キモオタク地方公務員(県庁職員)のブログ

地方公務員の人生満足度アップを目指しています。地方公務員志望者向けの記事は、カテゴリ「公務員になるまで」にまとめています。

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本記事を読む前に、これまでの人生を振り返ってみてください。
仕事以外の用事、つまりプライベートの用事で都道府県庁に行ったことって、どれくらいありますか?

僕の場合、
  • マンション管理士試験の申込書を貰うために公営住宅担当課に行った
  • 県立の体育館を借りるために申込書を提出しに行った

この程度です。
多分ほとんどの方が、プライベートの用事では滅多に県庁に行かないのでは?

一方、市役所や町村役場のほうは、たびたび足を運んでいるでしょう。
僕の場合も、マイナンバーカードを作ったり、転入・転出届を出したり、戸籍謄本などの証明書類を取得したり……なんだかんだ用事があって毎年1回は行っています。

この違い、つまりプライベートの用事で訪れる頻度の違いが、市町村職員と県庁職員の業務の違いにも大きく影響していると思います。


市役所・町村役場はプライベートモードの人、つまり「オフの人」を主に相手にしています。

一方、県庁は仕事モードの人、つまり「オンの人」を主に相手にします。


「オン」相手の仕事、「オフ」相手の仕事

もちろん県庁にも「オフの人」を相手にする仕事があります。
自動車税や都道府県民税、公営住宅関係の仕事がその典型でしょう。
ただし、県庁の業務全体からみれば、こういった業務の割合は小さく、従事している職員の数も少ないです。

県庁での対外的な仕事といえば、法人相手の手続き対応がメインです。
職員が対面する相手は「一個人」ではなく「組織の一員」であり、典型的な「オンの人」であります。

何より県庁は、国や市町村とのやりとり、つまり公務員相手の仕事がものすごく多いです。
公務員もまさに「オンの人」です。



一方、市町村の仕事は、住民票関係や各種手当(児童手当など)、生活保護、介護保険、国民健康保険など、住民のプライベートに関わる仕事がたくさんあり、多くの職員がこういった仕事に関わっています。
これらの制度を利用する住民は「オフの人」です。
仕事のためではなく自分自身の私生活のために利用しているからです。

「オンの人」相手の仕事もあるのでしょうが、県庁よりはずっと少なく、役所の仕事全体に占める割合も小さいと思います。

「オン」の人、「オフ」の人

どんな人も「オン」と「オフ」とで異なる顔を持ちます。
 
オンオフの差は人それぞれですが、一般的に「オン」のときのほうが感情の起伏に乏しく打算的だと言えるでしょう。
よく言えば冷静で落ち着いている、悪く言えば無味乾燥でつまらない人間です。
 
人間関係においては、自分の本心を曝け出すわけではなく、表層的な段階を超えません。
まさに「仕事上の関係」です。

「オンの人」と「オフの人」、いずれを相手にするかによって、業務の雰囲気が大きく変わります。

「オンの人」相手の仕事=腹の探り合い

まず、「オンの人」は属性が限られます。
年齢は20代〜60代で、日本語が使えて、健康かつ認知機能のしっかりした方ばかりです。
社会的なステータスもそれなりに高く、常識をわきまえている方がほとんどです。

「オンの人」はたいてい親切です。好感を持たれるよう愛想よく振る舞います。
怒るときも、感情を爆発させるわけではなく、理路整然と詰めてくるほうが多いです。

ただし、親切なのはあくまでも自分の目的を達成するための手段です。
嫌われるよりも好かれていたほうが何事もスムーズに進むから親切なだけで、役所が好きなわけでもなければ、担当職員に個人的な好印象を持っているわけでもありません。
基本的なビジネスマナーを実践しているだけです。

そのため、ある程度までは容易に信頼関係を築けるものの、心の底から打ち解けるような状態までは滅多に至りません。
裏切ったほうが目的に適うと判断すれば、あっさり裏切られます。
なんともドライな関係です。

「オンの人」相手の実際の仕事では、相手の言動は打算であるという前提で動きます。
相手から感謝されても、怒られても、悲しまれても、あくまでも打算だと考え、これらのアクションの裏を読もうとします。
相手の言葉をそのまま鵜呑みになんて絶対しません。発言の経緯や真意を探ります。
相手と協調路線で物事を進めているような状況でも、裏切られた場合を常に想定しています。
ニコニコ笑顔を取り繕いつつも腹の探り合いをしているようなものです。

「オフの人」相手の仕事=生身の人間との対面

一方、役所が関わる「オフの人」は、たいてい苛立っています。
特に役所の窓口に来る方は、来たくて来ているわけではなく、来させらているという認識であり、「貴重なプライベートが潰された!」と言わんがばかりのイライラが表れています。
ただし、うまくスムーズに対応できれば、笑顔で帰ってくれることも多いです。
このときの笑顔は打算ではなく本心でしょう。


属性も幅広く、相手に合わせた対応が必要になります。
認知症のために話が通じなかったり、心身に深い傷を負っていたり、カタギでなかったり……
「読み書きができない」という方も結構いらっしゃいます。

「オフの人」相手の仕事では、文字通り「生身の人間」を相手にしているという感覚があります。
僕の思い違いかもしれませんが、打算ではない「本心」を感じます。
感謝されたら嬉しいですし、力になれなかったら凹みます。


比率の違い

県庁も市役所・町役場も、「オンの人」「オフの人」両方を相手にします。
ただし、その割合は大きく異なります。
県庁であれば「オンの人」、市役所・町役場では「オフの人」相手の仕事が多いでしょう。

どちらの仕事が向いているかは、完全に人それぞれです。
「どちらが楽か」「どちらがやりがいがあるか」とも一概には言えません。

インターネット上には「県庁の仕事は住民のためになっている実感が無く、やりがいが感じられない」という意見が多数ありますが、これは「オンの人」対応が多いという県庁の性質の帰結なのかもしれません。

僕は圧倒的に「オンの人」相手のドライな仕事のほうが性に合っていて、県庁を選んで正解だったと思っています。

地方公務員の仕事そのものを楽しんでいる人は、それほど多くないのかもしれません。

実際、達成感を味わったり(そもそも明確な「終わり」が無いので完了に立ち会えない)、誰かから感謝されたりといった典型的なカタルシスシーンにはなかなか巡り会えません。
 

しかし、役所という環境は、心がけ次第で面白おかしく感じられると思っています。
いくら閑職で連日定時ダッシュを決めたとしても、毎週40時間近く滞在しなければいけない場所です。
少しでも「楽しい」と思えたほうがハッピーな人生を送れると思います。


どんな部署に配属されようとも、誰でも手軽に実践できそうな「心がけ」を紹介します。

人に興味を持つ

世の中を動かしているのは人です。
しかもごく少数の有力者です。


  • いったい誰が有力者なのか
  • 有力者たちはそれぞれ何に関心があって何を考えているのか
  • 有力者どうしの関係はどうなっているのか

こういったことがわかれば、世の中の動きが違って見えてきます。
のめり込みすぎると陰謀論信者になってしまうのですが……

仕事中に個人名が聞こえてきたら、たとえ自分の担当業務とは関係なさそうな話題であっても、耳を澄ませて聞いてみてください。
役所内で話題になるということは、行政の意思決定に影響を及ぼすだけのパワーを持った有力者である可能性が高いです。
軽くググってみてプロフィールを調べ、もしSNSアカウントを持っていたらウォッチしてみましょう。
 

こうして情報を集めていくうちに、脳内に「有力者データベース」みたいなものが出来上がり、有力者を経由していろんな話題がリンクして楽しくなってきます。


役所であれば「本性」が見られるかも?

有力者にまつわる情報は、当人の統制下におかれています。
マスコミは勿論のこと、口コミ評判やSNS投稿のような「個人の声」にしか見えない媒体であっても同様です。
情報統制に長けているからこそ有力者として君臨できたのかもしれません。


そのため、いかなる媒体であっても、普通は有力者にとって都合の良い情報しか流れてきません。
ある事象の一面だけを切り取ったり、誇張したり、隠蔽したり、作り話を仕立て上げたり……形式はいろいろありますが、いずれにせよ事実をそのまま知ることは非常に困難です。


時にはネガティブな情報が流れてきますが、これは対立する有力者が放流したものでしょう。
これもまた事実そのものではありません。ネタにされている有力者当人を貶めるために、別の有力者がアレンジした情報です。


つまるところ、間接的な方法では有力者の本性を知りえません。
有力者の本性を知るには、直接本人と関わるしかないのです。


「有力者の本性を知る」という観点では、役所はなかなかの好立地です。
役所は究極の巻き込まれ体質です。 いろんな有力者が日々プレッシャーをかけてきます。
つまり、有力者と間近に接触でき、生々しい情報を得られるのです。


せっかく役所にいるのですから、このメリットを活かさない手はありません。




庁内の「有力者=キーパーソン」も面白い

役所の組織内も同様です。少数のキーパーソンが動かしています。
首長や部局長がキーパーソンなのは間違いないですが、部局によっては平職員もキーパーソンたりえます。


特に観光や産業振興のような自由度の高い部局だと「職位の低いキーパーソン」がけっこういるように思います。
こういう部局では、管理職は政治的調整に徹していて、施策の中身を詰めるのは係長や平職員というケースがよくあります。
こういう場合、施策の成否を分つキーパーソンは、係長や平職員です。


庁内のキーパーソンを特定し、彼ら彼女らのキャラクターがつかめれば、組織の動きが急にイキイキして見えてきます。
予算案や人事異動の背後にあるストーリーが見えてきて、エンターテイメントになります。


ものさし(基準)を持つ

たいていの人は数字が大好きです。
身長、体重、年収、結婚年齢、ランニングで走った距離……等々、日々いろいろな数字を使い、数字の大小多寡に一喜一憂します。


しかし、仕事中に数字を入力したり集計している最中にテンションが上がる地方公務員は、ごく少数だと思います。 

仕事でしか触れない分野の数字であったり、桁数が大きすぎたり小さすぎたりして実感が湧かないせいだと思います。
 

つまり、数字に対する親しみが足りないために、無機質に見えて面白くないのです。
逆に言えば、親しみを感じられるようになれば、きっと面白く見えてくるはずです。


数字に親近感を抱くための最も簡単な方法は、自分なりのものさし(基準)を持つことだと思います。
平均値や中央値、最頻値のような統計値でもいいですし、身近で具体的な実例を使ってもいいでしょう。
 


例えば人口だと、僕の場合、居住している県と切りのいい人口数の県内市町村をものさしとして使っています。


  • ▲町って本県X市の○倍も人口いるんだ、町なのに大都会じゃん
  • △県って本県の7割くらいしか人口いないのに東大合格者数は同じなのか

こういう理解ができるようになると、人口を見るのが楽しくなってきます。
フェルミ推定みたいな試算もできるようになり、実務にも役立つでしょう。
 




何事も第一印象は非常に重要です。
入庁直後に「役所つまらん」と思い込んでしまうと、楽しくする工夫すら意欲が湧いてこなくなり、ずっとつまらない地方公務員人生を送る羽目になりかねません。
 

「人」と「数字」は、どんな部署でも扱う要素です。
これらを面白コンテンツとして楽しめるようになれば、仕事も少しは楽しくなると思います。

「地方自治体の出世コースといえば人事・財政・企画」という言説がインターネット上ではすっかり根付いています。
書き手によって順位付けは異なるものの、この3部局が突出している点ではだいたい共通しています。

これら3部局に配属されることが出世への近道、つまり出世コースであることは僕も完全に同意します。
ただし、配属後の業務の性質でみると、企画部局だけは毛色が違うと思います。

人事と財政は、仕事の中身がおおかた決まっています。
ものすごく重要かつ面倒だけど手順・作法が決まっている仕事を確実にこなすことが求められる、いわば急勾配で空気が薄いけど舗装された登山道で頂上を目指すようなものだと思います。

一方の企画部局は、どんな仕事が飛び込んでくるか、誰も予想できません。
未舗装かつ測量すらしていない斜面をひたすら手探りで登っていくようなものです。

俗にいう「長期構想」「基本計画」のような、全庁横断的(総合的)で長期的な計画のことを、本稿ではまとめてウィキペディアに倣い「総合計画」と表現します。

そもそも企画部局の仕事とは?

企画部局は、自治体によって名称がバラバラです。


都道府県だと、ここに掲載されている部局が「企画部局」にあたるものと思われます。
(山形県と新潟県は違うかな?)
「企画」「戦略」「総合」「政策」あたりの文言が特徴です。

自治体ごとに名称が異なるとおり、企画部局の所管業務は自治体ごとに異なります。
インターネット上では「企画部局=総合計画」というシンプルな整理をされている情報が目立ちますが、実際は他にもたくさんの業務を抱えています。

企画部局の業務をおおまかに分類すると、以下の3つに分類できます。
  1. 総合計画の策定、実績評価
  2. 全庁的な意見のとりまとめ
  3. 外部から突発的に降ってきた新規案件をとりあえず引き受ける

1は言わずもがな、企画部局の代表的業務です。
ただし、同じ総合戦略関係の業務でも、そのプロセスは自治体ごとにまちまちであり、特に企画部局が内容に口出しできるかどうかという点には注意が必要です。

強い企画部局であれば、実際に事業を行う課が作った原案にどんどん口を挟んで、目標値を上乗せしたり、事業期間を前倒したり、そもそもの目標を変えたり……等々、暴虐の限りを尽くします。まるで政治家です。

しかし弱い企画部局には、各課が提出してきた原案を日本語的に読みやすく整える程度の権限しかありません。


2の業務は、自治体としての総意をまとめるものです。
具体的には、首長どうしの懇談会や国会議員への要望が挙げられます。
こういった機会では、庁内各部局の案件をまとめてパッケージ化する必要があります。
業務プロセスは総合計画と似ていて、まずは各部局から原案を集め、それらを組み直し、縦割り感を消して統一感を持たせます。


3の業務は、事業内容がはっきりしなかったり、あまりに斬新な案件であったりするために、すぐには担当部局を決められない場合に、しぶしぶ企画部局が引き受けるものです。
最近だと中央省庁の地方移転やSDGsあたりでしょうか。

一旦は企画部局が引き受けるものの、あくまでも暫定的な対応です。
いずれ別部局に引き継ぎます。
引き継いだ後もちゃんと業務を回るよう「先鞭をつける」「前例をつくる」のが企画部局の役目と表現しても差し支えないと思います。

2と3の役割は、自治体によっては企画部局以外(財政、秘書、総務あたり)が担っているかもしれません。

とにかく精神がすり減っていく

前述の1〜3のいずれにしても大変な仕事です。
業務量はそれほどではないかもしれませんが、精神的負担は非常に大きいです。

「ゼロから全て組み立てる」という公務員らしからぬ仕事

まず、企画部局の仕事にはルールもマニュアルもありません。
達成すべき目標も、目標に向かう作業工程も、作業に必要なツールも、すべて自ら準備しなければいけません。
上司や同僚に相談しても有益な答えは返ってこないでしょう。彼ら彼女らもわからないからです。

ゼロベースで仕事を組み立てていくのが好きな方もいるでしょうが、大抵の地方公務員にとっては苦行です。
過去の業務経験がほとんど活きず、ひたすらもがき続ける日々が続くでしょう。


「忖度に次ぐ忖度」に陥りがち

「ゼロから仕事を組み立てていく」とは言うものの、担当職員に決定権限があるわけではありません。
むしろ担当職員の裁量は小さく、首長はじめ幹部職員、議員、地域住民の声、経済界の有力者といった方々の意見を収集し、ちょうどよい「落とし所」を探るのが担当職員の役割でしょう。

偉い人たちが意思決定するための準備(資料作成、事例収集など)をして、決まったことを機械のように実行していくだけです。
職員自身の意に反する流れになろうとも、口を挟む権限は全くありません。
むしろ「自分の意思」なるものを極力排し、偉い人たちの意向が正確に実現されるよう心を砕くべきです。いわば高度な忖度です。

どんな部局であれ、地方公務員の仕事には「偉い人への忖度」が含まれるものですが、企画部局の仕事は特にこの要素が強いと思います。
忖度は巧拙はっきり分かれます。誰でもできるわけではありません。
苦手な人にとっては苦痛でしかありません。



他部署に仕事を押し付けざるを得ない

企画部局の仕事は役所全体に影響します。
他部局に仕事を振って、平常業務の手を止めて作業させるくらいは日常茶飯事で、時には過去の意思決定を撤回してもらうことすらあります。
他部局からするとたまったものではありません。いい迷惑です。

そのため、企画部局はよく他部局と揉めます。
人事や財政とは異なり、企画部局には権限がありません。
他部局からすると、企画部局に従うメリットも無ければ、従わない場合のデメリットもありません。
企画課側から何か指示したところで大人しく従ってくれるケースは稀で、たいていは自らの主張をぶつけ返してきます。

いかに他部局を従わせるか、企画部局の職員は日々頭を悩ませていることでしょう。
「最初から敵意全開の相手を説得する」という他部局とは比にならない高度な調整能力が求められますし、相当な精神的負担があることは想像に難くありません。

僕自身、企画部局からの作業依頼を素直に引き受けたせいで上司から怒られた経験があります。
「君がその作業に手をつけてしまったら、それが前例になって、議会の質問も住民訴訟も全部うちが引き受けなきゃなんないんだぞ?しかも企画部局案件だから人員も予算も増えないんだぞ!?」と。
完全に厄介者扱いです。

配属されてからが真の競争

企画部局の仕事は、頑張ってどうにかなるものではありません。明らかに向き不向きがあります。
他の出世コース(財政・人事)の仕事よりも体系化されておらず、きちんとこなせる職員は少ないでしょうし、年度による当たり外れも大きいでしょう。
そのため、人事や財政と比べ、適応できずに脱落する職員の割合が大きいと思われます。


その反面、企画部局でしっかり仕事をこなせれば、役所内でも希少な人材となり得るとも言えるでしょう。
企画部局で経験する「ゼロからの業務組立」「対外的な忖度」「高度な庁内調整」は、いずれも間違いなく役所運営に欠かせない要素であり、どんな部署でも、どんな地位まで上り詰めようとも活きてくると思います。


「世の中はどんどん変わっていくんだから、役所の事業もスクラップ&ビルドで新陳代謝していくべきだ」
「ただでさえ財政事情が厳しいんだから、無駄な事業は早々に止めるべきだ」

住民だけでなく公務員も頻繁に口にする意見です。

しかし現実はそううまく運びません。
政治的事情などの外圧を受け、事業のスクラップは往々にして頓挫します。
外圧に遭う前に日和ってしまうケースもあるでしょう。
実際に事業を潰した(畳んだ)経験のある職員は、案外少ないのでは?

僕は1度だけですが、それなりの規模(予算でいうと数千万円規模)の事業を畳んだことがあります。
※地元ではけっこう話題になったネタなので、詳細はぼかします。



僕は看取り役


僕が畳んだ事業(以下X事業)は、とある民間団体(以下Y法人)に補助金を流していろいろやってもらい施策目標達成を目指すスタイルの事業でした。
取り繕った言い方をすれば「民間のノウハウとネットワークを活かした」事業であり、乱暴な言い方をすれば「お金と口は出すけど実務は丸投げ」な事業です。

Y法人の中では総勢10人ほどがX事業に携わっていました。
県とのやりとりを主に担当するのは、Y法人の正規職員であるマネージャー(以下M氏)です。
他のスタッフはM氏の部下という位置づけで、みな非正規職員でした。

元々僕はコミュ障で、かつ後述する事情のために意図的にコミュニケーションを控えていたこともあり、Y法人スタッフ達の詳細なプロフィールはわかりません。
ただし皆さん、いきなり異動してきてやってきた僕に対し、すごく親切に接してくれました。
電話越しに談笑の声が聞こえてきたりもして、居心地の良さが伝わってくる環境でした。



それなりに歴史のあったX事業でしたが、僕が担当者として着任する前の年度のうちに、次年度(つまり僕が着任した年度)で終了することが決まっていました。
終了に至るまでの詳細はよくわかりません。
僕の前任者も直接は関わっていなかったようで、どうやら県幹部とY法人幹部による「上どうし」の会談によって、トップダウンで決まったようです。

今年度でX事業が終わることを知っていたのは、現場スタッフの中ではM氏だけでした。
年度の初めに、M氏からは「現場スタッフへは私から伝えるから、県からは絶対言わないで、察されないように気をつけて」と強く念押しされました。
このため、僕をはじめ県職員は、M氏以外のスタッフとの接触を控えました。


担当者である僕の仕事は、今年度事業の進捗をウォッチしつつ、過去資料の整理をしたり、県から貸与した物品を紛失していないかチェックしたり、補助金の使途を改めて確認したり……という事業クローズに向けた諸準備です。
仕事自体は淡々と進みました。

事業の終了=事業部の取り潰し


Xデーは突然やってきました。
 
「資料作成に手間取っているので、20時まで職場で待ってくれないか。できればすぐ確認してほしいから、課長にも残っていてほしい」
M氏から意味深な電話。我々は察しました。

そして20時、再びM氏からの架電。
虫の声が聞こえてきます。オフィスを離れ、どこか野外で電話しているのでしょう。

「○○月▲▲日、スタッフに事業廃止の旨を告知する。当面は混乱すると思うので、私がOKを出すまでは、県職員はY法人オフィスに顔を出さないでほしい。電話は私の携帯に。もしスタッフから県に電話があっても、『Mさんに聞いてくれ』で通してほしい」



この電話から2か月ほど経過して、ようやくM氏から「県職員来訪OK」の連絡がありました。
今年度の事業は既に完了しており、補助金も精算済。
最後に残った作業である「県からの貸与物品回収」のため、Y法人オフィスへ向かいました。

X事業の事務室だった部屋には、段ボールが山積み。
机も椅子もありません。リース物品だったので返却したのでしょう。
タイルカーペットは所々剥がれていました。床下に這わせてあった電話回線を撤去したようです。

スタッフは誰もいませんでした。
M氏によると、全員退職したとのこと。
Y法人の別事業への転属を打診したのですが、どうしても待遇が落ち、しかも遠距離転居を伴うため、全員折り合わず退職してしまったとのこと。

このとき、役所は一体何をやったのか、ようやく自覚しました。
ひとつのホワイト職場を破壊し、十人弱の雇用を奪ったのです。

M氏がわざわざ人目を忍んで「県職員来訪NG」とアナウンスしてくれた理由がよくわかりました。
スタッフからすれば県のせいで職を失うわけです。
文句を言いたいのは当然でしょうし、口だけでは気が済まないかもしれません。
それに何より、合わせる顔がありません。

スタッフのうち何人かは、顔も名前もはっきり覚えています。
彼ら彼女らに似た風貌の人を見かけると、今でも反射的に身構えてしまいます。


M氏が使った「事業廃止」という表現も印象に残っています。

役所にしてみれば、X事業の終了は良いことです。
(実態はどうであれ)役所の事業が終わるときには、とにかく前向きな理由を用意します。
X事業終了のケースでは「役目を果たし切った」という理由付けがなされました。

しかし一方で、M氏をはじめY法人のスタッフにしてみれば、X事業は終わるわけではありません。
役所というスポンサーがいなくなったので、取り潰されるのです。
役目を果たそうが果たしていなかろうが、どちらも言葉遊びにすぎません。
組織としての売上がなくなり、食い扶持が減る。ただそれだけのことなのです。



「全体の奉仕者」は個人を救うわけではない


X事業の廃止は、マクロで見れば良いことだったと思います。
最初にも触れましたが、X事業の廃止は地元メディアでも取り上げられました。
役所仕事では珍しく「良い意味で」です。
X事業は「マンネリ化が進んで最早時代遅れな事業」と位置付けられ、これを止めて新たな施策を検討するという県の姿勢は、珍しく称賛されました。

しかしミクロでみれば、雇用機会の簒奪にほかなりません。

役所がお金を使えば、それは民間に流れます。
その収入のおかげで生計を立てている人がいるのです。
たとえそれが「無駄だ無駄だ」と叩かれている案件であっても。 
この当たり前の事実を思い知らされました。

さらにはY法人スタッフ達の自尊心も傷つけたと思います。
彼ら彼女らが日々取り組んできたことは、結局「時代遅れ」の一言でまとめられてしまったのです。

僕は民間就職活動に失敗した身であり、失職への恐怖をリアルに経験しています。
そのせいもあり自分自身が失職に加担してしまったという事実が半ばトラウマになり、今でもたまに眠れなくなります。

公務員として働く以上、「全体」「公益」のようなふわふわした存在のために、眼前で困窮している生身の人間を切り捨てざるを得ないケースからは逃れられません。
これがストレスで離職する若手職員もけっこういると聞きますし、入庁後のミスマッチを減らすために弊ブログでも発信していきたい重点事項の一つでもあります。

既存事業をスクラップするときは、くれぐれも気をつけて下さい。
マクロで見れば「良い」スクラップであっても、従事している個々人にとっては雇用の収奪であったり尊厳の破壊かもしれないのです。

漫然と作業的にスクラップしたら、終わった後で自責に襲われて、そのままトラウマになりかねません。僕のように。

「自分はこれから、公益のために個を潰すぞ」という心の準備を忘れないでください。

押印ルール見直しの機運が高まっています。
僕自身これまで非合理的な押印ルールのせいで散々苦しめられてきたので、この機にやり過ぎなくらいに簡素化すればいいと思っています。

現在生き残っているルールは、これのおかげで誰かが得をしているからこそ存続しているのだと思っています。
このため、ルールを変えようとすると、その誰かがきっと反発してきます。

現行のめんどくさい押印ルールも同様です。
世間の大多数が手を煩わせることで、誰かがきっと利益を享受しているはずです。
これから押印廃止が現実味を帯びてきたら、既得権益を死守すべく、その誰かが反旗を翻してくるでしょう。

これから押印廃止反対派との論争のネタになりそうだと思っているポイントをまとめておきます。

「押印廃止」と「行政のデジタル化」は密接に関係しているけど根本的には別問題

同じようなタイミングに話題になったためなのか、「押印廃止」と「行政のデジタル化」を混同している方がけっこういるように思います。

押印を廃止すれば、確かに紙の使用量は確実に減少するでしょう。
ただし、紙の使用量が減れば行政のデジタル化が進むかといえば、そう簡単な話ではありません。

行政のデジタル化を進めためには、押印ルール以外にも、色々な規則や慣習を見直さなければいけません。
押印廃止よりもずっと難しく、気の長い道のりになるでしょう。


一方、押印廃止の効果は、紙資源の節約(=ペーパーレス)だけにとどまりません
紙資源以外にもインクなどの節約になりますし、資材だけでなく時間や労力もカットできます。

そもそも、押印ルールの不合理・非効率は、役所に限った話ではありません。
押印問題は、少し前までは「押印作業のせいで出社せざるを得ない」というテレワーク阻害の文脈で語られていました。

たとえ押印廃止が行政のデジタル化に繋がらなかったとしても、他にもたくさんメリットがあります。
むしろ行政のデジタル化は、たくさんあるメリットのひとつに過ぎません。
とりわけ紐付けて議論する必要は無いと思います。


「行政のデジタル化」という困難な課題の一手段として「押印廃止」が位置付けられてしまう、いわば「行政のデジタル化」と「押印廃止」の間に主従関係を設けられてしまうと、押印廃止反対派にとって都合が良くなります。
「行政のデジタル化という目標のためであれば、押印廃止はあまり効果がない。コスト的に無駄だ。もっと他のところを見直すべきだ」という反論が有効になってしまうのです。

前述のとおり、押印廃止の効果は、行政のデジタル化を差っ引いてもたくさんあります。
行政のデジタル化と無理に結びつけず、ガンガン進めていいと思います。


押印をひとくくりにせず内実ごとに分けて考えたほうがいい

役所絡みの押印手続きは、ざっくり分けて以下3通りがあると思います。

①凛議文書に押印する(押印決裁)
②公文書に公印を押印する
③役所外(住民や民間事業者)から提出してもらう文書(申請書や請求書など)に押印させる

これらはそれぞれ、押印する人も違いますし、文書の宛先も異なります。
押印している背景・理由も別物です。
このため、押印廃止にあたっての検討事項も、廃止するためのアプローチも異なります。

①は、既に電子決裁システムを導入している自治体であれば、一瞬で解消します。
それを使えばいいだけです。
未導入の自治体だと時間がかかりますし、補正予算を組んで議決を経るというプロセスも発生するため、時間がかかるでしょう。

あとは公文書管理の問題も関係してきます。
「説明責任」を重視する方々にとって、決裁過程は文書で残しておかなければいけないものです。
「電子決裁を隠れ蓑にして意思決定プロセスを隠すつもりだ、許せない」と息巻いている方も既にいらっしゃいます。
こういう外圧といかに調和するか、整理が必要です。

さらにはパソコン周りの設備も更新が必要でしょう。というかやるならぜひ更新してほしい。
たとえば僕のパソコンだと、ワードファイルひとつ開くのに数十秒かかりますし、PDFファイルを開こうとすると2割ほどの確率でフリーズします。
こんな環境で電子決裁しようとすれば、データを開くための待機だけで膨大な時間を消費します。


②は、内規を見直す作業がメインになるでしょう。
あとは法律の専門家にヒアリングして、押韻を廃止しても支障無いかを確認する必要があります。
①③と比べて一番簡単だと思います。


③が多分一番難しいです。
役所の内規を見直すだけでなく、民間の商慣習・法律や会計の専門家の見解・会計検査院の動き(押印なし請求書でも適正と認められるか?)など、考慮すべき事項がたくさんあります。
自治体レベルではなかなか改革できず、まずは国の会計手続き変更を真似ることになるでしょう。


①〜③を十把一絡げにして、全ての押印手続きに対して同一のアプローチだけを講じれば、そもそもの背景・理由の違いのために、トラブルが生じるでしょう。
押印廃止反対派は、押印廃止によって発生したトラブルを目ざとく見つけて、あげつらってくると予想されます。

押印の性質をきちんと見て分類し、それぞれに個別のアプローチをとって、極力トラブルを未然に防ぎたいところです。

体験談

本記事をご覧の方には、特に学生の方だと、「どうして世間が押印を目の敵にしているのか」いまいちわからないかもしれません。
というわけで、僕の個人的経験を最後に書き記しておきます。


とある外資系企業の日本支社(以下X社)に業務を発注したときの出来事です。
僕が仕事を発注した日本法人は「Xグループの東アジア支社」という扱いでした。
日本事業の責任者は、「Xグループ東アジア支社長」です。

このような組織形態のため、X社から図領した書類には、文書の発出者として「Xグループ東アジア支社長」の氏名が記載されて、東アジア支社長の印鑑が押されていました。

僕の勤める県庁には、「民間企業から図領する支払い関係書類は全て『代表取締役社長』の押印が必要」という会計ルールがあります。
外資系企業であっても同様です。
「支社長」の押印では支払いできず、「代表取締役社長」の押印が必要です。

ダメもとで会計課に提出してみましたが、「代表取締役社長の押印を貰うこと」というメモ書きとともに即座に突き返されてしまいました。

当然のことながら、東アジア支社の独断では、代表取締役社長の印鑑(=海外にある本社の印鑑)なんて使えるわけがありません。
そのため、東アジア支社から本社に対して、押印してもいいかの稟議を回してもらいました。
X社の担当者からは「数百万円オーダーの契約で本社まで稟議を回すのは初めてです、普通は百億超えたら回すんですけど……」と苦笑されました。
僕も苦笑するしかありません。

苦笑だけで済めばよかったものの、事態はどんどんヒートアップしていきます。
稟議を回したところ、Xグループ本社法務担当から「たかが数百万円規模のくせに代表取締役社長の押印を求めるなんて、一体どんな案件なんだ?ひょっとしたらこれを皮切りに超大型プロジェクトが始まるのかい?東アジア支社には期待していいんだね?」という強烈なプレッシャーを掛けられてしまったらしく、東アジア支社は事態の沈静化に奔走する羽目になりました。

弊庁に対しても、「あくまでも事務手続き上、代表取締役社長の押印が必要なだけです、深い意味はありません」という一筆が欲しいと、わざわざ支社長から連絡がありました。

結局、2ヶ月くらいかかってなんとか代表取締役社長印を押してもらえたのですが、X社からは後々苦言を呈されました。
代表取締役社長印を押すための人件費だけで、今回の業務の利益がほとんど吹き飛んだとのこと。
「もう二度と自治体とは仕事したくない」とまで言われてしまいました。
 

僕のケースは極端かもしれませんが、役所の押印ルールのせいで誰かに迷惑をかけた経験は、公務員であれば誰でも持っていると思います。
だからこそ押印廃止の流れにときめいているのです。



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