キモオタク地方公務員(県庁職員)のブログ

地方公務員の人生満足度アップを目指しています。地方公務員志望者向けの記事は、カテゴリ「公務員になるまで」にまとめています。

タグ:クレーム


現実世界でもオンライン上でも、地方公務員に対する非難の声は絶えません。
絶えず非難され続けている地方公務員は、「サンドバッグ」と形容されることがあります。
どなたが発案者なのかは知りませんが、この呼称は本当に秀逸だと思っています。

サンドバッグは、どれだけ殴られても壊れません。
同じく地方公務員も、叩かれたところで実害はありません。
個人事業主であれば、インターネット上でちょっと叩かれただけで廃業を余儀なくされかねないところ、地方公務員は職を失うどころか給料が下がることすらありません。

しかし、地方公務員も人間であり、ただのサンドバッグではありません。叩かれれば心が傷つきます。
僕自身、これまで少なくとも200回は罵倒されてきましたが、いつになっても慣れはしません。

そして悲しいことに、新型コロナ禍を経て、地方公務員叩きは悪い方向へ進化している気がしてなりません。

「職叩き」から「人叩き」へ

平成20年代前半くらいの地方公務員叩きは、地方公務員という「職業」を叩いていました。
  • ノルマが無い
  • 単純作業ばかり
  • 無駄も多い
  • そのわりに給料が高い

僕が採用された頃は、このあたりの定型句を電話口で延々と聞かされるのも「初任者研修の一環」だと言われていました。

一方、最近の地方公務員叩きは、職業としての地方公務員ではなく、「人」としての地方公務員を叩いてきます。
地方公務員として働いている個人そのものを非難してくるのです。


表現は色々です。「多様化する行政課題に対応できるほどの素養があるとは思えない」などと流麗に言葉を紡いでくる方もいれば、シンプルに「バカ」「クズ」などと罵ってくる方もいます。
どちらにしても、地方公務員である「お前」「あんた」は無能であり有害だと主張してきます。

「職」叩きから「人」叩きへと潮流が変わったのには、二つの理由があると思っています。

新型コロナで露見した地方公務員の弱点

ひとつは新型コロナウイルス感染症です。
新型コロナに翻弄された3年間(令和2年~4年)、マスコミは延々と行政の失態を報じ続けてきました。
この3年間を通して、大半の国民の頭に「日本はコロナ対策に失敗した」「新型コロナによる被害の大半は人災」という認識が刷り込まれたと思います。

この認識が正確なのか誤りなのか、正直よくわかりません。
研究者がしっかりファクトベースで検証してくれるのを待つしかありません。
(そもそも新型コロナ対応全般を総括して成功だの失敗だのと断じること自体がナンセンスで、個々の施策ごとに成否を判断すべきだと思います)

デジタル

コロナ対策関係では、特に行政のデジタル化の遅れが非難されました。
民間では普通に使われているデジタルツールが未だ導入されていないとか、パソコンでやったほうが効率的な作業をわざわざ手作業でやっているとか……

「デジタル敗戦」などとも言われるこういった事態が生じた原因が、地方公務員の能力に帰せられてきました。
  • 有事への備えが甘かった(先見性が無い)
  • 民間企業がいかに進歩しているのかを知らない(世間知らず)
  • デジタルリテラシーが低くてツールをろくに使えていない
  • 仕事のやり方を変更するだけの知能が無い
  • どうせ使えないんだから公費でパソコンを買うのは無駄だ

僕が実際に受けたお叱りのうち、覚えているものだけをリストアップしてみました。
「エクセルの1マスに2文字入力できるだけで課長になれるんだろ?」という煽りも受けましたね。
(俗にいう「神エクセル」「Excel方眼紙」ばかり使っている、というニュアンスの嫌味だと思います)


コロナ禍が一段落した今年度でも引き続き、ほぼすべての苦情電話の中で、「お前らは職員はデジタルを使えていない」というお叱りを受けています。

コロナ以前の時代にも、「地方公務員は無能」という指摘はずっと受けてきましたが、はっきりと理由まで主張してくる人はあまりいませんでした。
理由を付すにしても、あくまでも自分の個人的経験ベース(窓口対応した職員の説明が下手だった等)で、印象論・感覚論にすぎませんでした。

しかし今は、コロナ禍を経て、「地方公務員=デジタルに弱い」という現状が明らかになり、「地方公務員は無能である」という客観的根拠ができてしまった状態……と言えるでしょう。

不人気職業にしか就けない連中、という印象

もう一つの理由は、公務員試験の倍率低下です。


平成20年代の前半までは、地方公務員はそれなりにハードルの高い職業でした。
やたら科目数の多い公務員試験を受けなけらばならず、倍率も10倍近い。
そのため、地方公務員批判をしてくる人たちも、よく「頭でっかち」とか「机上でしか通用しない」などという表現で批判してきていました。
暗に「筆記の勉強だけはできる」と、能力の一部を認めていたといえるでしょう。

一方近年では、公務員試験の倍率はどんどん下がってきており、定員割れも珍しくなくなってきました。

「勉強ができない人間でも余裕で就職できる職業」という認識に変化したのだと思います。



無能なのは認めるとして、無能を理由にいじめを正当化していいのか?

つまるところ最近の地方公務員叩きでは、デジタル技術を活用できていないとか、採用倍率が低いというファクトに基づいて、地方公務員を「劣った人間」と論理的に結論付けたうえで叩いています。


デジタル化が遅れていることも、採用倍率が下がってきて人材確保に苦戦していることも事実であり、否定できません。
このような根拠がある以上、地方公務員が劣った人間だという主張も、受け入れざるを得ないと思っています。
役所が何か失敗したときに、その原因を「職員が無能なせいだ」と追及されるのも仕方ないと思います。

しかし、劣っているからといって公然と叩いてよいか?と言われると、それは絶対に違うと思います。
いじめられる理由があるからといって、いじめてよい理由にはなりません。


SNSで投稿する程度であればまだ個々人の自由としても、わざわざ役所に電話してきて罵ってくるのは、さすがにおかしいと思います。

こういう相手の対応は本当に不毛ですし疲れます。
あくまでも僕の感覚ですが……地方公務員が憎くて叩いているわけではなく、ちょうど叩きやすいから叩いているだけで、「叩ければだれでもいい」「理屈さえ立てば他人に危害を加えてもいい」と考えている人が多いと感じます。
行政に対して課題感や問題意識を持っているわけでもなく、ただ一方的に罵倒するのを楽しんでいるだけので、話を聞いていても得るものがありません。

このような「他人を攻撃したいだけの人」のことを何と呼称すればいいのでしょうか?
「クレーマー」とも「カスハラ」とも異なる、新しいカテゴリだと思うんですよね。

僕はこれまで、県庁(本庁)にいながらも結構クレームの多い部署ばかり回ってきており、本当に申し訳なくて心苦しい案件から、呆れるばかりのいちゃもん案件まで、幅広に経験してきました。

その中でも特に印象に残っているキワモノ事例を紹介したいと思います。
一つでもクスリとしてもらえると嬉しいです。

胸糞悪い事例が知りたい方は、こちらの記事がおすすめです。


なめるなメスブタァッ

これは僕に対してではなく、後輩の女性職員が食らった暴言です。

40代半ばの酒臭いおじさんがいきなり執務室に入ってきて、一番入口近くに座っていた女性職員に話しかけてきたんですよね。
最初は公務員全般に関する一般的な愚痴を独り言のようにこぼしていたのですが、次第にどんどんボルテージが上がっていって、急にキレて発したのがこの言葉です。

ご存じの方も多いと思いますが、これは『高校鉄拳伝タフ』という漫画に登場する有名なセリフです。
ネットミームとしてもよく使われるので、元ネタは知らないけどSNS上などで見かけたことはあるという方も多いでしょう。



漫画から引用したのか、たまたま一致したのか、おじさんの内心はわかりません。
ただ僕含め元ネタを知っている数人は、おじさんの叫びを聞いて吹き出してしまいました。

おじさんはその後も居座って「あばずれ」「ビッチ」「売女」などの汚い言葉を大声で連呼していたので、警備員さんを呼ばれ、連行されていきました。

被害を受けた女性職員は、傷ついたというよりはポカンとしていました。
どうやら「あばずれ」と「売女」の意味がわからなかったらしく、その後上司に対して「『ばいた』ってなんですか?ばい菌みたいな意味ですか?」と質問していました。


川崎ではその理屈は通用しません

川崎市在住の女性から宣告された一言。
僕の住む県内のとある市役所と、ふるさと納税の返礼品絡みで揉めたらしく、
  • 市役所の態度が悪いのは県庁の日頃の指導が足りないせいだ
  • 市役所が対応しないなら、県庁が責任を持って対応すべきだ
  • ゆえにあんたが川崎市の私の家まで来て謝罪しなさい
  • 返礼品を倍量持ってくれば損害賠償請求はしない
という無茶苦茶な理屈を振りかざしてきました。

当時僕が勤めていた部署は、ふるさと納税とは全然関係ありませんでした。
そもそもこんな無茶苦茶な要求に担当課なんて無いよなーと思いつつ、「市役所のことなら市町村課に電話してほしい」と伝えたら、「もう電話したけど対応してくれなかったから、あんたに電話してる」と逆ギレ。
それで「うちに言われてもできません」と返したところ、「できないとはなんだ、川崎ではその理屈は通用しません!」と金切り声を上げられました。

その後も30分くらい怒鳴られて、結局「あんたの県のアンテナショップに低評価レビュー書いてやる」と言われて電話を切られました。

この一件以来、「川崎市は魔境」だと思っています。

ちなみに、このときの経験をもとに書いたのが以下の記事です。



お前の息子、〇〇小に通ってるんだろ

コロナ禍真っ盛りの際、電話にて「うちは仕事が減ってボーナス出なかったのに、公務員はなんでボーナスが出るんだ、ふざけるな」といういちゃもんをつけてきた中年男性が発した一言です。

僕が電話に出る前に、県庁内の別部署にも同じいちゃもん電話をかけていたようで、そこで一方的に電話を切られたことに大層腹を立てており、序盤からひたすら大声で怒鳴り立ててきます。
発言も過激かつ具体的で、「県庁近くの〇〇交差点は薄暗いからちょうどいい」とか「県庁〇〇階のトイレは執務室から遠いから助けが来ない」とか、不気味な発言を繰り返してくるので、これはまずいやつかなと思い、先輩や上司をジェスチャーで呼び集めて6人くらいで聞いていました。

途中から僕個人を攻撃する流れになり、「お前が同和特権で採用されたことバラされたいのか?」とか「両親の職場にも電話してやる」などと詰め寄ってくる流れの中で、僕の息子のことに触れてきました。

この発言自体、普通に脅迫です。

そっくりそのままドラマに出てきそうなくらい教科書的な脅迫です。

ただ僕は独身で、当然ながら息子もいないんですよね……
ゆえに脅迫カウントとして処理できず、そのまま電話応対を続けざるを得ませんでした。
30分くらいずっと一方的になじられていました。

電話を終えた後、課長は「隠し子がいるのか?」と真顔で心配してくるわ、先輩は「息子って下ネタ的な意味なんじゃない?」と提唱してくるわ、他の先輩も流れに乗って「『息子が通う小学校』って高度な下ネタだな〜」と茶化してくるわ……職場は大爆笑に包まれました。 

当時は「なんだこの無責任な人たち!?」と驚いたのですが、今から思えば、疲弊した僕を元気づけようとしてくれたんだと思います。



これまでは、今回紹介したような論外なハードクレームであっても、「行政だから」という理由でなかなかお断りできるませんでした。
しかし最近は「カスハラ」という概念が浸透してきて、こういう手合いは早々にシャットダウンできるようになりつつあると思います。良い流れです。

とはいえ、たとえ短時間であっても、暴言を吐かれると心が傷つきます。
僕自身はそれなりに年次も上がってきて、あまり外線電話を取らなくなり、外部からの苦情を聞く機会も減ってきました。
その分、暴言を吐かれた後輩をケアするのが、僕の世代の役割なのかなと思っています。

今月は地方公務員関係の気になるニュースが多かったので、まとめて言及します。

本当にこんなに賃上げできるのか?(人事院勧告)



過去最大の引き上げ幅になるということで、とてもありがたいです。
ただ、賃上げの財源はどこの自治体も厳しいと思われ、人事当局はなんとか骨抜きにして人件費総額を抑えようと工夫するんじゃないかと思っています。

期末勤勉手当の支給月数はごまかせないとしても、昇給昇格ペースを遅らせたりすれば、月給引上げの影響は少しは誤魔化せるんじゃないかと。
そのため僕は、自分自身の収入増にはあまり関心がありません。期待もしていません。

それよりも、政治家やメディアが「公務員の賃上げ」をどのように取り扱うのか、気になっています。

日本を牛耳る高齢者世代にとって、公務員の賃上げほど無意味な施策はありません。
自分たちに恩恵が無いどころか、自分たちに割ける財源の縮小とほぼ同義だからです。まさに百害あって一利なし。
そのため、政治家やメディアは、「公務員の賃上げなど言語道断!」と一喝すれば、高齢者世代の人気を簡単に獲得できると思います。
支持者を一気に増やせるわけです。

一方で、「賃上げが必要」という風潮もかなり強いです。
いくら嫌われ者の公務員とはいえ、うかつに「賃上げ不要」と主張すれば、主に現役世代から叩かれかねません。

教職調整額の引上げも相まって、来年度は公務員人件費が爆増すると思われます。
そのため、例年以上にニュースバリューがあるので、いろんな人や組織が公務員人件費に言及してくるのではないでしょうか?
百家争鳴のごとく議論が盛り上がるのはないかと期待しています。

地域手当があるところはギスギスしてそう(他人事)

地域手当の率の見直しも興味深いです。
  • 北関東各県の12~16%エリアが結構下がってる
  • 一方で神奈川県が躍進していて、これまで0%だった自治体も12%の最低保証へ。藤沢市は12→16に上昇
  • 群馬県では、県庁所在地の前橋市3%に対し、ライバル高崎市が6%でダブルスコアをつけていたところ、今回の見直しでどちらも4%に揃う
特にこのあたりは、当事者の方々には悲喜こもごもありそうで、内心どのように思っているのか気になるところです。
田舎県庁職員的には、地域手当が出るだけで嫉妬してしまいます。


男性激減による女性割合増(国家一般職の合格人数)



国家一般職の合格者に占める女性の割合が過去最高を記録したとのこと。
ここ数年、地方公務員でも、合格者に占める女性割合が上昇してきており、「女性職員割合の増加」は公務職場に共通する現象なのだと思われます。

ただ、よく見ると、女性の合格者の頭数が増えているわけではなく、単に男性の合格者が減っているだけなんですよね……

記事では「女性にとって働きやすい職場環境作りが進んでいる影響」と分析されていますが、これはあくまでも「男性と比べて女性の減少幅がなぜ小さいか」を分析しているものです。
「公務の職場は、女性にとって働きやすい環境なんだ」と理解するのは非常に危険だと思います。

そもそもの大前提として、公務員試験の受験者は激減しています。
男女ともに敬遠されつつある中で、あくまでも相対的に、女性のほうが残っているというだけなんですよね……

辞めたくなる気持ちはよくわかる



自治労が調査した結果、能登半島地震で大きな被害を受けた5市町で、なんと6割の職員が発災後に「辞めたい」と思ったとのこと。
僕も対口支援で現地入りましたが、辞めたくなる気持ちはよくわかります……
セルフネグレクトのような投げやり状態になっている方が少なくありませんでした。

総務省「定員管理調査」によると、調査対象になった5市町の一般行政職員は1,049人(R5.4.1時点)。
ネットの反応を見ていると、「自治労の調査はサンプルがおかしいしバイアスかかりまくりだから意味が無い」という意見も多いようですが、このアンケートの回答者は211人なので、自治労実施のアンケートにしては結構回答率が高いのでは?と思います。

果たして県庁は大丈夫なのでしょうか……


ネットでバズってる地方公務員がカスハラを助長している?

職場内回覧物の定番、時事通信社の「地方行政」。
僕はざっと目次を見て、興味のある記事だけ読んでいるのですが、先日の号に大変興味深い記事がありました。
【2024年08月01日 第11312号】掲載の「新時代を生き抜く公務員講座 (23)カスタマーハラスメント防止対策」という記事です


なんとなんと、「自治体職員の中に『カスハラ応援団』が存在する」とのこと。
詳しくはぜひ本文を読んでいただきたいのですが、「自治体職員がネット上で、国や自分が属していない自治体を一方的に批判する行為が、カスハラを助長している」という見解で、「単に私憤を表明しているだけなのに『自分は公務員である』という優位性を主張することで注目を浴びる行為」という何とも痛快な評価まで下しています。

X上に、こういう方いますよね……
己の知識と経験に基づいて持論を開陳するのは、確かに快感なので、やりたくなる気持ちはよくわかります。
ただ、怒りや批判で終わるのではなく、もっと生産的な形に落とし込めばいいのにと思います。

もしかしたら、本人としては「私憤」ではなく「義憤」だとか、怒っているわけではなく「正論」を説いているだけなんだと思っているかもしれません。
ただ、この思考回路こそハードクレーマーあるあるであり、全国の地方公務員を日々苦しめています。
地方公務員を苦しめる存在に、当の地方公務員が堕してしまう……これこそまさに「悪堕ち」だと思います。

僕は絶対に「カスハラ応援団」には堕ちないよう、気を付けていきます。

令和6年能登半島地震から半年が経過しました。
最近はめっきり報道されなくなっていましたが、発災から半年が経過したということで、再びメディアを賑わせています。

実は僕も、3月頃に対口支援として現地に派遣されていました。

具体的な場所や時期は伏せますが、僕が対口支援に行った頃には既に人命救助フェーズは終わっていて、避難所運営や罹災証明書発行のような被災者支援施策の質と量をいかに改善していくかというフェーズでした。
対口支援職員の役割は、いったん確立したルーチンを回しつつ改善していくこと。比較的楽な時期だったと思います。

「能登はやさしや土までも」

従事期間中、「能登はやさしや土までも」というフレーズを何度も見聞きしました。
今回の震災で拵えられた造語ではなく、昔からある言葉のようです。

実際、被災者の方々は皆さん優しかったです。
約1週間の従事期間中、被災者の方々が声を荒げるところは一度も見かけませんでしたし、ちまちま文句や嫌味を言われることもありませんでした。
僕の経験上、被災地に行くと「お前もどうせすぐいなくなるんだろ?本気で支援するつもりなんて無いんだろ?」という定番フレーズで嫌味を言ってくる方が一定数いらっしゃるものなのですが、今回は一人も遭遇しませんでした。

一方、支援者の方々(特に非公務員の方々、現地入りしているボランティアの方々など)は、かなりフラストレーションが溜まっているようでした。
役所に来て、現地のプロパー職員なり対口支援職員なりを捕まえて思いの丈をぶつけていく方は連日いらっしゃいましたし、被災者の方の前で愚痴をこぼしている方も少なくありませんでした。

例えば、避難所で炊出しボランティアをしている方々が、被災者の方々に「冷たいおにぎりしか持って来ない役所と私たちは違いますからね」みたいなことをわざわざ吹き込んで回ったり。
もちろんこそこそと陰口のように言うのではなく、避難所運営をしている公務員にも聞こえるように、はっきりとおっしゃいます。

役所や自治体職員の悪口を言うこと自体は、僕は構わないと思っています。
特に応援職員はいずれいなくなる立場なので、被災者のストレス軽減につながるのであれば、多少暴言をぶつけても差支え無いとすら思っています。

先のケースでも、ボランティアの方々が役所の悪口ネタを持ち出して、被災者の方々がそれに同調して盛り上がってくれるのであれば、別に問題ないと思います。

僕がひっかかるのは、被災者の方々がどう見ても乗り気でないのに、ボランティアの方々が役所叩き・公務員叩きを延々続けていたところです。
ボランティアの方々の熱意と、被災者の方々の心情がマッチせず、ボランティア側の内輪のノリを押し付けているかのように見えて、居たたまれなくなりました。

悪口を聞きながら食べるご飯は、たとえ温かくとも本当に美味しいのだろうか……と疑問を抱かざるをえませんでした。


発災直後の「被災地への不要不急の移動を控えて」発言がいまだに尾を引いている

今回の震災では、発災直後に、県知事が「被災地への不要不急の移動を控えてほしい」と発信し、話題になりました。


この発言自体は1月5日。
僕が対口支援に行った時点では既に2か月近く経過していて、既に自由に往来できるようになっていました。

ただ、現地入りしているボランティアの方々を中心に、いまだにこの発言が機能していると捉えている方が少なくありませんでした。
「自分たちは県知事の命令に背くというリスクを冒してでも被災地の役に立ちたい」みたいな被害者意識・自己犠牲精神を持っていたり、この発言を拡大解釈して「県はボランティアを禁止している」などと憤っていたり……

単に「被災地の復旧復興に携わりたい」「被災者を助けたい」という善意のみならず、ヒロイックな使命感や義憤、政治や行政への敵意を抱いて活動している方が本当に目立ちました。


特に石川県庁への敵意は凄まじかったです。
「県庁のせいで復旧が遅れている」だの「県庁は被災地よりも万博優先」だの「私たちが県庁から被災地を救わなければいけない」だのという話を、先述したように被災者の方々の前で大声で唱えているんですよね。

繰り返しになりますが、役所や公務員に文句を言うこと自体は、僕は否定しません。
ただ、悪口や怒鳴り声は、基本的に心地よいのものではなく、被災者の中には聞きたくない方もいらっしゃると思います。
そのような被災者の内情に配慮せず、自分自身の怒りの感情を被災者に見せつけるのは、ボランティアとして如何なものか……と思わざるを得ません。

これまでの経験上、大災害発生時には誰かしら「悪者」が設定されるものなのですが、今回はどうやら県庁がターゲットになってしまったように思われます。同業者として本当に気の毒です。

被害が出てるのは能登半島だけではない

被災地派遣から約2ヶ月後のゴールデンウィーク期間中にも、石川県に行ってきました。
今後はオタク用務です。



加賀友禅コラボが非常に良かったです。ざっくりいうと、
  • 現役の加賀友禅(着物)作家が、キャラクターに着せる着物の図柄デザインを「受注」して、加賀友禅の特徴や技法に沿ったデザインを作成
  • そのデザインをもとに、実際にミニチュアの着物を作るのみならず、デザインを完成させるまでの過程(モチーフを決めるまでのアイデアメモ、ラフスケッチなど)まで展示公開する
という、可愛いイラストを眺めているうちに、伝統工芸の作家さんが実際にやっている仕事の流れを勉強できてしまう……という画期的な企画でした。

オタクとして大満足なのに加えて、伝統工芸振興施策としても上手い取組だと思いました。
これまで今ひとつ理解できていなかった「美術」と「工芸」の違い「工芸」という産業のあり方がよく分かりましたし、「工芸」という産業が今も生存している石川県という地の特異性にも興味が湧き、急遽そのまま近隣の伝統工芸関係の施設をはしごしてしまいました。




ネット上にはいくつかこの企画のレポートも載っているので、観光や産業振興の仕事をしている方は、一度見てみるといいと思います。参考になるはずです。

……話を本筋に戻します。
スタンプラリーのために1泊2日で金沢市内を歩き回ったところ、歩道も車道も陥没しまくっていました。特に金沢駅の西口側が酷い。

最近マスコミが「観光需要が早々に戻ったおかげで、金沢市民は震災を忘れて立ち直れた」などと皮肉を報じていますが、日々使う道路がベコベコな状態では、震災を忘れられるわけがないと思います。
外野が好き勝手に、被災地をおもちゃにしているとしか思えません。


ボランティアにしろマスコミにしろ、「被災者のため」という大義名分を掲げつつ実際は「自分の私利私欲のため」に活動すること自体は、否定しません。
ただ、被災者に対しては、本音を隠し通してほしい。
私利私欲は見せず、徹頭徹尾、利他的な存在として振る舞ってほしい。

僕の経験上、被災者の方々は、実利が伴わずとも、「善意」を向けられるだけで気持ちが救われます。
それが「被災者の気持ちに寄り添う」ことだと思います。

地方公務員という仕事には批判がつきものです。
民主主義の仕組み上、この現状はどうしようもありません。

地方公務員を叩けない世の中、例えば
  • 役所の権力が強すぎて不平不満を打ち明けられない
  • 役所の存在感が希薄すぎて住民同士が直接潰し合う
こんな世の中のほうがむしろ危険な気すらします。

もちろん、いくら立場上仕方ないとはいえ、叩かれるのは誰だって嫌です。
インターネット上では、一方的に叩かれ続けるのに嫌気が差して、「役所も反論すべき」という主張も見かけます。

住民からの批判に対し、役所側が反論するとどうなるのか、考えてみました。

反論のメリット…長期的には世の中のためになる

住民からの批判には、大きく分けて
  • 役所に非があるもの
  • 誤解が原因のもの
  • ポジショントーク
  • 感情的非難
この4類型に分かれると僕は思っています。

このうち、「役所に非があるもの」は、そもそも反論の余地がありません。
大人しく非を認めて対応を考えるべきです。

また、「ポジショントーク」と「感情的非難」は、反論する価値がありません。
反論したところで役所側も相手も得をしないからです。
反論を考えるよりも、いかに「早く切り上げる」かを考えたほうが有益でしょう。

反論を検討する価値があるのは、「誤解に原因のもの」です。
 

誤解を正すのはそもそもの使命

法令や制度に関する正しい情報を住民に伝えるのが、役所の基本的な役割です。
もし住民が誤解しているのであれば、それを解消するのも当然この役割の一部ですし、「正しい情報を伝える」プロセスの一環として、反論も認められて然るべきでしょう。
むしろ反論することが「住民のため」になるのです。

しかし現状、役所の批判対応は「聞き役に徹する」のが基本です。
結論を左右する致命的な誤解であれば勿論訂正しますが、そうでなければスルーするのが普通であり、好き放題に喋らせて時間切れ・エネルギー切れを狙うのが王道戦略です。

僕の体感では、一般論に近づくほど勘違い割合が高まります。
「財政状況が悪化している」「無駄が多い」「職員が多すぎる」みたいな、主語が極めて大きい批判だと、聞いているうちにどこかで綻びが出てきます。
「財政破綻以前に、あなたの理論が破綻しているのですが…」とつっこみを入れたくなる衝動を抑えつつ、適当に聞き流すという現状の対応は、本来不誠実な対応と言えるでしょう。

エスカレートの未然防止

役所としては、ひたすら聴き役に徹して相手が電話を切れば、それは「引き分け」です。
しかし住民目線に立ってみると、一切反論されないまま自説を主張し切れたわけで、引き分けではなく「完勝」と認識するほうが自然です。
 
つまるところ、「聞き役に徹する」という役所の苦情対応は、住民とっては勝利であり成功体験にほかなりません。

この成功体験は、少なくとも2つの意味で、住民の自己評価を高めると思っています。
ひとつは弁論スキル、「そこそこ高学歴集団である公務員連中を論破できるだけの弁論スキルが自分には備わっているぞ」という自信です。
もうひとつは思考力、「公務員連中が気づいていない真実に辿り着いてやったぞ」という達成感です。

しかも役所批判は、「世直し」という大義名分にも関わってきます。
役所への勝利は、個人的勝利であるのみならず、社会貢献にも資すると感じられるわけです。
二重の意味で美味しい成功体験と言えるでしょう。

「公務員論破」の甘美さにどハマりしている住民は、きっと少なくないと思われます。
(かつての上司は「2,000人に一人くらいの割合で役所批判中毒者がいる」と語っていました)
実際、とある部署での成功体験を横展開して、いろんな部署でゲーム感覚で職員を論破しにかかる住民を、何人も目にしてきました。

役所側がちゃんと反論するようになれば、住民が一方的に勝利意識を持つことも減るでしょう。
勝率が低くなれば勝負は減るはず、つまり批判対応件数が減って職員の負担も減り、本来の仕事にもっと取り組めるはずです。

反論のデメリット ものすごく大変

適切な反論には、住民側にも役所側にもメリットがあります。
できるなら反論したほうがいいのは間違いありません。
しかし現状ろくに反論していないのは、それだけの理由があります。

まず、相手の主張にきちんと反論するためには、高度なコミュニケーションスキルが必要です。
相手の主張を正確に理解して破綻箇所を見極め、相手の理解度に応じて説明を組み立て、気分を害さない穏当な言い回しで訂正を試みる……という高度なコミュニケーションを都度行う必要があるわけで、誰もが為せる技ではありません。少なくとも僕には無理です。

さらに、このような丁寧なコミュニケーションには、1回あたり膨大なエネルギーと時間を消費します。
現状の苦情量に対して毎回これを実践していたら、本当に苦情対応だけで1日が終わるでしょう。


何より人間は、誰しも自分の誤りを指摘されたくないものです。
そこそこ大きな組織で仕事をしている人であれば「反論≠人格批判」が常識であり、よほど無礼な言い回しでもされない限り、多少反論されたところで気分を害したりはしません。
しかし住民の中には、こういう割り切りをしない方も多いです。

地方公務員であれば誰でも一度は、住民から逆ギレされた経験があると思います。
ちょっとした書類の記載ミスの訂正をお願いしたら「どうして従う義務がある?」と開き直られたり、庁内で迷っている方を案内しようとしたら「余計なお世話だ」と捨て台詞を吐かれたり……
こういう事案は、まさに役所側の指摘を人格批判と捉えてしまったケースです。

つまるところ、たとえ「正しい情報を伝えたい」という善意の反論だったとしても、相手側は強烈な感情的反発を覚えます。
そのせいで相手方は余計に攻撃的になり、対応時間が長引き、対応側の消耗が一層ひどくなりかねません。

わずかでも誤りを指摘することが第一歩

大半の地方公務員は「反論できない」ことにストレスを感じていることでしょう。
しかし、もし堂々と反論できるようになったところで、今度は「反論に対する感情的反発」という新たなストレス源が生じるだけだと思います。

とはいえ、現状の「叩かれるがまま」というスタンスでは、住民側も役所側も不幸になるだけです。
たとえ相手にキレられようとも、誤りを指摘することが、長期的には相手のためになるはずです。
相手を怒らせない穏当な言い回しを細々研究するのが、現状でも実践できる最大限の対応でしょう。

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