キモオタク地方公務員(県庁職員)のブログ

地方公務員の人生満足度アップを目指しています。地方公務員志望者向けの記事は、カテゴリ「公務員になるまで」にまとめています。

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この4月から庶務担当になり、毎日のように課内からすごい数の見積書や請求書が集まってきています。

中でも最近印象に残ったのが「記念誌」です。
式典や公共事業が完了した際などに作る、分厚くてツルツルの上質紙にカラーで写真をたくさん印刷して、布張り表紙と外箱までつけて仕上げる、やたら豪華で分厚い冊子です。
実際に発行に関わることは少ないかもしれませんが、大昔の記念誌が埃をかぶって倉庫に眠っている姿であれば、誰もが一度は目にしたことがあるでしょう。

僕は昔から「こんなの作って何の意味があるんだろう」と疑問に思っていました。
誰が読むのかわからない(少なくとも現役職員は使わない)のに、やたらと手間暇(写真撮影や校閲)とお金を投じていますし、しかも今やペーパーレスの時代です。
せめてPDFで作成して、ホームページにでもアップしておけば十分だと思っていました。

こんなふうに記念誌の存在に以前から疑問を持っていたこともあり、今回請求書が回ってきたとき、ついつい上司に「記念誌って無駄じゃないですか?」と軽口を叩いてしまいました。
すると上司はニヤリと笑い、「記念誌はねぇ……作ることに意味があるんだよ」と一言。 

上司いわく、
  • どんな事業にも反対はつきものだが、反対派は短期的利益目的か、一時的なマイナス感情(怒り、憎しみ等)で動いているから、事業終了後も反対を続けることは少ない。ゆえにどんなに盛り上がった反対運動でも事業が終われば沈静化して、数年後には忘れられている。
  • 反対派は「反対すること」のライブ感を楽しんでおり、反対運動の全体像には関心が薄い。そのため反対運動の終了後に「総括」したりはしない(楽しくないから)。ゆえに反対運動の痕跡は、ホームページと新聞記事くらいしか残らない。前者は情報としての信用度が低く、後者は探すのが手間。そのため、後世の人間は反対運動の詳細に触れづらい。
  • 一方、事業推進側の情報は、記念誌として綺麗にまとめ上げられ、図書館などで誰でも閲覧できる。結果的に、後世の人間にからすれば、その公共事業に関する肯定的な情報のほうが圧倒的に多く見える。情報量の差のため、事業推進派が多数、反対派が少数という「見え方」になる。
とのこと。
この説には賛否あるでしょうが、僕はすんなり腑に落ちました。

僕自身これまでたくさんの反対運動を見てきましたが、確かに「反対運動の総括」までなされることは滅多になく、反対運動の痕跡も時が経つにつれてどんどん消えていきます。

特にインターネット上の情報って、メンテナンスしないと意外と簡単に消えるんですよね。
無料サイト作成サービスが終了したり、サーバーを放置して契約期間が切れたりしてネット上から消滅してしまうに加え、ネット上には残っているものの情報が古くなりすぎて検索してもヒットしなくなる、いわば実質的に消えているケースもあります。

コロナの場合は「反対派の見解」しか残らない?

この話を聞いて、ふと思いました。
新型コロナウイルス感染症対応に関しては、通常の事業とは真逆に、「反対派の情報」しか残らないのではないでしょうか?

コロナが5類に移行されて、(感染状況はどうであれ)政策的にはひと段落ついています。
そろそろ行政のコロナ対応施策について「総括」が始まる頃でしょう。 

この「総括」は、基本的には「行政はコロナ対応に失敗した、コロナは人災だ」という路線、つまり役所叩きになると思っています。

現在の民主主義社会では、施策の定量的成果とは関係なく、「国民を不安・不快にさせた」という時点でいかなる施策も失敗扱いされます。
コロナ対応に関しては、現時点で既に国民感情が役所ヘイト方向に固まっており、今更覆すのは不可能でしょう。

さらに政治家や経営者としては、「行政に非がある」という風潮が固まれば「補償」やら「救済」やらという名目で行政側に更なる支出を要求できて都合が良いでしょう。

「役所はコロナ対応に失敗した」という前提で、これからいろいろな書籍やレポートが発表されていくでしょう。
一方、この潮流に逆らって、役所側がわざわざ「コロナ対応における成果」みたいな文書を作るとは思えません。
このような文書は国民感情の否定にほかならず民主主義の原則に反しますし、何より確実に炎上するからです。

つまり、新型コロナ関係の総括記録として作成されるのは、「役所は失敗した」という内容ばかりになるでしょう。
将来的には、「新型コロナという病気が流行しましたが、行政の無策により国民は大変な混乱と不便を強いられました、これは人災に他なりません」という見解しかアクセスできなくなるのです。

まさに「勝てば官軍」の世界。
負けた側の姿は、勝者の視点から見た姿、つまり「愚かで弱い」姿しか見ることができなくなるのです。


「苦労談」を残しませんか?

「コロナは人災、犯人は公務員連中」という現状の通説が正しいのかどうか、僕にはわかりません。
感情に流されず、冷静かつ公平な分析によって決めるべき事案でしょう。

しかし、「反論」することは必要だと思っています。
後世の研究者が分析する際の材料として、行政側の意見を残すべきだと思うのです。

行政全体としては失敗したのかもしれませんが、個々の地方公務員が心身を犠牲にして働いたのは間違いありません。
保健師の方々の激務ぶりは何度か報道されていましたが、他の職員も長時間労働やハードクレーム対応を強いられましたし、私生活でも「公務員だから」という理由で迫害を受けてきました。

僕が知る限りでも、以下のような事案が発生しています。
  • 実働部隊だったアラサー職員が多数潰れたり、慢性疾患を発症
  • 職員駐車場でタイヤがパンクさせられる事件が頻発
  • 電話での応答を録音されて、実名入りでYoutubeにアップされる
  • ホテル療養担当を務めたことで近隣住民からひどく迫害を受け、せっかくのマイホームを手放して市外に引っ越し
僕自身もいろいろ食らいましたが、一番印象に残っているのは「お前の息子を刺し殺す」という脅迫です。
本当に息子がいる職員が受けていれば一発アウトな発言なのですが……僕は独身ゆえに実害が無く、通報もしませんでした。(下ネタ的な隠語として捉えるならとんでもなく恐ろしいですが……)

あとは近隣住民からもたくさん嫌味を頂戴しました。


今回のコロナ対応のように、全国の地方公務員が同時多発的に苦しめられた事案は、史上初めてだと思います。
しかしこのままだと、こういう現実が記録に残りません。
地方公務員の苦労と苦悩は「無かったこと」にされて、一方的に「無能な罪人」という烙印を押されてしまいます。

僕はこれが悔しくてたまりません。
せめてこのブログには、僕が見聞きした事案をなるべく残していきたいです。

かつて「#教師のバトン」というプロジェクト(元々は文科省が「現役教員の前向きな声」を集めるために始めたが、結果的に不満ばかり集まった)がありましたが、同じような感じで、多くの地方公務員が自分の苦労話を吐き出すムーブメントが巻き起こればいいのにな、とも思います。

さらに理想を言えば、書籍として出版されてほしいです。
出版社的には確実に炎上ものですし、あまり売れなさそうですが、それでも情報としての価値は大いにあると思います。


地方公務員の仕事には、いわゆる定量的な「ノルマ」はあまりありません。
数値設定されている仕事であっても、未達だったところでペナルティを課されるわけでもなく、せいぜい上司から怒られる程度でおしまいです。

民間企業勤務の方々は、日々ノルマを突きつけられ、達成できなかったら給料減額、下手すれば解雇されます。
そんな状況と比べると、地方公務員に課されている「数値目標達成」へのプレッシャーは相当弱いでしょう。

民間勤務の方々が「公務員は楽だ」と感じているのも、このノルマ不在が一つの原因だと思われます。
僕が出向していた民間団体でも、マイナンバーカード取得率が伸び悩んでいるというニュースに対して「どうせ目標未達でもクビ飛ばないんでしょ?お気楽な身分だよね」と冷笑されていました。

ただ、「数値目標必達」というプレッシャーが無いからといって、地方公務員の仕事が民間よりも必ずしも楽だとは思いません。
地方公務員には「負け筋を見逃してはいけない」という別種のプレッシャーがあります。

基本的に役所は敗北するもの

民主主義の下では、ある施策の成否を決めるのは住民です。
定量的な効果が出ているとか、開始時点に掲げていた数値目標をきちんと達成できたとか……こういった客観的事実はどうてもよく、全ては住民の「お気持ち」次第であり、住民が喜んで満足すれば何でも成功ですし、不満だったら失敗なのです。

価値観が多様化した(どんなマイナーな価値観でも堂々と表明できる)今という時代において、住民全員を満足させるのはもはや不可能です。
どんな施策であっても、必ず誰かから不満の声が上がります。

困ったことにマスコミや政治家は、施策に対する不満しか取り上げません。
大多数が喜んでいる施策であっても、ごく些細な不満の声を探し出して拾い上げ、それを拡張して「役所は失敗した」と喧伝します。

マスコミが連日「この施策は失敗です」と報道するのを見聞きして、住民の多くは認識を改めます。
たとえ自分が恩恵を受けているとしても、それを棚上げして「役所は失敗した」と思うのです。

ほとんどの施策は、このような経過を辿って民主主義的に「失敗」の烙印を押されます。
(以下、失敗施策扱いされることを「敗北」と表現します)

役所がどれだけ頑張ろうが、どれだけ成果を上げようが、関係ありません。
役所は大概敗北します。
そのため、最初から敗北前提に施策を展開することになります。

「負け筋探し」が職員の最重要業務

敗北を前提とする場合、被害を最小限に抑えることが至上命題です。
そのためには、いつ/誰が/どのように叩いてくるか(いわゆる「負け筋」)を網羅的に予測して、それぞれの対処方法を考える必要が出てきます。

こう考えると、定量的目標の未達成も、あくまでも「負け筋」のひとつと位置付けられます。
「いかに達成するか」のみならず、「達成できなかった場合どうするか」も真剣に考えるわけです。

具体的には、
  • 類似した施策で、過去どのような叩かれ方をしているかを徹底的に調べる
  • 国や他自治体、他部署の施策が波及してこないか考える
  • 住民の声やインターネット上の反応を常時伺って、リアルタイムの動向を把握する

こういった方法で「負け筋」を探して、予算・人員・権限の範囲内で対策を練っていきます。
往年の名コピペ「ラグで詰まないか?」を思い出します。


役所的には、たとえ叩かれても想定・対策の範囲内に収まっていれば、それほど問題にはなりません。
しかし、想定外の「負け筋」で叩かれてしまったら、紛れもなく失敗と見なされます。

あらかじめ想定していた「負け筋」であれば叩かれてもすぐに対処できますが、想定外のケースだとそうはいきません。
往々にして時間が足りませんし、対処に必要なモノやデータがもう手に入らないケースも多いからです。
結果的に対処が遅れたり不十分だったりして、さらなる批判を招きます。

最終的にうまく収められたとしても、関係者はものすごく怒られます。
さらには人事評価も下がるでしょう。
「負け筋潰し」はリスク管理の一環であり、地方公務員にとって必要不可欠の能力です。
想定外の事態を引き起こしてしまうと、この能力が不足していると見なされてしまうわけです。


民間企業でも同じように、いろいろなケースを想定してリスク管理をしているでしょう。
ただ民間企業であればコストパフォーマンスを考慮して、利益に影響してこない微小なリスクであれば捨象するでしょうが、役所ではどんなわずかなリスクでも真剣に検討します。
役所はとにかく「想定外」を許さないというスタンスです。

終わりないプレッシャー

「網羅的に負け筋を探さなければいけない」ということは、言い換えると「想定外の負け筋は許されない」というプレッシャーを課されることでもあります。
民間企業における「定量的ノルマ」には及ばないのかもしれませんが、これはこれで結構しんどいプレッシャーだと思うのです。
 
定量的なノルマには終わりがあります。目標値を超える実績を出せばいいです。
しかし、「負け筋潰し」には終わりがありません。
「事実は小説よりも奇なり」ということわざの通り、現実は何が起こるか分かりません。
全ての事象が「負け筋」になり得ます。
地方公務員は、一生ずっとこのプレッシャーの下で生きるしかないのです。


真面目で優秀な職員、つまり「負け筋」をたくさん見つけられる職員ほど、不安をたくさん抱えたまま仕事をすることになりますし、日々「もっと他にも負け筋があるのでは?」と疑心暗鬼に襲われることになります。

日々ノルマ追われる人生と、無限の不安に苛まれる人生。
お互いを蔑み合うのではなく、「みんな違ってみんなしんどい」という友愛の念を持ちたいものです。

地方公務員の副業はなぜかバレます。
定期的にニュースになりますし、僕の勤務先でも時々発見されています。
バレるルートは様々なのですが、僕の勤務先の場合は住民からの告発がほとんどです。

告発するにしても、住民の皆様がどうやって公務員副業情報を収集しているのか不思議だったのですが、 ひとつ有力なルートに行き当たりました。

フリマアプリの怪

僕の友人が某政令市職員から聞いた話です。いわゆる又聞きです。

やはり市役所は住民との距離が近いために、職員に対する苦情が絶えないようです。
苦情内容はバリエーションに富んでいて、明らかに職員側が悪いものもあれば、難癖や被害妄想の類まで取り揃っています。
職員は誰しも「平穏に暮らしたい」と思っており、業務時間中も私生活も、つつましく生活するよう心がけていました。

それでも住民の皆様は非常に鋭く、あの手この手を使って職員の言動を監視してきます。
彼も運悪く、その監視網に引っかかってしまったのです。


ある日突然、彼は人事課に呼び出されました。

「○○さん、あなたが無断で副業をしていると住民から通報がありました」
「このアカウントはあなたのもので間違いありませんか?」
「氏名と住所からして、ほぼ間違いないと思いますが……」

人事課職員の手には1枚の紙。メールをプリントアウトしたものでした。
「おたくの職員がフリマアプリで収益行為を行なっている、これは法令違反ではないか。然るべき処罰を下すとともに市民に謝罪せよ」との告発文面に、いくつかの画像が添付されていました。

その画像は、彼が何らかの商品を購入した際の取引画面と、彼のアカウントのホーム画面のキャプチャーでした。

取引画面には、彼のアカウント名と、本名と住所がばっちり載っています。
アカウントのホーム画面には、彼がこれまで出品した商品が一覧掲載されています。
この2枚の画像で、彼がフリマアプリで販売を行い、売上を得ていたことが証明できます。


アカウントのホーム画面は、誰でも閲覧できるものです。

一方で取引画面は、商品の売買が成立した後〜購入者が商品を受け取るまでの限られた期間に、出品者と購入者だけが閲覧できる画面です。
この期間、出品者側は商品を発送するため、購入者の氏名や住所を閲覧できます。


彼は職員住宅に住んでおり、フリマアプリにも正直に職員住宅の住所を登録していました。
そのせいで市役所職員であることがバレてしまい、人事課へ告発されてしまったのです。


彼自身は依願退職まで覚悟したのですが、人事課にとっては「よくあること」だったらしく、「単に不用品を出品しているだけで転売屋やっているわけではないですよね?」と念押し確認されただけで、すぐに解放されました。

その後、人事課から告発者に対して「副業には該当しないので処分不要だが、職員本人には自覚ある行動をするよう口頭指導」と返信し、それで対応は終了しました。

勤務先自治体候補さえ絞れればだいぶ特定できる

今回紹介した事例では、職員住宅に住んでいたせいで公務員バレてしまいました。
ただ、「職員住宅に住んでいる」という直接的なヒントがなくとも、「住所」「氏名」さえ分かれば、単にGoogle検索するだけでも、地方公務員かどうかを結構な精度で調べられます。

地方公務員の氏名は、インターネット上に結構転がっています。
まず、自治体公式ホームページ上に掲載される報道発表資料には、たいてい担当者氏名が掲載されています。
他にも、広報誌のウェブ版に載っていたり、メディアに取材された際のウェブ記事に氏名も書かれていたり……

つまるところ、「勤務先自治体名+氏名」で検索すると、その人が地方公務員であれば、これまで手がけた業務の情報がヒットするのです。
入庁以来ずっと庶務一筋で役所外部に名前を晒したことが無い職員であれば、何もヒットしないかもしれませんが、自分でも覚えていないうちに案外晒しているものです。

勤務先自治体名を絞り込む際に、住所はかなりヒントになります。
都市部は難しいかもしれませんが、田舎であればほぼ住所=勤務先自治体なので、住所さえ分かれば、勤務先自治体をあらかた特定できるのです。

ちなみに「僕の居住県+僕の氏名」で検索してみたら、観光部局にいた頃の報道発表資料がヒットしました。普通に職員バレしますね……


地方公務員の副業が、 彼のようにフリマアプリ経由で判明するというルートも、案外多いのかもしれません。
特に、公務員しか買わなさそうな商品(昇進試験参考書とか公務員本あたり) を購入する際は、身バレする覚悟をもって臨んだほうが良さそうです。

地方公務員という仕事は苦情から逃れられません。
僕はこれまでに複数の部署を経験してきましたが、どの部署でも業務とは関係ない公務員批判(無駄に給料が高い、人数減らせ、態度が悪い等)が過半数を占め、業務に関する苦情は半分未満にとどまります。
さらに業務関係の苦情でも、無理やり役所をこじつけているだけのイチャモンみたいな内容が多く、本当に役所に責任がある苦情は、全体の2割程度です。

業務と無関係な苦情を延々聞いていると、虚しくなってきます。
一個人の私的欲求解消のために地方公務員の時間が割かれているという意味で、間違いなく「税金の無駄」でもあります。
金額ベースで見れば、紙の無駄よりもよっぽど大きいと思います。

ただ、地方公務員に対しては誰でも気軽に不満をぶつけていいという風潮には、一定の意義もあると思っています。

地方公務員はどうして叩きやすいのか

地方公務員が悪感情の捌け口になっているのは、
  1. 「どれだけ罵詈雑言を浴びせようとも反論してこない」と思われている
  2. 「能力的に劣っている」と思われている
  3. 「悪事を働いている」と思われている
  4. 「税金で食わせてやっている」という負い目がある
  5. マスコミや偉い人が日々地方公務員を叩くことで「地方公務員は叩かれて然るべき」と正当化されている
  6. 電話一本でいつでもどこでもすぐに叩けるし、役所に行けば確実に叩ける
このあたりの理由が大きいと思います。
裏を返せば、このあたりの条件を満たせば、地方公務員でなくともサンドバッグ化しかねません。

2〜4を満たす層は地方公務員以外にも複数存在しますし、6は組織であれば大体当てはまります。

5を満たす層は、最近どんどん増えています。
インターネットの発展により、ヘイト系の主張が格段にやりやすくなったからです。
今やどのような層であれ、どこかの大学教授やメディア関係者、あるいはインフルエンサーから叩かれています。
誰かを叩きたいと思えば、ちょっと検索するだけで、叩くことを正当化する主張が見つかるでしょう。

地方公務員特有の事情は、今のところは1だけでしょうか。


サンドバッグ(=公務員)が無くなったらストリートファイトするでしょ? 

もし何らかの事情があって地方公務員を叩けなくなったら、日本全国津々浦々に充満している「地方公務員へのヘイト感情」は、どこに向かうでしょうか?
きっと先述した1〜6の条件のいくつかを満たす「叩きやすい層」に向けられるでしょう。

具体的には、子どもや高齢者、障害者、生活保護受給者、賎業扱いされている職の従事者あたりでしょうか。
いずれにしても、地方公務員よりも雇用や収入が不安定で、身体的にも強くはありません。
地方公務員よりも「打たれ弱い」といえると思います。
こういった方々が、今の地方公務員批判並みの頻度・強度で罵倒されたとしたら……悲劇的結末が待ち受けているでしょう。

というよりも、「大多数から見下されて公然と叩かれているのに雇用も収入も確保されている」という地方公務員の社会的地位が異質すぎるのでしょう。
僕自身、これまで何度も殺害予告されてきましたし、何度も「訴えてやる」と宣戦布告されてきましたが、それでも冷静でいられたのは、「どれだけボロクソに罵倒されたところで実害は無い」という安心感があったからです。
もちろんストレスは感じますが、それだけです。実害はありません。


地方公務員は圧倒的な「叩かれやすさ」を背負わされており、万人からヘイト感情を日々ぶつけられることを宿命づけられています。
この現状が地方公務員に多大なストレスをもたらし、職業満足度を損なっています。

ただ、見方を変えれば、地方公務員が悪感情の捌け口となることで、少なくない人々が救われているはずです。
「地方公務員は、大人しく叩かれることで、一定の役割を果たしている」
こう捉えることで、僕は苦情対応ストレスを和らげています。

先日の記事で、本格的に地方公務員を目指すと決断する前に
  • 地方公務員という職業は、民間勤務とどう異なるのか(=地方公務員の特異性)
  • 地方公務員の特異性に対し、魅力を感じるか
を念入りに考えたほうがいい……という趣旨のことを書きました。




地方公務員の特異性のうち、僕が特に重要だと思うのが「他律性」です。
「他律性」を受容できるかどうかが地方公務員適正を測る指標になりますし、これに魅力を感じられるかどうかで、地方公務員人生の満足度は大きく左右されると思います。

他律性=従たる立場に立たされること

ここでいう他律性とは、役所が「何を」「どのようにするか」を決めるのは住民であり、役所(地方公務員)に自己決定権は無い……という性質です。
僕の造語ではなく、役所界隈では一般的に使われています。

民主主義という統治体制をとっている以上、役所が他律的になるのは必然です。
かつ、昨今は社会全体が「ユーザー優位」に傾きつつあり、役所の他律性もどんどん強まっているように思われます。

社会全体における役所の立場が他律的であるために、地方公務員個々人の業務も他律的にならざるを得ません。
決められたルールを淡々と運用する業務が多かったり、担当職員の裁量が著しく制約されるのは、まさに他律性の現れだと思います。

他律性は、顧客との関係性にも大きく影響します。
民間企業であれば、提供側と顧客は、原則的には対等のはずです。
(もちろん実際には優劣関係が生じますが、法的には対等です。)

一方役所の場合、原理原則からして対等ではありません。
提供側=役所のほうが圧倒的に劣位に立たされ、顧客=住民のほうが強いです。

住民の意見は、たとえどんな突飛な理想論であれ、合理性に欠ける「お気持ち」であれ、尊重しなければいけません。
そもそも役所(地方公務員)には、住民から寄せられた意見が「突飛だ」とか「合理性に欠ける」と評価する権限がありません。
判断基準すら住民に委ねられています。

他律性はデメリットだらけ

このような他律性に縛られた職業人生は、ストレスまみれです。
地方公務員に嫌気が差して離職した方の発言を読んでいると、離職理由の多くが他律性に由来しています。

ひとつひとつ列記していくとキリが無いのですが、
  • 荒唐無稽な意見に対して真剣に向き合わなければいけない徒労感
  • 意見調整ばかりでなかなか前進しないもどかしさ
  • 自分の裁量があっさり踏み躙られて尊厳破壊
こういうストレスは、地方公務員なら誰もが日常的に味わっているはずです。


加えて、「他律的に働く」という経験しか積めないために、将来の職業選択の幅が狭まると思っています。

他律性に縛られたまま仕事をしているばかりでは、「職業的な自立性」が身につきません。
民間企業であれば当然の「自分で考えて行動する」経験、現状分析→目標設定→手段検討→実行→反省、という一連の流れを自分で考えて実践する経験がなかなか積めないせいです。

結果的に、民間企業で必要とされる基礎的能力を育めないまま、年齢を重ねてしまいます。
転職市場における「地方公務員は使えない」という評価は、専門的知識やトーク力のような個別具体的なスキルの欠如ではなく、もっと基本的な「自分で考えて仕事する」ことができないせいなのでは、とも思っています。

デメリットの中に光明を見られるか?

他律性な働き方は、たいていの人にとって苦痛だと思います。
ただ、地方公務員として働くことに意義を感じている方々は、苦痛を感じつつも、魅力を見出しているはずです。

他律的に与えられた仕事、つまり住民が「やらねば」と決めた仕事は、間違いなく誰かが必要としている仕事です。
決められたとおりに粛々とこなすだけで、確実に社会貢献できます。
(自分が決めたわけでないので、責任感をあまり背負わずに済むという利点もあるでしょう)

最近はひたすら自己決定が重んじられていて、他律的に思考・行動する人は容赦無く無能扱いされます。
しかし、他律的に働く人がいなければ、世の中は回りません。誰かがやらなければいけない。
「具体的にやりたい仕事は無いけど、なんとなく地方公務員に関心がある」という方は、こういう役割に魅力を感じているのかもしれません。

僕自身、他律的に働くことに一定の意義を感じているので、今も地方公務員を続けられています。
もちろんストレスも溜まりますが、僕がストレスに耐えた分だけ誰かの幸福に繋がるんだと整理して処理することにしています。
あとは趣味で思い切り自律性を発揮してストレスを発散できているのも大きいです。


他律的という特質は、地方公務員の宿命です。
どんな部署に配属されようとも付き纏います。
これに魅力を感じるのであればどこでも楽しいでしょうし、逆に厭わしく感じられるのであれば、たとえ「やりたい仕事」を担当できたとしても苦痛でしょう。

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