キモオタク地方公務員(県庁職員)のブログ

地方公務員の人生満足度アップを目指しています。地方公務員志望者向けの記事は、カテゴリ「公務員になるまで」にまとめています。

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地域おこし協力隊のバリエーションとして、「地域プロジェクトマネージャー」や「地域おこし協力隊インターン」という制度が新たに始まるようです。
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総務省ホームページによると、地域おこし協力隊は、都市地域から過疎地域等の条件不利地域に移住して、地域ブランドや地盤産品の開発・販売・PR等の地域おこし支援や、農林水産業への従事、住民支援などの「地域協力活動」を行いながら、その地域への定住・定着を図る取組です。



開始前は期待されていたのに実際スタートしたらトラブルが続発して利用実績が伸びない……という悲しい施策がたびたびある中、「地域おこし協力隊」はきちんと利用実績が伸びているだけでなく、色々な亜種まで登場しています。

ということは、隊員を受入れる側の自治体もメリットを感じているのだろうと思われます。
上記の総務省ホームページにアップされている「受入自治体に対するアンケート」でも、約8割の自治体が「今後も地域おこし協力隊を活用していきたい」と回答しています。
トラブルもいろいろあると聞きますが……


ただ、地域おこし協力隊のような外部人材が重宝されるということは、裏を返すと、地元人材だけでは足りていないということにほかなりません。

「田舎人材が持っていないスキル」ほど田舎社会は欲している

「地元人材だけでは力不足である」と状況を詳しく見ていけば、地域ごとに事情が異なるでしょう。
地元人材だと地縁や因習にとらわれて身動きがとれないのかもしれませんし、地元人材よりも都会人材のほうが能力的に優れているのかもしれません。

個人的には後者だと思っています。
より正確にいうと、地方人材には無いスキルを都会人材は持っているのです。

具体的にはIT関係全般定量的分析あたりでしょうか。
比較的目新しく、学識も必要になるスキルです。

営業や経理、法務のような伝統的なスキルであれば、田舎にもそれなりに人材がストックされているはずです。
しかし、目新しいスキルや学識の必要なスキルは、これまで田舎では習得する環境がそもそも無く、都会と比べればニーズもわずかなために実務経験を積む機会も乏しかったのでしょう。

今となっては流石に誰もがこうしたスキルの重要性を理解していますが、人材は急には育ちません。
しかも育つまで待っている余裕もありません。

そこで「スキルのある人材」を外部から調達する手段として「地域おこし協力隊」が機能しているのではないかと思います。

地域おこし協力隊とは関係ありませんが、大企業を定年退職してからUIターンしてコンサル業を始める方も最近けっこういらっしゃいます。
こういった方々を見ていると、成否がはっきり分かれています。

戦略論を唱えるだけの方はうまくいっていないようです。
仕事が無くて時間にゆとりがあるのか役所にもよくいらっしゃって、「この地域は〇〇が駄目で、××すべきなんだ、役所が旗振り役になって意識改革せよ(そして私を起用してくれ)」と主張されます。

一方、自分で定量的分析のような作業を手掛けている方は重宝されています。

やはり田舎はスキルに飢えているのだと思えてなりません。

「地元を盛り上げたい」という熱意に燃えている方は、田舎にもたくさんいらっしゃいます。
しかし、彼ら彼女らが頑張っても、事態はなかなか好転していません。

このような状況において、さらに上乗せすべき要素は「熱意のある人材」よりも「スキルのある人材」でしょう。

成果を出すなら遠回りのほうがいい?

地方公務員への就職を考えている方の中には、「地元を盛り上げたい!」と燃えている方もいるでしょう。
 
ただ、本当に成果を出したいのであれば、まずは都会で就職して、最先端のスキルを身に着けてから地元に舞い戻ってくるほうがいいのかもしれません。
めんどくさい公務員試験にチャレンジするだけの意欲があれば、学べる環境に身を置けば、きっと成長できます。

反対に、地元に長年住んでいなければ得られないスキルもあります。
地域の雰囲気というか風土というか……「らしさ」のようなものは、一朝一夕では身に付きません。
これが無いと地域住民から信頼を得られず、何をするにしても独りよがりになってしまいかねません。

ただし、こちらのスキルは保有者が既にたくさんいます。
希少性という意味でも、まずは都会で修行する利点があるでしょう。

特に都会から地元へUターン就職を検討している方は、一度冷静に考えてみてほしく思います。

都会に嫌気がさしていたり、僕みたいに就職活動に失敗して都会に居場所が無くなってしまったのであれば、Uターンするしかありませんが、「地元で活躍したい」のであれば都会で修行する選択肢もぜひ一考してほしいです。

そのほうが地域のためにもなるし、何より自分自身のためにもなるかもしれません。


若手(20代)地方公務員の給与考察の続きです。
前回の記事では全国平均の数字を使いて、若手地方公務員の給与水準は同年代の民間勤務高卒者並みという結果を見ましたが、今回は地域別の数字を使って
  • 給与の構成要素(基本給・残業手当・賞与)ごとの影響も気になる
  • 高いor安いの感覚は、同一地域内での相対的順位にも大いに影響されそう
という直感的疑念について考えていきます。

賃金構造基本統計調査より


今回は賃金構造基本統計調査の数字を用います。



統計表はこちら。(総務省統計局)


このデータであれば、都道府県ごとのデータが使えます。
エクセルのランダム関数で対象都道府県を選んだところ、岡山県がヒット。
今回は岡山県のデータを使って検討していきます。

ちなみに岡山県は、同統計内の「所定内給与額」(≒諸手当除きの月給)が47都道府県中24位であり、ちょうど中間に位置します。
そのため、単県のデータではありますが、ある程度は全国普遍的な結論を導けるかもしれません。

今回は「若手」にフォーカスすべく、25~29歳のデータを取り出します。
さらに男女差が想定されるので、性別ごとにデータを集計。

この統計調査は民間事業者だけが対象のため、公務員のデータは含まれていません。
そこで、僕が実際にもらった金額をベースに、地方公務員のデータを追加します
地域手当は、岡山県岡山市(3%)を反映させました。
ただし残業代は水物なので、僕の実績をそのまま使うわけにはいきません。
そこで、総務省の「地方公務員の時間外勤務に関する実態調査結果」中の都道府県職員の平均残業時間である12.5時間≒13時間、毎月残業すると想定し、13時間分の残業手当を「きまって支給する現金給与額」に盛り込んでいます。

残業手当単価は、所定内給与時給換算額×1.25で算出しました。

賞与は4.45か月分を計上しました。


男性:真ん中よりやや悪い

こうして出来上がった一覧表がこちら。
スライド1


右側2列の「所定内給与時給換算」と「年収」のみ、統計データから僕が算出したもので、その他は統計データからのコピペです。
この表を見ただけで、地方公務員の賞与額がかなり大きいことが見て取れます。

スライド2
一覧表を並べ替えて分析を進めていきます。
まずは基本給を比べていきます。

諸手当除きの月給、いわゆる基本給は、「所定内給与」に相当します。
ただし、これの実額で比較すると、対象となる労働時間(所定内実労働時間数)が産業ごとにまちまちで公平な比較になりません。
そこで今回は時給換算して公平性を確保しました。

この基準だと、公務員は51区分中の28位。真ん中よりも少し悪いあたりです。

続いては年収です。
公務員は51区分中の27位。基本給と同じく真ん中よりも少し悪いです。


女性:余裕で上位

続いて女性のデータも見ていきます。
スライド3
スライド4

元データにある民間企業では、どの産業区分でも男性より給与水準が低くなっています。
一方、地方公務員の場合、男女間の差は基本的にありません。
そのため、男性と比べ、相対的に地方公務員の順位が上昇しています。
時給も年収も、余裕で上位に食い込めています。

まとめ:ちょっと劣る

以上の結果をまとめると、岡山県の場合、
  • 平均的な若手地方公務員(男性)は、民間企業勤務の同世代男性よりも高給とは決して言えない。とはいえ薄給とも言えないし、特に賞与は確実に恵まれている。
  • 女性の場合は、同世代女性の中でも相当な好待遇。
といえるでしょう。

統計上の数字には現れていませんが、民間企業の場合は個人差がものすごく大きいことを忘れてはいけません。特に賞与。
つまり、同一区分の中でも相当なばらつき(分散)があると思われます。

一方、地方公務員は、残業代の多寡くらいでしか差がつきません。
20代のうちなら基本給の差も小さいですし、賞与は余程のことがない限り満額支給されます。

給与の安定感を重視する方にとっては、地方公務員の待遇は数字以上に魅力的に映るでしょう。

今回は岡山県のデータを使ってみましたが、都道府県ごとに特色が出ると思います。
お住いの地域のデータで自分の給与と比較してみたら、きっと発見があると思います。

出身大学比較(その2)

「30歳時点の想定年収」という出身大学別のデータも見つけました。
【2021/2/17 新しいデータがリリースされたので差し替えました】




「年収」の定義がよくわからないうえ、転職サイト登録者のデータをもとにしているようなので、どちらかといえば上振れしている気がします。

僕の場合、30歳時点(2020年)の年収は約440万円でした。
※内訳:基本給300万円+賞与110万円+残業手当+地域手当
ちなみに地域手当を東京23区水準(20%)まで引き上げると、約500万円になります。


このデータだけだと、
  • 東北大学→宮城県庁・仙台市役所
  • 九州大学→福岡県庁・福岡市役所
みたいな、地方の旧帝大を卒業してからの地方公務員という流れは、年収的には負け組のように見えます。実際は結構たくさんいそうな気がするのですが……


全国的にイベントごとが復活してきました。
(最近はまた怪しくなってきましたが……)
ただし、都市部と田舎を比べると、かなりの温度差を感じます。都市部のほうが復活のペースが早いです。

これから当面の間、田舎では、イベントごとに限らず、地域住民発の活動が下火になると思っています。
キーパーソンがいなくなるからです。
 
キーパーソンの内訳は様々です。リタイア後の地域住民、副業サラリーマン、ボランティア、地域おこし協力隊、イベント会社のプロデューサーなどなど……意欲的に地域を盛り上げようと励んでいる方を指します。

こうした方々はこれまで、イベントの企画運営、地域住民コミュニティの運営、スモールビジネスなどを通して、地域を盛り上げてくれました。
しかし今後こうした方々は地域活動から離れていってしまうのでは、もしかしたら既に離れてしまったのでは?というのが、僕の懸念です。

キーパーソンはコロナ下でも活動している

かつて観光の仕事をしていた頃、地域のキーパーソンの方々ともよく関わりました。
今でも各種SNSで活動を追いかけています。

彼ら彼女らは、例えるならマグロです。
燃えたぎるパッションのために、活動を止められません。

新型コロナウイルス感染症のせいで外部環境が変わろうとも、彼ら彼女らのパッションは不変です。
人との接触や越境移動が制限されようとも、活動意欲は抑えられません。

そこで彼ら彼女らは、オンラインに活路を見出します。
オンライン上で同士を募り、できることを模索していくのです。

オンラインの悦びを知った上で地域に戻ってくるか?


思うに、田舎のリアル社会で活動するよりも、オンラインで活動するほうが、あらゆる面で有益です。

多くのターゲットにアプローチできる


田舎の地域社会でどれだけ精力的に活動しても、見込み客の数には上限があります。
いずれ頭打ちになって停滞せざるを得ません。
オンラインであれば可能性は無限大です。

全国の有能かつモチベーションの高い仲間と協働できる


田舎はそもそも人員の頭数が少ないですし、地域活動に意欲的な人間になるともっと少ないです。スキルもありません。
つまるところ、人的リソースが圧倒的に不足しています。
そのため、最終的なアウトプットの質も量も、自ずから限界があります。

一方オンライン上には、自分並みの有能な人間がごろごろいます。
そういった層と協力し合えば、地域住民とでは成しえなかったスケールのアウトプットが実現できます。

大きな仕事を達成する悦びを知ってしまった後に、ちんまりした事業を再開する気が果たして起こるでしょうか?
しかも仲間は、やる気も能力も今ひとつな田舎住民達。
オンライン上で出会った、意志を同じくする全国の優秀な仲間達とは雲泥の差があります。

たいていの人にとっての地域活動は「やったらやったで楽しいけど、やり始めるまでは腰が重い」ものだと思っています。
いったん日々のルーチンに組み込まれてしまえば有意義に感じられます。
ただし一旦ルーチンが途切れると、再開するのは大変です。面倒臭さが勝ります。

新型コロナウイルス感染症のせいで、ほとんどの地域で活動のルーチンが途切れたことと思います。
キーパーソンの仕事は、まずは他の住民を呼び戻すことです。
やる気の冷えてしまった住民を再び揺り動かして、巻き込まなければいけません。
すぐに活動そのものを再開できるわけではありません。いわば土壌作りからやり直しなのです。

人間関係面でのオンライン活動との落差は凄まじく、地域住民への幻滅すらありえると思います。
この難局を果たして乗り越えられるのか?僕は正直悲観しています。

しがらみが無い


リアル田舎社会だと、外部から横槍が入って企画が頓挫するという事態が多発します。
議員古老が許さないとか、地元メディアが自社の営利活動に組み込むべくああしろこうしろと口出ししてくるとか……
「教育のため」をお題目に無理難題・私利私慾をぶつけてくるPTA団体もかなり厄介と聞きます。
他住民から妬まれて不快な思いをすることもあるでしょう。

オンラインだと、こうしたしがらみから随分解放されて、自分の思い描くままに活動できます。
(妬み・嫉妬はむしろもっとひどいかもしれませんが)

自分のキャリアアップにつながる


田舎社会でどれだけ頑張って成果を出しても、最終的に到達できるのはせいぜい地方議員くらいです。
オンラインであれば全国区の専門家へと羽ばたけます。
どっちが好ましいかは人それぞれでしょうが、大抵は後者を選ぶのでは?


とにかく、一度オンラインでの活動を経験したら、あまりの心地よさのために、二度と地域活動に戻ってきてくれないのでは?と思えてならないのです。

決めるのは「住民の人柄」


合理的に考えれば考えるほど、オンライン上での活動を続けるほうが賢い選択です。
堅固な合理的理由を打ち破り、彼ら彼女らを地域に繋ぎ止められるとしたら、地域住民との絆しかないと思います。
  • やる気も能力もいまひとつだけど、一緒に活動しているとなぜか楽しい仲間
  • お金も名誉もくれないけど、素直に喜んでくれる地域住民


こういう存在が桎梏とならない限り、キーパーソンは地域を飛び出していってしまうと思います。

今更どうこうできる話ではありません。これまで(コロナ発生前まで)の蓄積の問題です。
キーパーソンが孤軍奮闘していたような地域はさらに衰退するでしょうし、地域全体で盛り上がっていたところは早々に復活するでしょう。


かつて観光の仕事をしていた人間がこんなこというと怒られてしまいそうですが、僕はイベントごとは「確固たる目的があるものを除き不要」だと思っています。
この機にゾンビイベント(特に意味なく延命されている、開催することだけが目的なイベント)が払拭されればいいなと思うくらい。
ゾンビイベントが減れば、会場や人員、予算面でのリソースが生まれて、新しい「目的のある」イベントが生まれてくるはずです。

典型的な役所批判の一つに、具体的な成果指標が無い」というものがあります。

実際のところ、成果指標が無いことは少ないです。対外的に公表していないだけです。
具体的な指標がないとそもそも事業の進捗管理ができません。

公表しない(というよりもできない)理由は様々ですが、現状の役所の立ち位置を考えるに、役所が成果指標を設定すること、特に対外的に公表して住民とも共通して抱けるような指標を設定するのは大変困難だと思っています。

役所が成果指標を決めるなんて傲慢すぎる

まず、そもそも役所が施策の成果指標を決めてもいいのかという疑問があります。

成果指標は、施策の結果、つまるところ自治体の将来像に直結します。
民主主義という仕組みをとっている以上、自治体の将来像を決めるのは、住民なのではないでしょうか?

教科書的な考え方だと
  • 大局的な成果指標は住民が決める
  • 細分化された小目標は実務を担う役所が決める
という区分けになるのでしょうが、どこまでを大局的(住民が決める部分)とするか、という議論の前提を整えるのがまず困難です。

住民の中には、細かい成果指標まで参画していきたい人と、大局的な成果指標すらどうでもいい人がいます。
さらに、何を大局的とみなすかも、人によって大きく異なります。
もし役所主導で「大局的な成果指標」にあたるものを設定しようものなら、前者のタイプの方から猛攻撃を受けるでしょう。

実際、どんな細かい成果指標であっても、役所主導で決めると「いまだに『お上意識』が残っている」「民主主義をないがしろにしている」「お前らは公僕であり為政者ではないだろう」というお叱りが飛んできます。
そのまま住民運動につながることも多々ありますし、訴訟まで発展することもあります。

「首長がリーダーシップを発揮して成果指標を決めるべき」という意見がマスコミ報道なんかで流れることもありますが、一方で役所の現場では、「成果指標は住民が決めるべきであって、役所が勝手に設定するのは許されざる蛮行だ」という意見も強く受けています。

つまるところ、「成果指標の決め方」を決めるプロセス、本題に入るための準備段階で大いに揉めるのです。

成果指標のせいで分断が広がる

もし具体的な成果指標を設定したとしても、それが住民に広く受け入れられることはあり得ません。
成果指標が具体的であればあるほど、住民としては、自分に利益があるのか、反対に害があるのか、はっきり理解できます。

はっきりと示されるほど、感情的な反応を招きやすいものです。
利益を受けられる人は賛同し、一方で負担や害を被る人は反発します。
特にマイナス影響のある方の反応が激しく、役所には批判が殺到しますし、マスコミもネタにしやすいのでガンガン煽ります。
「官製格差」と言ってみたり、施策の背後に癒着関係があると推測してみたり……

こうして施策はスタート前から躓き、後に残るのは役所への不信感だけです。
本来得をするはずだった人も、周囲からの強烈な監視のために施策に乗りづらくなります。
こうして施策は失敗に終わります。

さらには、得する側と損する側で、住民間に分断が生じます。
目標が具体的であればあるほど、得する人と損する人が、客観的にも明らかになります。
こうなると妬みが生じ、住民間のトラブルに発展してきます。

こうしたトラブルが予見されるために、たとえ成果指標を決めていたとしても、積極的な提示は躊躇してしまいます。

検証させてもらえない

成果指標を策定して、なんとか施策を終えたとしても、さらなる関門が存在します。
本当に成果指標を達成したのかどうかの検証・効果測定が難しいのです。

成果指標を達成したのか否かの検証をやったところで、住民には直接の利得はありません。
「役所にしっかり説明責任を果たさせた」という達成感があるだけで、懐も温まらないし、お腹も膨れません。実利が無いのです。
そのため、役所が検証に予算や人員を投じようとすると、大概「無駄だ」という批判に遭います。

「イベントの来場者数」のような単純な成果指標なら特段の予算も労力も不要であり検証可能ですが、調査や分析が必要な指標の場合は、兵糧不足で検証ができません。
このような前提、つまり具体的な成果指標を設定しても検証できない可能性が高いという制約条件があることも、役所が具体的成果目標の設定に後ろ向きな理由だと思われます。



役所主導で具体的な成果目標を設定すること自体は、不可能ではありません。
ただし、実際にやってしまうと、「独裁」「民主主義の崩壊」などの批判が相次ぎます。
さらには住民間のトラブルも招きます。

成果目標の設定に対して、従来はとにかく住民参加を求める声が強かったところですが、最近は「住民に決定責任を丸投げするな、役所が責任を持って決めろ」という声も多数聞こえてきます。

結局のところどんな方法を取ってもトラブルに発展するので、覚悟を決めて色々試してみる時期なんでしょうか……

役所が提供するオンラインサービスがことごとく叩かれています。
雇用調整助成金のオンライン申請システムだったり、コロナ感染者追跡アプリだったり……そして何より特別定額給付金のオンライン申請。
僕自身、ここ数ヶ月で大量にお叱りの声をいただきました。どれも県庁は直接関係ないし、怒鳴られてもどうしようもなんですけどね……

マスコミも、僕が直接対応した住民の方々も、オンラインサービスの不出来さを叱責するついでに、役所仕事の非効率さも一緒に詰ってきます。
ハンコ文化だとか、テレワークできてないとか、電話に頼りすぎとか、ペーパーレスを進めるべきとか、職員のパソコンスキルが低いとか……
「とにかく役所は電子化が進んでいない」と言う結論で締めくくるのが定番のパターンです。

実際のところ、役所が提供するオンラインサービスはだいたいお粗末だし、役所内部の設備も業務プロセスも前時代的なままで非効率なのは間違いありません。叩かれても仕方ありません。

しかし、前者(住民向けのサービス)と、後者(役所内部)の問題を、ひとまとめにして叩くのは危険だと思っています。
この二つは大元の原因が異なります。
 
両者をひとまとめにして叩くだけでは根本的な問題解決にはなりませんし、間違った方向にすら進みかねないと思っています。
特に前者を叩きすぎると、役所の本来の役割である「市場の失敗の補完」を見失いかねません。

【2020/9/25追記】
「デジタル庁」というキャッチーなキーワードが世に産み落とされたので、記事タイトルを変えました。
省庁横断でデジタル化を進めること自体は大賛成ですが、やはり「住民向けサービス」と「役所内の業務面」を分けて考えるべきだと思います。

オンラインサービス拡充よりもデジタル弱者救済の方が優先

過去の記事で、世の中のデジタル化についていけてない方々(以下「デジタル弱者」)の支援が今後の役所の課題になると書きました。


デジタル化が進むにつれて、従来のアナログなサービスがどんどん削減されています。
アナログからデジタルへの移行についてこられていないデジタル弱者にとっては、ここ十数年で生活が不便になってきました。

アナログサービスの削減により困っている人が発生しているという現状は、市場の失敗の一例です。
市場の失敗の補完は、役所の基幹業務です。
つまり、デジタル弱者の救済は、役所の本業なのです。

インターネット上に現れてこないだけで実はものすごく多い

デジタル弱者はものすごく多いです。今回のコロナウイルス感染症騒動で痛感しました。
僕自身が対応した住民の方々からも、
  • 持続化給付金にしろ自治体独自の給付にしろ、インターネットが使えないとろくに補助制度のルールすら調べられないのは差別だ、全員平等に郵送せよ!
  • 特別定額給付金を真に必要としている貧困者はインターネットが使えないんだから、オンライン申請者を先に始めるのは本末転倒だ!
という声をたくさんいただきました。
人数でいえば、役所のアナログ具合を糾弾する方よりも多かったです。
しかもアナログ批判の声よりも真剣味があり、本当に困窮している様が伝わってきました。

さらに言えば、怒りのレベルも高かったです。
アナログサービス削減に対する憤懣、社会全体への鬱憤が普段から溜まっているのでしょう。
インターネットでしか情報配信しない姿勢に対して、何回も「殺人鬼」呼ばわりされました。

デジタル弱者が地方政治の王道派

デジタル弱者の大半は高齢者で、中には政治力のある方もいます。
地元の名士で膨大な票数を動かせたり、議員OBだったり……

6月議会の議事録を見てみれば一目瞭然でしょう。
田舎の自治体だと、デジタル化推進よりもデジタル弱者救済を求める質疑のほうが多いはずです。

現役世代にもデジタル弱者はたくさんいます。
最近流行りの「GIGAスクール構想」関係で、家にネット回線がある家庭の割合がたびたび報道されていますが、どこの自治体も7割前後止まりです。
誰もがインターネットにアクセスできる時代は未だ到来していません。


まとめると、
  • デジタル弱者の救済(=市場の失敗の補完)は役所の本来の役割
  • デジタル弱者は数が多くて真に困っており、救済施策のニーズがある
  • デジタル弱者は政治力を持っている

以上3つの理由から、地方政治ではデジタル弱者側が優先されがちです。

現状、地方財政にゆとりは無く、オンラインサービス拡充とデジタル弱者救済を両立させるのは困難です。
政治力による駆け引きの結果、オンラインサービス充実は劣後して、デジタル弱者のほうに予算と労力を振り向けています。

もし役所が現状の世論に与してオンラインサービスを拡充するのであれば、デジタル弱者の救済策も同時にもっと強化しなければいけません。
そうしないと、役所は福祉という本来の役割を放棄して、格差拡大に加担するという本末転倒になってしまうのです。

どんなデジタル弱者でも使えるやさしいオンラインサービスを整備することが理想なのですが……利用者(住民)のデジタルリテラシー格差があまりにもすさまじく、正直想像できません。

世論が認めてくれたらいくらでも設備投資できる(はず)

一方、役所内のデジタル化が進んでいなくて業務が非効率なのは、設備投資をする予算が無い(認められない)からです。
ボトルネックは世論です。

職場環境に設備投資しようとすると「職場環境への投資は職員のためにしかならない。住民に還元されない。だから認められない」というロジックが席巻しているために、設備投資したくてもできないのです。

コロナウイルス感染症騒動をきっかけに、業務継続計画(BCP)を真剣に考え直している自治体も多いと思います。 
今であれば、「第二波に備えた業務体制の整備」 みたいな名目で、設備投資予算が通るはず。
個人的には千載一遇のチャンスだと思っています。 



役所内のデジタル化の遅れは、世間が叩けばきっと是正されます。
来年度当初予算に堂々と計上できるよう、来年の2月くらいまで叩き続けて欲しいくらいです。

一方、住民向けのオンラインサービス整備の遅れは、ただ叩くだけでは解決しません。
デジタル弱者の救済という優先課題の存在を忘れないでほしいです。

もし面接でオンラインサービスのことを聞かれたら、デジタル弱者救済のことにも触れてみるといいかもしれません。

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