キモオタク地方公務員(県庁職員)のブログ

地方公務員の人生満足度アップを目指しています。地方公務員志望者向けの記事は、カテゴリ「公務員になるまで」にまとめています。

タグ:人事

先日ツイッター上で、この4月に民間企業から市役所に転職してきた方が愚痴をツイートしていました。
彼いわく「役所のプロパー職員は民間経験者に期待しすぎ、なんでもかんでも聞いてくるな」というのです。

具体的にどのような事情があるのかはわかりませんが、採用されたばかりなのに教えを乞われる……というのは、確かに大変だろうと思います。
しかし一方で、民間経験者に頼りたくなるプロパー側の気持ちもよくわかります。

僕自身、文書管理規則や財務規則のような内部ルールに慣れさえすれば、民間経験者は新卒入庁職員とは比べ物にならないくらい優秀だと、心の底から思っています。

社会全体による強力な「刷り込み」

プロパー地方公務員が民間経験者に期待する理由はいたってシンプルです。
「民間人材とは比べ物にならないくらい、地方公務員は無能だ」と刷り込まれているからです。

「民間人材>地方公務員」という図式は、もはや社会の常識と化しつつあります。
テレビを見たり、ラジオを聞いたり、ちょっとSNSを開いたりすれば、いつでもどこでも「地方公務員は無能」という言説が目に入ってきます。

日本は「言論の自由」が一応保証されているので、何事に対しても幅広く意見を持てますし、主張することも許されています。
実際、マスメディアの論調に対してインターネット上で反対意見が噴出するなど、メディアの間で意見が割れることもしばしばあります。

そんな中、「民間人材と比べて地方公務員は無能」という言説は、あらゆるメディアで意見が一致している稀有な事例です。

加えて地方公務員は、日々、「お前たちは無能だ」と住民の皆様から教え込まれています。
民間人材と比較して地方公務員をこき下ろすのは、苦情の定番です。

  • 民間なら数秒でできることに、公務員は何年かかるんだ
  • 民間だったらお前はクビだ
みたいな抽象的な意見にとどまらず、
  • 一般的なビジネスマナーができていない
  • プレゼンが下手
  • 資料が汚い
など、ダメな点を具体的に指摘してくるパターンも多いです。

役所には日々たくさんの人が、それぞれ別々の思惑を抱えて苦情を申し立ててきます。
立場が異なれば苦情の内容も違ってくるもので、同じ日に正反対の内容の苦情を受けることもしばしばあります。
新型コロナウイルスのワクチン接種あたりが典型で、「強制的にワクチンを打たせて感染拡大を食い止めるべき」「ワクチン接種は毒液注射と同じ殺人行為」という両極端の主張を交互に聞かされる……なんてこともありました。

このように多様性に満ち満ちている苦情内容の中でも、苦情主の老若男女を問わず、社会的地位や所得に関係なく共通するのが、「地方公務員は無能」という点です。
苦情内容がどのようなものであれ、「地方公務員が無能だから問題が発生しているんだ、民間ならこんなお粗末な事態にはならない」という理屈づけは、万人に共通しているのです。

民間経験者に期待を寄せるのは職員だけではない

このように、地方公務員は日々、住民の生声に加えて、オールメディアで「民間人材と比べて地方公務員は無能」という主張に曝され続けているわけで、どれだけ自我を強く保とうとも「自分達は民間人材と比べて無能なのだ」と刷り込まれてしまいます。

そして、この刷り込みが、民間経験者への期待に直結しているのだと思います。
住民の声や世論をしっかり聞いている真面目な職員ほど、「自分たちは所詮無能だから何をやっても失敗ばかりだけど、優秀な民間経験者の力があればきっと何とかなるはずだ」と考えるのです。

民間経験者ご本人からすれば、「無茶を言うなよ……」と思うかもしれませんが、世間に流布している一般常識をもとに考えれば、このような判断に至るのが至って自然で、論理的にも正しいです。


さらに言えば、「民間経験者への猛烈な期待」は、プロパー職員のみならず住民も抱いています。

僕がかつて観光系部署にいたとき、よくやりとりをしていた地域振興団体があったのですが、そのコアメンバーの中に公務員嫌いの方がいて、何をするにも不審がられて調整に苦労しました。
しかし、僕が異動して、後任に民間経験者が着任した途端に、その人の態度が一気に軟化して、ものすごく協力的になったのです。

このような「民間経験者が担当した途端に住民との関係が円滑になる」エピソードは、後を絶ちません。

つまるところ、社会全体が、「地方公務員は無能だ」と認識している反動として、役所で働く民間人材に期待を抱いているのだと思います。
「プロパー職員が民間経験者に期待を寄せる」という現象は、単にその氷山の一角に過ぎないのです。


周囲からやたらと期待されてしまうのは、民間経験者の宿命なのだろうと思います。
当人としては、新人なのに頼られるのが居心地悪いのかもしれませんが……

プロパー職員の中には、民間人材に対する劣等感を拗らせている人もちらほらいます。
そういう人は、期待を通り越して嫌味を言ってきたり、さんざん持ち上げておきながら「期待外れだった」などと勝手に落胆してきたり、色々と面倒です。

こういう言動を取らないよう、プロパー職員側は常々注意しなければいけないと思います。

今更言うまでもなく、地方自治体の人事ローテーションはうまく機能していません。
要配慮者を負担の軽いポストへとうまく配置したり、NGな組合せを避けるだけで精一杯で、それ以外の職員は単なる玉突きの穴埋めでしか配置できていないのが現実でしょう。

戦略的に人材育成している民間企業とは雲泥の差がありますし、同じ官公庁でも、国は一定の「コース」を設けて若いうち選抜&育成を図っています。
他の職場と比べても、地方自治体の人事はおざなりと評されて然るべきだと思います。

この原因は多分ですが、職員数に比して人事部門の人数が少ないせいだと思っています。
人事は典型的な間接部門であり、主権者たる住民からすれば、自分達に何の恩恵ももたらさない「無駄」なセクションです。

ゆえに、「人事部門を充実する」のは至難の業だと思いますし、人員配置の代わりにコストを投じてタレントマネジメントみたいな外部サービスを利用するのも困難でしょう。
地方自治体の人事異動のあり方を抜本的に改善するのは、民主主義体制を敷いている以上、不可能だと思います。

とはいえ、リソースを追加せずとも、現状の異動のあり方を少し変更することで、今よりはまだマシにできるのでは?とも思います。

「部署」または「職務」どちらかだけを変える

地方公務員のポストは、ざっくり「部署」「職務」「職位」の3つの要素から構成されます。
「部署」は配属される部署のこと、「職務」は担当業務の中身(庶務、窓口、許認可、内部調整など)、「職責」は立場(ヒラ、主任、係長など)のことです。
他にも色々な要素がありますが、主だったものはこの3つだと思います。


例えば、自分の仕事を他者に説明するときは、だいたいこの3つを取り上げないでしょうか?
新たに異動した部署で自己紹介することになったり、久々に顔を合わせた元上司から「今は何やってるの?」と聞かれたり、合コンで「どんなお仕事してるんですか?」と質問されたり……このあたりのシーンを思い出してみてください。
「農業振興の部署で、農地関係の許認可の担当をやってます」みたいに、部署&職務&職位のセットで喋りませんか?



多くの自治体の人事異動では、「部署」「職務」「職位」の3要素が一切連動せずに、バラバラに変更されます。
このうち「職位」は、年齢や昇級昇格、組織定数といったルール、つまり人事異動とは別のルールで決まるので、今回は無視します。

一方、「部署」「職務」は、人事異動の際に決める要素であり、まだ工夫の余地があるはずです。
そこで、「部署」「職務」の両方を同時変更するのは極力避けて、いずれかを固定して、片方だけを変更するような異動形態にすればいいのでは?と思います。

具体例を挙げると、
  • 農業系部署の許認可担当 → 福祉系部署のケースワーカー → 観光系部署の庶務担当 
みたいに、「部署」「職務」どちらも異動のたびに変更するのではなく、

  • 農業系部署の許認可担当 → 福祉系部署の許認可担当 → 福祉系部署のケースワーカー
みたいに、「部署」「職務」のうち片方だけを変更する形のほうがよいのでは?と思うのです。

異動負担の軽減&専門性の醸成

インターネット上の投稿を見ていると、現状の地方公務員の人事異動のあり方に対する問題提起が多数なされていますが、その中身はおおよそ
  • 人事異動のたびに全く経験したことのない業務をやらされることになり、かつ即座に習得しなければならず、学習負担が重い
  • 数年おきに全く違う仕事をやらされて、キャリアに一貫性が無く、専門性が身につかない
という意見に集約されます。

これらの事象は、「部署」「職務」の両方を同時に変更するのを止めて、片方だけの変更に止めれば、かなり軽減されるはずです。

まず、前者の「異動時の学習負担の軽減」は、これまでは「部署」の学習(=新たに携わることになる分野の基礎知識の勉強)と、「職務」の学習(=具体的な業務処理方法の勉強)という二重苦が課せられていたところ、片方だけになるので、間違いなく軽減されます。

後者の「専門性の欠如」についても、部署ごと・職務ごとの経験年数が長くなることで、今よりは改善されるはずです。

一つのポストだけを長年担当していても専門性は身に付かない

現行の人事異動では、一つの部署で一つの業務しか担当せずに異動するケースが多く、どうしてもその「部署」(分野)への理解が表面的に終わっていると思います。

例えば、観光系部署で5年間にわたりイベント運営を担当していた職員がいるとします。
彼/彼女は、イベント準備の段取りやイベント当日の進行、安全管理あたりについては間違いなく詳しいでしょう。
しかし、だからと言って「観光に詳しい」と評しても良いのでしょうか?

イベント運営だけを担当していては、観光に関するその他の論点については、さほど詳しくなれないでしょう。
観光に関する他の施策のことを知らず、施策体系の中に「イベント開催」がどのように位置付けられるかもよくわかっていないとすれば、「イベントに詳しい」とすら言えなくなってきます。

このように、現行の人事異動では、自分の携わる分野に、限られた視点からしか携わることができず、結果的に分野への理解が浅いまま終わっていると思います。
ここで、イベント担当を2年くらいにとどめておいて、別の業務(例えばマスコミへの売り込みなど)を2年間担当させたほうが、トータルの在籍期間は1年短くなっても、観光分野に関してはより詳しくなれると思います。

「職務」についても同様です。
農業系部署で5年間庶務担当をしている職員がいるとします。
彼/彼女は、ハード事業の積算や国庫支出金の処理に関しては非常に詳しくなっていると思います。会計検査院の相手も余裕でしょう。

ただ、だからと言って庶務全般に精通できるわけではありません。
ソフト事業の積算や、施設設備の運営費管理のような、他部署の庶務担当であれば当たり前にこなしている日常業務は、さほどうまく処理できないと思います。

つまるところ、「専門性の欠如」の原因の一つは、一つの部署で一つの職務しか担当できずに転々と異動させられることであり、一つの部署でいくつかの職務を経験する(あるいは一つの職務を複数の部署で経験する)ことで、今よりは専門性が身につくのではないか?と思うのです。


複数の「専門性」を備えるのが正規職員ならではの役目

何か一つの「部署」や「職務」の専門性を極めるのは、もはや地方公務員の役割ではないのだと思います。

これまでも、「部署」(分野)の専門性が欲しい場合、外部有識者にヒアリングしたりアドバイザーとして起用したり、業務を丸ごと委託して、専門性を確保してきました。
加えて、ここ数年でコンサルがどんどん行政分野に進出してきていて、「職務」の専門性すら外注できるようになりました。
これまで役所特有だった「職務」、例えば会計処理や予算編成、条例制定のような業務すら民間委託できるようになってきています。

限られた分野・職務の専門性が欲しいだけなのであれば、民間委託すれば済みます。
正規職員を任用するよりも手早く、かつ安上がりでしょう。

これから地方公務員に求められるのは、専門性の掛け合わせなのだろうと思います。
行政に関する分野・職務に関して複数の専門性を備えている人間は、今のところ正規の地方公務員しか存在しません。
俗に言う「縦割りの弊害の解消」「分野横断的な問題の解決」には、複数の専門性を兼ね備えた人間が必要であり、これこそが地方公務員に求められる役割だと思います。

60点くらいの専門性をいくつか身に付けて、それらを掛け算することでオリジナリティを発揮していく。
入庁してから係長として部下を持つまでの間に、だいたい6ポストくらいを経験して、この過程で4〜5個くらいの専門性を身に付けられたらいいんじゃないかと思っています。

僕の世代(30代半ば)を見ていると、活躍している職員がまさに、これまでの異動遍歴の中で複数の「専門性」を身に付けて、それらを掛け合わることでオンリーワンの存在として存在感を発揮しています。
僕みたいに1〜2年スパンで異動を繰り返し、何の専門性も身につかないまま年次だけ重ねてきた職員にとって、彼ら彼女らは眩しすぎます。


先日なぜか「地方公務員の普通退職者が増えている」ことが大々的に報じられました。



今回取り上げられている「地方公務員の退職状況等調査」は、総務省が毎年実施して調査結果も公表されているものです。
このブログの過去の記事でも、何度かこの調査の結果を使っています。

記事中では「若手地方公務員の退職が増えている、公共サービスの劣化が懸念される」と危機感を報じていますが、この傾向は今回の調査結果に始まったわけではなく、ここ数年ずっと続いています。
正直、目新しさゼロなのですが……どうしてこのタイミングで報じたのでしょう?

報道の裏側にある意図は置いといて、結果を深掘りしていきます。

若手職員の母数が増えているので退職者数も増えて当然

まず、この報道には大きな欠陥があります。
退職者の増加にだけに焦点を当てていて、職員数の増加に一切触れていない点です。

地方公務員の採用数は、全国的に平成10年代後半に一度大幅に減少した後、平成24年頃から増加傾向にあります。
この影響がモロに若手の職員数に波及して、ここ10年で若手職員数が大幅に増加しているのに、この記事では全く触れていません。

「若手の地方公務員」の母数が増えれば、退職者数も増えて当然だと思うのですが……
あえて触れずに「退職者の増加」をことさら強調する意図がきっとあるのでしょうね。

より正確に実態を把握すべく、職員数の増加具合も追加して、表にしてみました。
H25・R4退職実態調査


20代は、退職者数が2.7倍に増えている一方、職員数も1.35倍に増えています。
そのため、退職率の増加は2倍になります。

30代は、退職者数の増加は3.14倍に対し、職員数は1.05倍しか増えていません。
そのため、退職率の増加幅も3倍を超えます。
特に35歳以上の退職率が3.5倍近くまで伸びています。

職員数の母数も含めて数字をみてみると、20代よりも30代のほうが、退職者数・退職率ともに大きく増加しているといえます。

ただ、10年前と比べて増加しているとはいえ、退職率は依然かなり低いです。
一般的に「3年で3割が退職する」と言われる民間企業と比べれば、地方公務員はまだまだ離職率が低いといえるでしょう。


30代後半は役所を辞めてどこに行く?

改めて数字を見てみると、20代の退職が増えているのは印象どおりなのですが、30代も増えているのは予想外でした。

僕としては、若手よりも、35歳以上の方々が役所を辞めてからどのように生計を立てているのか、興味があります。

今は空前絶後の人材難です。
20代であれば、転職先には困らないと思います。

一方、転職界隈では「地方公務員は30代になると市場価値が落ちて転職できなくなる」のが通説です。
僕自身、転職アドバイザーと以前面談したときに、同じようなことを言われました。

そのため、民間企業に転職するのはなかなか難しいと思われます。

フリーランスになって独立開業するのも難しいと思います。
インターネット上では「公務員からフリーランスになって年収が倍になった」みたいな人がたくさんいますが、本物かどうかよくわかりませんし……

もしかしたら、別の自治体に経験者枠で転職しているのでしょうか?
自治体の経験者枠採用と言えば、これまでは民間大企業か中央省庁でバリバリ働いてきた人しか通過できない難関枠で、元地方公務員なんて(都庁職員を除けば)歯牙にもかからないのが通説でしたが、役所の人材難が深刻になるにつれ、どんどんハードルが下がってきているとか。

転職ではなく、労働市場からリタイアするケースも少なくなさそうです。
僕の勤務先県庁でよく聞くのは、心身を故障してフルタイムで働けなくなってしまうパターン
35歳の退職者が増えている原因が、このような不本意退職の増加でなければいいのですが……

35~39歳の職員は、地方公務員の採用数が特に少なかった平成20年前後に採用された人が多いです。
この時代は景気が悪く、民間採用も低調だったので、役所には本当に優秀な方々が集まりました。
僕の勤務先県庁では「一騎当千の世代」などど呼ぶ人もいます。
この世代が優秀すぎて、財政・人事・企画のような出世コースを独占しており、世代交代が進んでいないことが問題視されるほどです。

もし僕の勤務先県庁でこの世代が相次いで退職したら、相当な大問題になります。
役所の中枢業務のノウハウを持った人材がいきなりいなくなるわけで……少なくとも予算編成は回らなくなると思います。

人事における運要素を「ガチャ」と呼称する文化がかなり定着してきたように思います。

配属ガチャとか、上司ガチャ、同僚ガチャ、勤務地ガチャなどなど……
特に「配属ガチャ」は最近ネットニュースで連日見かけますし、最近では書籍のタイトルにも使われるほどに市民権を得ているようです。

この表現、Wikipediaによると、人事における運要素をソーシャルゲームにおけるガチャになぞらえた表現で、学生を中心に使われているとのこと。



簡潔でキャッチーで、検索ボリュームも大きくアクセス数を稼げるので、このブログでもたびたび使っています。


ただ本音を言うと、この表現はかなり不適切だと思います。
ソーシャルゲームのガチャと職場の人事は、全然似ていません。別物です。

以下、ただの揚げ足取りなので、「人事の当たり外れを決めるのは配属後の自分の頑張り次第!」みたいなキラキラした内容をご希望でしたらブラウザバックしてください。

以下、「配属ガチャ」「上司ガチャ」など人事関係の諸々の俗称をまとめて「人事ガチャ」、ソーシャルゲームのガチャを「原義のガチャ」と表記します。

造語としてのニュアンスが抜け落ちている

新しい造語が生じるところには、新しい言葉へのニーズが存在します。
「人事ガチャ」の場合も同様で、人事における運要素に対して何らか言及したいという思いが結集して、「ガチャ」なる新語が登場してきたのだと思われます。

この言葉に込められたニュアンスを、Wikipediaの「配属ガチャ」ページの説明文から考えてみます。


配属ガチャ(はいぞくガチャ)とは、新入社員が希望する勤務地や職種に配属されるか分からないことを、ソーシャルゲームの「ガチャ」になぞらえた俗語。「運次第で引いてみないとわからない」といった不安な心境などを表し、学生を中心に主にインターネット上などで使われる。入社後の自分の運命が、「ガチャ」のように偶然によって決まってしまうことへの皮肉も込められた表現になっている。





これを読むに、人事関係のイベントを「ガチャ」と称する背景には、「どうせ運次第なんだから万事虚しい」という虚無感が横たわっていると思います。
あとは「自分の能力や意思が尊重されない、自分の運命を他人に決められる」という受動性・主体性剥奪に対する反感でしょうか。

わざわざ「ガチャ」という表現を使うのは、このあたりの感情を表明したい人が増えてきて、言葉としてのニーズが高まってきたからなのだろうと思われます。

では、こういった要素が原義の「ガチャ」にも備わっているかというと……備わっていません。
「結果は運次第」という点では同一なのですが、原義のガチャは能動的で主体的な行為です。

例えば
  • ガチャを引くのか否か
  • いつ引くのか
  • 何回引くのか
などなど、原義のガチャではプレイヤー側に幅広く裁量があります

あえて人事をガチャに例えるなら、
  • 決められたタイミングで無理やり引かされる(「引かない」という選択肢が無い)
  • 引ける回数に限度があり、引いた結果に長期間拘束される(次に引くまでに数年かかる)
という、ガチャの中でもかなり特殊な部類に相当します。

つまるところ、「人事ガチャ」という俗語まで作って訴えたい要素が、そもそも原義の「ガチャ」に備わっていないとしか思えないのです。


お金で解決できない

先述のとおり、人事とガチャの大きな違いのひとつに、「引ける回数」があります。
人事のほうは回数に限度がありますが、原義のガチャのほうはプレイヤーの裁量次第で回数を決められます。お金をつぎ込めば何度だって回せます。

「お金さえあれば何度もリトライできる」という点もまた、人事とガチャの決定的な違いです。

人事もガチャも、1回1回は間違いなく「運次第」です。
しかし、試行回数をいくらでも稼げる原義のガチャでは、納得のいく結果を得られるまでリトライが可能です。
つまり、お金さえあれば、運に左右されることなく希望通りの結果を得ることができるのです。

人事の場合も、お金(賄賂)や時間(人事権ある人へのごますり)をつぎ込めば、運に左右されることなく望み通りの結果を得られるかもしれません。
ただ、いついかなる場所でもこのような方法が通用するとは限りませんし、これを成功させるには技能が必要です。
誰でもお金さえあれば望み通りの結果を得られる原義のガチャとは、やはり別物だと思います。


もっとふさわしい表現があるはず

職業人生を左右しかねない「配属」や「人間関係」が運次第で決まってしまう……という現象自体は事実ですし、この現象を端的に表現する単語にニーズがあるのはよくわかります。
ただ「ガチャ」ではない。もっとふさわしい表現があるはずです。

とはいえもうすっかり市民権を得てしまっているので、かっこいい専門用語が出てこない限りは置き換わらないのでしょうね……

実際にソーシャルゲームをプレイしたことのある人であれば、人事における運要素のことを「ガチャ」と呼ぶのには普通に抵抗を感じると思うのですが……この表現が膾炙しているということは、違和感を覚える人が少ない、つまりソーシャルゲーム人口が減っているということなのだろうと思います。

最近のソーシャルゲームは、プレイヤーの層が二分化されているとよく言われます。
中高生とアラサー世代に多く、20代前半は少ないんですよね。
(今の20代前半世代はちょうどコンシューマーゲーム復権期を経験しており、むしろソシャゲを軽んじてる傾向あり)

娯楽の幅が狭い中高生がお小遣いの範囲内でプレイしたり、家事育児で忙しいアラサー世代が隙間時間の娯楽としてちょこちょこプレイするのが、最近のソーシャルゲームです。
そのため、月数百円程度の微課金メニューが増えたり、作業的要素をスキップして時短できる機能を搭載するゲームが増えたりしています。

報道では「配属ガチャに納得いかない新人が退職代行を使って辞めていく」というケースがよく取り上げられていて、若者がソシャゲ的な思考に染まっているかのような扱いをされています。
しかし実態はむしろ逆で、ソーシャルゲームに親しんでいないからこそ、「配属ガチャ」という本質を外した単語が流行するのだろうと思います。

ソーシャルゲームの特徴を踏まえると、「人事ガチャ」という単語から自然に連想されるのは、「お金を惜しまなければ思い通りになるけど、あまり深追いすると後悔する」というニュアンスです。


僕の職場の若手職員(20代の職員)は本当に退庁が早く、20時を過ぎて残業する人は一人もいません。
早く帰るのは良いことなのですが、先輩や上司に仕事を残して帰られてしまうケースも少なからず発生していて……


21時頃に30代・40代のメンバーでその尻拭いをしていると、自然と「最近の若手、本当に質が落ちてるよな」という愚痴が聞こえてきます。

このような愚痴トークを何十回も繰り返す聞いているうちに、ここでいう「若手職員の質の低下」には、二種類のニュアンスが含まれることがわかってきました。

ひとつは「全体的に能力が落ちている」という現象です。
これまで当たり前に任せていられた軽度の単純作業すら回せない職員が増えた等、ボリューム層の能力が落ちてきているという意味です。

そしてもう一つは、「優秀な職員がいなくなった」という現象です。
出世ルート突入間違いなし!といえるような傑物が見当たらない、つまり上位層がごっそり抜け落ちているという意味です。


「若手地方公務員の能力が低下している」という話題自体は、今に始まったことではありません。
僕が入庁した頃も「最近の若手は……」と難癖つける人だらけでしたし、多分いつの時代もそうなんだろうと思います。

その原因も、「民間と比べて待遇が悪い」「職業として魅力が無い」という2点に集約されています。
僕自身、今更改めて議論する話題ではないと思っていました。

ただこの一年間、愚痴トークをBGMに仕事をしているうちに、後者の現象(優秀な若手職員の消滅)に関する新説に思い至りました。
県内での人口集中、すなわち県庁所在地や中核市“以外”の過疎化もまた、優秀な職員が県庁に入ってこなくなった原因のひとつだと思っています。

若者の都市部流出は止まらないが「真の田舎」の若者は「田舎都市部」にとどまってくれる

同じ田舎県の中でも、県庁所在地・中核市の周辺と、それ以外の地域の間には、歴然とした差があります。


以下この記事では、便宜上、三大都市圏を「真の都市部」、県庁所在地や中核市を「田舎都市部」、それ以外の地域を「真の田舎」と称します。


三大都市圏のような都市部在住の方からすれば「どっちも田舎だろ」と思うかもしれませんが、設備も住環境も雰囲気も暮らしぶりも……全然違います。
何より心情が異なります。
「田舎都市部」と「真の田舎」は、物理的距離のみならず心理的距離でも離れているのです。

勤労世代であれば「田舎都市部」「真の田舎」を行き来する機会があり、それほど心理的距離は離れないと思われますが、行動範囲が狭くなる高齢者や子どもは、居住している「田舎都市部」または「真の田舎」にどっぷり浸かることになり、たとえ同じ県内であっても心理的距離は隔絶します。


災害発生時には、この違いがわかりやすく露見します。
典型的な事例が、「危険で不便なのに頑なに避難を拒み、被災地に留まろうとする高齢者の方々」です。
令和6年能登半島地震でも、金沢市などに二次避難せず、水道も電気も無いのに被災地生活を続けている方々が相当数いらっしゃることが連日報道されていました。
彼ら彼女らにとって、金沢市のような「田舎都市部」はまさに未知の世界であり、被災地生活の不便さを凌駕するほどに強烈な不安を感じたのだろうと推察します。

被災地の中学生の一部が金沢市に集団避難したという報道もありましたが、この集団避難に応じた中学生の心労も計り知れません。
集団避難した中学生が「一部」に留まり、危険で不便なのに被災地に残った中学生がいたことも理解できます。



今回注目したいのは、子ども世代の心理的距離です。

「田舎都市部」の子どもは、「真の田舎」「真の都市部」いずれに対しても心理的距離を感じています。
「真の田舎」に住んでいる子どもは、「田舎都市部」に対して心理的距離があり、「真の都市部」に対してはさらに隔たりを感じています。

この心理的距離の違いが、進路の選択、具体的には進学と就職の選択に影響してきます。
「真の田舎」の子どもにとって、「田舎都市部」に出る段階でまず心理的なハードルがあり、「真の都市部」まで出るのは、さらにもう一段高いハードルがあるのです。

その結果、せっかく能力があるのに、心理的なハードルを越えられずに「田舎都市部」に留まってしまう人が少なからずいます。
例えば、普通に旧帝大を狙えるのに地元国公立大学に入学したり、ハイスペックなのに就職先として県内企業・県内自治体しか視野に入れていなかったり……

県庁内にいる「優秀な職員」の中にも、このような過程を経て入庁してきた人が少なくありません。
チャレンジさえしていれば「真の都市部」のエリート層に食い込めたはず……という、傍から見れば「もったいない」人たちです。

採用担当者の努力で人口動態的変化に対処しきれるのか(絶望)

改めて言うまでも無く、日本全国の「真の田舎」地域において、急激に人口が減少しています。
特に子どもの減少が著しく、高齢化率がどんどん上昇しています。

この人口動態的な変化が「優秀な若手職員」の減少にも影響していると、僕は思っています。


「真の田舎」出身の子どもの総数が減れば、その中に一定割合で存在する優秀な人材の総数も減ります。
総数が減った結果、県庁に入ってくれる「真の田舎」出身の優秀な人材(もったいない職員)が減っており、結果的に「優秀な若手職員」も減っているのではないか……と思うのです。

「真の田舎」出身の若者が、能力に恵まれているにもかかわらず心理的ハードルに阻まれて「田舎都市部」に留まるという現象自体は、今後も続くと思います。
しかし、「真の田舎」の人口はこれからもどんどん減少していくでしょう。
もはや「もったいない人材」をあてにするのは無理だと思います。

優秀な若手職員を確保するには、もとから優秀な人を他から奪い取って採用するか、今いる人材を育成するしかありません。
現状多くの自治体で前者の方法を取っています。
優秀な人材を確保するため、仕事のやりがいや魅力をアピールしたり、近年はついに給与水準を上げています。
つい先日、僕の勤務先自治体の募集要項を見ていたら、僕の採用時から初任給が約3万円も上がっていて驚愕しました。

しかし、田舎の自治体がどれだけ頑張ったところで、「真の都市部」への若者流出は止められません。
給料を上げるにしても限度がありますし、たとえ給料を大企業並みに引き上げたとしても、それ以外の部分……たとえば生活の利便性や娯楽、文化資源、人的資源では、到底敵いません。

そろそろ現実を見て、人材育成をまともに考える時期が来ているのだろうと思います。

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