キモオタク地方公務員(県庁職員)のブログ

地方公務員の人生満足度アップを目指しています。地方公務員志望者向けの記事は、カテゴリ「公務員になるまで」にまとめています。

タグ:働き方

現役地方公務員の方は、たいてい「地方公務員の仕事はルーチンワークだ」と自ら評します。
特に元職の方は必ずそう言いますし、かつ地方公務員を辞めた理由の一つとして「ルーチンワークに耐えられなかった」と開陳している方も多いように思います。

一方、「地方公務員の仕事は標準化・マニュアル化されていなくて非効率」という声も絶えません。

ここで個人的に疑問なのが、「マニュアル化/標準化されていないルーチンワーク」というものは、そもそも存在するのか?という点です。

「ルーチンワーク」という言葉の定義は、
 


手順・手続きが決まりきった作業。日課。創意工夫の必要ない業務。




とのこと。

言葉の定義を見ても、ルーチンワークは「マニュアル等により手順が決められている結果、単調な作業になっている」仕事なのでは?と思われます。

「地方公務員の仕事はマニュアル化されていないけどルーチンワークだ」という一見矛盾する主張は、「ルーチン」の期間を考慮すると両立します。

1日〜1ヶ月くらいの短サイクルで「ルーチン」を捉えるならば、地方公務員の仕事はルーチンだとは思いません。
ただし、一年以上の長期サイクルで「ルーチン」を考えるなら、確実にルーチンワークだと言えるでしょう。

単調な日々が続くわけではない

地方公務員の仕事は、世間からは「単調なルーチンワークだ」という印象を強く持たれています。
 僕の場合、住民から「刺身にタンポポを乗せるほうが刺激的」だと言われたことがあります。
 

 
スーパーの元鮮魚担当だった方から以前聞いたのですが、刺身にタンポポを乗せる仕事は実際ルーチンワークではなく創造性の塊とのことです。
 
タンポポをいかにうまく乗せるかで見栄えが激変して売行きに直結しますし、乗せ方を工夫すれば原価を抑えられ(「つま」「バラン」を削減できる)利益率に直結するらしいです。
「単純作業の代表例扱いされてるのが納得いかない」と憤っていました。
 



もしかしたら地方公務員志望者からもそう思われているかもしれません。
単調作業でそこそこの給料がもらえる!と期待して試験勉強に励んでいたり……

地方公務員の仕事は単調だとは、僕は思いません。
 
地方公務員の仕事のかなりの部分を占める「内部調整業務」は、マニュアル化が困難なコミュニケーション中心の業務であり、場当たり的に「柔軟な」対応が求められます。

マニュアル化されていてフローが決まっている業務もたくさんあるものの、そういう業務であってもマニュアルではカバーしていないイレギュラーな事態が連日のように発生して、その都度「新しい対応」を迫られます。

もちろん役所内には、ルーチンワークと呼んで差し支えないような単調な業務もあります。
ただ最近は、こういう仕事は会計年度任用職員の方か再任用職員の方がこなしていて、正規職員は関わりません。

僕は以前から、簡単な「業務日誌」を認めているのですが、ネタに困ったことはこれまで一度たりともありません。
毎日何らかのハプニングが発生しています。非常事態が日常です。

1年間の流れはいつも同じ

一方、一年スパンで見ると、地方公務員の仕事は確実にルーチンワークと言えます。
 
全庁共通の年中行事(中でも議会と予算)が、仕事の大きな割合を占めているからです。

役所内にいる限り、どんな部署に配属されようとも、どんな役職に就こうとも、年中行事からは逃れられません。
毎年同じような時期に、準備開始〜しこしこ作業〜上司や財政課のヒアリング〜本番〜終了後の後始末〜というサイクルを回すことになります。

しかも役所の場合、経験を積んで職位が上がるほど、仕事に占める年中行事の割合が大きくなります。
民間企業であれば、職位が上がるほど裁量が効き自由度が上がる、つまりルーチンから解放されていくところ、役所は逆に職位が上がるほどルーチンに縛られていくとも言えるでしょう。

僕はこの4月から外部団体に出向しており、そろそろ半年が経過します。
役所を離れて議会とも予算とも無縁の生活を経験したことで、地方公務員の仕事に占めるこれらのウェイトの大きさを痛感しているところです。

ルーチンワーク=悪、とは限らない

まとめると、地方公務員の仕事は
  • ルーチンのサイクルを短く捉えるならルーチンワークではない→「毎日同じ作業を繰り返す」わけではない
  • ルーチンのサイクルを長く捉えるならルーチンワークといえる→「同じような一年」をずっと繰り返す
と言えるでしょう。

インターネットで情報発信している方は皆さん仕事熱心で、ルーチンワークは悪であると断じています。
成長につながらないし、何よりつまらないからです。

ただ僕は、必ずしもルーチンワークは悪ではないと思います。
同じような日々が続くということは、予見可能性が高いということであり、安定的であるといえます。
このような仕事に魅力を感じる方も多いでしょう。
特に家庭を持つと、仕事においては、刺激的な日々よりも安定感を重視するようになると思います。

人生全体がルーチン化されていたら流石につまらない気がしますが、あくまでも人生の一部分にすぎない仕事だけに限っていうのであれば、善悪ではなく価値観の問題なのでしょう。
 

たいていのオタクはタイムリープ作品が大好きです。
鳥の雛の「刷り込み」のごとく、一番最初に触れたタイムリープ作品がオタク観構築に強く影響を及ぼすとも言われています。

自分がタイムリープしたらどうするか?というシミュレーション(妄想)も大好きです。

というわけで、僕が今の記憶を保ったまま大学生3年生の春頃に戻ったとしたら、果たしてどんな就職活動をするだろうか、考えてみました。

まずは民間特化就活

1年目は民間就活に特化します。公務員試験は受けません。

これまで何度もネタにしているとおり、僕は約20社の民間企業にエントリーして全滅しました。
本当はもっと受けるつもりだったのですが、諦めて公務員路線にシフトしました。
戦略的撤退です。

東京本社の一流企業から地元地銀まで満遍なく落ちました。
当時は「キモメンだからだ」とヤケになっていましたが、今となっては落ちて当然だと思います。

まず、当時は民間企業のことをあまりにも知らなさすぎました。

  • 営業職は常にノルマに追われて大変
  • とにかくコミュニケーション能力とリーダーシップが求められている

この程度の認識しかありませんでした。

業界研究・企業研究らしきものも一応やってはいましたが、採用プロセス(面接の回数など)と待遇面ばかり調べていて、財務状況やビジネスモデルは全然見ていませんでした。

こんな体たらくではろくに志望動機が組み立てられるはずがなく、面接官に評価されるわけがありません。

しかも僕の場合はキモメンというディスアドバンテージを背負っているわけなので、しゃべりの中身でしっかり挽回しなければ合格するわけがありません。
 

加えて、志望業界も志望企業もはっきりしていませんでした。

当時は東日本大震災のせいで新卒採用数が絞られていたうえ、大手企業でも試用期間中に新卒者を解雇するケースがたびたび発生していて、新卒採用という意味ではコロナ禍の今よりも酷かったかもしれません。

そのため僕は「ブラック企業以外ならなんでもいい」という高望みしないスタンスで、「やりたい仕事を考えるなんておこがましい」とすら思っていました。
面接中も正直「安定した給与と休日さえもらえるなら何でもやりますよ!!!!!」と叫びたかった。

今から思い返せば、この高望みしないスタンスが失敗だったのでしょう。
心の底から「ブラック労働以外ならなんでもいい」と思っていたために、個社の志望動機に気持ちが乗りませんでした。
そのせいで面接官側からすれば「志望度が低いんだろうな」と思われていたでしょう。

さらに先述したとおり、企業研究が足りていないので話す中身も薄っぺらい。外見も駄目。
どこにも採用されるわけありませんよね……

今の自分であれば、株式投資のおかげで当時よりは民間企業に明るくなりましたし、業界研究・企業研究の方法も身に付きました。

それに何より志望業界が見えてきました。 
過去記事でも触れたことがありますが、僕は「『当たり前』を『当たり前』のまま運用する」仕事に強いやりがいを感じます。

 
民間企業でいえばインフラ業界です。
中でも通信業界は、これからどんどん重要性が増していきますし、改善の余地も大きい分野です。
これからの時代のニューノーマル、新しい「当たり前」を作っていく仕事であり、一生を賭するに値すると思っています。


もう一度新卒就活をやり直したところで、キモメン口下手というディスアドバンテージは相変わらず重くのしかかってくるわけですが、今の知識と熱意を引き継いだ状態であれば、当時よりはまともな志望動機を組み立てられるでしょうし、面接でも喋れるはず……

また民間全滅したら公務員を目指す

大学4年の9月頃まで民間就活一本で突っ走って、どこからも内々定が出なければ、おとなしく留年して公務員試験に切り替えます。

志望順位はこんな感じ。
  1. 国会図書館
  2. 東京都庁
  3. 出身地県庁(現在の勤務先)
  4. 国家一般職(地方整備局、農政局、経済産業局)

今の勤務先が嫌なわけではありませんが、待遇面を考えると国会図書館や都庁のほうが勝ります。
市区町村は受けません。過去の記事でも触れましたが、性格的に続けられなさそうです。



今の職場には十分満足していますし、もう一度ここに就職するのも大いにアリですが、本音ではもっと「やりがい」と「待遇」を追求したいです。

ただし、現状を捨ててまでチャレンジするほどの勇気はありません。
あくまでも「大学3年生の春頃に戻れたら」という奇跡が起こった場合の仮定の話です。

ここまで書いてふと気づいたのですが、僕の大学時代は1ドル70~80円台という超絶円高ドル安でした。
このころにFXを始めてドル買いポジションをとっておき、2015年に1ドル120円台まで上がったときに売れば、労せずして莫大な儲けが出ます。
これを種銭にして仮想通貨を買い、2017年末のピークで売却してさらに種銭を増やし、2020年春の暴落時に株を買えば……今頃は軽く個人資産2億円を超えます。夢が広がりますね……

就職する前は誰しもが「残業は嫌だ」「残業の少ないところに就職したい」と思うものです。
「残業が少ない」という理由で地方公務員を目指している方もいるかもしれません。

ただ実際に働き始めてみると、多少の残業はアリだと宗旨替えする方も結構います。
特に地方公務員の場合は若いうちの給与水準が低いので、残業代欲しさに残業許容派に転じるパターンが多いです。

残業の負担感は人それぞれです。
一般的な基準として「原則45時間/月」とか「80時間/月の過労死ライン」がありますが、人によっては月100時間残業でもこなせますし、月30時間でダウンする人もいます。

「残業をどれだけ負担に感じるか」、いわば残業耐性は、実際に残業してみないとわかりません。
「平均〇〇時間/月の残業」と端的に示されたところで、それが自分にとってどういう意味を持つのか、その残業がどれだけ自分にとって負担なのか、やってみるまでわからないのです。

とはいえ、残業の負担感がどれほどのものなのかは、働き始める前に知っておきたいポイントだと思います。
また、まったりした出先機関に配属された地方公務員にとっても、いずれくる本庁勤務の負担がいかなるものか、気になるところでは?

今回は残業に対する僕の主観的負担感を紹介します。
僕は典型的なロングスリーパー(毎日8時間は寝たい)で、かつ体力も無く、偏頭痛&貧血持ちで、残業耐性はかなり劣るほうだと思います。
「雑魚だとこれくらい苦痛なのか……」という観点で読んでもらえれば。

※残業の負担感は、業務内容よっても大きく変わります。
 本記事では残業時間中も定時内と同じような仕事を続けていると想定します。


月30時間以下 →余裕あり

遅くとも19時30分までには毎日退庁できる生活です。
この程度なら負担感はありません。定時退庁生活と大差ありません。

生活にも支障はありません。せいぜい夕飯前の自由時間がなくなる程度です。
それほど疲労感が無いので、夕飯〜就寝までの時間にがっつり勉強したりブログ書いたりする余力もあります。

この程度の残業時間だと、時間外勤務手当が支払われない自治体も多いと思われます。
「20時以降まで残業しないと時間外勤務手当の申請ができない」とか、「定時から1時間は必ず休憩時間(=時間外勤務手当が支払われない)に設定する」あたりのローカルルールは、僕自身よく聞きます。

月31時間〜45時間 →自由時間が減るけど心身はまだ余裕

19時退庁が標準、週一で21時まで残業するような生活です。
本庁だと、閑散期でもこれくらいの残業がデフォです。

疲労感はあまり感じないものの、座っている時間が長くなってくるせいなのか腰と膝に違和感を感じ始めます。
平日の自由時間はかなり少なくなってしまいますが、睡眠を削るまでは至らず、一晩寝れば体力を全回復できます。
翌日まで疲れが残らないので、一年間ずっとこれくらいの残業が続いたとしても大丈夫です。

ただし、小さなお子さんのいる家庭だと、食事やお風呂、寝かしつけのようなお世話関係でかなり時間を取られ、このくらいの残業時間からしんどくなってくると聞きます。
自分の睡眠時間が削られて体力的にしんどいだけでなく、子育てに参加する時間がそもそも確保しづらいです。

月46時間〜60時間 →しんどいけど耐えられる

毎日20時〜21時退庁という生活です。
僕みたいな閑職勢を除けば、本庁勤務職員はだいたい毎月これくらい残業していると思います。

僕の場合、50時間を超えたあたりで急にしんどくなってきます。
睡眠時間をきちんとキープしたところで、疲労が溜まっているのか、一晩寝ても完全回復には至りません。
偏頭痛を起こす頻度も増えて、少なくとも週一ペースで頭痛薬のお世話になります。

週前半と週後半では明らかに業務効率が違います。
生産的な仕事は水曜日までしかできません。木曜日と金曜日は頭が回らず、単純作業をこなすので精一杯です。


観光関係部局に在籍していた頃、ちょうど毎月50時間残業ペースで仕事していたのですが、クリエイティブ要素のある仕事(広報用文章やビラデザインの作成など)は必ず水曜日までに仕上げることにしていました。 
木金にクリエイティブな作業をしようとしても頭が働きません。



主観的にしんどくなってくるとはいえ、土日を挟めばちゃんと回復できます。
一年間ずっとこの生活が続いても耐えられます。嫌ですけど……

月60時間〜87時間 →せいぜい3ヶ月が限界

毎日21時〜22時退庁、かつ月2回ペースで休日出勤する生活です。
87時間という半端な時間は、僕が経験した最長残業時間です。これ以上は未知の領域です。

ここまでくると睡眠を削らざるを得なくなり、明らかに体調が悪くなってきます。
  • 朝起きれなくなります
  • 食欲が落ちます(特に朝昼)、かつ味の濃いものでないと箸が進みません
  • 肩こり、腰痛、膝の痛みが顕著です
特に食欲の落ち方が激しく、「栄養補給するための栄養が足りない」かのような悪循環に陥ります。

仕事の効率も明らかに低下し、自分でもよくわからない行動が増えます。
参照しようとしているフォルダとは全然違うものを開いたり、せっかく作成した資料データを保存する前に閉じてしまったり、単純な誤字脱字を繰り返したり……

ただし、なぜか働いている間は元気なんですよね。
職場を離れた途端に心身の疲労を自覚して、急に体が重くなります。
脳内麻薬が出ているのかもしれません。

一日の疲労感のピークは、翌朝の起床時です。
金曜日の朝なんかはなかなか起き上がれません。
眠気の有無とは関係なく、とにかく起き上がるのがしんどいのです。

これがエスカレートすると、「体が動かない」に達するのかと思われます。


せっかくの休日もほとんどエンジョイできません。
とにかく疲労感がひどく、寝転がってインターネットを眺めるくらいしかできません。


僕の場合、月60時間超の残業が連続したのは、せいぜい3ヶ月間です。
正確にいえば65時間・87時間・70時間で推移しました。

この時は、人間関係が過去最高に良好な職場で、かつ僕は気楽な立場(単純作業だけやっていればいい)であり、長時間残業とはいえかなり負担は軽かったです。
それでも明らかに体調が悪くなりました。
もし財政課や企画課のような高負荷の残業内容であったら、耐えられなかったかもしれません。

残業時間よりも「人間関係」のほうが重要か?

残業の負担感は、個人の残業耐性だけでなく環境要因にも大きく作用されます。
和気藹々とした職場であれば負担感は軽減されますし、ギスギスパワハラ環境であれば短時間であっても苦痛です。

個人的には、月45時間以下であれば、さほど恐れなくともいいと思っています。
問題は労働時間よりも労働環境、特に人間関係です。
「パワハラ環境で残業ゼロ」と「人間関係良好な環境で月60時間残業」であれば、即座に後者を選びます。


<追記>月100時間残業の結果をアップしました。こちらもどうぞ。 





つい先日、現役官僚(総合職採用)の友人から転職相談を受けました。
(転職したいと思った背景とか、僕みたいな就職弱者に相談してきた理由とか、後日別記事にまとめます。)

友人の話を聞きながら、僕はデジャヴを覚えていました。
どこかで聞いたことがある……というか、見たことがあるのです。

正体はこの本です。

ブラック霞が関(新潮新書)
千正康裕
新潮社
2020-11-18

 

実は本書、発刊当初に読んでいたのですが、このブログではあえて取り上げていませんでした。
内容が大変に素晴らしく、かつ僕の思いと重なる部分が多くて、本ブログの存在価値が無くなってしまうからです。
むしろ本書を読んだ後にこのブログの過去記事を漁ったら「パクリか?」と思われそうです。

今回、今まさに霞が関から離れるかもしれないリアル官僚からの話を聞いて、本書の記述が現実にしっかり裏打ちされていることを改めて痛感しました。
このブログの存在価値は最早どうでもいいです。
本書をわずかでも広めることのほうが有意義だと思い直しました。

そもそも本ブログを読んでいる方は、プライベートの時間にわざわざ公務員のことを考えている方であり、行政や公務員への関心が強い方でしょう。
本書のこともご存知であり、既読という方も大勢いるでしょう。

もし未読の方がいれば、このブログを読んでいる場合ではありません。
ぜひ本書を読んでみてください。


現状&提言


朝七時、仕事開始。二七時二〇分、退庁。ブラック労働は今や霞が関の標準だ。相次ぐ休職や退職、採用難が官僚たちをさらに追いつめる。国会対応のための不毛な残業、乱立する会議、煩雑な手続き、旧態依然の「紙文化」……この負のスパイラルを止めなければ、最終的に被害を受けるのは国家、国民だ。官僚が本当に能力を発揮できるようにするにはどうすればいいのか。元厚生労働省キャリアが具体策を提言する。(出版社ページより)



本書のことを暴露本だと思っている方もいるかもしれません。
あまりにも勿体無い勘違いです。
本書は現状解説にとどまらず、具体的解決策の提言まで踏み込みます。

本書の内容は、現役公務員からすれば、目新しさは無いかもしれません。
どこかで見聞きしたり、自ら経験したことのある内容も多いでしょう。

ただ逆にいえば、本書の内容は、現役公務員にとって非常に身近なものです。
今まさに感じている不安や課題が、自分の周りだけの局地的事象ではなく、誰もが抱えている「行政全般に共通する」んだと気づくだけで、幾分か元気付けられると思います。

「役所で働く喜び」のリアルなあり方

本書には「キャリア官僚として働くことの楽しさ」が随所に盛り込まれています。
使い古された陳腐な表現ですが、まさに「書き手が目の前で語っているかのような」リアル感と情熱をもって、胸に迫ってきます。
採用パンフレットや説明会よりもわかりやすく、官僚の仕事の魅力が記されているかもしれません。


かつて僕が学生だった頃、官僚志望の東大生集団と交流したときのことを思い出しました。
(以下記事の中ほどで紹介したエピソードです)


本書を読んで、むしろ「官僚になりたい」と思う方もいるかもしれません。
反対に、本書にある「官僚の役割」に違和感を覚えるのであれば、明らかに向いていないと思います。


「国民の声」で行政が変わる……とは期待できない

本書の記述の中で、個人的に同意できない部分が一箇所だけあります。
「政府も国会議員も、国民の声を無視できなくなった」という部分です。

ここ最近の「国民の声」なるものは、実際にはメディア(あるいはメディアを動かす「黒幕」)の声だと思っています。
「国民の思い」の総体が「国民の声」になるわけではなく、メディアが喧伝する「国民の声」を、国民が「マジョリティはそう考えているのか…」と受容しているだけです。

自治体で勤務している身からすれば、こう感じざるを得ません。
住民から寄せられるリアルな意見や苦情、要望は、メディアが報じる「国民の声」とは異なります。

本書には国民の意識改革を促す意図もあるため、あえて「国民が主役」であるかのようにぼかしているのかもしれませんが……


インターネット上には、地方公務員になったことを後悔している方が大勢います。
後悔を通り越して退職する方もいるくらいです。

転職しやすい20代のうちならまだしも、30歳を過ぎて選択肢が狭まっているにも関わらず「やっぱ民間のほうが良かったかも……」という迷いや後悔をこじらせていると、人生への後悔がどんどん積もっていくばかりで、精神衛生上よくないと思います。
なるべく若いうちに迷いを断ち切って、後悔のないようにしたほうが建設的です。

かくいう僕も、これまで散々書いてきたとおり、就職前は都庁を再受験しようかと迷いました。



ただ実際に働き始めてからは一度も後悔していません。
地方公務員という選択肢が最善だったと思っています。

僕のスペックだと地方公務員以上の待遇は望めない

「待遇が悪い」と嘆く現役地方公務員は結構いるように思いますが、こういう不満を僕はあまり感じません。
自分の能力で就業できる職業のうち、最高待遇の職業が地方公務員なのだと思っています。

地方公務員よりも高待遇の職場はいくらでもあります。
僕が住んでいる地域でも、役所より給料も休みも多い職場がいくつもあります。
大学の同級生でも、東京で頑張っている人の中には、すでに年収1,000万円超えも出てきました。

こういう環境が羨ましいのは事実です。
しかし僕は、手の届かないものとして完全に諦めています。

僕は民間企業への就活活動で敗退して、かろうじて県庁に滑り込んだ人間です。
つまり、一度は県庁より上位ランクの環境へチャレンジしたものの、届かなかったのです。

この事実のおかげで、より高待遇な環境への憧れが生じません。
きっぱり諦めがついています。






仕事に対して「やりがい」を期待していない

地方公務員への就職を後悔している方のほとんどが、「地方公務員の仕事はやりがいがない」と嘆いています。

僕の場合、あくまで生活費を稼ぐ手段であり、やりがいはあればいい程度の要素です。
そもそも働きたくありませんし、仕事を通じて自己実現しようとも思っていません。
たとえどんな仕事をしようとも、このスタンスは変わらないでしょう。

もしかしたら、一生を賭したくなるような魅力的な仕事がどこかにあるのかもしれません。
しかし、本当にあるのかどうかすらわからない「青い鳥」のような存在に恋い焦がれるより、日々できる範囲で生活を改善させていくほうが、僕は好みです。

人生において、仕事に捧げる時間は結構な割合を占めます。
平日8時間勤務だけだとしても、だいたい1週間の4分の1を捧げることになります。
この時間を充実させるべく、やりがいのある仕事を探し求めるのも大いにアリでしょう。
ここは好みだと思います。





つまるところ、
  • 自分の職業人としての能力に見切りをつけていて、「地方公務員よりも上のステージで輝けるかも?」という可能性を一切感じていません。
  • そもそも「職業人として輝きたい!」という希望も希薄です。
この二重の諦観のおかげで、後悔を感じないのだと思います。

こういう割り切りができるなら、青く見える隣の芝に悩まされずに済むと思います。
 

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