キモオタク地方公務員(県庁職員)のブログ

地方公務員の人生満足度アップを目指しています。地方公務員志望者向けの記事は、カテゴリ「公務員になるまで」にまとめています。

タグ:出世

弊ブログを以前から読んでいる方は薄々勘づいているかもしれませんが、僕の勤務先自治体には「昇進試験」なるものがありません。
そこそこの年齢になると、ほぼ全員が横並びで昇進していきます。

よく出世ネタを取り上げているわりに、昇進試験に関して一切言及していないのは、昇進試験がどんなものなのか全然わからないからです。
「昇進試験対策本」みたいな書籍も、実物は見たことがありません。
昇進試験制度を有している自治体が県内には(多分)存在しないので、需要が無いのでしょう。

実態を全然知らない身からすれば、昇進試験は良いものに映ります。
「試験の出来不出来と実務能力は関係無いから、やるだけ無駄」という意見があるのも承知していますが、昇進試験という制度が存在するだけで相当メリットがあるように思われるのです。

「昇進しない」という選択肢が生まれる

昇進試験最大のメリットは、昇進試験を受けないことで「昇進しない」という選択肢をとれる点だと思っています。

昇進したくないと思っている若手職員は少なくありません。
僕の周囲だと、20代のうちは単に「苦労したくない」「割に合わない」という甘ったれた理由が多かったのですが、30代も半ばに差し掛かってくると、自分の心身に変調をきたしたり、親御さんの介護などの家庭事情のために、労働強度を落としたくなる職員がちらほら出てきます。

昇進試験が無い場合、職員本人の意向とは関係なく、年齢や年次が一定程度に達すると自動で昇進します。
昇進しないためには、再起不能なほどに心身を壊して頻繁に休職するしかありません。
つまり、普通の健康な人生を送るのであれば、昇進は避けられないのです。

もちろん、昇進しても楽なポスト(係長級だけど業務内容はヒラ職員並み)は存在していて、運良くそこに配属されれば労働強度を落とせますが、そういうポストはごくわずかです。
さらに、これから定年延長が始まると、61歳以降の役職定年してきた職員がそういうポストにどんどん着任していくだろうと思われます。


やや皮肉ですが、昇進試験があれば「昇進しない人生」を選択できるようになります。
昇進試験が無い自治体では、そもそもこの選択肢が存在しません。
この違いはかなり大きいです。


成長の機会になる

試験には試験勉強がつきものです。
昇進試験の場合も、相当の時間とエネルギーを試験対策に注ぎ込むことになるでしょう。

過去の記事でも何度か触れていますが、地方公務員は試験勉強というインプットが比較的得意な人種です。(得意でなければ、公務員試験を突破できていないはずです)



現状、採用後の研修は配属先でのOJTが中心で、「見て学べ」「慣れて覚えろ」というスタイルです。
配属先固有の知識や技能のみならず、コミュニケーションやマネジメントのような一般的スキルも、全てOJTです。
本来ならテキストを使って「読み書き中心」でインプットする機会を設けたほうが効果的に研修できる気もするのですが、現状そのような運用をする余裕が無く、せっかくの人材的な強みを活かせていないと思われます。

昇進試験は、仕事に必要な実務的知識を、試験勉強という地方公務員の得意分野で習得させるという、効率的な職員育成手段なのではないかと思われます。

職員個人レベルで見ても、昇進試験対策でみっちり勉強することで、自身の成長を実感できるのではないかと思われます。
昇進試験を受けて主任になった職員と、僕みたいに何もせず自動的に主任になった職員では、相当の能力差がついていることでしょう。

「昇進させない」合理的理由になる

アラサーになる頃には、「こいつを昇進させたら危険なのでは……?」という職員がちらほら出てきます。
典型的なのがパワハラ上司予備軍です。20代のうちから後輩を潰しだす職員はざらにいます。

昇進試験が無い自治体だと、こういう危険分子も自動で昇進していきます。
もし昇進させないとしたら、相当の理由が必要です。
一人二人潰しただけでは、単に相性が悪かったとか、潰れた側に非があるという可能性も否定できず、昇進させない理由としては弱いでしょう。

一方、昇進試験があれば、こういう危険分子を「試験不合格」を理由にして昇進させないことが可能だと思われます。
一旦昇進を保留して、本当に昇進させても問題ないのかをもう1年かけてチェックするという時間稼ぎができるのです。
組織運営上、これは相当なメリットなのではないかと思っています。

人間関係がギスギスしそうな気も若干する

最初に触れたとおり、昇進試験制度が存在する場合、あえて昇進しないことが可能になります。
昇進試験を受けるかどうかで、仕事に対する自分のスタンスが可視化されるわけです。

しかも、昇進試験を受ける/受けないという単純明快な二分法です。
つまるところ、昇進試験を受ける職員と受けない職員の間で断絶が生じて、職場の人間関係がギスギスするのではないかと思われるのです。

国家公務員のように総合職と一般職で最初から住み分けされているわけではなく、最初は対等の立場だったのに昇進試験時期を境に分断されると、余計に人間関係で揉めそうです。

昇進試験のメリットを3つ、デメリットを1つ挙げてみましたが、いずれも完全に推測です。
「他にもメリットありますよ」「実際そんなにうまくいきませんよ」みたいな実体験コメント、お待ちしています。

地方公務員界隈では、国家本省への出向は出世コースだと認識されています。

僕は個人的に、出世コースそのものというよりは、出世コース候補者たちをさらに選別する二次選抜過程の一部だと思っています。
本省出向を無事乗り切っても、出世コースに乗らない人が一定数存在するからです。


 
本省へ出向する(させられる)職員は、出向前時点では間違いなく評価が高かったはず。
そのはずなのに、実際に出世コースに突入する職員は、本省出向経験者ばかりではありません。
僕の勤務先県庁の場合、むしろ出向せずに庁内で頑張っていた職員のほうが多いくらいです。

つまるところ、本省出向の前後で評価順位の逆転現象が生じている……より直接的に言ってしまうと、本省出向したせいで相対的に評価が下がってしまう職員がいるわけです。

僕の同期職員や、年次の近い先輩後輩の事例を思い返しつつ、本省出向したのに出世コースに乗らない職員の特徴を考えていきます。

「割り揉め」の鬼

まず挙げられるのが、組織内の縦割りにこだわり、些細なことでも割り揉めする職員です。
どんな些細な仕事であっても「なぜ当課/自分が応じなければいけないのか」という理由や根拠にこだわります。
しかも往々にして、相手から理由や根拠を示されても徹底的に抗弁して、仕事を引き受けたがりません。

議会答弁とかマスコミ対応みたいな対外的業務で割り揉めするのは、むしろ正確に業務遂行するために必要なプロセスなのですが、
  • 所管している法令の解釈について教えてほしい
  • 過去の資料を見せてほしい
  • 備品を貸してほしい
  • 外部から問合せが来ているので対応してほしい
この程度の単発かつ単純な依頼であっても、法令や覚書のような根拠文書を要求してきたり、必要性について資料を作ってレクしに来いと指示してきたりします。

もちろん、割り揉めが必要な場面もあります。
責任の所在を明確化するのは勿論大切ですし、むやみやたらに他部署を巻き込んで仕事を増やす迷惑職員がいるのも事実です。
「なぜその仕事を引き受けなければいけないのか」という入口部分を徹底的に詰めることで、こういうトラブルを未然防止したい……という意図なのかもしれません。

しかし、ごく些細な仕事でもいちいち割り揉めされると、業務効率が激落ちします。
本人としては最適解なのかもしれませんが、組織の全体最適という意味では悪手としか思えません。

圧倒的に出世する職員に求められるのは、自分に危害が及ばないよう徹底的に割り揉めして守りを固める姿勢ではなく、むしろ快く引き受ける度量の広さ、姉御肌や兄貴分気質のほうだと思われます。


後輩・同僚に対して塩対応

本省出向から戻ってくると、若くても20代後半。
同じ係内に後輩がいることも多いです。

本省出向経験者の中には、後輩の面倒見が悪いというか、意図的に後輩を突き放す職員がいます。
後輩から相談されない限り一切助言しなかったり、助けを請われてもそっけなかったり……
こういう職員は大概、同僚に対しても非協力的です。

あまりの塩対応を見かねて、他の職員がフォローに入ることも多いです。
僕自身、本省出向経験者と後輩との間に入り、緩衝材と化していた時期が何度かありました。
(自慢ではありませんが、僕がいなかったら退職してただろうな……と思われる後輩すらいます) 

本人に「もうちょい干渉したほうがいいんじゃないの?」と促したことも何度かあります。
すると、「これくらい自力で出来て当然」と言い切る職員もいれば、「苦労させることが本人のためになる」と自慢げに語る職員もいました。

本省では「自力解決」が鉄則であり、出向者であれ他者の助力は得られないと聞きます。
そのような環境を乗り切った、つまり何事も自力でやり切ったという経験を、出向の成果・成長の証明と認識しているのかもしれません。
そして、本省のような「自力解決」を後輩に強いることで、自分と同じように成長させたいのかもしれません。

しかし、本省出向させてもらえる(させられる)職員は他の職員よりも優秀であり、誰もが彼や彼女のようにタフではありません。
ご自分では「当たり前」と思っていることが、他の職員にとっては「大変なこと」かもしれません。
この事実に気づかない、あるいは意図的に無視して自分が楽しようとする姿勢は、他の職員を傷つけます。

職員は能力的にも性格的にも様々であり、塩対応で十分な人もいれば、優しく丁寧に接しなければいけない人もいます。
このような多様性を気にかけず、自分に都合の良いコミュニケーションしか取ろうとしない職員は、いくら自身が優秀であったとしても、組織運営上は害悪になりかねません。


キレ芸を使う

地方公務員であれば誰しも、怒りの感情をぶつけてくる相手と対峙したことがあるでしょう。
こういう相手には、本気で怒っている人もいれば、怒っているふりをしているだけの人もいます。
怒声や攻撃的言動をちらつかせることでプレッシャーをかけ、自分に有利なように交渉を進めようという魂胆です。

本省出向経験者の中には、こういうテクニック、つまるところ「キレ芸」を平気で使う人がちらほらいます。
他部署や後輩に対してキレる姿を見せつけて、自分の意向に従わせようとするのです。

キレ芸は、相手と対等な立場であれば交渉手段たりえますが、格下の相手に対して用いればパワハラにほかなりません。
ある程度出世した後ならまだしも、若手の時点からキレ芸に頼るようでは、「調整能力なし」とみなされて出世コース候補者から落選して当然だと思います。

本省出向のせいとは言い切れないものの……

今回挙げたような特徴は、本省出向経験者に限った話ではありません。
出向していなくても該当する職員はたくさんいます。
 
ただ実際のところ、本省出向を経てこういう性質が身についてしまう職員が少なくありません。
出向前は気の良い同僚だったのに、出向から帰ってくると別人のように面倒臭くなっている……というケースが後をたたないのです。
「〇〇課の▲▲さんってキモオタ君の同期(元同僚)だよね?あいつマジでなんなの!?」と現同僚からクレームを受けるたび、フォローしたくてもできなくて悲しくなります。


ここからは完全に推測です。
「徹底的な割り揉め」「後輩・同僚への塩対応」「キレ芸」いずれにしても、もしかしたら本省では当たり前の処世術であり、むしろ推奨されるスキルなのかもしれません。
本人としては、本省出向で習得したスキルを、職場に還元しようとしているのかもしれません。

これらのスキルは、本省のようなタフガイ集団であれば、効率的なコミュニケーション手法として有効な気もします。

しかし、本省と自治体では、職員の質が全然違います。
自治体職員は、本省職員のように皆が優秀で心身ともにタフなわけではなく、気弱な人もいれば無能な人もいます。
優秀な職員だけで組織運営できるほど人材が豊富なわけではなく、そうでない職員をうまく活用して、組織を回さなければいけません。
職員の質が違えば組織の雰囲気も異なってきますし、そうなると求められるコミュニケーションスキルも変わってきます。
 
つまるところ、本省出向で習得したコミュニケーションスキルを素直に自治体に導入しようとすると、組織の雰囲気・環境・条件の違いゆえに周囲との軋轢が避けられず、自身の評価を落としかねないのです。なんとも皮肉です。

本省出向を経て出世コースに到達するには、本省の雰囲気に感化されることなく、自治体組織運営でも使えそうな部分を「いいとこ取り」するくらいの度量が必要なのでしょう。

僕が新卒就活をしていた頃(2010年代前半)は、体育会系神話がまだまだ健在でした。
「体育会系は就活で強い」というやつです。
大学一年生の頃から就活を見据えて体育会系部活動に入る人もいましたし、人間関係トラブル等で居づらくなっても「就活のためだから」と嫌々ながら部活動を続けている人もいました。

今はどうなのでしょう?新型コロナウイルスのせいで、大学のサークル文化や、体育会系部活動自体が存亡の危機にあるという話も聞きますが……

僕の同期職員にも、何人か体育会系部活動出身者がいます。
入庁当時は皆さん見た目からしてバリバリの体育会系でしたが、30代になった今は人それぞれです。
そして、役所内でのポジションも、明暗が分かれています。

役所は体育会系組織?

Wikipediaによると、体育会系とは「精神論や根性論、上下関係、体力の重視」を特徴としている人や組織のことを指します。
個人的にはさらに、「組織のために滅私奉公するのが当たり前」というポイントも追加したいところです。

またWikipediaによると、公務員組織は典型的な体育会系らしいです。




公務員組織においては特に顕著に見られ、国家公務員・地方公務員ともに上司の職務上の命令に忠実に従わなければならないことが公務員法で明確に規定されており、公務員には上司の適法な職務上の命令に服従する義務があることから、公務員組織は厳格な上意下達型の命令系統を重視する体育会系の組織文化である。


 
 ※2022年9月10日閲覧



この定義に照らしてみると、僕の勤務先自治体は体育会系ではありません。
上位下達なのは間違いないありません。
ただ、上下関係が厳しいとか、根性論がまかり通っているといった他の特徴は当てはまらないです。
(何事も人海戦術で解決したがる傾向はありますが、それを「体育会系だから」と理由付けするのは何か違う気がしています)

組織の小さい市町村役場だと、お偉いさん一人のキャラクターで組織文化が決まってくるので、体育会系のところもあるのかもしれません。
ただし県庁くらい組織が大きいと、構成員の属性も様々ですし、さほど体育会系にはならないのではないかと思います。

体育会系職員は少数派

個人レベルで見ると、年齢問わずバリバリ体育会系な職員もいますが、かなり少数派です。

地方公務員試験を突破するには、そこそこ長い準備期間(試験勉強期間)が必要です。
そのため、体育会系部活動と並行して公務員試験対策をするのは時間的に難しく、そもそも選択肢として入りづらいのだろうと思われます。
(部員は「部活最優先」の大学生活を強いられるので、「試験勉強に時間を割く」なんて自分勝手な判断は許容されないと思われます)

明暗が分かれる体育会系職員

僕の勤務先自治体だと、体育会系の職員は、役所組織に順応している人としていない人に、くっきり分かれています。

体育会系成分をうまくコントロールできている人は、組織にばっちり馴染めています。
こういうタイプは、いざという時にしか精神論や根性論を持ち出しません。
周囲を励ましたい場面や、もう一踏ん張り必要な場面など、限られた局面でのみ、打算的に体育会系っぽく振る舞います。

一方、精神論や根性論を全面に押し出してくる典型的体育会系タイプは明らかに浮いてしまいます。
20代前半のうちは「元気な奴」として歓迎されもするのですが、アラサーになり部下や後輩ができる頃になると、彼/彼女の体育会系気質が組織の和を乱し始めます。
上司からすれば扱いづらい奴、同僚からすれば面倒な奴、後輩からすればパワハラ予備軍です。


見体育会系経験者の視点(下級生・上級生理論)

ここからは完全に伝聞です。
同期の体育会系部活動出身者が、「どうして体育会系は役所内で浮くのか」を以前語っていました。

大学の体育会系部活動では、「下級生は家畜」「上級生は人間」「OBは神」というヒエラルキー構造があるようです。
下級生には一切の自由が認められず、上級生の指示に従うしかありません。
上級生は下級生を好き放題使えますが、とはいえさほど自由は無く、OBのわがままに振り回されます。

このヒエラルキー構造は役所とそっくりです。
下級生が大半の職員、上級生が管理職、OBが住民・議員・マスコミに相当します。

こう考えると、体育会系は役所生活に馴染めそうな気がします。
それなのに一定数が「異分子」になってしまうのは、彼ら彼女らが「勘違い」をするからです。

体育会系部活動はせいぜい4年間ですが、地方公務員人生は30年以上続きます。
しかも組織の構造上、圧倒的に「下級生」時代が長いです。
「上級生」になるには、本庁の課長クラスまで上り詰めなければいけません。
このことに気づかず、単に後輩ができた程度で自分を「上級生」だと勘違いしてしまう人が少なくないのです。

体育会系部活動出身者としては、「上級生」としてしっかりと成果を出してきたことが自身のアイデンティティであり、早く「下級生」を脱して「上級生」になりたく思うのでしょう。
しかし、役所組織における「下級生」期間は、部活動よりもずっと長いのです。

下級生期間(奴隷生活)に耐えられたのなら役所生活も耐えられる

役所はいわゆる体育会系組織ではなく、バリバリの体育会系人材にとって過ごしやすい環境とは言えませんし、体育会系部活動経験がそのまま活かせるとも思えません。

ただし、ひたすら周囲からの指示に耐え忍ぶ生活が長年続く、つまり他律性が強いという意味では、体育会系部活動における「下級生」と酷似しています。



「上級生」として部活動を引っ張っていった経験は活かせなくとも、「下級生」として辛酸を舐めた経験は、きっと自分の助けになるでしょう。
役所生活にはいろいろ理不尽がつきものですが、体育会系部活動の「下級生」に対する仕打ちに比べれば随分マシなのだろうだと思います。

新卒採用でも経験者採用でも、民間企業はとにかく「即戦力となる人材」を求めます。

一方、役所はそれほど即戦力にはこだわりません。
特に新卒採用では、全く期待していないと断言してもよいでしょう。

役所には役所特有の「仕事の作法」があり「思考法」があります。
これらを欠いていると、いくら専門知識が豊富だったりビジネススキルに長けていたとしても、地方公務員としてはうまく機能しません。

これらを習得するには、役所内である程度の期間を過ごすしかありません。
日々の仕事を通して感覚的に理解していくものです。

つまり、地方公務員として活躍するには役所独自の「仕事の作法」「思考法」を身につける必要があり、これらの習得にはどうしても時間がかかるため、新人職員のパフォーマンスには大して期待できないのです。

職場が新人に求める要素は、ごく限られています。
これらをきちんと達成できれば「将来有望な即戦力」として高く評価され、出世コース一次選抜を突破できると思います。
 

自立的学習能力

まず何より重要なのが、自分で調べて理解を深める能力です。

役所の新人教育は「OJTがメイン」という建前ですが、大抵の自治体ではトレーナーのような指導役がいるわけではなく、手の空いた職員が面倒を見るだけです。
忙しい部署であれば、誰も構ってくれないかもしれません。

ゆえに、放っておいても自分で勉強して成長してくれる新人は、職場にとって非常にありがたい存在です。
 
もちろん、調べてもわからないことや、調べ方がそもそもわからないときは、周囲に質問すればいいです。
質問前にきちんと自分で調べること、自分で調べようとする姿勢が重要です。

自分で調べたうえで、周囲に「調べたところ〜だと思うのですが、合ってますか?」と確認を取るのも良いでしょう。

地方公務員は部局をまたいでガンガン人事異動するという宿命にあり、何歳になっても新しい仕事を覚えなければいけません。
「調べて理解する」というプロセスは、ずっとつきまといます。
地方公務員の基礎スキルの一つであり、これを入庁当初から発揮できれば、間違いなく高評価につながるはずです。

独学で公務員試験を突破できた方は、「自分で調べて理解する」のが相当得意だろうと思います。
この意味で即戦力要素を備えていると言えるでしょう。

 

内部的コミュニケーション能力

民間企業でも、即戦力人材の必須要素として「高いコミュニケーション能力」が真っ先に挙げられます。
役所の場合でも同様で、コミュニケーションに長けていれば即戦力になります。

ただし、民間企業でいう「コミュニケーション能力」と比べ、役所が新人に求める「コミュニケーション能力」は、かなり範囲が限定されます。
 
役所の場合は、まずは組織内でのコミュニケーションがしっかりとれれば十分です。
組織外(住民など)に対するコミュニケーションまでは、新人には求めません。
役所外との付き合いは、まさに役所特有の「思考法」が重要な業務であり、いくらトークが上手い新人であっても任せられないからです。

新人のうちは、誰かに仕事を振る(指示する)ケースはごく稀で、基本的に仕事を振られる(指示される)立場であります。
そのため、役所が新人に求めるコミュニケーション能力は、
  • 周囲からの指示を正確に理解し、作業レベルに落とし込む
  • 作業した結果を指示元に正確に伝える
これに尽きます。

言葉にすると単純かつ簡単そうに見えるのですが、実際は結構難しいです。
いい歳こいても全然できていない職員もいます(ブーメラン発言)。 

屈強なフィジカル

若手地方公務員の仕事には、肉体労働もたくさんあります。
会議やイベント会場のセッティングのために重たい備品什器類を運んだり、大量の書類を縛って捨てたり、パンフレットやチラシを延々と袋詰め・箱詰めして運んだり、ゆるキャラの着ぐるみに入ったり……例を挙げるとキリがありません。

20代の頃は「若い奴だけに押し付けるな😡」と内心憤っていました。
ただ僕自身30歳を過ぎて、体の節々に違和感を感じるようになってきました。
やりたくないわけではない(むしろこういう単純作業は好きなほう)なのですが、やり過ぎると体を壊すリスクがあるので、任せざるを得ないのです。

肉体労働を軽々こなしてくれるパワー系新人は、どんな部署でも即戦力として重宝されます。
上からの評価も自然と厚くなっていくでしょう。

今やるなら「習慣化」

今回取り上げた「学習能力」「コミュニケーション能力」「筋力」いずれにしても、一朝一夕で身につくものではありません。
さらに「コミュニケーション能力」は、実戦の中で磨かれる要素も強く、事前に鍛えるのは難しいでしょう。

「即戦力として活躍したい!」と思うのであれば、「コミュニケーション能力」は一旦棚上げして、「学習能力」と「筋力」にフォーカスすればいいでしょう。

なんでもいいので勉強してみて「勉強方法」を思い出したり、筋トレやジョギングを始めたり……とにかく習慣化して地道に鍛えていくしかないと思います。
勉強に関しては、今の時期であれば、5月のFP3級か、ITパスポート試験あたりがちょうどいいでしょう。

 

「地方公務員=安定している」というイメージはいつも強いです。
こういう文脈で登場する「安定」が何を指すのかは定かではありませんが、おおよそ
  • 職を失うリスクが小さい
  • 給与などの待遇が保証されている
  • 業務内容があまり変わらない
  • 将来のキャリアプランが予想できる
こういった要素を含むと思われます。

「地方公務員=安定」論に対しては懐疑論者も多く、「地方公務員はAIに仕事を奪われて失職する」「現状並みの待遇はもう維持できない」という説は特に強いです。
元地方公務員の方には「役所は泥舟、だから脱出した」という方もいます。

未来のことは誰にもわかりません。
わかるのは過去と現在だけであり、未来は推測するしかありません。

過去と現在においては、地方公務員は確実に「安定した職業」と言えると思います。
少なくとも、先に示した具体的要素の全部を満たしていました。

地方公務員の安定性の理由は「制度」と「雰囲気」に大別できると、僕は考えています。
そして、「制度」「雰囲気」のいずれかに大きな変化が起きたら、「地方公務員の安定性」も揺らいでくると考えています。


法制面の安定性:解雇できない&各種休暇制度

地方公務員は、地方公務員法に定める場合を除き、解雇できません。
具体的な解雇事由は省略しますが、ざっくりいうと犯罪を犯した場合と定年以外の理由では解雇されません。
(職員数を減らしたい場合は、解雇ではなく採用者を減らすことで対処します)

 

地方公務員法

(分限及び懲戒の基準)
第二十七条 すべて職員の分限及び懲戒については、公正でなければならない。
2 職員は、この法律で定める事由による場合でなければ、その意に反して、降任され、若しくは免職されず、この法律又は条例で定める事由による場合でなければ、その意に反して、休職されず、又、条例で定める事由による場合でなければ、その意に反して降給されることがない。
3 職員は、この法律で定める事由による場合でなければ、懲戒処分を受けることがない。


 
そのため、いったん地方公務員になってしまえば、よほど悪いことをしない限り職が保証されると言えるでしょう。
業績が落ちたら整理解雇されるかもしれない民間企業と比べると、かなりの安定感です。

加えて地方公務員には、各種の休業制度が設けられています。
代表的なものは産前産後休業(産休)、育児休業、病気休業です。
これらのおかげで、一時的に働けなくなっても地方公務員としての身分が保証され、離職せずに済みます。

同種の休業制度は、大手の民間企業でも設けられていますが、中小企業ではまだ無いところもあります。自営業だともちろんありません。
地方公務員と民間(自営業含む)という比較軸であれば、明らかに地方公務員のほうが充実していると言えます。

雰囲気面の安定性:一度折れても残留できる風土

制度的に身分が保証されているとはいえども、運用方法によってはいくらでも骨抜きにできます。

さらに、組織構成員が「身分保証制度に頼るのはダメなことだ」と認識しており、誰も制度を使わない(使えない)雰囲気であれば、どれだけ制度的に身分が保証されていようとも、実質的には身分保証が無いのと同義です。



「年間20日間」という有給休暇をイメージすればわかりやすいでしょう。
制度的には20日間休めるはずなのですが、実際に年間20日間しっかり休む地方公務員はごく稀です。

これは、職員の大半が「休暇をとると周囲に迷惑をかけるから必要最小限に止めるべし」という認識を持っており、「有休消化は非常識だ」という雰囲気が蔓延しているためです。

まさに雰囲気のせいで制度が骨抜きになっています。




正直、身分保証に関する制度面では、地方公務員より大手民間企業のほうがずっと充実しているはずです。
しかし民間企業には、「制度をフル活用して組織に残る」ことを悪とみなす雰囲気が、多かれ少なかれ存在すると思われます。

コンサルタント業界には「UP or OUT」(昇進か退社か)という言葉があります。
保守的だと言われるメーカーでも最近は「45歳定年」という思想が登場しました。
これらは極端だとは思いますが、どんな民間企業であっても、少なからず「戦力にならない人は出ていってくれ」という雰囲気が存在すると思われます。

一方、役所には、こういう雰囲気がありません。
慢性病を患って十全に働けない人であっても、暖かく迎え入れらます。
無能であっても、後ろめたさを感じることなく、のうのうと定年まで在籍できます。

戦力になれないことを責める雰囲気が無いために、安心して各種休業制度を利用できますし、気に病んで自主退職したりすることも無いのです。

「雰囲気」は危うい

制度と雰囲気は密接にリンクしており、明確に切り分けられるものではありません。
ただし、それぞれの変化要因は、明らかに異なります。

制度は、民主主義的なプロセスによって社会全体が決めることです。
これからもっと制度が充実して地方公務員の安定性が高まる……という期待はかなり薄いですが、民主主義的プロセスは何事も時間がかかるので、すぐに劇的変化が訪れるとも思えません。

一方、雰囲気は、組織内有力者の影響が大きいです。
たとえば首長が「UP or OUTを徹底してポストを空け、将来性のある若手をもっと採用します」みたいなことを発案して、閑職ルートに入った職員を明らかに冷遇したり、職員間の対立を煽って閑職への風当たりを強くして自主退職を促す……ようなことを始めれば、すぐに雰囲気は変わってしまうでしょう。

最近は「生産性向上」という旗印のもと、「民間を見習って地方公務員どうしをもっと競争させるべき」という風潮が強まっている気がしています。

特にこれからは地方公務員の定年延長が始まり、特段対応しなければどんどん職員構成が高齢化していきます。
従来通りに若手職員を採用し続けるのは、職員総数を増やすことになり、世論的に困難でしょう。
かといって若手の採用を絞るのも、組織内の年齢構成が歪になるので、あまり良い方法ではありません。

定年延長と若手採用を両立するのであれば、既存の職員を辞めさせて定数の空きを確保するしかありません。

先述のとおり、地方公務員を辞めさせるのは、制度的には困難です。
ゆえに、これまでの雰囲気を一新して、自主退職を促す方向になる可能性も大いにあり得ると思います。

従来の「働けない人」をも受容する雰囲気、僕が思う「地方公務員の安定性」を支えてきた屋台骨は、今まさに危機を迎えているのかもしれません。

このページのトップヘ