限りがあります。

質的・量的な限界を無視してご当地要素を詰め込んでしまうと、作品が崩壊します。
ご当地要素を消化しきれず、かえってノイズになって視聴者を辟易させてしまいます。

ご当地要素のオーラを活かしている

どんなご当地要素も、固有の歴史と文脈、そしてオーラを備えています。
ありきたりのスポットや、大量生産のノーブランド製品とは異なります。
つまるところ、味が濃くて存在感があるのです。

新海誠監督の「言の葉の庭」という作品は、新宿御苑が舞台になっています。
この作品を見たことがある方ならよくわかると思いますが、本作は新宿御苑でないと成立しません。
明治神宮でも駄目、日比谷公園でも駄目、上野公園でも駄目です。

新宿御苑が持つ固有のオーラが作品の本筋を際立たせているのだと思います。

作品の本筋と、ご当地要素の持つオーラが合致しないと、ちぐはぐな感じになってしまいます。
この意味でも、ご当地要素の盛り込みすぎは危険です。作品の出来を損ないます。
作品を彩るために必要な分に限って使うものです。


「公務員の常識」は「創作の非常識」

地方公務員的な感覚だと、どんな事業であっても「地域住民の声を積極的に取り入れ」たり「地域の魅力を幅広くふんだんに盛り込ん」だりしたくなります。
議会や住民、マスコミなどに説明する際に、受けが良いからです。
 
しかし、ご当地アニメを媒介にする場合では、これらの要素は地雷です。

ご当地要素を何でもかんでも詰め込むと作品が破綻します。
ご当地アニメにおいて、ご当地要素はあくまでも「従」であり脇役です。
「主」を描くための補助的要素にすぎません。

しかし、「主」をうまく描いて面白い作品として成立すれば、「従」のほうも魅力的に映るものです。
このあたりの塩梅は創作のプロに任せるしかありません。

ご当地要素の扱い方がものすごく巧かった作品が「ゾンビランドサガ」です。
なんと来月から第二シリーズが始まります。
オタク的にも楽しみですし、地方公務員的にも楽しみです。

自宅にいると自然とテレビやインターネット(SNSやニュースサイト)を眺めている時間が増えると思いますが、いずれも刺々しく攻撃的で見ていられません。
特に最近は建設的意見がどんどん減ってきて、既視感のある行政叩きを飽きずに繰り返しているだけのような気がしてなりません。

批判的・攻撃的言動と対峙するのは仕事中だけで十分です。
休日くらいは解放されないと精神が保ちません。

こういうときは本・漫画・アニメにどっぷり浸かって時事から目を逸らすに限ります。
とりあえず筆者おすすめのアニメをまとめてみたので、外出自粛生活のお供に是非。
+@の部分はまだまだ追加していきます。 
普段フィクションに触れていない方でも楽しめそうな作品を中心にピックアップしています。
そのため、それなりに素養がないと堪能できないような作品は除外しています。(鍵作品とか)
斜字体の文章は公式サイトからの抜粋です。

ストーリーがとにかく面白い

プリンセス・プリンシパル

舞台は19世紀末、巨大な壁で東西に分断されたアルビオン王国の首都ロンドン。
伝統と格式ある名門、クイーンズ・メイフェア校には、5人の少女たちが在籍していた。
彼女たちは女子高校生を隠れ蓑に、スパイ活動を展開。
変装、諜報、潜入、カーチェイス……。
少女たちはそれぞれの能力を活かし、影の世界を飛び回る。
「私たちは何?」
「スパイ。嘘をつく生き物だ」



こういう「おすすめ一覧」系のブログ記事って、最初に挙げたもの次第で雰囲気が決まると思っています。
というわけで初っ端は趣味全開で。

スパイアクションもの自体は世の中たくさんありますが、本作はそれだけではありません。
詳細は見てのお楽しみ。

魔法少女まどか☆マギカ

大好きな家族がいて、親友がいて、時には笑い、時には泣く、そんなどこにでもある日常。
見滝原中学校に通う、普通の中学二年生・鹿目(かなめ)まどかも、そんな日常の中に暮らす一人。
ある日、彼女に不思議な出会いが訪れる。
この出会いは偶然なのか、必然なのか、彼女はまだ知らない。
それは、彼女の運命を変えてしまうような出会いー
それは、新たなる魔法少女物語の始まりー


あまりに有名なためオマージュされまくっている作品。
作品自体は見たことなくとも結末は知っているかもしれません。
もし知らなかったら幸運です。初回放送時の衝撃を追体験できるんですから……

テレビ版(全12話)のほか、劇場版が3本あります。(うち2本はテレビ版の再編集)
まずはテレビ版の視聴を強く勧めます。
劇場版だけ見ても本編は追えますが、各話の切れ目が非常に重要な作品であり、テレビ版のほうが心に響くと思います。

ちなみに本作、東日本大震災のせいで11話以降の放映が半年くらい延期されました。
視聴者は10話を見た時点でお預けを食らったわけです。
この気分も是非追体験してほしいという意味でもテレビ版を勧めます。


翠星のガルガンティア

そらから来た少年、船団都市ガルガンティアと出会う
遠い未来
表面のほとんどを大洋に覆われた星、地球
宇宙で育ち
戦いしか知らなかった少年兵レドは
そこで初めて海を見た
広く、淡い翠に光る海
人々は巨大な船団を組み、
つつましくも生き生きと暮らしていた
通じない言葉
異なる習慣
レドは孤独な異邦人
だが、彼は一人ではなかった
ここで生きてゆくためになにができるのか
そして、なんのために生きるのか
翠の星で過ごす日々が、レドに問いかける


再放送されるたびに見ちゃう。
SFであり異文化交流でもある、なんとも言葉にしづらい作品です。
肌色要素が気になる方もいるかもしれませんが、あくまでも必要な肌露出なので問題ありません。むしろ途中から気にならなくなると思います。


TARI TARI

ある日を境に音楽から離れた坂井和奏。
歌うことを諦めきれない宮本来夏。
親友のために力を貸す沖田紗羽。

笑ったり喧嘩したり悩んだり恋をしたり……
ありふれた日常を送りつつ、少しずつ少しずつ前に進む少女達。
時には回り道をしながら、ひとりでは無理かもしれないけれど
親友がいればいつかきっとーー。

和奏、来夏、紗羽そして彼女達の奏でるアンサンブルが、音楽の力が
小さくも煌びやかな物語を紡ぎ出す。

高校生活最後の夏。
それは夢を諦めるには早すぎる季節。
江ノ島に響く歌声が今日も僕らを勇気付ける。


合唱をテーマにした青春物語……という紹介だとありきたりなお話のように見えますが、登場人物の人柄とか、細かい部分の描写の詰め具合で一枚上手をいく作品。

ためになる・考えさせられる 

がくえんユートピア まなびストレート

価値観の多様化がさらに進んだ2035年
高校へ行くことがあたりまえでなくなった時代・・・
少子化が進み、生徒数の減少から廃校の危機に立たされる学校も多くなっていた。
そんな活気を無くした学校のひとつ「私立聖桜学園」に、一人の転校生が現れる。
転校生の名は天宮学美(通称:まなび)。
元気少女のまなびは、聖桜学園にどんな旋風を巻き起こすのか?


これからの人口減少社会、絶対に参考になる作品。
教育関係者に限らず全公務員が視聴すべきだと常々思っています。

ちなみに本作を製作した「ufotable」は、鬼滅の刃の製作会社でもあります。
最近は美麗なバトルシーンばかり注目されている同社ですが、実はクレイアニメーションにも定評があります。

SHIROBAKO

この物語は、5人の夢追う女の子を中心に、
シロバコの完成を目指し奮闘するアニメ業界にスポットを当て
日々起こるトラブルや、クリエイティブな仕事ゆえに起こる葛藤や挫折、
集団で作るからこそ起こる約束や衝突といったアニメ業界の日常を描いた群像劇作品である。

 


過去に個別紹介記事を書いています。
「働く喜び」とは何か、改めて考えてみませんか?


ゾンビランドサガ

いつもの朝。いつもの音楽。いつもの自分。
7人の少女たちの安寧は、突如崩壊する。
死して蠢く、ゾンビによって……
否応なく踏み込んだ世界、そこは“最高×最悪のゾンビワールド”
少女たちの願いは、たった一つ。
「私たち、生きたい。」
これは、少女達が起こす奇跡の物語(サガ)。


こちらも個別紹介記事を書いています。

ご当地要素をアニメに盛り込むのは、実はものすごく大変です。
アニメに限らず、フィクションで描写される要素には、すべて意味があります。
ご当地要素も同様で、不用意に盛り込むと、ノイズになります。

行政がフィクション作品制作に関与すると、やたらとご当地要素を盛り込むせいで、ノイズだらけになってストーリーが破綻しがちです。
いきなり観光地を巡り始めたり、ご当地グルメを食べ始めたり……

本作はご当地要素をふんだんに盛り込みつつも、それらがうまく機能しているという稀有な作品。
メディアタイアップに関わる地方公務員は特に必見です。

元気が出る

リトルウィッチアカデミア

幼い頃にシャイニィシャリオの魔法ショーを見て魔女になることを夢見たアッコは
シャリオと同じ伝統ある魔女育成名門校「ルーナノヴァ魔法学校」に入学する。
新しい街、新たに始まる学校生活、そして新たに出会う友達。
魔法学校の中でほうきの飛行授業や魔法にまつわる不思議な授業など、
魔法学校ならではの授業の中でアッコやロッテ、スーシィたちが大騒動を巻き起こす!
ルーナノヴァを巻き込んだアッコの魔女への第一歩が今から始まるー
 


公式サイトの説明文だけだとハリーポッターっぽく思われるかもしれませんが、実際は海外ドラマと連続テレビ小説(朝ドラ)のハイブリッドのような作品です。とはいえ後半のスケール感はアニメならではですし、TRIGGERらしい熱い作品でもあります。

響け!ユーフォニアム

吹奏楽部での活動を通して見つけていく、かけがえのないものたち。
これは、本気でぶつかる少女たちの、青春の物語。


映像も音声も圧巻。言葉で説明できません。

ガールズ&パンツァー

戦車道は乙女のたしなみ!
戦車を使った武道「戦車道」が華道や茶道と並んで大和撫子のたしなみとされている世界。
県立大洗女子学園に転校生・西住みほがやってきた。
戦車道が嫌いで、戦車道のない大洗女子を選んだみほ。
ところが転校そうそう、生徒会長に呼び出され、必修選択科目で戦車道を選択し、
戦車道全国大会に出場するよう強要される。
しかも、集まったメンバーは個性派ばかり。
華道家元の娘の五十鈴 華、恋に恋する武部沙織、
戦車マニアの秋山優花里、朝に弱い優等生の冷泉麻子―。
友達とのフツーの女子高生活を夢見るみほの、ささやかな願いは叶うのか―?


最初は「なんで戦車なんだろう」と疑問に思うかもしれませんが、全話見てもわかりません。
視聴しているうちに気にならなくなります。
登場人物がみんないい子で、ついつい応援したくなります。

茨城県大洗町が舞台で、アニメによる地域おこしでも有名な作品です。

リラックスできる作品

ゆるキャン△

これは、ある冬の日の物語。
静岡から山梨に引っ越してきた女子高校生・なでしこは、“千円札の絵にもなっている富士山”を見るために自転車を走らせて本栖湖まで行ったものの、あいにく天気はくもり空。富士山も望めず、疲れ果てたなでしこはその場で眠りこけてしまう。目覚めてみるとすっかり夜。初めての場所で、帰り道もわからない。心細さに怯えるなでしこを救ったのは、1人キャンプ好きの女の子・リンだった。
冷えた身体を温めるために焚き火にあたる2人。
ぱちぱちと薪の爆ぜる音が、湖畔の静寂に沁み込んでいく。
焚き火を囲み、カレーめんをすすりながら会話するなでしことリン。
やがて2人が待ちに待った瞬間が訪れる。
「見えた……ふじさん……」
なでしことリン、2人の出会いから始まるアウトドア系ガールズストーリー。


登場人物どうしの「付かず離れず」な距離感がものすごく心地よい作品。
(と見せかけて不意にめっちゃ近い関係性を見せつけてくるのでオタクは悶死します)
 
人間関係に疲れている方に特におすすめです。

けいおん!

春、新入生がクラブを決めるころー
田井中律は幼馴染の秋山澪を連れて軽音部の見学へ行く。
しかし部員が全員卒業してしまった軽音部は、あらたに4人の部員が集まらないと廃部になってしまうという。
琴吹紬という仲間を加えて、最後の一人をさがしているころ、
「軽音部」を軽い音楽(口笛など)と勘違いしていた楽器初心者・平沢唯が入部してくる。


特段ドラマのない平穏な日常を描いた作品、俗にいう「日常系」は数多くありますが、いまだに頭一つ飛び抜けてると思います。

たまゆら

中学生三年生の初夏。いつもの図書館で借りた写真集に写っていた瀬戸内の海を見て、楓は亡くなったお父さんを思い出します。お父さんが亡くなった時から、大好きだった写真をやめてしまった楓。同級生のちひろはそんな楓を励まそうとしますが自分のほうが先に泣いてしまってうまくいきません。その日、家に帰ると弟の香がお父さんの撮った写真を見て楽しそうにしていました。悲しくなるからとしまっていた写真はどれも楽しくて忘れたくない瞬間でした。懐かしく優しい写真を見ているうちに楓はあることに気づきます…。



優しい世界。

少女終末旅行

繁栄と栄華を極めた人間たちの文明が崩壊してから長い年月が過ぎた。
生き物のほとんどが死に絶え、全てが終わってしまった世界。
残されたのは廃墟となった巨大都市と朽ち果てた機械だけ。
いつ世界は終わってしまったのか、なぜ世界は終わってしまったのか、そんなことを疑問にさえ思わなくなった終わりの世界で、 ふたりぼっちになってしまった少女、チトとユーリ。
ふたりは今日も延々と続く廃墟の中を、 愛車ケッテンクラートに乗って、あてもなく彷徨う。
全てが終わりを迎えた世界を舞台に、 ふたりの少女が旅をする終末ファンタジーが今、幕を開ける。



リラックスというか鎮静効果がある作品。
原作漫画は完結済みなのですが、アニメは途中までです。
 

泣ける・感動する作品

あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない

あの日、ここで止まった時間が、動きだす。小学生の時に友達と“超平和バスターズ”というグループを作り、“じんたん”と呼ばれていた少年・宿海仁太。“めんま”の死をきっかけにグループはバラバラになってしまっていたが、彼の前に突然めんまが現われて――!?




劇場版が作られたり、実写ドラマ化されたりもしている著名作。
手軽に視聴するなら劇場版なのですが、僕はTVオンエア版を推します。
クライマックスシーン以上に、そこに至るまでの積み重ね=日常もまた魅力であり、日常部分を描いたTVオンエア版を見ないことにはクライマックスも引き立たないと思います。 

宇宙よりも遠い場所

そこは、宇宙よりも遠い場所──。

何かを始めたいと思いながら、
中々一歩を踏み出すことのできないまま
高校2年生になってしまった少女・玉木マリことキマリは、
とあることをきっかけに
南極を目指す少女・小淵沢報瀬と出会う。
高校生が南極になんて行けるわけがないと言われても、
絶対にあきらめようとしない報瀬の姿に心を動かされたキマリは、
報瀬と共に南極を目指すことを誓うのだが……。


何を書いても野暮になるのでコメントは差し控えます。

爆笑したい

監獄学園

男女共学の全寮制高校・私立八光(はちみつ)学園に入学したキヨシ、シンゴ、ガクト、ジョー、アンドレの男子5名。
女子1016人:男子5人という圧倒的な男女比に、彼らは肩身のせまい学園生活を強いられていた。モテモテどころか女子と口もきけず、正視すらできない…。
だが男子どもはその秘めた欲望に抗えず、女子風呂覗きを計画する。その頃、女子たちの間では不純異性交遊を取り締まる、「裏生徒会」の存在が噂されていた…。



下ネタOKな方のみどうぞ。

よんでますよ、アザゼルさん。

芥辺探偵事務所で働く女子大生・佐隈りん子。彼女は雇い主である芥辺に素質を見出され、助手として依頼をこなしていくうちに、「悪魔探偵」という芥辺の裏の顔を知ることになる。

ある日、「夫と浮気相手を別れさせて欲しい」という妻からの依頼を受け、芥辺がグリモアという魔術書を使い魔界から召 喚したのは、とんでもなく下品な悪魔・アザゼル。イケニエと引 き換えに、依頼に向かったアザゼルだったが、事態は思わぬ 方向に…!?

役に立ちそうで立たない個性豊かな悪魔たちと佐隈の騒がしい日々は今日も続いて行く…。


下ネタOKな方のみどうぞ(2回目)。

胸キュン青春ドラマ

あの夏で待ってる

高校1年生の霧島海人は、8mmカメラを片手にレンズ越しに見える湖の風景を眺めていた。
すると突然、天空から眩い光が差し込み突風にさらされ、そのまま湖に落ちてしまう。
そして次に海人が目を覚ましたのは、なぜか、自室のふとんの上だった。
その当日、海人が通う高校の3学年に赤毛の少女・貴月イチカが転入してくる…。


健常者にとっての「胸キュン」とオタクにとっての「胸キュン」は似て非なるものであり、僕が「胸キュン」だと感じても健常な方々は異なる受け止め方をするのでは……?という懸念があるのですが、あえて目を瞑ってオタク的胸キュン作品を挙げていきます。
オタク的感性に触れることで世界が広がるかもしれません。

凪のあすから

その昔、人間は皆、海に住んでいた。
でも、陸に憧れた人たちは海を捨てた。
海で暮らせるように海神様がくれた、
特別な羽衣を脱ぎ捨てて……。

海で暮らす人、陸で暮らす人、
住む場所が分かれ、考え方は相容れずとも、
元は同じ人間同士、わずかながらも交流は続き時は流れた。

海底にある海村で暮らす
先島光、向井戸まなか、比良平ちさき、伊佐木要と
地上に暮らす木原紡。

海と陸。
中学二年生という同じ年代を過ごしながら
今まで出会うことのなかった彼らが出会った時、
潮の満ち引きのように彼らの心も揺れ動く。

ちょっと不思議な世界で繰り広げられる
少年少女たちの青の御伽話(ファンタジー)



後に載せた「サクラクエスト」もですが、P.A.Worksの作品って前半はひたすら地固めで後半から話が動くというパターンが多く、本作もまさにそういう作品です。 
後半は歴史に残りました。

true tears

造り酒屋のひとり息子である仲上眞一郎。絵本作家に憧れる彼は、ある夜、天使の絵を描いていた。絵を描くことに没頭する彼の脳裏には、いつしか天使の鮮明なイメージが浮かぶ。その天使はふわりとした巻き毛の、あどけない少女だった。
翌日、学校の裏庭を通り抜けようとした眞一郎は、樹上から鼻歌が聞こえてくることに気づいた。顔を上げると、そこには赤い実を取っている少女がいた。彼女は、昨晩眞一郎がイメージした天使にそっくりだった…。


初回から全速力というP.A.Worksの中でも珍しい作品。
先に「ご当地要素をアニメに盛り込むのは難しい」と書きましたが、本作は地域性をしっかり描写していて、かつその地域性と本編展開が密接に絡んでいます。
ご当地要素が無いと成り立たない作品とも言えるでしょう。

20選には漏れたけど推したい作品

大正野球娘。


 

女の子のチームが結束して何かを成し遂げる、いわゆる「部活もの」の原点に当たる作品です。
ちょっと昔の作品なのですが、だからこそ奇を衒わない王道的なつくりで、幅広い層が没入できると思います。
最後の試合は文字通り、手に汗を握らされます。

ニニンがシノブ伝

 

アニメ版公式サイトが見つからないのでweb漫画版を掲載。
アニメは10年以上前なのですが、それでも全く色褪せないオーパーツみたいな作品。テンポが良すぎる。

サクラクエスト

 


観光連盟のお話。
行政が監修したのかと思わせるくらいに失敗事例描写が丁寧。
地方公務員ならついつい共感してしまうシーンが満載です。

ストーリーの構成上、前半は失敗してばかりで、見ていて辛くなります。
しかしその分、後半の巻き返しパートがすごく爽快です。

Fate/Staynight・Fate/Zero






地方公務員として仕事をしていると、マスコミや住民から「役所にとって正義とは何なんだ」と糾弾されることがよくあります。

彼ら彼女らにとって、役所は正義の執行機関であるはずの存在です。
しかし現状は不正義と映っています。
だから声を上げているのです。

正義の定義は人それぞれです。
役所にとっての正義と、役所外部の糺弾者にとっての正義が異なっていようとも、仕方ありません。
もっといえば、組織としての役所の正義と、公務員個々人にとっての正義が異なっていても差し支えないでしょう。

ただし、役所が正義の執行機関であるという点は間違いありません。
ゆえに公務員は、「正義とは何か」を考えて、自分なりの考えを持っているべきだと思います。

正義について考えるにあたり欠かせないのが本作です。
ざっくり3通りの解が示されます。
本当は原作ゲームをプレイしていただくのが一番なのですが、ショートカットするならZero→UBW→HF劇場版、でもいいと思います。原作ファンに怒られそうですが……

ちなみに某中央省庁でキャリア官僚やってる友人は、「HFに共感できる人間は決定的に国家公務員に向いてない」と常々こぼしていました。
 


『鬼滅の刃』人気がどんどん盛り上がっています。
時代遅れなことに定評のある役所内でも普通に話題に上るようになりました。
 
ただ実際に作品に触れている人はまだまだ少数派のようで、テレビでのコメントやネットニュースの中身がそのまま(あたかも賢明な批評であるかのように)繰り返されているような状態で、なかなかに悶々とさせられます。
 
とはいえ職場でガチ議論する度胸は無いので、ここにこっそり私見を置いておきます。
 

ジャンプ漫画には珍しく「世界を描かない」


週刊少年ジャンプの人気作品は、たいてい「キャラクター」というミクロな要素と、「作品世界」というマクロな要素の両面から読者を魅了します。
『ワンピース』や『NARUTO』あたりが典型です。
スポーツ漫画であれば、描写するスポーツそのものの魅力が「作品世界」です。

一方『鬼滅の刃』は、作品世界をほとんど描写していません。
大正時代で、人食い鬼がいて、鬼を滅するために呼吸法と特殊な剣を振るう鬼殺隊(政府非公認)がいる。この程度です。
読者の意表を突く斬新な設定があるわけでもなく、「この世界に住みたい」と思わせるような魅力溢れる世界でもありません。怖いわ。
 
つまり『鬼滅の刃』は、作品世界で魅せるタイプの作品ではなく、キャラクターの魅力が著しく強い作品なのです。
ここが他のジャンプ漫画とは大きく異なるポイントだと思っています。

「時代考証がしっかりしていればより良い」という意見をよく見かけますが、これはちょっとずれてると思います。
大正時代の雰囲気をもっと描写していれば、人間vs鬼の戦いは、「近代化していく人間vsずっと変わらない鬼」という味付けが可能です。これはこれで面白いと思います。
しかし、『鬼滅の刃』では、あえてこの要素を欠落させているのだと思います。
もし大正という時代をしっかり描きたいのであれば、主人公をわざわざ山奥出身にして近代化から遠ざけたりはしないでしょう。
近代化という要素をあえて落とすことで、あるがままの人間を描写するのです。
鬼を包括する上位カテゴリーとして「妖怪」がいてもおかしくありませんし、鬼殺隊のほかにも鬼狩りをしている組織がいても不自然ではありません。
外国には吸血鬼がいるかもしれません。大正時代であれば国交があるので、西洋のエクソシストと共闘してもいいのです。
日本政府をもっと話に絡ませることも可能です。組織としてはろくに機能していない鬼殺隊や鬼たちとの間に好対照を見いだせるでしょう。
宗教勢力が出てきてもいいし、あとは鬼を使って金儲けしようとする新興財閥とか…… 
作品世界を膨らませるヒントはいくらでもあります。

しかし本作では、あえて主人公近辺の限られた世界のみにスポットライトを浴びせます。
要素を減らすことで、人間個々人の描写に集中するのです。
「少女漫画っぽい」という感想を度々見かけますが、その由来は、この「世界の狭さ」にあるのかもしれません。
 

ひたすら感情をぶつけ合う戦闘シーン


『鬼滅の刃』コミックスの戦闘シーン、読むのにものすごく時間がかかります。
最初はどうしてなのかよくわからなかったのですが、10巻くらいでようやく「戦闘を通して感情のぶつけ合っている、つまり基本的には対話だから」という結論に至りました。
格闘漫画のように肉体どうしのぶつかり合いを描くわけでもなく、『ワールドトリガー』のように知略を描くわけでもなく、『BLEACH』のようにオサレを描くわけでもないのです。
 
もちろんこれらの作品も、戦闘シーンにおいて感情をぶつけ合っています。
しかし、描写における感情発露の割合は、『鬼滅の刃』のほうが圧倒的に大きいです。
ここも他のジャンプ漫画とは一線を画するポイントの一つでしょう。

感情の物語


つまるところ、『鬼滅の刃』は個人の感情を描いた作品なんだと思います。
個人の感情が絶対的な「主」であり、その他の要素(作品世界、戦闘シーンなど)は「主」を描写するための手段、完全な「従」です。

ややアングラな界隈では、『鬼滅の刃』原作をアレンジしたコラ画像が大流行しています。
この現象も、感情を描いているゆえに成立するものだと思います。
登場人物たちの感情がいきいきと伝わってくるために、台詞をいじっても「文脈」が生き残り、コラ画像としての新たなストーリーが生まれるのです。

「◯◯が足りない」という指摘は大概的外れなんだと思います。
あえて要素を削ぎ落とすことで、登場人物の感情に描写を集中させているのです
そしてこの感情描写が秀逸であるために、多くの人の心を掴んだのでしょう。

アニメ版は、声が加わることで感情表現がより一層際立つとともに、漫画では削ぎ落とされている戦闘シーンをもりもり盛られたことで、さらに万人受けする仕上がりになっているのだと思います。
上弦の鬼たちのキャスティングが今からものすごく楽しみです。 
本記事を書くために原作を読み返していたところ、妓夫太郎のセリフが藤原啓治さんの声で脳内再生されて悲しくなってしまいました。もう実現不可能なんですよね……

【2020/12/30追記】
社会現象を巻き起こすアニメ作品はこれまでいくつもありましたが、「鬼滅の刃」は演者が本職声優さんばかり(しかもベテランで演技の幅が広い方ばかり)という点が特徴的だと思っています。

僕みたいなオタクだと、声優さんの演技の幅を知っているので、どういう意図をもって演じているのかが自然と伝わってきます。
たとえば竈門禰豆子は大人っぽいですし、胡蝶しのぶは子供っぽいと感じます。(あくまで僕の感覚です)

こういう作劇の意図を味わえるのは、オタクならではの強みだと思います。


細かく書いたら速攻で特定されそうなので詳細は書けませんが、正直、毎日辛い!
感染症そのものよりも、感染症のせいで明るみになった社会の闇全般と戦っている感じです。
 
せめてこのブログくらいはひたすら牧歌的にありたいと思いつつも、それでも弱音を吐きたくなるくらいには弱ってきています。

とにかく最近は精神衛生を保つ方法を模索しています。

仕事が終わったらすぐに「公務員以外の自分」になる

今の社会情勢、公務員はどうあがいても辛い立場に置かれざるえません。個人レベルでどうこうできる状況でもありません。

幸いにも僕は公務員でありつつもオタクです。あとは投資家でありブロガーです。
業務時間外は、公務員以外の属性でものごとを考えるよう心がけています。 

最近は業務時間が長いうえに仕事も重いので、意図的に属性を切り替えないと、ついつい公務員モードのまま過ごしてしまいます。
これだと自主的に無賃金でテレワークしているのと変わりありません。

公務員のまま楽になるのは当分不可能だと思います。
ただ人は誰しも複数の属性・役割・顔を持っています。100%純粋に公務員というわけではありません。
生活における公務員以外のウェイトを高めることで、少しは気が楽になるはずです。

現実逃避ではなく「別世界に没入」する

今、公務員を取り巻く現実はものすごく強烈です。
属性を切り替えようとしても、相当難しいです。
短時間ならまだしも、少しでも気を抜いたらすぐに現実が覆い潰されてしまいます。

これも仕方ないことだと思います。それくらい現実のプレッシャーが重いのでしょう。
とはいえ諦めたらおしまいです。本当に潰されてしまいます。

そのため最近は、現実を上塗りできるくらいに重厚な世界に、短時間でもいいからどっぶり浸るようにしています。

例えば名作百合漫画
1冊読むのに少なくとも1時間はかかりますが、この時間は現実を完全に遮断できます。



名作百合漫画はたくさんありますが、本ブログは「社会人の勉強」カテゴリということで、『やがて君になる』を挙げておきます。
一義的というか、余計な解釈を挟む隙が無いのに奥深いというか……いろんな界隈から怒られてそうですが、完璧なプレゼンと通じるものを感じます。

よりライトな作品として、『総合タワーリシチ』もおすすめさせてください。





百合な気分ではないときは古賀亮一先生の作品を読んでいます。
ものすごく文章量が多い漫画なので、ある意味公務員向けだと思います。

ゲノム 金 (メガストアコミックス)
古賀亮一
コアマガジン/メガストアコミックス
2015-04-30




あとはヘッドホン装着でのアニメソング鑑賞です。
ながら作業禁止で、1曲をとにかく集中して聞きます。
声色を感じて歌詞を丁寧に追うことで、仕事中は絶対に感じられない名状しがたい感情が込み上げてきます。

どちらの方法にしても、結果的には一種のフロー体験を得ているんだろうと思います。
同期職員には楽器を弾いてリフレッシュを試みている連中も結構います。これもフロー体験と思われます。

ブログを書いている時間も大いに癒しになっています。
これまでは「広告貼って小銭稼ぎてえ!!!」って思っていましたが、今はただ書いていられるだけで大満足。
こうやって続けていられるのも読者各位のおかげです。ありがとうございます。

フィクションの登場人物から公務員適性を考えてみる記事、第二弾です。
BanG Dream!(バンドリ!)より、羽沢つぐみさんの登場です。

第一弾はこちら。 



キモオタク特有の長文になってしまったので、先に結論だけ乗せておきます。

羽沢つぐみさんのような優しくて真面目な人は、役所内で大変に好かれますし、評価もされます。
しかしその性格ゆえに、本人のメンタルが持ちません。

役所はルールに縛られています。すぐ目の前に困っている人がいたとしても、ルール通りの対応しかできません。場合によってはルールに従い見捨てもします。
彼女はこの「目の前で困っている人よりも、ルール優先」という役所のあり方に耐えられません。
自責の念を払拭できず、早々にリタイアしてしまうでしょう。
決して公務員になってはいけないタイプです。
ここからはゲームのスクリーンショットを掲載しています。
閲覧するときは周りの目に気をつけてください。

羽沢つぐみさん

バンドリ!とは、ざっくり言うと、都内でバンドをやっている25人の高校生+αが織りなす物語です。
キャラクター同士の会話や関係性の作り方がとても上手く、新しいエピソードが公開されるたびにオタク達の予想を易々と飛び越えていきます。

このブログでも過去何度か触れたことがあります。(どちらも公務員関係なし)

2019年は静かに燃え上がっていました。
メディアで大々的に取り上げられたわけではなく、世間一般の知名度は低いままですが、オタクの間では大いに盛り上がりました。
僕はこのあり方が一番だと思います。水たばこみたいですね。

そんな作品の主要登場人物の一人が羽沢つぐみさんです。

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画像出典:バンドリ! ガールズバンドパーティ(以下同)

公式のプロフィールはこんな感じ。 以下補足です。
  • 実家は商店街の喫茶店で、アルバイトとしてお店を手伝っている
  • 高校一年生の頃から生徒会に所属している
  • 幼馴染5人でバンドを組んでいる

役所的には貴重な人材

役所サイドから見ると、羽沢つぐみさんは是非とも採用したい逸材です。

人柄がとてもいい 

羽沢つぐみさんは優しくて思いやりに満ち溢れています。
どのエピソードを切り取っても人柄が滲み出てくるのですが、一番好きなものを引用します。

彼女の実家である喫茶店で、お菓子作り教室を開催することになりました。
そこにはちょっとだけ顔見知りの先輩(氷川紗夜さん)の姿が。
その先輩は不器用で堅物で、一見すると近寄りがたい存在です。

先輩には「自分は近寄りがたい存在だ」いう自覚があり、自分の面倒を集中的に見てくれる羽沢さんに迷惑をかけているに違いないと最初は思います。
しかし、お菓子作り教室を通して、彼女の真心からの優しさに触れることで、その誤解は徐々に溶けていきます。

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職場にこんな人が一人いれば、劇的に雰囲気が良くなります。


行動力がある

優しい人は時に消極的になりがちです。
しかし彼女は行動力も兼ね備えています。
相手のために何ができるかを考え、実際に行動に移し実現していくのです。
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今更言うまでもなく、地方自治体は大量の課題を抱えています。
職員のちょっとした気配りや小さな行動が課題解決に結びつくことも少なくありません。
彼女の備える行動力、それも独りよがりではなく相手の思いに寄り添った行動力は、役所において即戦力になります。

真面目で頑張り屋

そして何より、羽沢さんは何事にも一生懸命で真面目です。
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学校が忙しい時期にバンドの練習も頑張りすぎたせいで、体調を崩してしまうこともあるくらい。
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彼女は高校一年生の頃から生徒会にも所属しています。
その働きぶりは先輩たちからも感嘆されるほど。 
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高校二年生になると、さらに一段階成長した姿を見せてくれます。

新しい生徒会長に就任したのは、天才すぎて常人には理解が及ばないカリスマ的存在(氷川日菜さん)。
副会長の羽沢さんは生徒会長の無茶振りを直接被弾する立場です。
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次々と下される「ピピっと」「るんっとする」等の感覚的な指示を、彼女は的確に解釈してこなしていきます。
解釈にあたり、彼女は生徒のことを決して忘れません。
 
生徒会長の言葉を踏まえつつも、生徒のために尽くすという生徒会のそもそもの活動意義を見失うことなく、自ら考えて作業へと落とし込み、きちんとこなしていくのです。

彼女が持つ真面目さには、二つの意味が含まれます。
一つは目の前の仕事・作業への真面目さ。英語でいえばseriousです。
もう一つは相手に対する誠実さ。英語ではhonestです。

真面目さの根本が違う

羽沢つぐみさんのような方が役所に入ってくれたら、間違いなく多大な貢献をしてくれることでしょう。
しかし本人は非常な苦痛を感じるはずです。
そのため、僕はトータルで見て公務員に向いていないと思います。

その理由は、先に示した「相手に対する誠実さ」という意味での真面目さです。

羽沢つぐみさんの性質は、商店街の喫茶店という家庭環境が大きく影響したものと思われます。
チェーンではない個人経営店、商店街の一角。
人と人との繋がり、顔の見える関係性が重要な商売です。
きっと両親もこのことを意識して、お客さんやご近所さん一人一人を大事にしてきたことでしょう。

今の彼女があるのは、こんな環境の下で育ち、両親の在り方に共感しているためです。
つまり、彼女の性質の根本には、目の前の一人一人の個人を大切にしようという意識があります。

一方、役所は発想が全く異なります。
役所は何より法令、つまりルールに従って動きます。
法治国家である以上仕方ありません。

役所の存在意義は個人全体の幸福向上です。
この目的のため秩序の根本であるルールを守るために個人に我慢を求めるのも、役所の大事な仕事です。
秩序もまた個人の幸福の前提条件であり、個人に我慢を強いた分、世の中全体の幸福が増えるという発想です。
(あくまでも理想論なので、現実は異なります)

「個人よりもルール優先」という役所の論理を、果たして彼女は受容できるのでしょうか?
僕は無理だと思います。

彼女には「目の前の個人を大事にする」という生き方が染み付いています。役所の論理とは正反対です。 
もし彼女がルールを盾に困っている個人を退けるような場面に遭遇したら、「社会全体のため」と頭では理解しているつもりでも、きっと強い自責の念を覚えるはずです。
こういう仕事は役所のルーチンワークのひとつ。どこの部署でも発生します。

仕事をすればするほど、どんどん積もっていく自責の念。
これに耐えられるほど強靭だとは思えません。
潰れてしまうか辞めてしまうか、ネガティブな姿しか想像できないのです。

実際にありうるミスマッチ

実際にも、「個人よりもルール優先」という論理に耐えかねて公務員をやめる方がけっこういます。
現に僕と近しい先輩も、この理由で退職しています。

役所は確かに地域住民のために貢献する組織で間違いありません。
しかし、手段はあくまでもルールに縛られます。
時には個人を切り捨てます。
 
この現実を受容できるかどうか、これが公務員適性の一つではないかと思います。
  • ルールに縛られている方が責任感を感じなくて楽
  • 結果的に社会全体が幸福になるから問題ない
こんな風に考えられるのなら、きっと大丈夫です。


(以下、オタク向け)
僕がさよつぐに可能性を感じている理由がここにあります。
氷川紗夜さんは風紀委員、いわばルール遵守側の存在です。
一方の羽沢つぐみさんは個人重視側。
本質的に譲れない部分を抱えた二人ですが、「ひたすら頑張る」という物事へのアプローチ方法は一緒です。
物語が生まれる素地が整っています。公式がどう調理するのか楽しみです。


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